不運すぎました…
人生で一番馴染み深いもの、それは“不運”。
私、オフィーリア・モリスが生まれた時、我が子爵家に雷が落ちて庭の大木が折れました。父が母に内緒で買い、喧嘩の種にまでなっていた新型の馬車が下敷きとなり、ぺちゃんこに潰れました。
後継ぎとして望まれていた男の子ではなく女の子で、暗いから似なければいいと言われていた黒髪でした。おまけにモリス家ではなく、母方の象徴である紫色の瞳でした。
「どうしてこんなに傷ができるの!?」
「……わかりません」
歩けるようになれば何もないところで転び、木の下に座れば毛虫が落ちてきました。風で飛んでくるようなもの……葉や枝、小石は顔に直撃し、冬は必ず静電気が起きます。
勉学の時間には毎度のごとく羽ペンの先が折れ、ダンスのレッスンの時ではどなたが相手でも足を踏まれました。家庭教師の先生は頭を抱えますし、踏んだ皆さまに悪気はないものですから、なんとも気まずい瞬間です。それならばと静かに刺繍でもしようと思えば、手は刺し傷だらけになりました。
「不幸じゃないだけ……まだマシかしら?」
「運が悪いだけだもんなぁ……」
とはいえ。お父様やお母様が晩酌の際にしみじみ仰っていたように、不幸ではなく不運なのです。私の唯一誇れるところでした。
それに、周りの人にも恵まれておりました。
こんな疫病神のような娘を大事に育ててくれた父母、板書をしない学習方法を編み出してくださった先生、毎回怪我を負う私のために裸足でダンスを教えてくださった皆さん。わざわざ先が丸い針を見繕ってくださった針屋さん。
本当に感謝してもしきれません。
元来喧嘩などしないような性分な父母は馬車がつぶれてからはずっと仲が良く、先生は敏腕教師として一躍有名に、針屋さんはご高齢の貴族のお婆様方に好評なようで、私は嬉しく存じます。
……そうそう、周りの優しい方々のおかげで無事に進学することができまして。貴族の子女が通う学園でも、不運は起こっても不幸は起こりませんでした。
「貴方、生意気なのよっ!」
「キャァ……ぁ」
あれは、庶民だったマリアさんが聖女として転入してきたばかりのこと。不運にも、侯爵令嬢のイザベラ様によるいじめ現場に鉢合わせ、そのまま階段から滑り落ちた挙句、マリアさんの防御魔法に挟まれて、取り巻きさんの土魔法が直撃。
「「え!?」」
当たり所が悪かったせいで流血までしたものですから、全員大慌ての事件に発展しました。
「ちょっと、大丈夫ですの!? すぐに保健室に運ばなければ!!」
「え、侯爵令嬢が抱えるんですか!?」
その後王太子殿下もいらっしゃって保健室でお話し合いをされ、なぜかお二人は仲直り。庶民の距離の近さなど王太子殿下からの説明、お互いに謝罪などなど。
私は頭に包帯を巻いたままの間抜けな状態で、その様子を見ておりました。全ての関係者の方々から謝られ、なぜかご友人に。
それからというもの、廊下で転ばないように両脇から抱きかかえられたり、体育の授業では即座に回復魔法をかけてもらったり、大変親切にしていただきました。
「未亡人ランキング一位だよな」
「あんなに喪服が似合う人はいない」
学友たちがお話ししているのを耳にしましたが、私はどうやら『幸薄令嬢』と呼ばれているようでした。
私は思わず頷きます。
散髪をしていた時に地震が起き、見るに堪えない髪型になってからというもの、黒髪は伸ばしっぱなし。毎夜ベッドから落ちるせいで深い隈。怪我をしすぎて血色の悪い肌。
皆様の名づけの才能に脱帽したものでした。
「なんてこと仰いますの!」
「酷いですよ!」
なんてお二人がお怒りだったのは不思議ですが。なぜか謝られましたので、気にしていませんよと答えたところで体勢を崩し、転びかけ、髪が乱れて幽霊のようになりました。見た目もそうですが、幸運とは縁のない存在という意味でも、幸薄令嬢、やはりぴったりな気がします。
……問題なのは未亡人になる前に婚約者様がいらっしゃらず、恋愛のれの字もなかったことですけども。隣国の留学生様が、英雄が格好いいなんて、女性がときめくお話に参加すらできません。
でも、いいのです。色々ありましたが、皆様のおかげで無事に卒業できたのですから。
とても幸せな気持ちで、王宮での舞踏会に出席したものの、慣れない空気に腹痛でお花を摘みに行き、無事に迷い。
「あっ……」
開けたドアの先では、男女が睦み合っておりました。衣服は乱れ、床にはヒールが落ち……。瞬きが止まりませんでした。
「えっと、その、何も見ておりませんので……」
とだけ申し上げて、ドアを閉めます。それ以外何ができたでしょう。ここはおそらく会場より遠く、休憩室の一つで、あの方々は確か…………考えるのはやめておきます。今日は華々しい日です。なにも今日知らなくてもよい話……。
「っオフィーリア様。妹を見ませんでしたか」
「ええ、つい先ほど見てしまいま……」
