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婚約破棄されたので誓紙を突きつけます

作者: 夢見叶

「リーゼ、本日をもって——お前との婚約を破棄する」


王太子レオンハルト殿下の声が、祝福の音楽を真っ二つに裂いた。

舞踏会場の空気が止まり、私の指先から血が引く。


「禁呪の痕跡が出た。聖女セラフィナの証言もある。以上だ」


冷たい。淡々としている。

けれど殿下の視線だけが、私の胸元を一瞬、刺すように見た。


逃げろ、ではない。

——逃げるな。そう命じる目だった。


私は、息を吸った。

胸元には一枚の薄い紙がある。殿下から渡された、署名と封のある誓紙。

いざという時に開けとだけ言われた紙だ。


「……承知しました、殿下」


声が震えそうになるのを、歯で噛み殺す。

ここで泣いたら終わる。ここで崩れたら、敵の思うつぼだ。


私は決めた。

今夜の鐘が鳴るまでに、私は誓紙を突きつける。

大聖堂の公開審問で、嘘を折り、婚約も名誉も奪い返す。

甘い終わりは——奪われた指輪が、私の指に戻る結末だ。


「リーゼ様!」と誰かが叫んだ。

衛兵が一歩、詰めてくる。


殿下は言った。私にだけ聞こえるほど小さく。

「……余計なことはするな」


余計なこと?

私の人生を守ることが、余計?


怒りが、背骨に火をつけた。小さな勝利を一つ、ここで取る。

私は背筋を伸ばし、会場に響く声で言い返した。


「禁呪を使ったなら、私はここに立っていません。——生きているはずがないから」


ざわ、と波が立つ。

禁呪は使用者に強烈な反動を返す。常識だ。


殿下の眉が、わずかに動いた。

言い過ぎるなという叱責にも見えたし、よく言ったという合図にも見えた。

——どちらにせよ、私の心はまだ救われない。


「監査局です。会場を封鎖します」


黒い外套の役人が前に出た。

彼は短く名乗り、冷えた声で続ける。


「リーゼ・オルテンシア。通行印停止。王都から一歩も出られません。今夜の鐘までに、大聖堂で公開審問。逃走は即時拘束」


逃げ道封鎖。

敵は私を追い詰めてから折るつもりだ。


私は頷いた。逃げない。逃げる必要がない。

真実を持っているから。


監査局の書記——ユーノという若い男が、私のそばに立った。

職務の目。情ではなく、規則で動く目。


「リーゼ様。所持品の申告を」


私は迷わず誓紙を取り出し、ユーノの手に乗せた。


「これを。……まだ開けないで。公開の場で開くとだけ、決めています」


ユーノは一瞬だけ驚き、すぐに無表情に戻った。


「保管します。開封は、監査局長立ち会いのもとで」


それでいい。

誓紙は、私の武器だ。今ここで振り回すものじゃない。


「リーゼ」


殿下が私の名を呼んだ。

近づいてきて、私の肩の横に立つ。距離は近いのに、温度は遠い。


「……潔白なら、黙って従え」


「黙っていたら、潔白でも潰されます」


私が言うと、殿下の目が細くなった。

怒っている? 苛立っている?

——それとも、焦っている?


「口を慎め。……今夜の鐘までだ」


殿下はそれだけ言い、私の前を離れた。

冷たい背中。けれど背中は、私に衛兵が触れない角度を作っていた。


守っている。

なのに、切り捨てた。


心の中で、誤解が育つ。

私は、もう要らないのだという苦い芽が。



大聖堂への移送まで、私は監査局の待機室に置かれた。

窓はあるが、外には監査局員。通行印停止の札が扉に貼られている。


セラフィナは、白い衣で現れた。

光の輪でも背負っているみたいに、人々が道を開ける。


「かわいそうなリーゼ様。あなたのためにも、早く罪を認めてください」


甘い声。

優しさの形をした刃。


「禁呪の痕跡があなたの周囲に残っていました。私は“祝福”で見たのです。

王太子殿下も、お苦しいのでしょう。愛する人を罰するのは」


愛する人、という言葉が刺さった。

殿下が愛していたのは——私じゃないのかもしれない、と。


「証拠は?」


私は短く聞いた。説明を求めない。相手の口を滑らせる。


セラフィナは微笑む。


「私の祝福。皆の信仰。……そして殿下の決断」


——それだけ。

物がない。言葉だけ。


ユーノが、脇で小さく咳をした。

ほんの小さな合図。


私は気づいた。

セラフィナは痕跡と言ったのに、場所も時刻も言わない。

具体を避けている。


「痕跡が私の周囲に残ったのなら、いつ、どこで?祝福は万能なのに、答えは曖昧なのですね」


セラフィナの微笑みが、一瞬だけ硬くなる。


「……大聖堂で語りましょう。今夜の鐘までに、あなたは裁かれるのですから」


そう言って去っていった。

背中に残ったのは香の匂いと、わずかな焦り。


ユーノが小声で言う。


「矛盾を記録しました。彼女は痕跡の具体を避けています。 ……それと、誓紙の封が古い。今日のものではありませんね」


「ええ。少し前に殿下から渡されました」


殿下は、今日が来ると知っていた?

