◆2 男というものはそういうものなのに、あなたにも隙があったんじゃない?
【第二話】
私、パトリシア・グラスソードが、ライン王子様の婚約者候補にーー?
ドルテア王妃様から、そう宣言されてから、三日後ーー。
今度はライン王子様から、私宛ての、個人的な手紙でアプローチをされました。
優美な細い線をした文字で、私を褒め称えた文章が綴られていたのです。
『貴女がお作りになられたステンドグラスは、どれも当代にはない、美しい出来栄えで、驚かされました。
ちなみに、ご存知かもしれませんが、我が王宮にもステンドグラスが多くございます。
中庭を見渡す窓にも、天井近くの飾り窓にも、時計の文字盤にも、至る所にステンドグラスが用いられています。
特に凄いのは〈真実の窓〉というステンドグラスでしょうか。
舞踏会が開かれるホールの天井にあります。
そのステンドグラスの光を浴びながら頭上を見上げると、〈真実の窓〉が開くーーという伝説がございます。
青と赤に縁取られた円盤で、中央に白い大きなガラスが嵌め込まれています。
陽光を受けて、光が差し込みますと、キラキラして美しい。
ですが、私がその光を浴びましても、それだけのようです。
私には何の特殊なーー伝説に見合うような効果がみられませんでした。
でも、貴女ならーーあれほど美しいステンドグラスをお作りになられるパトリシア嬢なら、違うのかもしれません。
〈真実の窓〉という名前の由来は様々に討議されているものの、肝心のステンドグラスに関しては謎が多く、製作方法すら不明で、今では作れない代物だそうです。
それでも、貴女の作品は、そういった再現不可能とされる芸術作品に匹敵する出来栄えに思えました。
光の加減や、色合いがとても美しくて、感動を禁じ得ません。
素敵なものを作る人は、心も清らかで天使のような人に違いありません。
私は、製作者の貴女に、ぜひ個人的に会ってみたいのです。
そして、古来のステンドグラスの秘密を暴いて欲しいのですーー」
手紙を読み進めるうちに、私は耳まで真っ赤になってしまいました。
男性から、これほど情熱を傾けた手紙をもらったのは初めてです。
「これは、婚約のお誘いですね。
古来のステンドグラスを餌に、お嬢様を王宮に招いておられます」
いつもよりぶっきらぼうな調子で、ザックが言います。
(やっぱり?)
私は改めて、熱くなった頬を両手で押さえます。
でも、正直、私には、ライン王子様の印象は、あまり良くありませんでした。
美しい佇まいをしておられますが、弱々しい印象で、お母様のドルテア王妃様の陰に隠れる感じで、このような熱い想いを内に秘めているようには見えません。
王妃様は堂々となさっていて、素敵なんですけど。
「お嬢様、いかがなさいますか?」
と、ザックが問いかけてきますので、私も素っ気なく答えました。
「いかがってーー行くしかないでしょ?」
お父様もお母様も、王宮へ出向き、ライン王子と面会するよう、強く後押しします。
王子様からの手紙を渡したら、大はしゃぎになって、「我が家の名誉にもなる」と。
私は人前に出ることが苦手でしたので、ステンドグラス製作を一生の仕事としようと思っていました。
でも、そのステンドグラス製作のおかげで、健康を手にして、こんなご縁で、王子様と知り合えたのです。
これは奇蹟的な、ほんとうに嬉しいことだと思いました。
ですから、このお話を、思い切って受けることにしたのです。
でも、意外なことに、ザックは気乗り薄な様子でした。
「もし王子に見染められたら厄介ですよ。
あの王妃殿下が義母になるのですよ?」
「あら、堂々としてらして、私、ドルテア王妃様、素敵だと思うわ。
王様を尻に敷いてるってもっぱらの評判なんだけど、それが気に入らないの?」
「いや、そういう低俗な噂なんか、どうでも良いんですよ。
でも、王妃殿下は、なにかとうるさいっていいますよ。
お嬢様に、王宮は敷居が高いと思いますがーー」
「わかったわ。だったら、とりあえず、お断りしてみるわ」
侍従のザックは、いつも正しい。
彼が警戒するなら、私も慎重になるべきだ、と思ったのです。
(たとえ相手が王子様であろうと、こちら側が、相手の本気度を測っても良いでしょ?)
