全ハ月下美人ノ為ニ。-4-
貴方は今まで
今までずっと苦しんできて
やっと自由になれるはずだったのに
どうして自ら鳥籠に入るのです?
※ ※ ※
歩き初めてから数十分後。山と山とを繋ぐ洞窟の道を進み、蘭奈は俺の身長の何倍もある、鉄の門の前で止まった。壁の様で向こうが見えない。振り返らず蘭奈は言う。
「ここの門を開けると、直ぐに享廉の塔に着くの。でも気を付けてね」
「――何でです?」
「直ぐに、だから」
そう言うと同時に、扉が開く。あったのは壁と、それに貼られている一枚の赤い札。
「十六夜に浮かびし下弦の鋒、白き躯紅く染まらぬ事願わん、紅よ碧へと繋がれ」
そういって蘭奈が札に触れる。瞬間、札から闇が広がった。目の前にあった壁は消え、そこには限りが無いように見える闇。
すると、突然闇に向かって強風が吹いた。足が地面から浮く。え、何故に?なんて思っている暇は無く、俺と蘭奈の体はあっという間に闇の中に消えていった。
◆ ◆ ◆
貴方はまだ待っておられる
あの日から、ずっと
終らぬ黒の中で
叶わぬ約束を破らずに
◇ ◇ ◇
いつの間にか、俺の視界に映る物達は、まったく変化していた。さっきまで、真っ暗で辺り一面闇に覆われていた筈だったのに、目を開けるとそこには綺麗な青空が広がっていた。
――――ん、青空?
俺は勢いよく身を起こす。立っていたのに、いつの間にか仰向けで寝転んでいたのか。
周りを見回す。蘭奈が居ない。その代わりなのか、俺の側に寄り添う様にして、犬の人形が置かれていた。
「あーと、何処?ここ」
地面は石造り。風がもろに体に当たる。円で囲まれた屋上だ、ここは。
ここが享廉の塔なのだろうか。という事は、俺が今居る場所は塔の最上階か。はたまたここは別の場所なのか。
「どーしようか………」
考えても答えが浮かばず、思わずその場で立ってみる。
すると同時に、足下に妙な感覚が走った。とっさにその感覚の元を見る。
「――――ィ!?」
俺は声にならない悲鳴をあげた。思考回路はフリーズ。目は足下に釘づけ。
「あっ、足が埋まってるっ!?」
有り得ない事が起きていた。いや、今まさに起こっている。
足が、俺の足首から下が、すっぽり床に埋まっているのだ。
それだけではない。足首から上に向かっても、どんどん床に埋まっていっている。足を出そうとしてもがいてみれば、床は砂の様に細かくなり余計深く足を埋める。まるで、蟻地獄のように。
「くっそっ、何だよこれ!」
もう膝の辺りまで埋まってきた。だが、尚も床の侵食は止む気配が無い。寧ろペースが上がってきている。
どれだけもがいた所で何も起きない意味がない、そう分かっていてもパニック状態に陥った頭ではそこまで冷静にはいれない。
胸の辺りに砂の感触。いよいよ俺は焦り初め、無我夢中で手をばたつかせる。無作為に伸ばした手は、少しの砂を掴むだけ。
「そうだっ!あの犬!」
頭に浮かんだのは、蘭奈の代わりに現れた犬の人形。もしかしたら、あの人形には何か凄い力が隠されていて、もしもの時の為に蘭奈が置いていったとか!そうだ、てかお願いだからそうであってくれ。
俺は期待と望みを胸に、藁にもすがる思いで人形を掴んだ。
頼む、ここから俺を助けてくれ。人形に願いを込め、真上の青空に掲げる。
「……………………」
反応無し。埋まった位置が脇に到達した事以外、何も変わらず。
「――――ギャーー!!」
悲鳴をあげてしまった。だが本当にこれはヤバイ。床に食われる。
ここは処刑場か何かか?何で俺はここに来たんだっけか、そうだ、蘭奈だ。もしかして俺は、蘭奈に騙されたのか?いや俺が一体何をした。まずここに連れて来られる程悪いことはしてない、ってああもう顎に砂のザラザラ感が!
俺は覚悟を決めた。どうにでもなれ、いやなってほしくは無いが、もうどうにもならないだろう。鼻に砂が入って来たし。
ゆっくりと瞼を下ろし、現実をシャットダウンする。目が覚めたら、お花畑と川が目の前に無いことを祈りながら。
そうして少しゆっくりと、しかし完璧に俺の体は床の一部となった。
○○●○○
「よく来たな若僧!」
暗闇の向こうで声がする。多分、男。誰だ?
