はじめまして、mini
二ヶ月前にも来たビルの入口、今度は首にかけた社員証を心強く感じながら、小毬はソワソワと待ち人を探した。
(担当の人、まだ来てないみたい)
そう息を着いていると、遠くからこちらに駆け寄ってくる女性が見える。
「おはようございます!」
まだ聞こえないくらいの距離でも関係なく、小毬は頭を下げた。
「お待たせしました〜!伊月さん、よね?」
「はい、伊月小毬です!」
ぴん、と背筋を伸ばす小毬の姿に、一瞬目を丸め、女性はすぐにふふと柔らかく笑った。
「七里叶実と申します、よろしくお願いします。」
かしこまった小毬の様子に合わせ、手を揃えて丁寧にお辞儀をする叶実に“大人”を感じ、小毬は(これが社会人か…!)と嬉しくなった。
「伊月さん、行きましょうか。案内しますね。」
同じく社員証をぶら下げた叶実に続いて、小毬は歩き始めた。叶実に続く歩みは、ビルの入口ではなく、曲がり角に向かっている。
(あれ?あのビルに入ってくんじゃないの…?)
「七里さん、ビルの入口っていくつかあるんでしょうか?」
少し足を早め、横に並んだ小毬を、叶実は歩みを止めず優しく見つめる。
「いいえ?あのビルはあの入口だけ。今日から伊月さんが配属されたminiは、建物が違うの。」
え、と空いた口が塞がらない小毬をよそに、叶実が歩みを止めたのは
「ここ………… 」
小さな三階建てのビルだった。
「そう!私たちminiだけ、ここのビルなのよ〜」
ささ、入口はこっちよ〜とショックを隠せない小毬を気に止めることなく、進んでいく叶実。
(えぇー!ボロく…はないけど、でも…でも〜!!!)
隣の本社のビルがあまりにも立派なせいで、小毬は現実を突きつけられた気分だった。
「うち、階段しかないから、毎日頑張らないとなのよ〜」
一階は主に来客用、二、三階が主なオフィスで……と言葉を止めた叶実が、三階の扉に手をかけた。
「いい??伊月さんが今日から働くオフィスは────」
ジャーン!と開かれた扉の先は、
「わ、ぁ────」
小毬の目を輝かせるには十分だった。
所狭しと置かれたデスクには、みっちりと付箋やらカレンダーやらがかけられ、壁にはアニメのポスターやグッズ、本棚には雑誌がぎゅうぎゅうに詰められていて、その全てが、配属先が本社のビルではなかった事実などどうでも良くさせていった。
「ふふ、すごいでしょ。目が回っちゃいそうよね〜」
目に入るもの全てに目を輝かせる小毬を見守る叶実は、その真剣さに、少し安堵していた。
(無印への配属を強く希望している、って人事から聞いてたけど────)
「すごい、です!見てるだけで楽しいです!」
(これなら、大丈夫そうね)
「さぁ、今日はお仕事の説明と、社員の紹介があるから、忙しいわよ〜」
どこか楽しそうな叶実に続いて、さらに奥へと足を進める。辛うじて人がひとり通れる ほどしかないデスクの間を縫って、一番奥のデスクへと向かった。
「お、来たな〜」
一人、デスクの主であろう女性が二人に気づくと、向き合うようにしていた二人も叶実と小毬の方を振り返った。
「伊月さん、連れてきました〜」
開いた手を小毬に向け、ひらひらとさせる叶実は、先程からなんだか楽しそうだ。そんな雰囲気に、小毬も緊張が解れていった。
「お、おはようございます!」
大きく頭を下げる小毬に、デスクの主は満足そうに頷く。叶実ともうひとりの女性は、すっと脇にどき、小毬とひとりをデスクの前に並べるようにした。
「君たちが今日からminiに配属された新入社員だ!」
びし、っと向けられた指に、小毬は改めて息を飲み、背筋を伸ばした。
が、そんなのも束の間、力強く立っていたその指はヘロヘロと力が抜け、その女性は萎んでいく風船のように、椅子に座り込む。
「よーし、今日の仕事、しゅーりょー」
先程の姿とは打って変わったその様子に、小毬達は呆然と立ち尽くす他なかった。
(な、なにこのひと…!?)
「すまない、私が代わりに説明させて頂く…………」
叶実の隣に立っていた、長髪のスラッとした女性が、気まずそうにそう続けた。
「まず、改めて入社おめでとう。私はminiでキャップを担当している、藍川綴だ。よろしく。」
小さく頭を下げる綴に続いて、二人も急いで頭を下げた。
「私はチーフマネージャーの七里叶実です。よろしくね」
再び、ぺこりと頭を下げた二人の視線は、今度はすっとデスクへ向かう。そこには、デスク上でこれでもかと言うほど姿勢を崩し、項垂れる姿があった。
「あー、こちらはminiのリーダー…部長だ。相葉翠という。一応部長だが、分からないことや仕事のことは全て、部長ではなく私か叶実に聞いてくれ。」
((な、なぜ……!?))
あまりにも清々しく言い切るその姿勢に、そんな問ができるわけもなく、小毬達はとりあえず小さく頷くしか無かった。「叶実〜お菓子きれた〜」とデスクにある籠を悲しそうに振り回す翠の姿はまるで子供のようだったが、叶実と綴があまりにも気にとめないため、小毬達もとりあえず深く考えるのをやめた。
「部長、まだこの子達の自己紹介が終わってませんよ」と叶実に優しく宥められても、ぶーぶー文句を言っている姿に、ふたりがドン引きしてしまわないよう、綴は焦って言葉を続ける。
「んん、じゃあ笹野さんから、自己紹介をお願いしたい。」
わざとらしく咳払いをした綴に、女性はハッとした様子で翠から視線を戻した。
「は、はい!えっと、笹野ねねです。憧れの編集社に入社できて嬉しいです!頑張ります!」
小毬よりも数倍、緊張した様子で、ねねは頭を下げた。
「伊月小毬です!夢はminiで実績をあげて、無印で活躍する編集になることです!miniは踏み台です!よろしくお願いします!」
ふん、と満足気な小毬に、おぉ〜、と叶実とねねから小さなと拍手がおきる。
(それを今ここで言ってしまうのか!?)
唯一そう驚いていた綴も、
「頼もしいわね〜」
そんな能天気な叶実に呆れ、何かを言うのをやめた。
「と、とりあえず…ここでの新入社員はふたりだけなんだ、仲良くな。
あと、これから一週間は、編集がどんなものなのか、研修期間とする。編集担当にくっついて回って、仕事を見学させてもらい、その後担当の振り分けになる。最初のうちは大変な仕事を回すことは無いから、安心してくれ」
綴の言葉に、小毬とねねはこくこくと頷いた。
(伊月はちょっと変だけど、二人とも素直そうだ。きっとやる気が空回りしちゃったせいでのさっきの発言だろう)
綴はそう思い、二人の姿勢に安堵した。