状況把握(外部)
アカリが体験したあの不思議な現象は数秒もすれば消えて、アカリに強烈な頭痛という爪痕を残して終わった。そういう痛みに慣れていたアカリは頭痛の痛みに悶えながらもゆっくりと体を起こして周囲を見渡す。
アカリが居たのはとても見覚えのある光景。
床は畳だが煩雑に物で溢れかえり、壁は古臭さを感じさせる木造住宅。そして部屋の出入り口には薄紙の代わりに半透明なガラスが嵌った障子が存在し、おぼろげながらに向こう側の景色を見せる。
部屋の隅に置いてあるテレビからはコードが延びてアカリの首元に繋がっている。そしてコードはアカリの一本だけでなく、他の五本もそれぞれ床で眠る五人の少年少女の首元に繋がっている。ゲームにログインする前と何も変わらない部屋。それはアカリにとって見間違えようの無い場所――――カケルの部屋だった。
「いったい……何が起こったんだ……?」
ここはカケルの部屋。それはたとえ天地が狂っても間違いない。
しかし、しかしだ。どうにも世界がずれているような感覚がするのだ。なんと言うか、河の水からいきなりプールの水に変わったようなそんな不思議な感覚。
アカリは思わずそう呟いてから、自問自答しても答えが見付からないのを悟ってテレビから繋がっているコードを抜く。
強烈な痛みこそ引いたものの、まだ疼痛が残っている頭を無理やり動かして、覚束ない足取りで部屋を出て行こうとする。
「ン……」
しかし目覚めるような、ルサルカの悩ましい声が聞こえて立ち止まった。アカリは頭にある疼痛のせいでその場に立つ事は難しかったので、木製の壁に体を預けるように立ち、ルサルカの方を見る。
「○○○、大丈夫か?」
「うん……なんとか……」
太陽のように綺麗で鮮烈な長い金髪はルサルカの気持ち悪さを表すように乱れて、どこぞのテレビから出て這いずり回る幽霊を髣髴とさせる。そんな印象をアカリは感じてしまい、ルサルカを傷つけないようにと口を噤んだ。
「頭が痛いなら有線コード外して横になっとけ。少しは楽になるだろ」
「うん、そうする。……頭が痛いこと言った?」
「それを含めて後で説明する。他のみんなを頼む」
それだけを言い残してカケルの部屋を出て行ったアカリ。
それから数時間後。ようやく≪大雪原に住まう氷結龍≫のメンバーは全員目を覚まし、頭を苛んでいた頭痛も止まった。
今は頭痛が治まった事もあって、アカリを含めた六人はカケルの家の一番下に下りていて、アカリ達六人以外にも何人かの大人がいる。その大人達の中にはカケルの両親もいた。
ここでカケルの家について説明しよう。
カケルの家はよくある定食屋で、昭和時代から続くこの店は最低限の修繕しかしておらず、新しい人にとっては古臭く感じても昭和時代から生きる人にとっては懐かしく、とてもくつろげる空間らしい。そして昭和いの色を残すように木簡に御品書きを書いてぶら下げている形だが、今代の亭主(つまりカケルの父親)がお酒好きもあって、定食屋の色を残しつつ居酒屋も兼業している。
店の中はカウンター席が14席、四人掛けのテーブルが四つ、八人掛けの御座敷三つの計54席がある古くからある店にしてはとても広い。普段から夕方には半分が埋まるので騒がしいのだが、今は全員が静かなのでなんとも不気味に感じる。
「とりあえず最初に分かった事を言うと、ここは地球じゃない」
『え……?』
アカリの簡潔すぎる言葉に誰もが唖然として口を開く。しかしそれも無理はないだろう。いきなりここは地球じゃないと言われても突拍子が無い上に、帰る家を持つ身ならいきなり帰れなくなったなんて話を信じられるわけが無い。
ついでに言えば、ここはカケルの家だと誰もがわかっているので、家ごと異世界に飛んだなんて考えたくも無いだろう。下手しなくともアカリの頭がずれていると考えてしまう。
それを証明するように体格のいい男がアカリに反論を言った。
「おいおい、じゃあここは月だって言うのか?」
「……たぶん太陽系のどこにも属して無いと思うよ。月が三つもあるなんて馬鹿げてるし」
アカリには空に浮かぶ天体が月なのかどうか分からない。しかし天体が三つあることが太陽系から外れていると言うのは少ない知識からでも分かった。
アカリの言葉を聞いて大人達の殆どは即座に動き、窓ガラスから空を見上げては絶句して、他の大人に排除されていく。そんな大人達とは対照的になにかが引っ掛かったようにイサムは顎を掴んで考え事を始める。
そんなイサムに対してアカリは静かに自分の口元に人差し指を当て、[黙って置くよう]にと静かにメッセージを送った。イサムはそのメッセージに気付かなかったが、サナが受け取ってイサムに伝えた。
「地球と違う点を上げていくから、落ち着いたらこっちに戻ってきて」
その言葉で絶句した大人達は呆然としながら自分達が座っていた席へとつく。徘徊するゾンビと言っても過言では無さそうなほど、生気をなくした大人達は少しだけ怖く、アカリだけでなくルカ、サナ、ルサルカの三人も怖そうに表情をゆがめている。
「おいおいアカリ~。怯えるなよ~」
「怯えてない。怒りで体が震えてるだけだ」
「おうッ!? 俺の体が狙われてる~!?」
「誰もお前の体なんか狙わないッ!!」
「……カケル、今はそこまでにしておけ。アカリも怒るな」
「へーへー」
「……あとで憶えとけ……!!」