……まさか。


誓紙。私は心の中でそれを握り締めた。

この紙が、私を救う。

そうでなければ——私は殿下を許せない。



日が傾き、大聖堂の鐘楼が影を長く伸ばす頃。

私たちは大聖堂へ移された。


扉が開く。

視線が落ちてくる。信徒、貴族、役人。

公開舞台。逃げ場のない、光の檻。


最前列に、殿下が立っていた。

いつも通りの無表情。けれど指先が、ほんのわずかに強張っている。


監査局長が席に着き、宣言する。


「公開審問を開始する。期限は鐘が鳴るまで。被疑者リーゼ。告発者セラフィナ。証人、王太子レオンハルト」


殿下が証人。

私を切り捨てた本人が。


胸が冷える。

誤解が、喉に氷を作る。


セラフィナが進み出た。


「リーゼ様は禁呪に触れました。祝福が示しました。そして、王太子殿下の婚約破棄こそ、証です」


信徒が頷く。

聖女という肩書きは、言葉に重さを与える。


監査局長が私を見る。


「弁明は?」


私は、短く答えた。


「禁呪は使っていません。証拠を、ここで示します」


殿下の目が、わずかに動く。

それを出すのかという驚き——いや、違う。

今だという合図だ。


私はユーノを見る。

ユーノが誓紙を差し出す。封は、まだ割れていない。


セラフィナが笑った。


「紙切れで? 偽造は得意でしょう、罪人は」


「偽造なら、監査局が見抜けます」


ユーノが淡々と言う。

職務の言葉は、信仰より冷たく、強い。


私は誓紙の封に指をかけた。

ここから先は戻れない。


——開ける。


封が割れ、紙が開く。

一行目に、殿下の署名。二行目に、監査局長の予備署名欄。

そして中央に、空白がある。


私は息を吸い、空白部分を皆に見せた。


「ここに、記入ができます。禁呪の反動がない者だけが、この欄に印を残せる——監査局の判別式です」


ざわ、と広がる。

セラフィナの瞳が揺れた。初めて、揺れた。


監査局長が身を乗り出す。


「……判別式? 聞いていない」


私は殿下を見た。

殿下が、監査局長へ小さく頷いた。


「私が依頼した。今日のために」


殿下の声は相変わらず冷たい。

けれど、言葉の芯は、私を守っていた。


誤解が、ひび割れる音がした。


監査局長が言う。


「被疑者リーゼ。空白欄に印を。——ただし、公開の場で」


私はペンを取った。

手が震える。

怖い。もし私が嘘つきなら、ここで終わる。


けれど私は嘘をついていない。


私は、空白欄に印を記した。


紙が淡く光り、すぐに鎮まった。

反動はない。禁呪はない。


監査局長が宣言する。


「判別式、成立。禁呪の反動なし。告発の根拠は崩れた」


セラフィナが叫ぶ。


「祝福は絶対です! 私が見たのです!」


私は、ここで突きつける。

誓紙だけでは足りない。嘘の一点を刺す。


「あなたは痕跡と言いました。痕跡があるなら、場所と時刻が言えるはず。祝福で見たのならなおさら。——言えないのは、見ていないから」


沈黙。

セラフィナの唇が、動いては止まる。


ユーノが淡々と追撃する。


「加えて、彼女が本日受け取った寄進金の帳簿に不一致がある。監査局として、即時調査対象とする」


監査局長が頷く。


「セラフィナ。偽証の疑い。寄進金不正の疑い。聖女資格は一時停止。拘束する」


衛兵が動く。

今度は、セラフィナが逃げる番だ。


しかし——逃げ道はない。

通行印停止。封鎖は、彼女のための首輪でもあった。


セラフィナは白い衣をかき乱し、私を睨みつけた。


「あなたのせいで……!」


「違う」


私が言う前に、殿下が言った。

一歩、前へ。私とセラフィナの間に立つ。


「お前の嘘のせいだ」


その一言で、信徒の視線が変わった。

聖女だった者が、偽りへ落ちていく。


制裁は派手じゃない。

けれど、社会的に致命的だ。資格停止。不正調査。信仰の崩壊。

彼女が恐れていたものが、全部、落ちる。


セラフィナが連行される。

大聖堂の空気が、ようやく呼吸を取り戻した。


私は殿下を見る。

心臓がうるさい。誤解の残骸がまだ胸に刺さっている。


殿下は、私の前で止まった。


「リーゼ」


たった一言で、足がすくむ。


殿下は——膝をついた。

大聖堂の床に、王太子が。

周囲が息を呑む。


殿下は私の手を取り、指輪を持ち上げた。

あの夜、婚約の証として私に贈られた指輪。

破棄の言葉と共に、衛兵に外させた指輪。


「婚約破棄は、罠だ。……お前を守るための、最短の道だった」


私は、笑えなかった。

怒りも、悔しさも、残っている。


「最短の道なら、私の心は踏んでいいのですか」


殿下の目が、ほんの少しだけ揺れた。

初めて見る、人間の揺れ。


「踏んだ。……だから、詫びる。

それでも、お前が要る」


独占欲が、冷たい声に混じる。

公の場で、逃げ道のない告白。

私はその卑怯さに、少しだけ救われる。


殿下は私の指に、指輪を戻した。

熱がじわりと広がる。


「リーゼ・オルテンシア。俺の婚約者として、ここに戻れ。

——誰にも渡さない」


甘い。

けれど甘いだけじゃない。私の名誉が、私の言葉で取り戻されたから。


私は、殿下の手を握り返した。


「……次に破棄を口にしたら、誓紙じゃなくて、あなたの耳元に突きつけます」


殿下の口元が、わずかに上がる。

初めて見る、勝ちの笑み。


鐘が鳴った。

私は指輪の重みを確かめ、世界がひっくり返った静けさの中で思う。


——勝った。甘さごと、全部。


ここまでお読みいただき、ありがとうございました。

誓紙ひとつで「逃げ道封鎖→公開→裁定→制裁→恋確」まで一気に駆け抜ける短編を狙いました。

続きが気になったら、ブクマ&評価で応援して頂けると励みになります。

次はもっと甘い罠も用意しておきます。


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