そう思って、私は次のような文面をしたためました。
『もったいないお言葉、感謝いたします。
ですが、この度のお誘いは、辞退させていただきます。
私はステンドグラスの製作ばっかりしていて、女らしいオシャレも素敵な宝石も身に付けておりません。
ですから、個人的に王宮に招かれようにも、その準備が出来ておりませんのでーー』と。
手紙にそのようにしたためましたら、二日後、またもや王宮から手紙が届きました。
今度は素っ気ない文面ながら、より強く王宮へ来るように、と招いてきたのです。
ドレスも宝石も、国王陛下や王妃殿下にまみえても問題ないよう、王子様がすべて用意をしてくれる、というのです。
ですから、安心して王宮へ出向いてください、との返答でした。
「こうまで言われちゃ、お断りできないわね。
宝石とかドレスとか、王子様がプレゼントしてくれるって言うから、もらっちゃおうかなぁ。
あ、そうだ。
婚約ができなくっても、工房やアトリエに資金援助くらいしてくれるわよね?
それが最低条件ってことで」
私はちょっと浮かれていました。
たしかに、いきなり王子様から、面会の申し入れがあった時はびっくりしました。
でも、私のステンドグラスが好きだって言ってくれるなら、金持ちのパトロンをゲットしたって思えば、単純に嬉しいことじゃない?
お父様もお母様も「王子様にお会いしなさい」としつこいので、行くしかありません。
なのに、ザックはご機嫌斜めです。
「お嬢様も、お金で釣られるんだ」
「ザックのいじわる。そんな、言い方しなくったって。
たしかに将来、この家を出ていくんだから、お金はあるにこしたことはないんだけど。
でも、そんなことより、王子様から呼ばれるのって、名誉なことじゃない?」
「名誉なんて。
お嬢様はいずれ、この家から出て行かれるのですから、そうまでこの家の名誉になんか、気を回す必要はーー」
「なに? ザック。もしかして、焼き餅?」
「いえ。違います」
「ふうん……」
いつもお兄様面して、澄まし顔のザックが、うろたえていました。
なんだか楽しい。
新しい出会いを通じて、私は、これからも、どんどん変わっていくかもしれません。
ステンドグラスの光を受けたように、キラキラと私の未来は輝いていくのでしょうか。
喜んで、指定された日時に、王宮へ向かうと返答をして、一歩前進した気がしました。
王子様からお招きを受けて、私の胸中ではワクワクと不安が入り混じっていたのです。
◇◇◇
そして、王宮訪問の日ーー。
その日は、朝から雨が降っていました。
王宮の大きな門の前で、馬車を降ります。
ザックは傘をさして、私をエスコートしてくれました。
そのまま、二人揃って王宮に入ろうとします。
ところが、王宮の衛兵に、私が単身で来るように言われました。
ザックは馬車で待機することになります。
それが納得できないのか、彼は「従者として同行する!」としつこく訴えました。
心配そうな顔をして、私を見詰めてきます。
「もう、帰りましょう!
