楽園亭の日常
異世界に飛ばされてから五日目、アカリ達が出掛けてから三日目の朝がきた。
楽園亭で待機することになった四人は楽園亭で働くようになってからかなり忙しくなり、地味に体力がついてくる。カケルのVITが地味に上昇していたのが体力のついてきている証明だろう。
余談だが、EKOではなにかしてステータスが上がるという事は無い。すべてスキル依存で上昇するのみだ。
「おはようございます」
四人の中で一番最初に起きるルサルカは、ルサルカより先に起きるカケル父に声をかける。この人は何時寝てるのかと言わんばかりに起きてる様子しか見ないので、一番早く起きるルサルカは体調が少し心配だった。
カケル父はいつもニコニコと笑っていて、『かなり気安いおっさん』、それが知っている者達の共通見解だった。その気安さとは裏腹に人間の感情の機微に敏感な方であり、悩んでることがあれば即刻看破されてしまうほど観察眼も鋭い。
ちなみにルサルカ達が隠していたことも勘付かれたが、話せない一点張りでなんとか誤魔化した。
「おう、おはよう!」
「仕込み手伝いますね」
「毎日悪いな、るーちゃん」
「いえいえ、私が好きでやってることですから」
笑いながら答えるルサルカに気を良くしたのかガハハと笑いながら料理の仕込みを再開した。
ちなみにるーちゃんというのはルサルカが小さい頃からカケル父にのみ呼ばれる呼び名で、成長した今では子供扱いされているみたいで呼ばれるたびにくすぐったい気持ちを感じていた。
「おっかぁは料理がてんでダメだからよぉ、いつも助かってるぜ~」
「そんなことを言ったら奥さんが可哀想ですよ」
今日もルサルカは野菜の千切りと肉の薄切りやスライスなど包丁を使う作業から蒸したじゃがいもをすり潰してマヨネーズなどの調味料で味付けするポテトサラダや味噌汁のダシを作る作業を行う。
本来ならまだルサルカに任せられるレベルではなかったが、この世界においては料理スキルをコンプリートするという偉業を持っているので、他人の味を完全再現できるほどに熟練されている。この世界の食材を使えば当然カケル父より上手く料理できる。
カケル父はたまねぎの微塵切りや魚の三枚下ろしなど切り手に負担が掛かるものから小麦粉を練って数種類のパスタを作るなどかなり手間が掛かるものを率先してやる。腕前はさすがプロと言うほどであり、ルサルカもかなり仕込みが速い方なのだがカケル父はそれを超えて神がかっているほどに速く、瞬く間に仕込みを終わらせてしまった。
「相変わらず速いですね」
「こんなのは経験が物を言うんだ。るーちゃんもウチのバカ息子と結婚したらそうなるぜ~」
「なんでそうなるんですか」
ルサルカが感心するように呟いた言葉を聞き、嬉々として息子との結婚を薦める。まァそれはかなり冗談であり、カケル父はルサルカの想い人を知っているので本気で薦めようとは思っていない。
カケル父の色恋をからかう言葉が聞こえたのか楽園亭のテーブルを拭いていたカケル母が厨房に顔を覗かせる。
「うちのダンナが変なこと言ってごめんね~」
「いえいえ、カケル君はそれなりに優良物件ですから」
カケル母は接客をしているだけあってとても人当たりがよく、ときに冗談も言うので親しみがあり、優しい雰囲気もあって誰にでも好かれている。まさに理想的な主婦だった。ちなみに料理の腕は中の上。お金を取れるほど美味しいと言う訳ではない。
「やーねー。お世辞は言わなくていいよ。あんなダメ男が優良物件な訳ないでしょ~」
自分の息子を貶すように笑いながらそう言い放つカケル母にカケル父はまったく動じず、気にしている様子すら一欠けらも見当たらない。
親子の絆を強く信頼しているのだ。そんな関係をルサルカは羨ましく思い、小さく自虐的な笑みを浮かべた。
そんな暖かい空気を切り裂くように誰かが階段を下りてきた。もっとも、次に起きる人物など決まっているので誰かは分かっている。
「うぅ~、おはよう……なのですぅ……」
「おはよう、ルカちゃん。顔洗ってきたら?」
「そうするなのです~」
徘徊する幽霊のようにふらふらとしながら洗面台の方へ向かう。ルカの様子が少し心配になるが、アレでも≪大雪原に住まう氷結龍≫の一人なのだ。ちょっとやそっとで怪我する事は無いので心配はいらない。
「じゃ、ルカちゃんも起きてきたことだし私達は店の方を掃除しましょ」
「おいさん達も仕込みが終わったら朝食を作ろうか」
カケル母の言葉にカケル父も次の行動を口にする。
カケル母は手に箒をもって店の中を掃き、ルカは遅れながら洗面所で濡らしてきた雑巾で店の床を拭く。ルカの敏捷があれば三回拭く事が出来るのでなにげに大活躍している。
