泣キ虫ノ華。-4-
動けない。
いや、動かない。
振り向けない。
いや、振り向きたくない。
┼ ┼ ┼ ┼
そうだ。俺はコイツに用があるんだ。
名前を返してもらわないといけない。俺の、本当の名前を。
その為にはまず、動かなければ。
動かなければいけない、なのに。
『でも、何でここにいるのかな。君が』
名前泥棒の声。
夢の中で会った様な、道化師の様な、飄々とした声ではない。
抑揚もない、無機質の、それでいて頭に響く、嫌な声。
動けばいいじゃないか。
たった少し、両足を動かせば。
たった少し、体を後ろに向ければ。
たった少し、振り返れば。
動けよ。お願いだから。
『不思議だなぁ。君って、平凡な少年だったよね』
声が聞こえる。
内容なんて聞いてない。聞く気もない。
声だけが頭に響く。
おかしい。
体っていうのは、脳の命令に忠実なはずだろ。どうなってんだ。
さっきから、体の震えが止まらない。焦点が合わない。喉が渇く。
やばい、息が出来ない。
よし。一、二、三、で振り返ろう。
このままじゃ駄目だ。
頭で深く、深呼吸をする。
一、二、三だ。
大丈夫。出来る。
とにかく、動こう。
いくぞ。
一、二、三。
途端に、回りの音が止んだ。
俺の首に冷たい感触が走る。
手だ。目の前の闇から、二本延びている。
その手に力が入る。
『聞いてるの?ゼロ君』
・ ・ ・ ・
暗い。
何処だここは。
俺は森にいて名前泥棒と会って。それで、
………それで?
それで、どうなった?
そうか。分かったぞ。
今、俺は目を閉じている。
背中に土の感触があるから、仰向けに寝ているのか。
とりあえず、目を開けよう。
全てはそれからだ。
目を開けると、そこには見たことのある顔がありました。
大きな口に、大きな鼻。
見開かれた黄色い瞳。チラッというか、剥き出して見える鋭い歯。
真っ青な皮膚の色。そうです。蒼色ドラゴンです。蒼色ドラゴンが俺を見ているのです。って、
「ぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」
「ギェェェェェェェェェ!!!」
俺とドラゴンは、同時に悲鳴をあげた。
俺はとっさに後ずさった。
「なっ…………何で………なんっ……」
何で起きてるんですかちょっと。
と言おうとしたが、相手の言葉に先を越された。
「あのっ!!お願いですから助けて下さい!!」
…………………
「えーと………襲わない?取って食わない?」
「しません!!お願いですから、話だけでも聞いて下さい!!」
ああ、まったく。
二回目だよこの状況。デジャヴュだよ。
俺はいつでも逃げれるよう、ドラゴンから10m離れたこの場所で、話を聞くことにした。
「……実は僕、ある日突然飛べなくなっちゃったんです」
「飛べなく?ドラゴンなのに」
「それだけじゃ無いんです。親友が………レントが、僕の事を忘れちゃったんです」
レント?聞き覚えのある名前だ。
………あれ?
「……何でレントの事を知ってる?」
「当たり前じゃないですか!自分を卵から返してくれた人の名前ぐらい、普通知ってるでしょう!」
ドラゴンは、声を荒だて言った。
卵から返した?
待て。それじゃあ、話のつじつまが合わない。
レントは、昔からドラゴンの事を、知ってる様な口調じゃなかった。
「……でも、レントは知らないんです。忘れちゃったんです。僕が飛べなくなった、あの日から……。思えば、あの日から全部おかしくなったんです!自分の名前も分からなくなるし………」
自分の…………名前?
頭に考えが浮かぶ。
よく考えてみろ。
このドラゴンの言う事が、本当だとすると。
蒼色ドラゴンは、ある日を境に空を飛べなくなった。そして、自分を卵から返してくれたレント、つまり親が、自分の存在を忘れてしまった。
そして、自分の名前を思い出せない。
おい。それってまるで、
「もしかしてその日、ピエロが出てくる夢を見なかった?」
「み……見ました。そのピエロに名前を聞かれて………」
「言った?」
ドラゴンは小さく頷いた。
やっぱりそうだ。
蒼色ドラゴンは、俺と一緒だ。
その時ふと尻尾を見ると、何か銀色の物が目に付いた。
ソレは、ドラゴンの大きなウロコとウロコの、間に挟まっていた。
俺はソレを指差し言った。
「なあ。ソレって」
「これですか?あの日、飛べなくなってこの森に落ちた時に、僕のすぐ側に落ちてたんです。綺麗だったから、取っておこうとつい………」
律儀にドラゴンは、わざわざソレを、俺に渡して見せてくれた。
俺の手に落ちたソレ。掌で輝く【鍵】はまさしく、目の前のドラゴンの物。
嗚呼、名前泥棒よ。何故俺のは落としてくれなかったのか。
いや、むしろ神様に感謝しなきゃな。
こんな物語のような、有り得ない偶然を有難う。
何をすべきか、不思議と分かっていた。
鍵の先端を、ドラゴンに向ける。
すると、ドラゴンのお腹から、ゆっくりと錠が出てきた。鍵を向かえ入れるかのように。
鍵を錠に差しこむ。
これで、これでレントが助かるかもしれない。
* * * * *
助からない。
僕はそう直感した。
だってそうじゃないか。
あんな狂暴そうなドラゴンに、生贄として出されるんだから。