会場へ戻ろうと、通りかかった女生徒に声をかければ……先ほど睦み合っていらっしゃった方のお姉様であり同級生のレイラさんが。気づいたときにはもうすべてが遅く……。
「貴女がどうして!?」
「な、なぜお姉様がここを!?」
あっという間に修羅場です。騒ぎを聞きつけてイザベラ様や王太子殿下、父兄の方々もやってきまして……どうやら妹さんがレイラさんの婚約者を寝取ったことが判明しました。男性の方は正式に婚約破棄の書面を送ろうとしていたなどと仰っていましたが、まだ出していない以上不義であり、婚前交渉には変わりなく。権力のある方々によって彼らは糾弾されました。レイラさんはお二人に慰められ、今までも妹さんに色々と奪われてきたことを語ります。
「あんなふしだらな方は社交界に入れてあげませんし、貴女にはもっと素敵な人がいるわ!」
「イザベラ様の仰る通りです!」
どうやら新しい婚約者様を見つけて差し上げる流れになったようで。強制送還された方々以外の皆様は舞踏会場に戻ります。
華々しい日をこれ以上不運による事件に巻き込ませてはいけないと思い、私は空気のように影を薄くしてついてゆき、バルコニーで静かにしていることにいたしました。
まあるいお月様が綺麗で、心が和みます。まさか、舞踏会を中断させてしまうなんて。皆様を不幸にしてしまったでしょうか。ですが結果としてあの方が救われたようですし、ただの不運でしょうか。
「いたっ」
ぼぅっとそんなことを考えていれば、誰かにぶつかられました。故意などではなく、ちょうど風が吹いていて、いた場所が悪かったというだけです。
「んあぁぁぁ……」
とはいえかなり体格のいい御仁でしたから、肩を痛めました。
見上げるほど背が高く、金髪が月明かりに照らされています。新緑を思わせる優しい瞳の焦点はあっておらず、お顔は真っ赤で涙目。随分と酔っていらっしゃるのでしょう。
「幽霊さぁん、聞いてくださいよぉ……」
「幽霊ではございませんが、なんでしょう」
私はしゃがみまして、広いバルコニーの壁に寄りかかってワインボトルを抱えたままズルズルと崩れ落ちたお方と目を合わせます。私ってば今度は一体どんな不運を引き寄せてしまったのでしょう。
「僕にもですねぇ、婚約者が、いるんですよぉ……」
「……」
「でも僕がぁ、魔物の討伐に出てる間にぃ、別の男とよろしくやってたんですよぉぉぉ」
なんだか今日はこんな話ばかり聞きます。どうしてでしょう。
大きなお体に見合わずわんわん泣かれるものですから、思わずハンカチを手渡せば鼻をかまれてしまいました。さようなら、お気に入りのハンカチさん。そちらでもお元気で。
「ぐずっ……酷いと思いませんかぁ……」
「それはお辛かったですね」
「いつもは、忘れてるんですけどぉ、誰かが寝取られたとかなんとかで思い出しちゃったんですぅ」
どうやら私の不運の派生だったようです。もらい泣き……のような。
「っゆ、幽霊さんもあれですか……旦那さんに亡くなられたんですか」
「いえ、そもそも結婚していませんし、生身の人間です」
そう答えますと、酔っ払い騎士さんは目をこすります。何度こすっても瞬きをしても、私が透けるわけもありません。小さい子供が未知のものを触るように、ちょんと腕をつつかれました。触れることに驚いています。
「ほんとだ!! 人間だ!!」
「はい、人間です」
幽霊どころか未亡人とまで思われていたようです。幸薄令嬢、やはり合っている気がします。
なんて考えていると、酔っ払い騎士さんは顔を輝かせました。
「じゃあ婚約破棄するから、結婚してくらさい!!」
「……どう思考が飛んだらそんなことに?」
間髪入れずに返してしまいます。酔っ払いに何を言っても無駄なのは、笑い上戸で甘やかしたがりになるお父様で知っています。
「だぁって、家の結婚は嫌でぇ」
「だからといってヤケにならなくても」
「そうしたら月の女神が現れたんですよぉ。これは僕の幸運で運命だぁ〜」
酔っ払いには幻覚も見えるようで。残念ながら、貴女の目の前にいるのは幸薄令嬢です。
「ダメ、ですか?」
「……覚えていらっしゃれば、お好きにどうぞ」
これだけ盛大に酔っているのです。下手に絡まれても困りますし、これが無難な答えでしょう。不運で他人の人生を変えてしまうなんてもってのほか。
そんな私の内心も知らず、彼はパァァと喜んで、ひとしきり騒ぐと眠ってしまいました。これで私に婚約者などいたらどうするつもりだったのか。
なんだか大型犬のような寝顔をつんつんとつつきます。幽霊と間違えたお返しです。さてどうしようかと迷っていたところで、バルコニーのドアが開きました。
「オフィーリア、そこにいましたのね! って、あら」
「……殺人事件!?」
「よく見なさい、酔っ払いが寝ているだけですわよ。我が国が誇る英雄、アルフレッドがなぜここに?」
英雄アルフレッド様。数年前にはドラゴンをも倒した、伝説の騎士。学友の中でもよく話題になっていた人。
……この泣き虫の酔っ払いさんが?
