朝顔のため息
◇◇◇
それから数日が経ち、時雨との約束の日を迎えた雪菜は贔屓にしている呉服屋へ来ていた。
「おお……!」
店主の三津に見立ててもらった着物に着替えたあと、髪や化粧までしっかりと施された雪菜は、別人のように変身した自分の姿を見て歓声をあげた。
「派手な柄の着物で華やかに、かつ上品に仕立ててほしいっていう雪菜の要望に、ばちりとはまる着物を用意してみたよ!」
深紅の着物には桜や牡丹、菖蒲などの花が散りばめられており、白練色の帯には二重に重ねられた蝶結び帯締めが華やかな装い。派手な柄ではあるが、どこか上品さも備わっている組み合わせなのは、見立てた三津の美的感覚の賜物だろう。普段は可愛らしい雰囲気の着物を好む雪菜だが、着物の色を変えるだけでその印象もがらりと変わる。
「さすが三津さん〜っ!この着物も素敵……!」
そう言われた三津は得意げな顔をして、うんうんと頷いていた。
肩まである髪を後ろでひとまとめにし、草色の着物を身に纏っている三津は年齢不詳。声も女にしては低く、男にしては少し高いと性別すら不詳である。
着物に対しての熱量が高く、仕事の腕が一流ということで人気のある店なのはもちろん、整った顔立ちで中世的な雰囲気の三津を目当てに来店する客も多く、そのあたりの情報はわざと曖昧にして「お客さまのお好きなようにご想像を」と笑みを深めて女性客と男性客、両方の心を鷲掴みにしている商才の持ち主だ。
雪菜もそんな三津の店をよく利用している常連客。今回どんな着物を着ようかと頭を悩ませていたときに、一番に相談しようと思い浮かんだのが三津だった。
「雪菜には日頃からご贔屓にしてもらってるからね。新作の着物や帯留めも特別に、貸してあげるよ」
「ありがとうございます〜!」
改めて姿見を見た雪菜は、大人っぽい雰囲気の自分になんだか照れ臭そうにした。
(着物はすっごい可愛いけど、いつもと違うからなんだか落ち着かない……)
雪菜が姿見をぼんやりと眺めていると、後ろから背中をばしっと叩かれた。
「雪菜、そんな顔してないで、もっと自信持ちなよ〜。今日の雪菜は、とびっきり可愛い!私が全身見立ててあげたんだから間違いないっての」
「ほ、本当ですか? 着物に負けちゃってません?」
「だ〜いじょうぶだって!」
にっこりと笑う三津に、雪菜は肩の力を抜いて小さく息を吐いた。硬かった表情が和らいだのを見た三津は、「それにしても」と言葉を継いだ。
「今日はやけに気合いが入ってるじゃない?このあと、なんかあるの?」
今度はにやにやと楽しそうな表情を浮かべて雪菜の体を肘で小突いた三津。このあとのことを全て打ち明けることが出来るのなら、そうした方が雪菜の緊張はもっと和らいだだろうが、残念ながら囮捜査のことは口止めされている。
雪菜はひとまず、「まあ、ちょっとした用があって」と誤魔化した。
「ふ〜ん、まあ深く詮索はしないけど、大方男のと会うってところかな。そんな洒落込んでおでかけする雪菜なんて、初めて見るし」
「お、男とって……!」
「まだ恋仲にはなってないけど、気になってる相手ってところか。だったら緊張するし、着るものや髪型も気になっちゃうよね〜」
長年雪菜を見てきた三津だからこその分かるのだろうか。当たらずとも遠からずな見解に、雪菜は目を見開き、体をぷるぷる震わせながら「べ、別にそういうのじゃありません……!」と動揺していた。
「それにしても、そんな派手な着物が好みなんて遊び人じゃないだろうね?」
「だから、そういうのじゃありません!」
慌てて否定する雪菜に、三津は、ははっと楽しげに笑う。
「まあ理由までは聞かないけど、私は雪菜のこと応援してるから頑張っておいで」
「でも、落ち着かなくて……。緊張しすぎて吐きそうです」
ぐったりとしている雪菜を見て、三津は「それならいい手があるよ」と、にっこりと笑う。「ちょっと待ってて!」と、奥に消えていく三津を横目に、雪菜は店の長椅子に座り込んだ。
そして、待つこと数分。戻ってきた三津は、背中に何かを隠して現れた。
「……緊張を和らげてくれる秘策があるって言うんですか?」
雪菜が問うと、三津は「じゃーん!」と手にしていたものを雪菜の眼前に晒した。その手には、酒瓶とお猪口。
「まだ時間あるよね?ちょっと一杯飲んで、気を紛らわせてみたら?」