「ガラク様、まだ彼は目覚めて無いのですが」
「なにっ!なら儂が叩き起こしてやろう」
聞き覚えのある声。誰だったか……そう、蘭奈だ。蘭奈の声と男の声が、交互に聞こえる。
此処は、何処だ?
「そうなると、やはりここは定番通り、美しき王子様の接吻で起こすべきだろうな」
せっ………?定番通りって。何かとても嫌な予感が頭を駆け巡る。あーなってこーなって、こう?
鼻の頭に生温い風が、規則的にかかっている。何故だろう、やはりとても嫌な予感が頭から離れない。
恐る恐る、そーっと目を開けて見る。最初に入ったのは明るい光。次第に目が慣れ、目の前に有るものの輪郭が、はっきりと浮き出てきた。
「――ギャーーーーー!!」
本日二度目の悲鳴。 すると、視界一杯に位置する艶めいた唇から、明るい声がもれた。
「なんだ、起きてるではないか」
艶めいた唇は、俺の唇寸前の所から離れた。同時に、その唇の主の全体の姿が目に入った。
薄紫色のショートボブの髪、細身の体と小さい頭、モデル体型。今さっきの艶めいた薄い唇に、整ったドイツと日本を足して2で割った様な顔のパーツに白い肌。
そして、俺から見て右が蒼、左が灰色の瞳。
「ガラク様、叩き起こすのではなかったのですか?」
俺は声のした方向を見る。
因みに、俺はこの時やっと自分が仰向けで寝そべっている事に気付いた。
そこには正座をし、無表情で此方を見る男が。細身だが、こいつの両目は緑。同じ色だ。
「叩き起こしただろう、精神面で」
「使い方が間違っております」
俺は床に片手をつき身を起こした。さっきとは違う、全面板張りの部屋。青空の代わりに天井が現れた。
「屋上じゃない………ここは?てか俺生きてる?」
自分で自分の体を触りまくる。透けない。最後に両頬を叩く。軽い音が響いた。
良かった、痛いや。
「さっきは驚かせてすまなかったな。あれは此処、享廉なりの出迎えなんだよ。あれでも立派な入り口だ」
一瞬さっきのキスの事かと思い、意味が読みとれなかった。
ああ、屋上の時の事か。
「いや、まぁ、こうして生きてるから良いですけど」
俺は目の前に向かい正座をし、1m程離れた所に座った、両の目の色が違う男に言った。
どこかで見た事のある風景。――あ、社会の教科書。確か、大政奉還の時の絵がこんな感じだった。徳川慶喜の位置に、ガラクと呼ばれた男が姿勢を崩して座っている。右脇に蘭奈、左脇に無表情の男がガラクを守る感じで向かい合わせに座っている。
「そういえば、お互い自己紹介がまだだったな。儂の名前は呀楽、これでも狼寓の頭領を務めておる。お前は?」
「――は、はい。ゼロといいます」
「ぜろ?珍しい名だな……。ところでお前、その服装から旅人と見た。となると、この国の事ををまだ理解しておらぬようだが」
なに一つ理解しておりません、そう伝えると呀楽は口を大きく広げゆっくりと笑った。
「はっはっはっ!まぁ、旅人はそれが普通なのだろう。では特別に、この儂がこの国について色々教えてやろう」
そう言うと呀楽は、自らの懐から扇子を出し、それで俺を差しながらこう言った。
「ではまずお前、この国においての忍というものを知っておるか。それが分かっておらぬと話が進まん」
「え………いえ。多分貴方のその言い方だと、俺の思っている忍とは違うようですし」
ご明察、そう言って呀楽は扇子を勢い良く開いた。
「実はこの国、いやこの国を含めた周辺各国には“忍”という国家がある。忍が国をまとめ、国を守り、国の行く末、有り方を決める」
「日本でいう、警察と国会か」
「………けいさつ?」
呀楽の問いに俺は、なんでもありません、と言い話の催促をした。
「今までこの国には様々な旅人が来たが、そのいずれもこういう国の有り方は珍しいと言っておった。忍というものは、主君の陰となり働いておるらしい」
「俺のところもそんな感じです」
呀楽は扇子を閉じ、床に当て話を続けた。コン、と音が響く。
その音を合図に、無表情の男がどこからか持ってきた巻物を、俺の前に広げた。そこには国の様な形が二つ書いてあり、漢字で穂積、落鳳と書いてある。
「国の話に移ろう。まず儂らがいるこの国。この国は穂積といい、敷地面積………まぁこの辺はよいか。大国というわけではないが、街は活気にあふれ皆生き生きしておる良い国だ」
