自白剤使われたとき気まずい
リサとヴォルフの面談中、断りを入れてニコとグレンが入室して来た。
今話さなければならない緊急事態なのだろう、そう思ったヴォルフはリサを退席させようとしたが、ニコがそれを止めて話し出す。
「私の説は正しかったみたいです。あの機体にスクラップ本人が乗ってます、今も尚」
それを聞いたヴォルフは唖然とした。
白旗を振るスクラップを見た時よりも長い間制止した後、ニコに続きを促す。
「シセルは、兄が私の姉――エレナを殺したと言いました。機体を壊すと人が死んじゃうとも。彼女にとって、機体の中に人が乗っているのが当たり前なんです」
グレンが「ああクソ!」と叫んだ。
「違和感はずっとあった、ヒントもたくさん。それがたったひとつの思い込みで、まるで気づけなかったなんて!」
スクラップはどこにいるのか。
答えは簡単、既に傭兵団の基地の中にいたのだ。
スクラップの機体の中にこもり続けていた。
定期的にリサやマルコが機体の中に入るのは、スクラップ本人に物資を届けていたからなのか。
ヴォルフは険しい顔でリサに尋ねる。
「リサ、君の兄は機体の中にいるのか?」
リサは肯定も否定もせず、ただひとつ聞いた。
「殺しますか?」
「とんでもない」
「あなた方が兄の居場所を探し、当然探すべき機体の中を一切捜索しなかったことから、おおよそ事情は理解していました」
兄は規格外ですからね、とリサは淡々と続けた。
「ならばなぜ誤解を解かなかったんだ。いや、我々が彼に危害を加えると思っていたのか?」
リサはやはりその答えに肯定も否定もせず、質問をした。
「お聞きしたいのは、兄がここにいることは、あなたたちにとって良いことかどうかです」
「最終面接をクリアすれば、君の兄は晴れて我々の仲間入りだ。面接のために本人を探していたんだ、それには直接会う必要がある」
「自白剤を打つから?」
表情を変えずに、リサは言った。
「入団試験――面接内容を調べる時間は充分にありました。面接ではズルができないから、私に教えたって構わないと思ったのでしょう。私は兄に、ここにいたいと言わせるべきですか」
入団試験の内容は、リサの言う通りであった。
もちろん、自白剤を打つ前に了承はとるし、自白剤を打った上で話した内容は、ヴォルフが墓まで持っていくと誓う。
ヴォルフは嘘を見抜く力を持っている、という自負がある。
しかし、わかるのは嘘だけで、秘密はその限りではない。
だからこそ、入団の前に、秘密をある程度吐き出してもらって、信頼できるかどうかを確かめたいのである。これはかつて痛い思いをした傭兵団一同の願いでもある。
「どちらでも構わない。ここにいてくれるというのなら歓迎するし、出ていくというのなら止めはしない。すべては自由意志で決められるべきだ」
「自白剤を使うのに?」
「すまない。ここにいたいという気持ちが本物なのかどうかに関しては、調べなくてはならなくてね。嘘つきは置いておけないというのが、この傭兵団の信条だ」
自白剤といっても、万能ではない。
感覚としては、酒のようなものだ。
いつもより口の滑りをよくして、言わなくてもいいことまで言ってしまうような、そんな効力しかない。
だが、ヴォルフの嘘を見抜く力とあわせれば、それなりに判断基準にはなるのだ。
少なくとも、それで一度産業スパイを釣ったことがある。
「では私にも自白剤を使用していただけますか」
「それは……」
「兄に対して害のないものなのかを確かめたいので」
傭兵団にやってきてから、リサが初めて見せた微笑みであった。