必要ありませんよ、お嬢様が王宮に入ることなどーー」
「大丈夫よ。中には、ミレー男爵令嬢のほか、何人もの令嬢がおられるのよ」
「でも、他の令嬢方の馬車が見当たりません」
「時間差で分けてお呼ばれしたのよ。
相変わらず細かいことにうるさいわね。
そんなことじゃ、女性にモテないわよ。
心配しないで、ザックはいったん屋敷に戻っていて。
そうねーー三時間もしたら迎えに来て」
私は颯爽とスカートを翻して、門内へと入りました。
◇◇◇
私は、王宮には、式典のときにしか来たことがありません。
ほんとうに大きな施設でした。
王宮は三つの区域で構成されています。
「王城」と称される天守閣がある五層建ての建物と、白亜宮殿の「内廷」、そして、ドーム状の屋根がある「舞踏会場」です。
衛兵によって、私は、舞踏会場の控室に誘われました。
控室とはいっても、広い。
大勢で立食パーティーを開いても、問題ない広さです。
大きなステンドグラスから、陽光が差し込んでいます。
姿見の大鏡もありました。
でも、それだけ。
ご令嬢方が、一人もいません。
ミレー男爵令嬢もいません。
私、一人です。
やがて、ドアが開いて、中年の太った男が現われました。
「貴方は……」
以前、見たことがあります。
王妃様の弟、ヒース公爵ーー。
いつもねめつけるような眼差しで、私を見ては、ニタニタ笑っています。
もう四十過ぎなのに、いまだ独り身の、太ったおじさんーー。
「ようこそ、いらっしゃいました。パトリシア・グラスソード伯爵令嬢」
「他の令嬢方はーー?」
「今日は大雨で、みな、来られなくなりましたようで。
私と二人だけなんですよ。グフフフ」
「……」
たしかに朝から雨でしたけど、馬車が出せないほどではありません。
現に、私はこうして王宮へとやって来ました。
それなのにーー?
「あのう、私、着替えをしたいのですが、お付きの者をーー」
「私です。私が預かっておりますよ、ドレス」
おっさんがガサガサと音を立てて箱を開け、ドレスを広げます。
真っ白なドレスに、裾が青色がかって、肩と胸に赤い薔薇の飾りが施されています。
このドレスを大鏡の傍らにあるテーブルに置き、太ったおっさんが手招きをしました。
「ハアハア……。
まず、ドレスが貴女にぴったりのサイズかどうか確認したいから、寸法をはかろうね。
さあーー」
「じかに、そのドレスを着ますから、お構いなく」
「そういうわけにはまいりません。ここは王宮ですから」
「そんな……」
「服を脱がないと、測れないよ」
「どうして女性のお付きの方を、呼んでくださらないのですか?」
「王宮の決まりですので」
ザックが心配そうな顔をしていたのを、私はふと思い出しました。
賢い彼は、こうした状況を予感していたのでしょうか。
肝心なときに、私は彼の忠告に従えませんでした。
私は唇を咬んで、悔やみました。
ーーそれから、私は、このおっさんに力ずくで襲われてしまったのです。
ネックレスをかけると言いながら、おっさんに後ろから下着を引き裂かれて、抱きつかれてしまいました。
慌てて振り向いて、おっさんのタラコ唇を押しのけます。
ですが、緊縛魔法をかけられてしまいました。
私の身体じゅうに、棘だらけの蔦のような黒い紋様が、広がっていきます。
全身に蔦が絡まったようで動けません。
しかも、尖った棘が刺さるような痛みを全身に感じて、身動きができません。
「へへへ……これであんたは、しばらく動けない。
さあ、楽しもうぜ」
「いやあああ!」
私は声の限り叫びました。
ですが、この広い部屋には、私と、この太った暴漢しかいません。
(許せない、コイツ!
絶対、泣き寝入りなんかしない!
なんとしても、追い詰めてーー)
焼けるような痛みを感じながら、私は唇を強く噛みました。
◇◇◇
緊縛魔法が解けた頃には、室内に、おっさんの姿はありませんでした。
やるだけやって満足すると、部屋から出ていったようです。
(ちくしょう!)
私は部屋を飛び出しました。
そのまま廊下を走ると、例の強姦魔の背中を見つけました。
相変わらず、裸のままです。
「あああああ!」
私は雄叫びとともに、おっさんの背中に飛びかかって、思い切り蹴りを入れました。
「ぐはッ!?」
呻き声をあげて、おっさんは無様に倒れます。
顔を廊下に打ち付けて、鼻から血を流しました。
床に四つん這いになって、びっくりした顔をしています。
でも、許すものか。
私は拳をグーで握って、殴りまくりました。
おっさんは顔を両手で覆いながら、うわずった声をあげます。
「わ、悪かった。弁償する。
いくらだ?
