大きな変化
ここ宿り木亭では、毎日の定例として朝一のミーティングが開催されている。
これにはもちろん、従業員は全員参加する義務があり、怠ったものにはどんな罰が下されるのかは誰も知らない。
現在はそんな朝のミーティングの真っ最中である。
そんな中でいまだ眠気まなこの中であった俺は、いつものようにオッサンにそれを見破られ、ゲンコツを頂くことになった。
いつも思うのだが力加減をどうにかして欲しい。
もはや頭の上に山脈ができてしまうぞ。
とはいえそんなミーティングも無事に終わりを告げ、本日も張り切って労働に勤しもうと意気揚々としていた俺だった。
そこに、思わぬ人物が声をかけてきた。
「…おい」
「おう、おはよう」
昨日の夜の件で、若干の気恥ずかしさや気まずさもあるだろうに、その少年は初めて自分から俺に声をかけてくれていた。
それを受けて俺は、さもしがらみもないような受け答えをしていたのだが、実は内心で少し安心していたのも事実だった。
「……」
暫く無言でこちらを見ているだけの少年。
まずはこの微妙な空気感をなんとかしなくてはと考えた俺は、何か話そうと頭をフル回転させる。
しかし、俺が口を開くその前に、ミントちゃんがノートをこちらに差し出していた。
「ソラさん、これなんだけどね」
ミントちゃんと少年の微妙な表情から、どうやら余計な気を働かせてしまったようだと悟る。
そうして、気落する本音を隠すように精一杯の強がりを見せることにした。
「いやーなんかごめんな!昨夜の俺は暴走してしまったようだ。ははは…」
我ながら強がりがなっていない。
あまりの痛々しさに、色々と隠しきれている自信がなかった。
乾いた苦笑いを見せていた俺に対して、少年は少しムッとした表情を浮かべる。
「…いいか、黙って最後まで聴きやがれ」
「ん?」
咄嗟のことに、驚きで変な反応をしてしまう俺をよそ目に、少年は話し始めた。
「まず言わせてもらうが、俺はこういった飲食、宿泊業に関してはズブのド素人だ。それでもテメーが書きなぐった汚ねえ字のこの本に対しては、色々と思うことがあったからあえて口を出してやる」
「基本的に料理うんぬんの項目に関しては言うことはねえ。おそらくてめえの得意分野だろうことは、俺にも理解できた。そこは勝手にしやがれ。ただし、その他、雑務の項目については話が別だ。まずは…」
やはり予想していた通り、少年には俺以上の知性が宿っているようで、その後もミントちゃんに負けず劣とらないレベルで論理的な話が展開されていった。
俺はといえば、そんな少年に圧倒されつつも、その一言一言を絶対に聞き逃すまいと、ペンを走らせ続けていた。
「…以上だ」
「あ、ありがとうございました」
俺は、咄嗟に敬語で返事をしてしまう。
それくらい、実用的な価値のある話だと素直に感心していた。
「…ケッ、俺としたことがくだらねえ話をグダグダとしちまったぜ」
少年はそう言うと、両腕を組ながら顔をそっぽに向けてしまった。
「あれれー?そんなこと言って、昨日は私と一緒に、内容について褒めていたような…」
「おいミント!余計なこと言うんじゃねえっ!」
耳まで赤くしてミントちゃんに抵抗する少年。
そんな少年の様子に、いつも強気で毒舌な美少年がデレると、こんなにも凄まじい威力を発揮するものなのかと、またもや頭が明後日の方向に向いていた俺であった。
ーー
月日が立つのは早いもので、そこからあっという間に1ヶ月が経過していた。
相変わらず毎日のように怒濤の日々を繰り返していた宿り木亭であったが、そんな中でも店には大きな変化が見られていた。
それといえば、俺たち新しい従業員が加入したせいもあってなのか、以前より様々な客層が店を訪れるようになっていたのだ。
店としては喜ばしい事に違いないのだろうが、俺個人としては実に面白くない。
あえてもう一度言わせてもらう。
それは実に面白くない事態だった。
「いらっしゃいませお嬢様方。本日もご来店有難うございます。ご注文は如何致しましょうか」
その見るからに上品な立ち振る舞いの男は、仰々しくお客様に笑顔を振る舞っていた。
「キャー!ねえねえ!貴女から言いなさいよ!そういう約束でしょう?」
「えっ、でも…。わたくしやはり恥ずかしくて言えないわ…」
「そうしましたら、代わりにわたくしが」
そのいかにも身分が高そうな言葉遣いと身なりをしているお嬢様三人組は、最近この店に頻繁に通うようになった、新たな常連さんだった。
その男は物腰柔らかな様子で、微笑を称えながら答える。
「何か、問題でも御座いましたでしょうか?」
「いえ、そうではないのです。では改めて注文を…」
その淑女は緊張した趣で、口を開いた。
「コホン。あ、貴方様を貸しきって、わたくしたちとお話をする時間を下さいませ」
その瞬間、午後の静かで優雅なはずのティータイムがどよめきたっていた。
「あいつら高貴な身の上だからって、今許されないことを…」
「あの人を貸しきりだなんて絶対に駄目よ…」
