1,異世界に召喚されたのに
最近の創作に触れている男なら、誰しも一度は転生モノの主人公に憧れるだろう。
かく言う俺――神木 鳴子も、例に漏れずその類のうちの一人だった。
中学の時に兄の影響で見始めたアニメか始まり、友人から半ば無理やり押し付けられた小説にどハマりした事で着実に立派なオタクへと変貌していった。
故に、人には言えぬような痛々しい妄想や創作を頭の中やノートの端に書いては悦に浸る時間を過ごした事ももちろんある。全くなんの糧にもならない空虚に等しい時間であったかもしれないが、当時の本人としてはあれが筆舌に尽くし難い程に楽しかったのだ。
だからこそ、何度も願い、夢に見た。
異世界に転生、もしくは召喚されて、チート能力で無双しハーレムを築く未来を。
影に徹し、富と名声も得られないまま暗躍し、人や世界を誰にも知られぬまま救う未来を。
最初に召喚された時にクソスキル持ちだと認定されて追い出され、後々ざまぁしていく爽快感に満ちた未来を。
繰り返し、繰り返し妄想しては面倒で辛い現実から目を背けて生きていた――
――そう、この瞬間までは。
「ようこそおいでくださいました。 異世界からの来訪者よ。」
低く、落ち着きのある男の声が広い空間に響く。決して腹から声を出しているような張り方では無いはずなのに、何処までも続くような芯のある声に聞こえるのは、このだだ広い空間がそうさせているのか、或いは彼のこれまでの人生がそれを形作っているのか。
つい先程まで教室で授業を受けつつ春の陽気に誘われ軽くうたた寝をしていたはずの俺は、気が付けば大理石で構築された部屋の中心に投げ出されたかのように転がっていた。周りを見渡せば銀の甲冑を全身に纏った人間がずらりと取り囲むように立っている。唯一その円から開けた隙間に、先程の声の主と思われる壮齢の男性が豪華な椅子に腰かけているのが見えた。
知らない場所、知らない人、通常であれば理解し難い男の発言。突如として訪れた不可解極まる現状の数々。
だが俺は、一般に感じる反応とは相反して酷く心が踊っていた。
(ぬおぉぉぉぉぉぉぉぉ!? こ、これはもしかして……い、異世界転生……いや、異世界召喚ってやつか!!?)
心臓の鼓動が一際大きく鳴る。全身に巡る血が一気に温度を上げて沸騰しそうだ。抑えられぬ興奮に、口角が上がるのを抑えられない。
(ほ、本当にあるんだなこういうこと……! ずっと、ずっと待ち望んで、願って、頭の中では非現実だと諦めていた、夢の世界が……!!)
無意識に握り締めた右手を小さく振り下ろす。溜め込むことが出来なかった興奮は静かなガッツポーズとなって少しだけ発散される。近くにいた兵士はその様子を見て少し訝しげに首を傾げていたが、構うことか。こちらは念願の夢が今叶っている所なのだ。多少の人の目などどうして気にしていられよう。
「では、鑑定士どの。早速で悪いが、彼等の才能を測ってはくれぬか。この日の為に幾年月もの間人材も財力も掛けたのだ。古代の奇術、その効果が如何程のものか、儂に教えてくれ。」
「はい、ただちに。」
おそらく王様であろう男の傍に控えていた黒いローブを身に纏う男がそう答え、ぶつぶつと何かを唱えたかと思うと、前に掲げた両の手から淡い光が漏れだした。
呪文。先程呟いていたのは十中八九詠唱だろう。今までいた世界ならありえない超常的現象。少なくとも俺の常識の範囲にある物理法則を、軽々と飛び越えてくる不可思議。
(ぬおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!!)
それを垣間見た俺は、既に限界まで上がっていたボルテージを更に増すことになった。もう鼻から血が溢れてきてもおかしくない程に、高まった興奮は体の血液という血液を沸騰させ、その速度を否が応にも加速させる。
実際に腕を振るい、飛び上がり、あらん限りの絶叫に近い声量でもってこの喜びを全身で表現しなかった俺はノーベル賞ものだろう。いや、ノーベル賞ってあれか? 世界に貢献した化学を称える為の賞だったか? まぁなんでもいい。とにかく世界から褒め讃えられてもおかしくない偉業といっても過言じゃない!
