師父
「いやはや皆さん。お話の途中でしたのに、私を置いて先に行ってしまうとはあんまりじゃないですか。
……おや?どうやら先程はいらっしゃらなかった方もいるようですね。どうもどうも」
その男は顔にニヤニヤと嫌らしい微笑を浮かべながら、隣に上半身を人間、下半身を獣で構成された生物を連れ立ち、ゆっくりと近づいてくる。
…完全な誤算だった。
まさかこのような事態に陥るとは、自分の行動の浅はかさに嫌気が差す思いがする。
しかし今更それを後悔したところで、この状況下が好転するわけではない。
そんな事より、この事態に一刻も早く対処することが最重要課題だ。
そのように気持ちを切り替えようとしたところで、こちらに近づいてくる生物の全貌が、ようやくと露わになっていた。
その姿をはっきりと認識した瞬間、驚きで思わず声が漏れてしまう。
「まさか……師父…なのですか?」
そんな私に対し、その生物の上半身を司る男性は、平然と表情を変えることなく視線をこちらに寄越していた。
〜〜
ー2年前
「失礼致します」
「入り給え」
私は一室に呼ばれ、皆から師父と呼ばれるある男性を前にしていた。
「早速ですが、御用というのは?」
その男性の年齢は、既に還暦を越えていた。
顎には長い白髭、顔には年齢相応の深い皺を刻み込んでいる。
しかし、その体躯は服の上からでも分かる程の屈強な身体つきをしており、また両の瞳には年齢不相応ともいえる底知れない力を称えていた。
「うむ。実はのう…」
眉間に皺を寄せながらこちらに視線を向ける。
ここまでの師父の真剣な様子から、ただならぬ事態なのではと少し身構える。
「ここに呼んだのは他でもない。実は……サラちゃんに癒やしてもらおうと思ってのう」
「は?」
「最近忙しすぎてかなわんのじゃよ…。ほれサラちゃん。いいからちょっと近くに来なさいて」
師父は先程までの真剣な表情はどこえやらといったように、顔の表情を崩し、こちらに手招きしている。
…全くこの人ときたら。
この国の医療を変えたとまで敬われる賢人で、更には武力、統率力など総合的な影響力でもこの国の一二を争う御方である筈なのに、自分のこういうところは全く治す気はないらしい。
私は上官に対する態度では無いことを承知しながらも、抑えられない徒労感に思わず溜息をついた。
「…嫌です。加齢臭が気になるので」
「いや、辛辣過ぎんか?落ち込みすぎて下手すると死んでしまうぞい」
「私はそれでも一向に構いません」
「まったく相変わらずじゃのう…ぐすん」
師父はあからさまに肩を落として落ち込んでいた。
ー王国には王都育成学校と呼ばれる訓練校がある。
『国の為、他人の為、自分の為にあれ』
このように理念を掲げたこの学校には、兵士における基本的な能力を身に着けさせる事は勿論、各々の適正にも対応できるようにと、あらゆる人材や設備を備えていた。
まさに、この国の将来を担う人材を国指導で育てるという、軍事における最重要な役割の一つを担っているといっても過言ではないものであった。
そして、師父はその学長の立場にある。
誰しもがその役割に納得をしていたし、間の抜けた所はあれど、誰が見ても納得出来るほどの指導力で成果を上げていたのだった。
しかし。
それはある日突然の事だった。
その日を境に、ぱったりと師父は姿を消すことになる。
そして、それに関して誰もその原因を知ることは叶わず、自然とその話をすること自体が、兵の間でも禁忌のように扱われるようになっていった。
〜〜
「………」
その上半身を師父の姿をした生物は、落ち着いた様子でその場に佇んでいる。
「…おや?貴女、人間の時のこの方とお知り合いでしたか。それはそれは素敵な再開と相成りましたね」
男は両腕を拡げる仕草を見せながら、さらにこちらに近づく。
「…外道が」
私は奥歯を噛み締め、自然と言葉が口を告いでいた。
それを聞いた男は、やはり嫌な笑みを浮かべ、
「…さて、改めまして念願のお話の時間と致しましょう」
仰々しく拡げた両腕と共に、深々と頭を垂らすのだった。