そしてルサルカ達の方も、昨日の晩御飯に使ったカレーに御飯を入れてドライカレー風にアレンジする。しかしそれで終わりではなく、耐熱皿についでモッツァレラチーズ、ゴーダチーズ、パルメザンチーズを乗せ、オーブンで焦げ目が付くほど高温で焼く。
数が六皿なので焼くのに時間が掛かり、同時併行で寸銅にオリーブ油を薄く引いて、たまねぎやキノコ類を炒める。たまねぎが飴色に変わった頃を見計らってチキンブイヨンと牛乳を入れて、温まればクルトンを入れて完成。あとは適当に千切ったレタスにハムやミニトマト、きゅうりなどを添えたレタスをつければ朝食の完成だ。
朝食の出来上がる匂いに惹かれてカケルとサナも降りてきて、掃除が終わったのを見計らい、ルサルカとカケル父は朝食を並べていく。
「ほんと働き者の娘が二人いて助かるわ~。うちのバカ息子なんて最後に起きていてまったく手伝わないんだから。無駄飯ぐらいって言うのはこういうことね~」
「無駄飯じゃねぇ!! しっかりと家業を手伝って……、手伝ってぇ……、手伝っ……て……」
どうやら自分が手伝った記憶を思い出せず声がどんどん尻すぼみしていく。そんなカケルを見てカケル母は嘆かわしそうに深々とため息をついてぼやく。
「小さい頃は可愛げがあったのに、どうしてこんな性格になったんだか」
その言葉を聞いてカケルと共に最後に起きていたサナは店の隅で小さくなってなにか呟き続けている。ルサルカとルカはなにか怖い気がしたのでサナを見なかったことにしてカケル母と共に会話に参加する。
そこからはいつもどおりだった。時間になったら楽園亭を開店して、お客が入ってくるのを待つ。
まだ朝食時なので地球から来た客しか入って来ないが、昼飯時になればクレメンスの住人が少し入ってきてくれる。昨日は三人だったけど、今日は何人来るか分からない。しかし初日と二日目にクレメンスの住人が来なかったことを考えれば大きな進歩だ。
しかし客が増える事は嬉しいことばかりではない。
「お、お嬢ちゃん可愛いじゃねえか。どうだい? 俺達と一緒に遊ばないかい?」
この手の客も多くなってしまうので、地味に損害も出てしまうのだ。
「私はまだ仕事があるなのです」
今回絡まれてしまったのはルカだった。
四捨五入で140cmという幼女に近い外見であっても、やはりルカは美少女に当たる女性なので地球の頃より男子に人気があった。告白されたためしがないのは基本的にルカがアカリによく絡むからであり、そこから遠慮してしまって声をかける人がいなかったからである。
「そんなこと言うなよ。こんな寂れた店じゃ客入りも少ないだろう? 一人ぐらい抜けたって構いやしねえよ」
「寂れた店で悪かったなッ!!」
ゴスッという音が楽園亭の中で響くと同時にかなり白に近い水色の光を纏った楯が振り下ろされた。その一撃を頭に受けた男は一瞬で気絶し、床に横たわる。
「カケル、助かったなのです」
「気にするな。あいつらもそれを兼ねてオレを置いて行ったんだろうし」
ルカの感謝をカケルはそっぽ向きながら斜めに受け取る。
今度楽園亭に入ってきたのは地球人の30代後半の男性で、付き添いでいるのは見知らぬ男性だった。
「いらっしゃいませ! 空いているのでお好きな席へどうぞ! 御注文がお決まりになったら呼んで下さい!」
見事すぎる作り笑顔を浮かべてそう接客するルサルカに対して、カケルは何か言いたげな苦い表情を作っている。ルサルカには位置的に見えなかったので悟られる事は無かったが、サナは一瞬だけ見えたので苦笑を伝染してしまった。
入ってきた地球人の方は頼むメニューを決めていたようで、早速注文を口にする。
「蛸の和え物はあるかな?」
「すみません、蛸は昨日のうちに使いきってしまいまして……」
蛸のような生鮮食品はなるべく速めに使い切ってしまおうと思っていたので、ルサルカは率先して生鮮食品を試食品として提供していた。味を知ってほしいという名目を表に掲げ、裏で腐りやすい生鮮食品を早急に処分していたのだ。
黒いと言わそうだが、互いにWinWinの関係なのでメリットもあっただろう。
「るーちゃん、蛸ならあるから大丈夫だぜ!」
「え? でも仕入れは……」
「大丈夫! ほれ、この通り!」
そういってカケル父が見せたのは間違いなくマダコであり、ハードボイルドされているのか真っ赤に染まっている。確かにこの目で最後の蛸を捌いた記憶があるルサルカはなぜあるのかを不思議に思い、思考の海へと潜ってしまった。ルサルカの背後で見知らぬ男性が地球人の男性に対して「本当に食べられるのか?」と何度もしつこく聞いていることにさえ気付けないほど深く。
「じゃあ塩焼き定食とミートソースボロニアのセットを頼む」