成程、と相槌をうちながら俺は応える。
両脇にいる二人は、さっきからびくともしない。
「そして、その右隣にある国が落鳳という。現時点での儂らの敵国だ。大きさではこちらがでかい。はい、ここまでで質問は」
俺は、最初に会った忍者達の台詞を思いだし挙手をする。
そういえば、あの忍者達が落鳳の者なのだろうか。
「はいゼロ君どうぞ」
「質問です、狼寓って何ですか。あとよろしければその落鳳って国と争っている理由も」
「ほぅ、多いな」
「興味がわいたので」
好きな教科は社会の俺の問いに、呀楽はフム、と言って片手を顎に添えた。
「では狼寓の話から。狼寓は我が国穂積の国家、ここでいう忍の組織の総称だ。そして狼寓達が集まって、政治やらなんやらをするのがここ、享廉の塔。そして、その享廉の塔に繋がる扉がある地域を里と呼ぶのだ。最後の方は余談だったかな?」
「いいえ、一気に解りました」
呀楽は満足そうに笑うと、すくっと立ち上がった。そのままゆっくりとした足取りで、俺のところまで歩いて来る。
「お前、物分かりが良いな。伊助の下僕にしては珍しい」
「あっ…………忘れてた」
忘れていた。今の俺は伊助の部下、ここに居るのは人質でって事だったな。
てか、伊助と暁は来るんだろうか。どうやら、今までにも伊助に部下はいたらしい。俺を人質に連れてくるって事は、それなりに部下を大切にするやつなんだろうな。人の話を聞かないけど。
一応、この世界の情報はある程度分かった。問題は宿なんだが――――
「来るぞ」
突然、頭の中から声がした。呀楽のものではない、今目の前に座って伊助の愚痴を言ってるし。
と、いうことはだ。
「リエか?いや、リエ以外に俺の頭から話しかけるなんて趣味悪いやついな」
「黙れ」
「すみません」
俺は怪しまれないように、出来るだけ小声で音を漏らさず、口の動きを最小限にしながら喋った。
「てか、来るって何がだよ。長い髪したテレビからはいずりでてくる、ホラー映画定番のあの人?」
「誰だそれは。とにかく違う。もうすぐ来るから気を付けておけ」
「だから何が」
そう言ったところで、呀楽がまた扇子を広げた。その音で、俺の注意は正面に向く。
「ん?どうかしたか?」
「――あ、いえ。なんでもありません」
いきなり、何か分からないけど来るらしいから気を付けて、なんて意味の分からない事を言ったって何の意味もない。
けど。何故かとても気になる。頭の中で何かが動いてる感覚。リエの言葉が、頭の中でリフレインする。
まさか。
「では、次は落鳳との事だ。落鳳は―――」
呀楽が次の言葉を発する。だが、その声は大きな音に掻き消された。硝子が割れた音、それに数人がうごめく足音。
音は俺らがいる部屋の、隣から聴こえた。静かだったから、音が良く響く。
俺はまず音がした方向を見て、何事かと目で呀楽に訴える。だが、呀楽もその後ろにいる二人も、なんら慌てる気配が無い。余裕だ。
俺は口を開く。
「なっ―――何でそんな余裕しちゃってんですか!?」
「何でって、なぁ?」
呀楽は無表情の男の方を見、肩をすくめる。それがどうした、という表情をしている。無表情の男は、目をふせてきちんと座っている。
足音が近付いてきた。この部屋に向かっているのだろうか。皆、規則正しい足音を作っている。足音は大きく、まるで怒っているかのようだ。これは、危険なのではないだろうか。
そう考えている間に、部屋の扉の向こうまで足音が聴こえてきた。
内心焦っている俺、変わらぬ表情の呀楽、無表情の男と蘭奈。
視線は皆、扉に集まっている。
扉が、開いた。
●●○●●
静寂。有という静寂。
「シュナ様――――」
何処までも続いているように見える廊下に、ポツリと言った彼女の名前。
だがそれも、すぐに無機質な床に吸い込まれた。
男は溜め息をつき、廊下をゆっくり進む。ギシ、ギシ、と唸る床。
衣が擦れる音。
ふと、男は足を止める。一本道の廊下、振り返ると見える彼女がいる空間。
「――シュナ様。お願いですから、独りにならないで下さい」
その言葉は届いたのか、ただ虚しく音として広がるだけ。
三度目の溜め息をつくと、男は踵を返し廊下を進んで行く。
やがて男の姿は、闇の中へ溶けこんでいった。
たった一つ、願いが叶うとすれば
貴方を――――