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私たちは次期国王と国母ではなかったのですか?



 (わたくし)、ジェニファー・グレンウィル侯爵令嬢は、婚約者に嫌われている。


「セドリック様、私、ジェニファー様にっ!」


 他国からの遊学にきていらっしゃる姫君のため開かれた舞踏会。私がレストルームに行っている間に、金髪の美しい姫君はシャンパンを被っていらっしゃいました。もちろん、私はやっておりません。

 しかし、姫君の駆け寄った先の、私の婚約者様は、酷く軽蔑したお顔でした。


         *


 侯爵令嬢として生を受け早十八年。私は生まれた時から結婚相手が決まっておりました。

 その名もセドリック・ローレンス様。この国の第一王子であり私の幼馴染でございます。

 お人柄を表したような優しい笑顔と煌めく銀髪が印象的な、とても素敵なお方です。アメジストのような瞳に射止められれば、堕ちない方などいないでしょう。



『おはつにお目にかかります。じぇニファー・グレンうぃルにございます』


 まだ自分の名前も上手く名乗れないほど幼かったあの日。お父様に連れられて、初めて王城に参上しておりました私と、乳母から逃げて植え込みに隠れて泣いていらっしゃった貴方。私達は、陽光の差す中庭で、初めてお会いしました。

 貴方は口を開いては、何かを言いかけて。そうしてそのまま去ってしまわれました。


『またお会いしましたね』


 しかしながら、それから私達は月に一度お会いし、交流するようになりました。

 最初の頃、貴方は何を話しかけても、顔を真っ赤にして何も喋ってくださらなくて。私はとても気まずかったのを覚えております。

 それでも貴方が、


『な、なんと呼べばいい』


 と、たどたどしく尋ねてくださったとき、とても嬉しかったのです。ああ、このお方は、ずっとなんと呼べばいいのかわからなくて、こんなにも悩んでいらしたのね。と、とても恥ずかしくも深く心に残りました。


『ジェニーは、何が好きなんだ?』


 拙い会話、とりとめのない内容。とても愛おしい時間でした。そんな中で、私達は悪意ある者たちに翻弄されながらも、学び、成長していきました。


『……この国を背負う者として、僕は、どうしたらいいのだろうか』

『っ殿下、私は貴方の婚約者です。貴方が王になれば、私も、この国の母となるのです。どうか、一緒に考えさせてくださいまし』


 思わず、殿下の手を取りました。私達は、共にあると伝えたくて。

 お茶会の話題は、お互いのことから、なによりも大切な我が国についてへと変わりました。


『ジェニファー、今日の茶会の件なのだが』


 気がついた頃には、ジェニーと愛称で呼ばれなくなり、学園の中等部に入った頃には、愛しい時間は遠い記憶となってしまいました。

 しかし、それでいいと、思っていました。女生徒の間で流行っていたロマンス小説に書かれていたような逢瀬や愛の手紙のやり取りなど、私たちには関係ないと思っていたのです。


『側妃を選抜するという噂は本当なのかしら』

『あり得る話だと、私は考えているわ。王太子殿下とジェニファー様は冷め切ってるもの』


 そんな会話を、たまたま耳にしました。

 噂は噂にすぎず、無駄な争いを起こす側妃選抜などするわけがありません。

 それよりも私は、殿下との愛が冷めきっていると思われていたことに驚きました。私が、殿下を愛していない時など、一秒たりともなく、殿下の愛が向けられていないなど、考えたこともなかったのですから。


『……今日は公務で訪れているんだ』


 そんなことがあった後、私はほんの少し欲を出し、城下街の視察で、殿下の袖を引きました。せっかく変装しているのです。人に見せるため以外でのエスコートを、体験してみたかった。


『申し訳ありません。柄にもなく、少しはしゃいでしまいました』


 返されたのは明確な拒絶でした。

 思い返せば、殿下から愛を受けたことなど、そもそもありませんでした。

 お忙しいとはいえ公務以外でお会いすることはなく、浮ついた会話の一つもしたことがありません。


(ああ、私、なんて馬鹿なのかしら)


 心の臓が、冷えたような心地でした。しかし同時に、私が愛を伝えられていないことにも気づきました。きっと、私からの愛など、鬱陶しいでしょう。けれど、私は殿下に毎月恋文を送ることにしました。嫌だと一言でも言われればすぐにやめることを誓って。破り捨てられるのも、暖炉の灰になるのも承知の上で、貴方を愛していますと、伝えたかった。