アカリが怯えているのを感じたカケルはからかってアカリの恐怖を薄れさせた。そのことにアカリは内心感謝はしたが、からかわれた怒りはしっかりと残っているのであとで殴る事に決めた。
たとえ世界が変わってもこの二人は変わらない。そんな二人の下らない漫才が失笑を呼んで大人達の心に元の世界での安堵をもたらし、ここが地球ではないという絶望を薄れさせた。
「……それで相違点を教えてくれ」
「あっ、そうだったな」
イサムに促されて説明するべきだと思い出し、漫才を見て和んだ雰囲気もあって、アカリの心の中に巣食っていた恐怖は完全に抜け落ちたので、一回咳払いをした後に再び口を開く。
「まずこの世界の文明はかなり低い。16世紀あたりだと考えて置いてほしい。だから冷蔵庫や電球といった高度文明の機器は存在しない。ただ、銃だけは開発されているから変なところで文明は高い。
そしてこの世界には魔法と言うのが存在する。まァよくある物語のように魔力を消費して魔法を発動させるってものだ。大抵の魔法はそろってるみたいだから、自分が魔法を使えるかは自分で試してくれ。
そして街の外縁部には大きな壁があるけど、そこから先は行かない方がいい。モンスターが出てきて、戦う術を持たない人では死亡率が高い。だから行くなら戦闘手段を持ってることが最重要だ。
あっ、それと街を出る時は身分証明が必要だから、ギルドで登録しておいてくれ。傭兵、冒険、魔術、戦士、商業、農業の六つがあるから、好きなギルドに登録していい。用途違いでギルドの性能としては大差ないから。ギルドカードが身分証明になる。
盗賊は嫌われるから注意すること。もし盗賊が相手なら、殺しても罪には問われないので問題なし。司法・行政・立法はその国が司ってるから、犯罪を犯せば国を追われることもあるので行動には注意を。
それとこの世界では奴隷を許してるみたいだから、奴隷商なんかには捕まらないように。どんな目に合わされるか分かったものじゃないし。まァ口減らしのために奴隷を引き受けることもあるから、国も許可してる。
ついでにこっちの貨幣だけど、金貨1枚=半金貨20枚、半金貨1枚=銀貨10枚、銀貨1枚=半銀貨30枚、半銀貨1枚=銅貨10枚、銅貨1枚=半銅貨40枚。お金の単位はユルド。分からなくなったら後で言って。紙に書いて渡すから。
最後になったけど、こっちの世界には魔法があるから教会に行けば大抵の傷は治してくれる。毒なんかも浄化してくれるから、本当に危なくなったら教会に行って。だから病院は無い。軽い怪我なら冒険者ギルドで傷薬を売ってるからそれを飲んで」
結構長く喋ったの口の中がかなり乾いたが、大体の説明は終わった。ひとまず店の巨大冷蔵庫の中から麦茶を取り出して何杯か飲む。電気が通ってないはずの冷蔵庫だが、密封性が高いのが功を奏してまだ中の空間はヒンヤリとして涼しい。
涼しいで外であった出来事を思い出し、ポケットから銀で出来たコイン30枚を取り出す。
「あっ、そうだ、忘れるところだった。ちょうど外で捕り物をして半銀貨30枚貰ってきたから、各自一枚ずつ貰って行って。この店だと全員が寝泊り出来ないから、その30人には別の宿泊施設で寝泊りして欲しい。ギルドに行けば就活できるから、残りの人達も近いうちに追い出すつもり」
にこやかに言ってのけて、全員が青い顔になったのは見なかったことにした。
そして不意になにか名案を思いついたのか、大学生の青年が手を上げる。
「就職活動って何でもいいの? さっき文明が低いと言っていたから、地球の技術を売り捌くとか……」
「それは御自由に。ただ、長くお金を稼ぎたいならある程度の技術は隠して商業ギルドに技術を売った方がいいよ。他人に真似されて特許申請されたら割を食うのはこっちだし。もし騙されて技術を搾り取られたら本当に悲惨な生活を送ることになるし」
「憶えておこう……」
大学生の質問で誰もがお金を稼ぐ方法を思いついたようで、全員が少し黒い笑いを浮かべている。まァアカリも戦闘というお金を稼ぐ方法を思いついているので、人の事を黒いとは言えないのだが。
そんな黒い雰囲気に変わりつつある中、イサムが静かに質問を上げる。
「……それで元の世界に帰る方法はどうする? ここで密集して帰る方法を探す。戦う方法を考えて各地に散って帰る方法を探す。それとも、元の世界には帰りたくない。どれを選ぶんだ?」
「それは多数決にしようぜ。二つ目の選択肢は命の危険が伴うんだ。平和な国で育った俺達にそんな芸当が出来るかどうかわからない」
「カケルに賛成だ。他のみんなはどうする?」
カケルの父親が息子の言葉に賛成意見を出し、周囲は多数決ムードに変わる。
しかしアカリだけはかなり苦い顔をしていた。
今回アカリが伝えた地球との相違点はアカリの偏見が混ざったかもしれない情報なので、もしかすればアカリの気付かない点で情報不足が混ざってるかもしれないのだ。そんな状態で今後の方針について決めさせるにはあまりにも罪悪感がある。だからアカリだけは反対意見を出した。
「オレは反対。みんな混乱してるし、一回この国を見て話し合えばイサムの提案よりいい案が浮かぶかもしれないし。一週間後に話し合わない?」
「……ふむ、確かにな。みんなはそれでどうだろうか」
「問題なし!」
今度こそ誰もが納得し、一旦お別れモードに変わった。
アカリ達六人はカケルの部屋へと行き、そこで寝泊りする事にした。