いくらなら、なかったことにできる?」
「金の問題じゃない!」
拳を振り上げたところ、私は腕を取られました。
衛兵が立っていました。
屈強な男に、私は羽交締めにされてしまいました。
「離して!」
私が暴れても、衛兵は無視したまま、私の身体を抑え続けます。
その間に、おっさんは鼻と唇から出た血を肘で拭って、立ち上がりました。
「痛いじゃないか。ええ、お嬢さんよぉ!」
動けなくなった私の腹を、おっさんが思い切り殴ります。
「ガハッ!」
私の口から、胃液が出ました。
正直、痛いです。
でも、私は負けません。
おっさんをーー強姦魔を、睨み続けました。
「覚えてなさいよ。必ず罪に問うてやるんだから!」
「未婚の女のくせに、裸のまんまで馬乗りしてくるとは、とんだジャジャ馬だぜ」
おっさんは呆れ声をあげます。
すると、私の後ろから、女性の声が聞こえてきました。
「あらあら、なんの騒ぎ?」
そう、ここは王宮でした。
王妃ドルテア様が、ゆっくりと歩きながら登場してきたのです。
「王宮に乗り込んで裸で暴れるだなんて、貴族のご令嬢もはしたなくなったものね」
と言って、私を横目で見ながら、嘲笑います。
私は目の前のおっさんを指さしながら、必死になって訴えました。
「この人がーー貴女の弟が、私を襲ったのです!
ドレスを着せる、ネックレスをかける、と言って油断させて、後ろからーー」
ドルテア王妃様は、黒い扇子を広げると、小首をかしげました。
「おかしいわね。今日、貴女が王宮に来る用向きなんか、ございまして?」
「王子様から招かれたのです。ぜひ、お会いしたい、と」
書状を渡そうとしましたが、裸なので、持っていません。
悔しく思っていると、
「これのことかしら?」
と言って、王妃様が一枚の書状を取り出しました。
どうやら、私宛てに送られた手紙のようでした。
(なぜ、王子からの個人的な書状を、母親である王妃様が!?)
どうやって入手したのかは、わかりません。
ですが、たしかに、王妃様が手にする書状は、自分宛てのものだったようです。
彼女は目を通してから、
「そんなこと、私は聞いておりません。
貴女が嘘をついているのでしょう」
と語り、その書状をビリビリと破り捨てました。
そして、王妃様は口の端を歪めながら、呆然とする私を見下ろします。
「いつまでも裸で。恥を知りなさい。女として、だらしない。
そんな人は王子の婚約者にふさわしくありません。
貴女じゃダメね。ドレスも返してもらうわよ」
結局、私は裸のまま、雨の中、裏門から放り出されてしまいました。
そこには、降り頻る雨の中、一台の馬車が停まっていました。
悲しそうな顔をした男性が、雨に濡れながら、立っています。
侍従のザックでした。
私はあられもない姿のまま、彼に抱きついて泣きました。
「待たせてごめん。私が間違ってた。
わあああん!」
彼は何も言わずに私を馬車に招き入れ、身体を布巾で拭いてくれました。
◇◇◇
帰宅後、私はお父様とお母様に、自分が辱めを受けたことを伝えました。
「なんだと、王宮内で襲われただと?」
「まあ!」
あれほど王子様との面会を喜んでいた両親です。
思いも寄らない報告を受け、お父様がテーブルを叩きました。
「許せん。風紀の乱れが度を過ぎておる。王に抗議してやる」
激発するお父様に対して、お母様が懸念を表明します。
「でも、貴方。迂闊に話を広めたら、パトリシアの婚姻に差し支えが……」
お母様からの言葉を受け、お父様は腕を組んで、私に問いかけます。
「むう。して、相手は誰だ?」
「ヒース様です」
私が悔し涙を流しつつ答えると、突然、お父様は驚いた表情になりました。
「なに……王妃殿下の弟御か!? それは……」
「なに? どうしたのですか、お父様、お母様?」
両親が突然、態度を豹変させたのです。
初めは怒り、憐れむような素振りでした。
ところが、相手が王妃様の弟と知れると、途端に沈黙したのです。
やがて、お父様は低い声をあげました。
「パトリシア、大変であったな。しばらく休んでおれ」
お母様からは、冷たく言われてしまいます。
「男というものはそういうものなのに、あなたにも隙があったんじゃない?