とても幼い少女とは思えない、妖艶といった表現が似合う笑い方。
表情の作り方と体の幼さがチグハグで、頭がおかしくなりそうだった。
「この健気な言葉が嘘かどうか、あなたは確かめなければならないでしょう?」
ヴォルフは幼い少女に完敗した。
己が情に弱く、この類の話にすぐ誤魔化されるからこそ、自白剤による面接という過程が組み込まれたのだ。
リサのような相手は、ヴォルフがもっとも苦手とする相手だ。
質問をのらりくらりとかわし、イエスやノーを言いきらない立ち回りは、ヴォルフを混乱させる。
自白剤を打つためにヴォルフとリサが医務室へ向かうと、医師が不在だった。
エレナに探しに行ってもらうと、ユリウスはすぐに戻って来た。
「ちょっと! スクラップの中に人間いるんですけど!?」
殴り込むようにして扉を開け、そう言ったのは医師のユリウスだった。
医師でありながら、時折スナイパーとして戦場にも立つ優秀な男である。
ユリウスが医師としてもスナイパーとしても適性があるのは、その目の良さによる。
その目の良さは人の領域を超え、透視の域に達していた。
はるか遠方からの狙撃を成功させ、人体のどこに弾丸が埋まっているのかレントゲンなしに把握する。
ユリウスはエレナ引退の原因になったスクラップを嫌っていた。
エレナは好戦的で、最前線でバリバリ戦っていた。
その戦いの合間を縫っての狙撃を、ユリウスは気に入っていたのだ。
だが、エレナはスクラップに敗北した。
初めての経験だった。それ以来、エレナは「修業が足りなかった」と言って、看護師になった。
ユリウスはそのことを未だに恨んでいる。
だからこれまで、スクラップの機体には近づかなかったのだろう。
それがなんの拍子か機体を確認し、その中を視た。
「お前も気づいたか」
「気づいたか、じゃないですよ団長! え、スパイってことですか!? 潜り込まれてます!?」
「それがスクラップ本人だ」
「……おい、まさか戦闘中も中に入ってるって言わねえよな!?」
動揺のあまり口調を崩したユリウスに、ヴォルフは深いため息をついた。
「気がおかしいのか!? 死ぬだろそんなことしたら! なんで今まで生きてこられたんだよ!」
それを今から確かめに行くところなのだ。
ユリウスは頭を抱えて呻いた。
「く……っ! これまでスクラップを相手にするときは10km以上距離あったから気づかなかった……!」
「触れるほど近くにいてもわからなかったさ」
ユリウスは頭を抱えながらも、手早くリサに自白剤を打った。
自白剤を摂取してしばらく、自分の体に不調が見られなかったことから、リサは兄への薬の投与を認めた。
通信機を持たされ、リサがコックピットに入っていく寸前、ヴォルフを振り返った。
「ありがとう。兄に嘘をつかせないのなら、私も嘘をつかないのがフェアと思っただけです。それほど深読みしなくて結構ですよ。この自白剤の効力を、あなたが信じているのなら」
駆け引きが苦手なヴォルフは頭を悩ませた。
この年齢不相応な少女が、自白剤への異常な耐性を見せているのか、はたまた自白剤を使って尚、思わせぶりなことを言っているのか。
今夜中には、答えが出ないだろう。
それよりも彼の頭を悩ませる会話が、この後行われるのだから。
……
コックピットに入って来たリサは、俺に尋ねた。
「兄さん。この注射打ってもいい?」
その注射器には見覚えがあったので、俺は頷いた。
未来視の中で、リサが大人しく打たれていた注射だ。
それが安全な薬なのかどうか、俺が確かめなければならない。
何の薬なのかは別に聞かなくてもいいか。予防接種とか?