イザベラ様に事の経緯を話すと大笑いされ、現当主である侯爵に無事回収されていきました。あの後、転んだ拍子に隣国の留学生さんが持っていたワインがかかってしまいまして、私もお暇いたしました。どうやら本来は留学生の参加は許可が下りていなく、ワインに毒が入っていたとかで、会場は騒然としておりましたが。
結局、他所様の姉妹のいざこざは解決され、イザベラ様は毒杯を呷らずに済み……不運だったのか何なのか、と思っていた翌日のことです。アルフレッド様が謝罪に訪ねていらっしゃったのは。
「さ、昨夜は大変お見苦しいところを……」
新しいハンカチやドレスなど、昨夜ダメになってしまったものをお詫びにといただきました。ドレスに関しては私の自業自得ですのに、とても律儀な方です。二日酔いにもなっていないようで何よりです。
「ご丁寧にどうもありがとうございます。良いお相手が見つかることを願っております」
不運による変なご縁に薄ら笑いを浮かべてそう告げますと、アルフレッド様は目を丸くします。
「っえ、あの、僕は昨夜のことを覚えていますので、謝罪と正式な婚約の申し込みに……」
至極明るいオーラにガツンと殴られました。
ただの子爵家が侯爵家の申し出を断ることなどできるわけもなく、あれよあれよといううちに話が進み。
イザベラ様からは「とぼけたところがあったから心配だったのよ!」とお祝いをいただき、マリアさんからは「オフィーリア様がずっと幸せでありますように」と祈っていただき、先日の寝取られたお姉様ことレイラさんからは「貴女のおかげで妹も元婚約者様も一掃できました!」とお礼をされました。
婚約を結ぶにあたって、元婚約者様にも一応ご挨拶をと伺いましたら、
「この男、顔はいいし立場はあるけど、とってもめんどくさいわよ!? いいの!?」
と一触即発どころか心配されました。なんだかとても元気なお方でした。
「だからといって、浮気することはないんじゃないかい」
「お互い家に決められた結婚なのに、浮気も何もないでしょう。甲斐性なしが悪いのよ」
アルフレッド様と元婚約者様が嫌いなところを言い合います。
浮気など非誠実的なことはよくありませんが、これは結婚してもうまくいかなかったでしょう。
「というか……モリス家のって、あの!?」
「はい、私が幸薄令嬢です」
と素直に答えました。
お話を終え、帰ろうと門扉をまたいだところで地震。私は転びかけたところをアルフレッド様に助けられ、屋敷では燭台が落ちたことによる火災が発生しまして。アルフレッド様のおかげで負傷者はいませんでしたが、風に煽られて火は燃え広がり、家は半壊……特に元婚約者様の部屋は全焼。元婚約者様は、間男さんならぬ新しい婚約者様にプレゼントしてもらったドレスが、と嘆かれておりました。その様子を見て、アルフレッド様はくっくと笑います。ざまあみろ。これで許す、だそうです。
「やはり私は不運がすぎます……」
「いいや、僕にとっては幸運だよ」
「え?」
「だって君に会えたんだから」
アルフレッド様のニパァァとした笑みに、禍を転じて福と為す、なんて古い言葉が頭に浮かびました。
読んで下さりありがとうございました。
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