それでも笑顔は当然隠せず、無理に飛び上がる衝動を抑えた身体は小刻みに震え痙攣してしまい、先程のガッツポーズを見ていた兵士はさらにその様子の俺を見てさらに警戒の色を高めていたが、興奮しきった俺は最早周りを取り囲む兵士の反応など眼中になかった。
「ほう……! これは、これは凄まじい……!!」
鑑定士と呼ばれた黒いローブの男が、喜色を孕んだ声音でそう呟く。両の手に広がる淡い光は強い金色に変色し、その輝きは宝石を思わせた。
「雷帝の加護、武道の極み、魔道の極み、英雄……全て、全て高位のスキルです! ステータスは一般の兵士達に劣る数値ですが、ここまでの才能……建国以来のどの文献を照らしても誰一人存在しないでしょう! 正に、『勇者』の名を冠するに相応しいお人かと!」
おぉ! と、王様と周りにいる兵士から感嘆の声が上がる。確かに聞いているだけでも強そうだ。武道の極み、魔道の極み……これらは恐らく近接戦闘と魔法の適正を上げるスキルだろう。雷帝の加護は雷を上手く扱うためのスキル。英雄はそれ単体ではイマイチどんな内容なのかイメージし辛いが、周りの反応的にこれも凄いスキルだろうか。
しかしまぁ、向こうの世界で読み耽っていた最近の流行りとは少し違う展開だ。召喚時に既に最強格の主人公というのは、俺が読んでいた異世界モノとは少し勝手が違う。少なくとも最初に王様に謁見するタイプの小説では追放からの復讐ざまぁ系がオーソドックスな展開だったはずだ。
まぁ、別にそんなことは問題ないかと、新しい世界とこれからの自分の魔法や斬撃で成り上がっていく将来の妄想をして悦に浸ろうとしている時、嬉しそう頷いていた王が口を開いた。
「して、鑑定士よ。それはどちらの鑑定結果かな?」
「はい、手前にいる、黒髪の男の結果でございます。」
妄想にシフトしていた自分の脳みそは、今聞こえた言葉にまるで鈍器で殴られたような衝撃が響いた。
手前、にいる、黒髪の男……。
それは間違いなく、俺の事だろう。俺の目の前にはぐるりと取り囲むように立っている兵士と、唯一開けた視界に座っている王と鑑定士がいる。俺の前には、誰もいない。
俺は気付かなかった。興奮でそこまで頭が回らなかったのだろう。冷静に考えればすぐ確かめていたであろう事実に、すっかり抜けてしまっていた。
つまり――異世界召喚は、複数人喚ばれているという可能性を。
数瞬固まっていた俺は、すぐに後ろを振り向いた。取り囲む兵士、その中心にいる俺と、もう一人。
胸に片手を起き、不安そうな瞳で俺を見つめる金髪の男の子がいた。瞳は蒼く、その肌は雪のように白い。その顔立ちは幼いながら整っていて、少女と見間違いそうなほど中性的だった。
「…………。」
揺らぐ瞳には、動揺と表しようのない不安がこれでもかというほど詰められている。そんな彼の様子に、何も言えないまま固まっていると、鑑定士が焦ったような声を出して狼狽え始めた。
「そ、そんなバカな!? スキルが……アイテム作成、のみ!? あ、有り得ない……そんなはずが無い!」
その瞬間、俺は電撃のように理解した。
これは間違いなく、俺の知っている向こうの世界のよくある展開だ。何度も、何度も似たような境遇に陥った召喚者を見てきた。
「なんだと!? あれ程の歳月を掛け、金を掛け……失敗と申すか! 鑑定士、そなたの見間違いではないか!?」
「い、いえ……何度鑑定しても、アイテム作成と……なにかゴミのような項目がうっすらと見えるだけで、それ以外特には……。」
ゴミスキルと言われ、王や周りを悩ませ、当たりスキルの人間だけ残して、追放される。よくある展開、よくある導入。罵詈雑言を浴びせられながら放られるように城から追い出されるストーリー。
「……致し方あるまい。幸い、一人でもこれ以上に無いほど優秀な来訪者がおるからな……半分失敗というのは痛いが、逆に言えば半分は成功したとも言える。最高の結果とは言えぬが、十分な成果ではあろう。」
「左様でございますね……。して、奥にいる男はどうしますか?」
「ん? あれは男なのか? まぁどちらでも良い。なんにせよ、無能な人間をここに住まわせることが出来るほど、こちらに余裕もない。」
そうして追放された主人公が、道中力を増し、仲間を増やして復讐に向かう物語。ざまぁ系の話のテンプレート。
そんな物語にも、俺はもちろん憧れていた。
「兵士よ。即刻、あの者をここから連れ出せ!」
ただ、憧れとひとつ違うところは。
追放される主人公は別にいて、肝心の俺は、ざまぁされる側の、目も当てられぬほど酷い結末を迎えるポジションの人間だったというところだった。