そもそも、軽々しく呼び出しなんかに応じるから……」
(そんな! お父様もお母様も、あれほど王宮に行けとうるさかったのに!?)
翌日から、両親は、まるで私に取り合ってくれなくなってしまいました。
私は一日中、ベッドに潜り込み、落ち込んでいました。
夕方になって、侍従のザックが暗い顔で来室します。
私はシーツから顔を出して自嘲気味につぶやきました。
「また昔みたいに、部屋に閉じこもってしまいそう……」
「すみませんでした。お嬢様。
私がもっと強くお止めしていれば……」
「いえ。ザックは私を強く止めてくれたわ。
それでも王宮に入ったのは私。私が悪いの」
「いえ、お嬢様は悪くなんかございません。
悪いのは王妃殿下とその弟……。
正直、私も甘く考えておりました。
本気でお嬢様を王子様がお望みかと思ったんです。
ですから、王妃もその弟ヒースも、王子様が気に入ったお嬢様相手には、手荒な真似はすまい、と甘く見ていたのです。
それがーー」
考えてみれば、王子様が私を気に入ったということ自体、嘘だったのかも。
書状を持っていたのはドルテア王妃でした。
もしかしたら、あの芸術発表会自体が、ヒース公爵への生贄選びだったのかも。
だとしたらーー。
私は泣けてきました。
会場であった令嬢方はみな、芸術に対する才気に溢れ、頑張って努力し、明るい未来を夢見ていました。
それが、単なる下衆なおっさんのオモチャ扱いだなんて……。
「ザック。貴方、あの王妃たちのこと、何か知ってるの?」
最初から、王宮に招かれたのを、ザックは不審の目で見ていたような気がします。
「お嬢様にお話しするのは初めてかもしれませんが、じつは私、今は平民としてお嬢様にお仕えしておりますが、元々、爵位のある貴族家の子息でした」
「え!?」
「実家が罪を得てお取り潰しになったところを、旦那様が拾ってくださったおかげで、お嬢様付きの従者として生きてこられたのです」
「そんなーーどうして、今まで黙ってたの?」
「旦那様に口止めされていたんです。
それに、知ったところで、お嬢様が、私に対し、遠慮するだけでしょう。
私はそれを望みません」
「ごめんなさい。なんにも気づいてあげられなくて」
教養の高さ、魔力量の豊富さから、容易に想像できたはず。
私は唇を咬みました。
ですが、今は後悔するときじゃありません。
話を進めてもらいました。
「どうして、ご実家はお取り潰しに?」
「王妃殿下とその弟の出自を知ってしまったからです。
彼女らは元は隣国から流れて来た雑技団の一味で、怪しげな術を用いて王家に取り入ったのです」
「怪しげな術」ーーあの緊縛魔法のことだ、と私、パトリシアは思い当たりました。
「私の父は王弟殿下に請われて、彼女が王妃になる直前の頃から調査を始めて、出自を突き止めたのです。
が、逆に、隣国人や雑技団出身者を差別する思想だ、と王妃とその勢力から糾弾され、王弟殿下は監獄送りに、私の父は死刑となってしまったのです。
おかしな話ではありませんか。
出自の事実を公表しようとしただけで、差別思想だと決めつけられ、挙句、死罪を賜るとは。
その結果、母は自決しました」
ザックは、とんでもない修羅場を潜り抜けてきた人でした。
彼は私より五歳上なだけです。
私が八歳のとき、彼は私の付き人になったのですから、わずか十三歳のときの事件だったようです。
どれほど大変だったでしょう。
「そんなことが……ごめんなさい、ザック。
そんな女をーードルテア王妃を素敵だなんて、私、貴方の前で何度も口にして……」
「構いませんよ。