 私たちは次期国王と国母です。これはただの、私の片想い。わかっております。

 しかし、お優しい殿下は、何も仰ってきませんでした。そうして三年の月日が過ぎ、高等部となり学園生活も終わりに近づいてきた時です。


『お似合いね……』

『並んでいらっしゃるとまるで絵画のよう』


 ……かねてより親交のある他国の姫君と、殿下が婚約を結ばれるのではないか、と噂されるようになったのは。

 私から見れば、他国の姫に、一国の王太子として応対しているようにしか見えません。けれど、噂は学園から社交界へ、決定事項だと言うように広がっていきました。


『……セドリック様』

『お怪我はございませんか?』


 サロンへ向かう途中、窓から中庭が見えました。転んだ姫君と、笑顔で手を差し伸べる殿下。


 ああ、そういえば、最後に殿下の笑顔を見たのは、いつだったかしら。


 縋っていた綱が、プッツリと切れた音を聞きました。


 噂は噂。だけれど、貴方と愛する国のためならば、婚約破棄も受け入れましょう。


 三年間続けていた手紙を、書くのをやめました。


         *


「まさか、ジェニファー様が」

「……これは婚約を破棄されるのでは?」


 そんなことがあちこちで囁かれ、会場は私に視線が集まりました……


「二人にしてほしい」


 が、殿下のその一言で、辺りは静まり返りました。

 そうして着替えを用意し、姫君を別室に案内するように、またシャンパンをかけた人間を探すよう言いつけた殿下は、私の手を引いて、会場を後にしました。

 何度も呼びかけても反応せず、中庭について、やっと振り返ったと思えば、


「いやだ……ジェニー、婚約を、破棄なんて、しないでくれ」


 殿下のアメジストの瞳からは、ボロボロと雫がこぼれ落ちていました。頬は真っ赤で、息も絶え絶え。格好良いお顔が、まるで幼子のよう。


「君を、愛して、いるんだ」


 殿下が泣いているところなんて、初めてお会いした日以来で、どうすればいいのか、わかりません。

 その上、愛しているという、嘘を、どう受け止めればよいのか。


「……私との婚約を破棄することで、なにか不都合が起きるのでしょうか?」

「っああ。君がいなくては、僕は、生きていけない」


 そんな、まるで本心かのように、都合の良い言葉を言わないでほしい。


「嘘じゃ、ない」


 これ以上、傷つきたくない。

 みっともなくも、唇が震えた。戦慄く手をサッと後ろに隠す。


「……これは、公務では、ないですよね?」

「生まれて初めての、私的な時間だ。はじめて、こんなことをした」


 殿下に、自由な時間はない。就寝時以外は、いつでも誰かに見張られている。確かに、そう、だけれど。だからと、言って、嘘ではないわけが……。

 

「だって、手紙も」

「部屋に、ある。三年分の返事と、僕から書いたものだ。君からのは、金庫の中に」


 返事……? 殿下からの手紙……? なぜ、私の手紙が、金庫に?

 もじもじとした姿は、あの日の遠い記憶のようで。


「出せなかったんだ。君への愛を、検閲されたくなんてなかった」


 検閲……確かに殿下宛て、殿下から出す手紙は然るべき部署に全て監視されておりますが。まさか、そのことで?

 だ、だけれど。でも、


「私を、軽蔑していたではありませんか」

「ちがっ。ジェニーを、軽蔑なんて、するわけがないだろう。君はシャンパンなんてかけない。僕は、君に罪をなすりつけようとしているもの全てが悍ましく汚く思っていただけで」


 まさか、こんなことってあるのでしょうか。

 涙を拭く殿下のハンカチは、私が刺繍して差し上げたものでした。


「こんなみっともなくて、守れなくて、すまない。ジェニーの方が、不甲斐ない僕を、軽蔑したはずだ」

「いいえ、そんなことありえませんわ。殿下への愛は、冷めるどころか、消えるどころか、常に増え続けておりますから」


 殿下は目を丸くして、そうしてくしゃりと笑いました。

 ああ、そうだわ。殿下の笑みは、あんな作り笑いなどではなく、幼くて。


「……愛称でさえ、他の者の前では呼びたくない。この響きを教えたくない」

「……承知しました」


「……ジェニー、君の黒髪も、深い海のような瞳も、すべて愛おしい」

「私も、殿下の煌めく銀髪と、アメジストのような瞳も、すべて愛しております」


「……ジェニー、抱きしめてもいいか?」

「はい」


「……ジェニー、キスしてもいいか?」


 そうして私からキスをしました。ロマンス小説に書かれていたようなレモンの味なんてしなくて、しょっぱかった。


()()()()()様、お慕いしております。未来永劫ずっと愛しています」


 私たちは次期国王と国母で、婚約者で、初恋の人でした。


         *



「ああ、帰ったらお父様に叱られてしまうわ。冷めていると聞いていたのに」


 あの後、姫君はあっさり引き下がられました。食えない国だとは思っていたけれど、やはり。


「当て馬になってしまったのは不本意だけれど、お幸せに」


 証拠はない。追求はできない。そもそも、姫君自身がなさったことは、ハニートラップとも言えない些細な事。噂を広めたのには、我が国の者もいるでしょう。

 なにより、シャンパンをかけたのは、私を王妃の座から引きずり下ろそうとしていた派閥に属する、下位の気弱な令嬢でした。が、不問にすると仰ってくださったのです。それを利用しようとしたにしろ、これは我が国の失態。我が愛する国民が、守られた。

 ですから、これだけ申し上げさせてください。


「ありがとうございます」

「ええ、どういたしまして。今度は王妃と王女として会いましょう」




 読んで下さりありがとうございました。

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