リサは将来看護師になるのかもしれない。
注射の手際はよく、痛みは全く感じなかった。それは俺の痛覚が薬で鈍っているせいだが。
「兄さん、傷を治療するために傭兵団に入ったはずなのに、どうして未だにこのままなの?」
「くらしを、よくするためにはいった。きずは、そのつぎ」
「死ぬ気はないと言ったのは嘘?」
「リサ、おれはまだ、しぬじゅんびができてない」
「その準備のために、ここへ来たのね。私たちが兄さんなしで生きられるように」
俺が死にかけているとわかれば、皆ここで呑気に暮らしている場合でないと考えるだろう。
事実、事情を知っているリサとマルコはあくせく働いているが、何も知らない下の妹たちはそれなりにのんびりやっているようだ。
「きずを、ひみつにしたのは、そうしなければ、みんな、ようへいだんにはいること、いいよって、いうからだ」
ここに来てからどんどん体調が良くなっていて絶好調だ、と思っていたのは勘違いだったかもしれない。
どうやら俺は具合が悪いらしい。
「おれをしんぱいして、いりょうのあるばしょを、えらぶだろ。でも、おれはじぶんをたてに、したくない。みんながいやなら、ここをでていく」
そうでなければ、こんな湿っぽいことをきょうだいに言うわけがないからだ。
「このままでも、くすりがあれば、いきられそう。きたいから、おりられなくなっただけ。リサはどうしたい」
「私はどっちでもいいわ。兄さんが嫌というのなら出ていくし、皆を説得するのも簡単。兄さんの好きにすればいい」
「みんなは、どうおもってる?」
「マルコは私と同じ考え――傷は治してほしいと思ってるけど、それは私もだから結局一緒。シセルとトトはここが気に入ってて、ナギは嫌みたい。多数決なら、ここにいる、の方が勝ってるかもね」
とはいえ、家族の大事な今後を、多数決で決めるようなことはしない。
リサもそれはわかっているようで、ナギについて補足した。
「ナギは人間不信が強いから馴染むのに時間がかかってるだけで、そのうちここが気に入ると思うわ。少なくとも今だって、前いた地区よりはマシだと思ってるもの。だから兄さんがここから出ていきたいのなら、少数派になるかもしれない」
「おれは……」
口を開いてから、自分が何を言いたくて口を開いたのかがわからなくなった。
だから俺は勢いのまま、変なことを口走った。
「もうたたかいたくない」
自分で言っておいてなんだが、これはリサからの質問への答えにはなっていない。
彼女が聞いているのは、つまり俺はどうしたいのか、ということだ。
戦いたくないというのはやりたいことではなく、やりたくないことである。
俺がやりたいのは、家族を守ること。
そしてそのためにしなければならないことは明白――金稼ぎだ。
「ここはずいぶん、かねばらいがいいから、おれはしぬまでたたかわなくて、すむかも、しれない。みんながふじゆうなく、くらせるようになるまで、ここにいよう、かなって」
「ええ、それが良いと思うわ。私たちも大人になったら自分で稼げるようになる。兄さんが思ってるより、引退は早く来る」
「だといいね」
リサがお嫁にいったり、マルコが嫁を連れてきたりする日が来るかもしれないということか――ウッ、胸が苦しい。
「そんなひがくるなら、しんでもいい」
きょうだいたちが結婚するかどうかなど、些細すぎる話だ。
俺はただきょうだいたちが、明日生きていけるかどうかの心配をしなくてすむ場所で、人並みに笑っていられるのなら、それでいい。
そのためだけに、死ぬかもしれない戦場で、もう死んでもいいかと諦めないまま、死なないように踏ん張ってきたのだ。
こういったことは、それこそ彼らの結婚式でのスピーチで語るにふさわしい内容だ。まだ苦労のさなかで、彼らに愚痴るには早すぎる。
「へんなこと、いった。わすれて、リサ」
「私がそれを後悔しないと誓えるなら、いいよ」
それを聞いた俺は目を瞑って、寝たふりをした。その内容は誓うことができなかった。
きょうだいたちの優しさと、俺の意気地のなさを考えると――いつかみんなを、悲しませてしまうときがやってくる。
俺の空元気はいつまでももたないだろう。
だが、それは今じゃない。
みんなが俺を笑えるくらい立派になるまで、情けない兄ちゃんの姿は封印だ。
――尚、俺の寝たふりは泣きながら乱入して来たヴォルフ団長によって中断された。