ルサルカがどうしてあるのか悩んでいるのも気にせず、カケル父はテキパキと蛸の腕の一本を切り落としてから一口サイズに薄く切ってきゅうりやわかめと一緒に甘酢、醤油、山葵を混ぜて最後にゴマを振り掛ける。
そして鮭の切り身をフライパンで焼き、その合間に鍋でさっとパスタを茹でる。ミートソースは今朝の仕込みの間に素を作っていたので、軽く炒めながら味を調えていく。最後に茹で上がったパスタにミートソースを載せて終わり。鮭の方も大根おろしとレモンを添え、さらに千切りにしたキャベツを乗せる。ご飯と味噌汁とスープは作り置きをしているのでそれを注いでおしまい。
「お待たせしました。鮭の塩焼き定食とミートソースボロニアのセットです」
地球陣の男性は慣れている手付きで和食の御飯を食べるが、見知らぬ男性はおっかなびっくりいう手付きで、蛸にフォークを突き刺そうとしてはブニュとした感覚を受けてすぐに腕を引っ込める。
ルサルカ達地球人はその行動をとてももどかしく思ってしまうが、ここは本人が頑張らなければどうしようもないので無理やり食べさせようとはしない。あくまで本人の意思を尊重した。
でも蛸を知らないって事は……この人こっちの世界の住人なんだね。
地球では蛸はその外見から食べられる国は少ないが、それでも情報がかなり回っているので蛸を知らないと言う事は無いだろう。そこからおっかなびっくりしている男性をEKOの世界の住人だと考え、ルサルカは少しだけ厨房に引っ込む。
『むッ!? この蛸の和え物と言うのはかなり美味しいな!! 亭主、いい腕しているな!!』
『それは良かった。こちらの商談も進みやすくなって何よりです』
……あの人が何を企んでいるのか知らないけど、ここは聞かなかったフリをしてあげようかな。
互いに腹の裏を隠しているので、他人の行動を規制するほどの発言力を持っていない。これはルサルカだけではなくカケル達も分かっている事柄なのでとやかや口を出す事は無いだろう。ルサルカは地球人の男性がなにを企んでいるのかはこの際忘れる事にして、カケル父に蛸の出所を聞こうと思った。
ルサルカは今更知ったのだが、楽園亭の食料に関しては毎晩零時にすべて補充されている。そう、すべて。野菜や魚介類など食べ物だけでなく、ジュースや水・電気・ガス・消費したはずの冷凍食品に至るまでそのすべてが補充されているのだ。
カケルの両親がこの事実を知ったのは三日目の朝のことだった。二日目の朝には少し量が多いな程度の違和感でしかなかったのだが、三日目になると昨日消費したはずの食材がすべて満たされている事に気付いて、毎晩補充されることを知ったのだ。
時間を特定したのも単純に一時間ごとに冷蔵庫を開いて中身を確認する事で判明した。一日のうち零時以外は絶対に補充されていないので、一日に使える量は限られているからあまり便利な機能とは言えない。ついでに零時になる前に作っておいたラーメンのスープなども零時になれば消えてしまうので、熟成など一日以上掛かるものは作れない。
メリットのあることにはデメリットもあるという好例だ。
「ウチが伝えとくわ。 ……もしもし、イサムか? 実はな、こっちで面白いことが分かったんや」
『……ッ!? ……そうか、フレンド通信か。助かった。緊急事態だ』
「ん、緊急事態?」
『……そうだ。今はアカリが対処しているが、それも時間稼ぎにしかならない。……今は説明している時間が惜しい。詳細はあとで伝えるが、みんな戦う準備だけはしておいてくれ』
「分かったで。みんなにも伝えとくわ」
早速聞いたことをイサム達に話そうとサナがEKOのフレンド通信でイサム達に連絡を入れたが、切羽詰った声を聞いて一気に表情を引き締めた。出て行っている二人は間違いなく上級プレイヤーに分類されるので、クレメンス周辺で緊急事態なんて言葉を出す機会はとても少ない。
「ルサルカ、カケル、ルカぴょん、なんや緊急事態やて」
「サナちゃんアカリ君達に連絡入れていたんだ」
「緊急……事態? アカリ達がか?」
「古都クレメンスで二人がピンチなんてありえないなのです」
ルサルカはどことなく感心するような色が混じった言葉が返ってきたが、カケルはありえないだろと言うように笑いながら答え、ルカはありえないと言いながらも緊急事態を想像してしまったようで真剣な表情に変わる。
「なんや詳しい事は帰って来な分からへんけど、説明する時間も惜しいほど焦ってたみたいや」
「き、君達一体何の話をしているんだい……?」
「わかりません。ですが、もしかすれば私達が動く必要があるかもしれないということです」
ルサルカは力を持つ者として冷徹なまでに感情がない声でこの世界の住人の言葉に答えた。そこにあるのはルサルカという年相応の少女ではなく、一人の聖天魔導師として立つ少女が居た。