「貸し切り…なるほどその作戦があったわね…」
そこかしこのテーブルからヒソヒソと聴こえてくるのは、全て女性達のものだった。
そんな周りの反応を知ってか知らずが、その淑女は話を続ける。
「どうかしら。もちろんお代に関しては、それ相応のものを用意させてもらいます」
「……」
その男は笑顔の中に少し困った表情を浮かべながらも、その淑女に返答していた。
「まず、こんな私めに勿体ないお言葉を頂いたこと、恐悦至極に存じます。…しかしその上で、誠に勝手ながら申し上げさせて頂きます」
「残念ながらこの時間帯において、ここ宿り木亭の接客係の役目を授かるのは、私め一人しかおりません。従って、その責務を全する義務がございます」
「…そうですわよね。こちらこそ失礼な事を言ってしまい、大変申し訳ありませんわ…」
先程と打って変わって、まさに意気消沈といった具合のお嬢様方。
その中でも、男に直接話しかけた女性は、よほどショックが大きかったのか、うっすらと目に涙を浮かべていた。
「…お嬢様」
「えっ?」
男はその女性の片方の瞼から、優しく丁寧な仕草で涙を拭っていた。
「…お止めください。せっかくの可憐で美しいお顔に、このようなものは似つかわしくない。それよりも、貴女様には笑顔の方がお似合いで御座います」
そこにいる場の女性全員の目が、ハートに変わった気がした。
そこかしこで女性の謎の溜息や、「もうダメ…」といって力が抜けてしまう女性が多発している店内は、俺から見たらただの地獄絵図でしかない。
その男は話を続ける。
「改めまして、ゆっくりとお話をする時間を設けられず、大変申し訳ありません。…もしよろしければ、またこの宿り木亭にご来店下さいませ。その時は、私めにもう一度お話する機会を頂ければ、これ以上の幸福はないと存じます」
「も、もちろんですわ!ねえ貴女たち?」
「は、はい!」
「あ、当たり前です~」
お嬢様方は一様にして、先程の落ち込みは何だったのかと思うような明るい表情に戻っていたようだった。
「…おや。非常に残念ですが、そろそろ他のお客様の元へ参らなければならないようです。またご注文等御座いましたら遠慮なくお呼び下さいませ。では失礼致します」
その男は、颯爽とその場を後にする。
しかし、俺はその去り際に見せたニヤリとした悪どい笑顔を、決して見逃さなかった。
そしてそれはその男、いや、ここに加わった新たな従業員である少年の本性であることに、俺だけは気づいていた。
ここに少年がきてからというもの、仕事面においてすぐにメキメキと頭角を出し始めた彼は、日々の雑務などをすぐに頭に入れてしまった。
そして、さらにはそれを効率良くこなしていくことで、あっという間に花形である接客業にまで昇進を果たしていた。
その有能さは、すぐに店主のオッサンと経営責任者のミントちゃんに目をつけられたようで、その結果、その分の新人の雑用などが全て要領の悪い俺に回ってきた。
この時点でなんとも面白くない事態になってはいたのだが、それに加えて、ある出来事がさらにこの事態を引き起こすトリガーとなった。
それは、少年がここに加わってから、ちょうど一週間ほど経過した時の事。
いつものように朝の定例ミーティングが行われていた際に、我らが経営責任者であるミントちゃんの宣言から、それは始まった。
「…現在、我が宿り木亭の最重要課題として、女性の客層が少ないという問題があります。つきましては、今後それについて大胆な経営改革を下そうと考えています。皆様にはその点でご協力を仰ぐことになりますので、どうかよろしくお願いします」
そう言ったミントちゃんは、その時何故か少年に対して熱視線を送っていたのだが、今にして思えばそれがまさかこんな伏線に繋がっていたなんて、夢にも思わなかった。
そんなこんなでミントちゃんの作戦が大成功した形で、現在の宿り木亭には、あまりにも濃い客層ばかりが集まってしまっていたのだった。
もはや、男と女のあらゆる感情が入り混じりすぎて、この場が異空間化してないことを願うばかりだ。
それにしても、こんな異世界でもこのようなメイド喫茶ならぬホストのような商売が成り立ってしまっているのが、末恐ろしい。
それだけ、ミントちゃんの商売に対する隻眼が、並々ならぬものであるということだろう。
さてさて、話は変わって経営的にはおそらく上ブレが半端ない最近の宿り木亭。
そのせいもあってなのか、他にも変化はあった。
最近のミントちゃんは、ホールや厨房を俺たち新たな従業員に任せて、すっかり経営責任者としての仕事に精を出していた。
「ふふふ…店舗拡大…人員確保…営業利益点…」
凄まじい速度で店の収支計算をしながら、そんな小難しい単語を呟きニヤニヤしているその様は、もはや10歳前後の少女とは到底思えない。
いや、ちょっと目が怖いよ?
少しは年齢に見合ったことをしたほうが良いよと、本気でアドバイスした方がいいのだろうかと悩む最近の俺であった。