そして今僕は、縄でぐるぐる巻きにされている。
時刻は夜中。
僕は生贄としての役目を果たすため、一人村長の元へ行く。
そこには、丸太で出来た御輿の上に、台座が乗せられてあった。
僕はこの台座に乗り、森まで運ばれるのだろうか。
「この上に乗れ、レントよ」
村長が台座を指差す。
やっぱり。だって台座の回りには、花が沢山飾られているんだから。
弔い華が、沢山。
昔は、この村にもいっぱい子供がいたらしい。
その分、沢山生贄も出たらしい。
生贄の子供は、こんな台座に座らされ、縛られ、目的地まで運ばれていく。
人柱として川の氾濫をとめたり、飢餓を止めるためどっかの洞穴に入れられたり。
僕の場合は、森。
その時に、生贄に供える華が、この真っ白な華。
いつからか分からないけど、いつの間にかこの華と生贄は、一つのまとまりにされていたらしい。
僕、この華好きなのにな。
「いくぞ」
村長の一声で、僕が乗る御輿が持ち上がった。
一歩一歩、人気のなくなった村を、厳かに歩く。
嗚呼、僕は死ぬんだ。
だけど、あんまり実感がない。
生贄っていうのは、そんなものなのかな。
あんなに死にたくないと、必死にもがいていたのに。
馬鹿みたいだ。
そういえば、ゼロさん。ちょっと迷惑かけちゃったな。
謝りたかったな、最後に。
「グォォォォォォォォォォ!!!!!!」
突然聞こえた鳴き声。
これは…………ドラゴンの咆哮。
どこかのドラゴンが逃げ出したのかな。
もしかして、蒼色ドラゴンの………。
いや、でも声は、僕の上空から聞こえる。
僕は、上を見上げた。
見えたのは暗闇の空。
違う。少しずつ、朝日が差し込んできている。
その光が、輪郭を浮かび上がらせた。
蒼い。真っ青な体。
その体が、僕の真上を飛び回る。
こいつは、蒼色ドラゴン。狂暴な、
――違う。こいつは違う。僕は見たことがある。
違う。知っていたんだ。
違う。違う。
僕は、こいつを、知っている。
僕は、ただ一人の【親友】の名を読んだ。
「ドリス!!!!」
ドリスは、微笑んでくれた。
鍵が開く音がした。
一粒。空から水滴が落ちる。
それは台座の華の上に乗り、ゆっくり、地面流れていった。
* * * *
「よかったじゃないか。お前のお節介は、無駄にはならなかったぞ」
リエは、テーブルの上に開かれた本を見ながら言った。
「お節介だぁ!?努力と言え」
俺は、椅子に優雅に座りながら、俺が出てきた本をこれまた優雅に見ているタキシードに言った。
今俺は、現実世界にいる。
今しがたここ戻って、正しくはこのタキシードのリエに連れ戻された。
鍵を回した途端、突然目の前が真っ白になり、気が付けば俺はリエの部屋の入り口につったっていた。
「リエ。結局蒼色ドラゴン、いやドリスが飛べなくなったのは……」
「名前泥棒が盗んだのだろう。ドリスという名前を盗られたせいで、雨を降らすドラゴンという社会での役目が消え、名付け親の、レントの記憶から、ドリスの記憶が無くなった。今の、お前を取り巻く状況と同じだな。」
お前をが鍵を開けたお陰で、全てが元に戻ったんだ、そう言って、リエは本棚の奥へ歩いて行った。
リエと入れ違いに、俺は椅子へ腰を下ろす。
開かれた本のページを覗いてみた。
端に絵が描かれており、そこにはドリスの上に乗るレントと、雨ふるロニ村があった。
よかった。
「ま、きちんとシナリオ通りに進めてくれて、良かったよ」
シナリオ?
振り向くと、いつの間にか赤い本を手に持ったリエがいた。
コイツ、忍になれる。
「シナリオってどういう事だよ」
「まあ見てみろ」
リエは、開かれた本を閉じ、表紙の題名を指した。
「読んでみろ」
「えー………魔導士と竜の冒険」
「……お前の頭でよく分かったな」
「うわムカツク」
だが、それがどうしたのか。
俺はイマイチ、リエの言いたい事が分からなかった。
「ここでいう魔導士。これはレントにあたる。竜というのは勿論ドリス。この二人は後に英雄となる訳だが、名前泥棒がこの本に入ったせいで、それが狂ってしまった。
シナリオ通りに行くには、二人はずっと親友の間柄でなければならない。
だが、レントがドリスの事を忘れてしまい、それが叶わなくなったのだよ」
成程ね。そこに俺がレントの記憶を元に戻し、シナリオとやらを修正したという事か。
「ところでゼロ。見付かったか?【探し物】は」
名前、泥棒。俺の頭に、森での光景がフラッシュバックしてきた。
今思い出してみると、夢か現実か区別がつかない。だが、今でも覚えている。
伸ばされた手の冷たさと、感触は。
「…………ま、習うより慣れろ、という事か」
ということでいってらっしゃい。そういうリエの手は、先程持っていた本を開いている。
………早くありませんか?
「なあ、もう次の世界へ行くのか?」
「見て分からないか」
分かるさ!分かるから突っ込んでんだよ!
だがリエは、俺に反論を言わせる時間はもったいない、そう考えたらしい。
「安心しろ。知りさえすれば、恐怖など無くなる」
理不尽だ。
そう思いながら、俺の体はゆっくり本に吸い込まれていった。
本は自然に閉じられた。
扉を閉めるように。
表紙には銀の字が光る。
『陰王・列空伝』