序
記憶の中には、いつもある一つの影が浮かんでくる――彼女はいつも両手を組み、少し笑みを浮かべながら僕に言った。
「だから、もう少し頑張らないとダメだよ。」
当時の僕は、その言葉をただの気軽な忠告だと思っていた。あの頃は、その背後にある重みを考える余裕もなかったのだろう。振り返れば、あの時間は何よりも美しかった。
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一年前、僕たちは隣国と戦争を始めた。
理由はさまざまだった。領土の争いだという者もいれば、権力争いだという者もいた。真実を隠すための方便だという噂もあった。一般市民である僕たちにとって、戦争がなぜ起こったのかを知る手段などなかった。ただ確かなのは、すべてが破壊されていったということだ。
国内では革命や党派抗争が相次ぎ、人々は混乱の渦に投げ込まれた。逃亡を余儀なくされる者、道中で盗賊に襲われ消息不明になる者、獣に命を奪われる者……。僕の世界は、瞬く間に崩れ去った。
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戦争が始まる前、僕のそばには親しい少女がいた。
彼女は勇敢で決断力があり、常に前を進む。一方の僕は臆病で、いつも彼女の後ろをついていくしかなかった。性格は正反対でも、互いに寄り添うことで安心を感じていた。
その日々の中で、僕は気付いてしまった――彼女がそばにいるだけで、自分は前に進めるのだと。ある日、僕はようやく心の中の想いを伝えようと決意した。
しかし、その決意を口に出す前に、戦争が始まったのだ。
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平民である僕は、本来なら真っ先に逃げるべきだった。だが、僕の頭の中にはただ一つの思いしかなかった。
――彼女を探さなければ。
炎と煙は僕たちの街を焼き尽くし、空気は焦げ臭く刺すようだった。耳をつんざく叫び声と建物の崩れる音の中、僕は走った。
「どこにいる……君はどこに……」
かつての家は廃墟と化し、周囲には無数の死体と灰だけが残っていた。僕は理性を失い、冷たい遺体に触れながら、彼女の姿を必死に探した。しかし、それは見つからなかった。
そのとき、ふと思い出した。
「明日、あの木の下で会おう。」
昨日の夜、僕たちの約束だった。迷わず、僕は村のあの大きな木へ走った。
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そこは、毎日僕たちが集まった場所だった。特別に約束しなくても、自然とそこに足が向く――そんな場所。
木のそばに座る彼女を見つけた。血にまみれ、身体は傷だらけだった。
「来てくれたのね……」
その声はかすかで、今にも消えそうだった。
僕は駆け寄り、震える手で彼女を抱きしめた。「怪我をしたのか!どうしてこんなことに!」
彼女はいつもの笑顔を浮かべて、かろうじて冗談めかして言った。「大丈夫、ただ擦り傷だけだから……」
「もう擦り傷では済まないだろう!」僕の声は震え、涙が止まらなかった。
彼女は手を伸ばし、僕の頬の涙をそっと拭った。「泣かないで……初めてあなたがあんなに慌てるのを見たわ。」
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僕は唇を噛みしめ、やっと言葉を紡いだ。「今日、すごく大事なことを……伝えようと思ってたんだ……」
彼女は僕を見つめ、その瞳にはあふれる優しさが宿っていた。「私も……同じだった。」
一瞬、言葉は不要だと思った。互いの気持ちはもう十分に伝わっていた。
そして彼女は弱々しく笑った。「でも……私は……一緒に行くことは……もうできそうにない……」
その言葉は胸に鋭く刺さった。
「世界を見たかった……でも気づいたの。あなたがそばにいなければ、どこにも行けないんだって……」
僕は全力で彼女の手を握りしめた。「僕も……君がいなければ何もできない……お願い、行かないで……」
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彼女は最後の力を振り絞り、僕の涙をそっと拭った。
「だから……お願い……あなたの目で、この世界を見て……私の代わりに……」
最後の笑顔は、雨が止む直前の空のように静かだった。
彼女の目が閉じた瞬間、心の中で何かが壊れる音がした。
「ダメだ……お願い、目を覚まして!まだ伝えてないことがあるんだ!」
しかし彼女はもう、返事を返さなかった。
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僕は抱きしめながら声をあげて泣いた。声が枯れるまで、雨音と一緒に涙を流した。
雨が止んでも、僕の涙は枯れ果てた。
彼女はもういない。でも、最後の願いは僕に託された。
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もし、この世界が僕たちを引き離すのなら、僕は彼女の願いを胸に生きる。
あの日から、僕の人生は自分のためのものではなくなった――
彼女が見ることのできなかった景色を、僕が代わりに見るために。
そしていつか、運命が僕たちを再び引き合わせるその日まで。
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