入院中気まずい
入院している。
ここはSF世界で、様々な技術が発展しているが、しばらく腹にケーブルがぶっ刺さっていた人間を即日で健康にする魔法のような手段はないようだ。非常に残念である。
やることはあまりない。天井の染みを数えるくらいだ。
俺があまりに身動きを取らないからか、看護師のエレナがたまに俺へビンタをかましてくる。
普通に生きてるか口頭で聞いてほしい。答える元気くらいはあるというのに。
身動きを取らないのは、無駄な体力を消費しないための知恵だ。
心臓の鼓動をゆっくりにして、呼吸を細くし、ほとんど仮死状態になれば、飯を食わんでも長く生を繋げる――そう説明したら、ユリウスにビンタされた。
「だからずっと死にかけのままだったのかてめえーッ! 今すぐやめろ!」
俺はほっぺたを押さえつつ、だからビンタする前に口頭で説明してくれよ、と思った。
「いたみどめがないから、ふつうにいたいので、はりては、やめてくれ」
「もっと痛がらせてやろうかボケが!」
ユリウスはどんどんガラが悪くなっていく。
最初は丁寧な人だなあと思ったのに。俺のせいなんだろうか。
しかしこういうガラの悪さはむしろ馴染みがある。
今のユリウスでさえ、俺たちのいたA07地区ではお上品である。
まず会話が成立するだけでもありがたい。
口より先に手が出る連中ばかりだからな。
そういう意味では、ユリウスやエレナがすぐ俺を張り手するのにも馴染みがある。
「わかった。ユリウスのめざす、おれのじょうたいをおしえてくれ。それにちかづけるどりょくをする。ひとは、かいわで、わかりあえる、いきものだよな? せつめいしてくれなきゃ、おれもわからないよ」
そう言うと、ユリウスは眼鏡をはずして、手で顔を覆った。
深呼吸する音が何度か聞こえた後、ユリウスは再び眼鏡をかけた。
目線は変わらず鋭く、睨みつけられているのは変わらないが、声色は落ち着いた。
「そうだな、スクラップの言う通りだ」
「おれはアッシュだ。まあ、すきによんでくれていいけど」
「……悪かった、アッシュ」
なんで謝られたのかわからなかったので、俺はあいまいに頷いておいた。
ユリウスは俺に繋がれた機械、その一つのモニターを指さした。
「まず血圧が低すぎる。もっとあげろ、この数値を最低でも100超えるように――」
「ユリウス、ごめん。おれにすうじはわからない」
「はあ? 100くらい数えられるだろ」
俺は黙り込んだ。
ユリウスはそれを見て、信じられないものを見たような顔をした。
「数えられねえって言わねえよな、おい」
俺は眉を下げて、ユリウスを見た。
そう言ったら怒られるんだろうか。
俺は文字が読めない。だから数字も読めない。
前世の記憶があるので計算はできるが、どの文字がどの数字を表すのかわからなければ、数は数えられない。
音としてこちらの言葉は覚えたが、あの地区では本など宝石ほどの貴重品だ。
俺に限っては読む方法もないわけじゃないが――基本的に、字を覚える機会など存在しない。
きょうだいの中で読み書きができるのはリサだけだ。
トトとナギには、時間を見つけてリサが教育してくれている。
だが、俺とマルコ、シセルは忙しかった。
金を稼ぐためにやることが山ほどあって、勉強の時間など捻出できない。
俺は戦場に行くし、マルコはジャンクをかき集め、シセルはそれを組み立てる。
それができなくなる日が1日でもあれば、俺たちの誰かが飢え死にするような、薄氷の上を渡り歩くような生活を続けてきたのだ。
A07では文字が読めないことなど当たり前のことだった。
B29、あるいはヴォルフ傭兵団では違うのだろう。
ウチの地区は他より治安が悪いとは聞いていたのだが、まさかここまで違うとは。
「ごめん。おしえているじかんも、ないよな。リサをつれてきてくれれば、そっちにきいておくから、いったん、さいごまでおしえてくれ」
ユリウスは、再び眼鏡を外した。
手で顔を覆い、やっぱり深呼吸をする音がして――さっきより回数が多い、疲れているんだろうか――再び眼鏡をかけた。
「今までどうやって機体を操作していたのか聞いてもいいですか」
急に敬語になられると、逆に怖い。
最初はずっと敬語で喋っていたはずなのに、すでに聞き慣れなくなりつつある。
「きたいのそうさに、じがひつようなのか?」
「……モニターの数値は? 距離の表示や燃料の残量は? 地図は? そもそも機体から組んでいたという話を聞いていますが、使用するパーツにだって規格が書かれているでしょう」
どう説明したものか。俺は困惑した。
「おれのきたいに、モニターはないよ」
「なんなんだよこの化け物! 意味がわからねえ!」
「ユリウス、そっちのしゃべりかたのほうが、にあうよ」
「もっかいビンタされてえのかてめえーッ!」
正直な感想を述べただけなのだが、キレさせてしまった。
感想を述べる前からキレてたけど。
「ユリウス、それ以上殴ったら死ぬよ。そいつは死体だと思って扱いな」
通りがかったエレナがぶっきらぼうに俺をフォローしてくれた。フォローなのか?
「したいだとおもわれると、いいことあるのか?」
「医者なら死体のことは殴らないもんだよ」
「へえ~。ここだとそうなんだ」
エレナは忙しそうに必要なものだけ取ると、早歩きで戻っていった。
看護師って大変だなあ。頑張れ、という意味を込めて背中に手を振っておく。
目線を戻すと、ユリウスは再び眼鏡を外して深呼吸していた。
大丈夫なのか。眼精疲労? ストレスで睡眠不足にでもなっているのか?