あの女は、そういうふうに自分を善いように見せる演出に長けていますからね。
バッド国王陛下は無能。
その一方で、ドルテア王妃様は聡明で、お陰で国が成り立っているーーそう国民に思わせているのです。
そして、王妃の弟ヒース公爵は、お茶目でひょうきんなキャラと喧伝されています。
その陰で、ドルテア王妃とその弟の悪行は尽きないようです。
ドルテア王妃は、王国の極秘事項を隣国に垂れ流すのみならず、金銭や物資まで横流ししているし、弟のヒースは、独り身であることを良いことに、何人もの令嬢や夫人を手籠にしている、と噂されてきました。
もっとも、それは犯罪者とされた者たちの間で囁かれ続けた噂で、あまり表には出ていませんでしたが」
「それは大変じゃない。どうしたら良いの!?」
「どうしようも、ありませんよ。
肝心のバッド国王陛下と、ライン王子殿下が、あのようなありさまでは……」
彼らは、すっかりドルテア王妃の言いなりなようです。
「悔しいわね」
「でも、迂闊に動けませんよ。
お嬢様が告発しようにも、王妃たちがどう動くか、想像できます。
まず、お嬢様を貶めるゴシップを掻き集めて、ばら撒くでしょうね。
お嬢様の場合、長いこと病弱ゆえにひきこもっておりましたから、それを理由に、あることないこと尾鰭を付けて悪い噂をでっち上げることでしょう。
病弱だったのは嘘で、悪魔崇拝に凝っていたとか、動物虐待の趣味があったとか。
ああ、私が最大のゴシップネタかもしれませんね。
お嬢様が、死刑判決を受けた者の子息を従者にしている、王国に対し叛意を持っているに違いないーーなどと槍玉に挙がるでしょうね。
おそらく、旦那様や奥様はそれを懸念して……」
「いえ、そんな感じではなかったわ。
私や貴方の身を案じてるなら、あんな態度を取りはしない。
王妃様やヒース公爵に刃向かうなら、娘であっても、おまえを見捨ててやる、という感じでした」
「でしたら、旦那様は、王妃一派ーーつまりは隣国勢力から、相当お金を融通してもらったのかもしれませんね。
お嬢様がステンドグラス工房を立ち上げ、販売通路を広げる資金として流用していたのなら、皮肉なことにまりますが」
「ったく、私の可愛いステンドグラスたちに、ケチがつけられた思いだわ」
「これからは、ヒース公爵に強姦された令嬢方の悪評が、積極的に巷で囁かれることになるでしょうね。
お嬢様や他の令嬢方が、ヒース公爵に強姦されたと告発されたくないから、王妃どもは先手を打って被害者たちの悪口を吹聴するのです。
おそらくは、その家族や親類、恋人、友人などについても、あることないこと言いふらされるでしょう。
そうすれば、告発者自身も後ろ暗い連中だ、と貶められますからーー」
なんとも嫌な話で、私は眉を顰めました。
◇◇◇
そして、私がクソオヤジに襲われてから、一週間後ーー。
残念ながら、ザックの予想は、正しかったようでした。
ヒース公爵は年配なのに独身なのは、お茶目がすぎるイケおじだから。
彼が女遊び好きなことは、誰もが承知、ということになっていました。
そして、ヒース公爵は、商売女ばかりを相手にしているとの評判になっていたのです。
公爵家に怪しい女に入り込まれたくないから、という口実でした。
以前も、娼婦が文句を言ってきたから、金で解決したとのこと。
被害に遭ったという令嬢たちは決まって、じつは自分の方から誘っていたーーと。
このままでは、ヒース公爵の悪行と、ドルテア王妃の真実の姿を、私一人で世間に訴えたとしても、誰も信じてくれないでしょう。
