気にかけられてて気まずい
医務室の一角。
とけるように机へうつ伏せていたユリウスは、医薬品の数を計上しているエレナにぼやいた。
「どうやって生きてるのかまったくわからねえ。医療の研究が盛んなVW98地区にアイツを売ったら、機体が10は買えるんだろうな」
当然、話題はスクラップ――アッシュだ。
ここ最近のユリウスの悩みの種は、すべてがアッシュだと言っても過言ではない。
いっそ目の前からいなくなっちまわねえか、そういう気持ちをにじませたが、エレナは顔すら上げないで言った。
「やれるもんならやってみな」
「やらねえよアホが」
医者のプライド以前に、人間としてのプライドだ。
そんなことをすれば、ユリウスは己が生きているのが恥ずかしくなるだろう。
だが、そんなことさえ口走ってしまうほど、行き詰っていたのだ。
アッシュの体調は何も変わらない。
いつ死んでもおかしくない。なのに死んでいない。
だからおかしい。
人間の中には時折、特殊な能力を持つものがいる。
ユリウスもそうだ。目がいい。
おそらく隊長もそうだろう。
限定的なテレパス。嘘がわかり、戦闘中に相手の行動を読める。
スクラップは、あれだけ異常に強かったのだ。
操縦者であるアッシュも、そうだろうとは考えていた。
実際、アッシュは簡単に己の血圧や心拍を操ってみせた。あれも特殊な力だろう。
だが、アッシュの能力は、それだけでないはずだ。
ユリウスはアッシュの生命力に驚きっぱなしだが、アッシュは平然としている。
曰く「ずっとこうだった」。
どうやって生きてきたのか尋ねれば、薬の多用。
「なんの薬物を常用してたのかまるでわからねえ。アッシュが言うにゃ、A07にはゴロゴロ転がってる薬って話だが、エレナは何か知ってるか?」
「知ってるけど教えないよ」
疲れから動く気力もなかったはずのユリウスは、驚いて机から顔を上げた。
エレナはやはり変わらず、淡々と仕事を続けている。
冗談にしては悪質だ。
ユリウスは眉を寄せ、不機嫌な声を出す。
「おい」
「ユリウス、アンタじゃ器が足りないね。A07の闇に首突っ込むなら、もっと胃袋強化してから来な」
「ぐう……」
胃のあたりを押さえて、ユリウスは再び机に突っ伏した。
エレナがなにか知っているのは真実らしい。
そしてそれをユリウスに教えなかったのは、ユリウスが日々アッシュのことで悩みすぎて、胃腸を痛めているからであった。
つまり、この件について突っ込めば、もっと胃が痛くなるような話が飛び出してくる、ということである。
「団長にも?」
少なくともユリウスは、団長からそういった話を聞かされていない。
素早くペンを走らせながら、エレナはユリウスを鼻で笑った。
「当たり前だろ。甘ちゃんのユリウスより、さらに甘ちゃんなんだから。ヴォルフにあるのは人望と機体操作の腕だけだ」
「それだけありゃ充分だろ」
「そうだよ。だから私もここにいる」
エレナは荒々しくバインダーを放り投げた。
ちらりと見える書類は、未完成だ。
いつも忙しなく、的確かつ迅速に仕事をこなすエレナが、作業を中断するのは珍しい。
書類はチャック――アッシュに両目をえぐられた団員に関する経過だ。
チャックはスクラップに執着していた。
そういう団員は他に何人もいた。倒せば特別報酬を出すことにしてあったからだ。
一攫千金、一発逆転。ここの連中はそういう言葉が大好きだ。
戦争もギャンブルも似たような感覚でやっているやつが多い。
チャックもそんな一人だった。
実力が足りないのに何度もスクラップへ挑み、己がスクラップに変えられてきた。
機体の修理にかかった金を取り戻すため、再びスクラップに挑み、機体を破壊される――それの繰り返しで、雪だるま式に借金を増やした。
だからチャックはアッシュを殺そうとしたらしい。
殺したところで借金は消えないが、恨みの気持ちというのは人に驚くべき行動をとらせる。
ユリウスは、久しぶりにエレナの目をまっすぐ見た。
彼女を判断しなければならない。
スクラップに機体を破壊されて、とんでもない金額の借金を背負わされたのは、エレナも同じだった。
彼女の場合、スクラップに破壊されたのは、たったの一度。
だが、エレナの機体は最新鋭、最高級のカスタマイズがされていたのだ。
一度の敗北だけで、彼女は戦線から退いた。