「わかりました。目指すべき数値はメモに書き起こしてリサに渡しておきます」
「ありがとう。おれっていつになったらベッドからでていいんだ?」
「出られるもんなら出てみろよ、と言いたいところですが、本当にやりそうなので言いません」
全然できるので、そう言ってくれなくて残念だ。
「今日はナギが来ますよ。僕は疲れました……」
そう言って、ユリウスはとぼとぼ戻っていった。
大丈夫なんだろうか。俺より具合悪そうだったな。
今日はナギが来る、というのは、見舞い兼昼食のことだ。
小学生の頃、たまに教室に校長先生が来て一緒に給食食うみたいなアレだ。
毎日きょうだいがかわりばんこに来てくれる。
俺は今ベッドから出てはいけないことになっているので、来てもらわないときょうだいたちに会えないのだ。
目指すべき数値は今のところ分からないので、俺は再び横になり、仮死状態になった。
ぼんやり天井を見上げて染みを数える。やることなさすぎる。
しばらくしたら、ユリウスの言う通りにナギがやってきた。
ナギは俺たちにとって末っ子だ。
トトとほとんど同じくらいの歳なので、双子のようにニコイチで扱っているが、きょうだいになったのはナギが最後である。
だからかわいくて仕方がない。もちろん、俺にとってかわいくないきょうだいはいない。
給食のようなプレートを持って、とことこ近づいてくる姿が愛らしい。
こぼさないかヒヤヒヤしながら見守っていたが、ナギはしっかりと、俺のベッドの脇にあるテーブルまで食事を運んだ。
俺は起き上がって、ナギの頭を撫でた。
ナギは口数が少なく、表情もトトほど動かないが、頭を撫でると目を細めて喜ぶ。
猫みたいでかわいいね。この世界で猫見たことないからいるのかわからないけど。
「なにかこまってること、ない? へいきか?」
兄としてもっとも気になるのはそこだ。
入院している今、A07にいたときのようには守ってやれない。
あっちにいた頃も俺はほとんど戦場にいたから、リサやマルコのほうが直接的に守っていてくれたのだが、なんというか威光みたいなのはやっぱりあったからな。
あそこのきょうだいに手を出すと厄介なことになるぞ、という噂が流れていた――どうやってその噂を流したのかといえば、まあ、うん、俺がいろいろ暴れたりしたのだ。
ヴォルフ傭兵団では、俺はまだ暴れていない。
そんな元気もなければ、理由もなかった。
だから舐められて、きょうだいがいじめられてはいないかと、心配しきりなのである。
ナギはスプーンで食事を口に運びながら、もごもごした。
これは咀嚼ではなく、言いにくいことがあるということである。
兄としてそれくらいはすぐにわかる。
「ん、どうした? にいちゃんにいってみな」
「……あのね」
ナギは俺に顔を近づけて、こそこそと、小さな声で言った。
「これ嫌いなの」
プレートの上に乗っているサラダを指さした。
俺はほっとすると同時、微笑ましくなる。かわいい困りごとでよかった。
「わかった、にいちゃんがたべてやるから」
「コラァッ! 看護師の前でよくそんなこと堂々と言えたなァ! アンタはまだまだ点滴だよッ!」
ナギからフォークを受け取ったところで、通りがかった耳の良いエレナにガチで叱られ、しょんぼりする。
兄ムーブに紛れ、あわよくば固形の飯が食えないかと思ったのだが、失敗に終わった。
妥協案として、サラダを刺したフォークをエレナに向ける。
「エレナがたべてやってくれるか?」
「ったく、貸しな!」
フォークを受け取ったエレナは、速攻でそのフォークをナギの口に突っ込んだ。
あまりの神速にナギも対応できず、頬張ってしまう。
「んんーっ!?」
「好き嫌いなんて100年はやいんだよガキィ!」
「ひええ……」
思わず恐怖の声を漏らしてしまった。エレナ、強い。
俺とは教育方針が随分違うようだ。
ナギは手で口を押え、今にも吐きそうだ。俺はおろおろするしかない。
子供の味覚は敏感だ。幼少期に味がトラウマになれば、大人になっても食べられないままだろう。
そんなに無茶する必要ないんじゃないかな、と言いかけたが、エレナには違う考えがあった。
「どんな飯にも栄養があるんだ! 食えなくて死ぬ奴なんか山ほどいる! 贅沢言うんじゃないよ! アンタの兄貴だってこのままじゃなんも食えなくて死ぬんだからね!」
「ええ? そうなのか?」
ナギへの説教ついでに死を宣告された。
まるで実感がない。いや全然元気だけどな、既にA07にいた頃より元気だと思うのだが。
俺はサラダを指さして、エレナにおそるおそる尋ねる。
「えーと、じゃあたべてやったほうが……」
「今は消化器官が全滅してるから何か食ったら死ぬよ!」
「えー」
腹に穴が空いてたんだからそりゃそうか、とは思う。
しかし日本人として、食と風呂は手放しがたい快楽だからなあ。
ここに生まれてから風呂なんか入ったことないけど。
ナギは、なんとかサラダを飲み込んだようだ。
そして――ぽろぽろと泣き始めてしまった。
俺はやっぱりおろおろするしかない。
A07にいた頃に、ナギが泣いているのなんて見たことがなかった。
そんなにまずいのかそのサラダは。もうそれ毒なんじゃないのか。
「死んじゃ、やだあ……」
ナギは俺に抱き着いて、か細い声で言った。
背中をぽんぽん叩いてあやしながら、俺は言った。
「さすがに、どくはもらないとおもう、きっと」
「そうじゃないい……」
ナギの声は嗚咽に変わり、言葉が聞き取れなくなっていく。
リサが引き取りに来るまで、ナギが泣き止むことはなかった。
兄としてふがいない。