私の方から誘っておいて、お金がもっと欲しいから、難癖つけている、とされてしまうに違いありません。
だから、しばらくの間、私は迂闊に動けませんでした。
その間、世間では、私の知り合いのミレー男爵令嬢の名前が取り沙汰されていました。
「お金欲しさに、ヒース公爵にたかった性悪女」として、です。
口さがない令嬢方や、夫人たちは、扇子で口許を隠しながら囁き合いました。
「いやあねえ。自分の方から誘ったらしいわよ。『私を幾らで買うの?』とか言って」
「自作の詩を幾つも発表しているそうですけど、色恋沙汰ばかりだそうよ」
「なんでも吟遊詩人と一緒に遊んでおられるのでしょ? 諸国を巡る風来坊と」
「娼婦とも仲良しで、よく一緒にお仕事もするとか」
「ご冗談を。そんなありさまなのに、お父上は勘当なさいませんの!?」
「娘が可愛いんでしょうよ。『ミレーの詩も、朗読も、素晴らしい!』と絶賛とのこと」
「猥雑な詩も、たくさんお書きになってるとか」
「あら、やだ。ちょっと聞いてみたいわね」
噂好きの女性たちが、面白そうに笑い合います。
そんな姿を、街中でも見かけられました。
それを知り、私は、王妃一派のやり方に、心底、腹が立ちました。
(きっと、ミレー男爵令嬢も、卑劣な王妃に騙されて、ヒースのクソオヤジに……)
私は、ザックと共に、男爵邸を訪問しました。
私と同じような目に遭っていないか、事実確認をしたかったのです。
案の定、ミレー男爵令嬢も、私とお仲間でした。
顔を合わした途端、二人とも涙目になりました。
顔を見た瞬間、悟ったのです。
同じ被害者なのだ、と。
ヒース公爵に手籠にされたのだ、と。
彼女も王子様からの手紙で、王宮に呼ばれました。
他の令嬢もいると聞いていたのに、一人にされたのです。
そして、襲われました。
怪しげな魔法で、動きを封じられてーー。
私とまったく同じ手口です。
私たちは互いに抱き合って、涙を流しました。
でも、どうしてミレー男爵令嬢ばかりが、取り沙汰されているのでしょうか。
私と違い、彼女がなにか、王妃とその弟に向けて攻撃をしたのでしょうか。
「ミレー男爵令嬢。貴女、なにをしたの?」
と、私が問いかけますと、彼女はうつむき加減で、とつとつと語りました。
ミレー男爵令嬢は、父親と共に、貴族の犯罪を取り締まる司法省に訴えたそうです。
その結果、悪評が巷にばら撒かれたようでした。
ミレー男爵令嬢は、手にする扇子を震わせながら、声を絞り出します。
「悔しい。お父様もお母様も、諦めちゃった。
そして、『もう、詩を書くな、詠むな、人前に出るな』と。
あれほど、『胸を張って生きよ、朗々と歌え』と、お父様はおっしゃっておられたのに。
今ではお母様の自害を心配なさって、げっそりお痩せになって……」
私は彼女の手を強く握りました。
「私たちだけじゃないと思う。
あの令嬢だけの芸術発表会ーーあの会場に来ていた令嬢方すべてが、王子様の婚約者候補といわれた女性すべてが、あの王妃と、その弟に嵌められた可能性があるわ。
彼女たちを誘って、お茶会を開くのはどうかしら。
そこで被害状況を確かめるの。
それから対策を考えましょう。
なんとしても、あの気色の悪いヒースのおっさんと、澄まし顔で、慈愛臭を漂わせるドルテア王妃の化けの皮を剥ぎ取ってやるのよ!」
ミレー男爵令嬢も私の手を握り返し、目を輝かせます。
「私もぜひ、参加させてくださいませ!」
そして、高らかに声をあげ、即興詩を謳い始めました。
「ああ、空は高く、私たちの前に道は出来る。
ケダモノに蹂躙された乙女たちよ。
前へ進め。
今こそ復讐の刻ーー!」