他の団員のように、さらに借金を重ねて新しい機体を買うことはなかった。
当時、ユリウスはその真意を聞かなかった。
あれだけ戦闘が好きだったエレナが、戦場から退くなど、ありえない事態だったからだ。
あまり口の上手くないユリウスでは、藪蛇を突くことになると判断した。
今は、そんなことも言っていられない。
二度も患者に危害を加えられては、医者としてのプライドがズタズタだ――既にかなりボロボロだが。
話はエレナから切り出された。
彼女は戦場以外でも察しが良く、判断がはやい。
ユリウスが何を聞きたいかなど、完全にお見通しなようであった。
「私がどうしてあの戦場でバカやったと思う?」
ユリウスはその質問の答えが、すぐ頭に思い浮かんだ。
「戦いが好きだから」
「もちろんそれが一番。二番はあんな地区ぶっ潰したかったから」
あんな地区とは、すなわちA07。
アッシュたちがいた地区で、ヴォルフ傭兵団が手を貸していたB29と敵対していた地区である。
「……出身か?」
「いいや。ダチがそこで死んだだけ」
だけ、というには目に怒りが滲みすぎている。
初めて聞くエレナの事情だった。
好戦的なスタイルはエレナの十八番だったし、A07との戦いで前に出るのも違和感はない。
だが確かに、妙に機体のアップグレードを繰り返すとは思っていたのだ。
高い金を払って性能を上げずとも、エレナに敵う相手など、団長くらいしかいない。
ユリウスはそう思っていたが、スクラップはエレナを倒してみせた。
スクラップは誰にも倒せなかった。
遠方から、狙撃を兼ねてエレナの敗北を見ていたユリウスは、開いた口がふさがらなかった。
結果、エレナに残ったのは、もはや修理も敵わぬ機体の残骸と、多額の借金。
返済のために、今は看護師を専業でやっている。
「機体に乗った方がはやく金返せるだろうに、やらねえのは……」
「また壊すだろうと思ったからさ。あの戦場じゃ、熱くなりすぎる。ま、次の戦場からは参加してもいいけど、この仕事も向いてるし、どうしようかしらね」
「ああ、エレナは優秀だからいてくれるなら助かるが……」
かつて、ユリウスはエレナが戦場に戻ってくるのを期待していた。
おそらく、ヴォルフ傭兵団の誰よりも。
エレナを補助にした狙撃が、もっとも簡単で成功率も高い。
今となっては、ユリウス自身に、戦場へ戻りたい気持ちがあまりなかった。
何も知らずに、少年、アッシュを殺しかけていた。何度も。
スクラップのように中に人間の入った機体は、早々存在しないだろう。
だが、0%ではない。そう思うと、再び機体に乗り込む気持ちが失われつつあった。
ユリウスが黙り込んでいると、エレナがため息をつく。
「ったく、聞きたいなら聞きゃいいだろ? 言いたくないって顔でもしてた? この私が?」
「……何から聞きゃいいか考えてたんだよ。ダチってのは婉曲な言い方で、恋人か?」
エレナは不機嫌そうに指先でテーブルを叩いた。
「ダチってのはストレートな言い方で、言い換えるなら親友だよ」
疲れ切って回らない頭で、人に配慮するのは難しい。
ユリウスとて、エレナが遠回しな言い方を嫌うことくらいは知っていた。
「死体が帰ってきただけ運が良かった。酷いありさまだったよ。人間かどうかもわからなくなってた」
それは――想像するのが難しい状況だった。
目が良く、医者をやっているユリウスでは、臓器のひとつでも見ればそれが人間のものかどうかわかってしまう。
臓器丸ごと別のものに変えてしまうようなことなど、可能だろうか。
「そんな場所で生き抜いてきたってんなら、あれがもう人間じゃないって言われても驚かないよ」
「人間だ、エレナ。アッシュは人間だよ」
「あっそ」
エレナがあまりにも呆気なく返事したので、ユリウスは恥ずかしくなった。
アッシュが人ではないと言われて、本気で憤ってしまう程度には、ユリウスはアッシュを気にかけていた。
それを改めて自覚させられたのだ。顔が熱くなる。
だが、エレナはそんなユリウスを笑うことはなかった。ただ不機嫌そうに言い捨てる。
「ちゃんと飯食いな、ユリウス。アンタが倒れたら、世話役がいなくなったアイツも死ぬだろ」
「肝に銘じとくよ」
エレナは再び作業に戻り、ユリウスはもう一度机へ突っ伏した。




