宿り木亭
付き合って欲しいと少年に連れてこられた場所は、スラム街を北に抜けた広場にあった。
ここらには木造の建物が何軒か並んでおり、ボロボロの小屋ばかりだったスラム街とは、生活レベルが異なっていることが分かる。
俺たちは、ちょうどそのうちの1軒の建物の前まで案内されていた。
その建物の入口横に建てられた看板に、ふと目がいく。
「や、宿り木亭!?」
「なんだよ兄ちゃん。知ってんのか?」
「ま、まあな…」
なんと偶然にも、あんなにも探し求めていた宿り木亭に到着出来たことに、俺は内心で小躍りして喜びを爆発させていたのだった。
改めて少年が店の入口が開くと、客の出入りを歓迎するかのように、カランカランと心地よい音が俺たちを迎えてくれる。
店内は客がポツンポツンといるだけで、そこまで埋まっているとは言えない状態だった。
無理もない。今はきっと時間にしてお昼のピークを越えたあたりだろう。
そんな閑静とした店内の雰囲気を打ち破るかのように、少年は大声で宣言していた。
「お邪魔するぜー!おーいミントー!オッサーン!いるかー!?うわっ相変わらずこの時間は客いねーなー…」
少年よ。
入るなりいきなり喧嘩売るような事を言うのはやめなさい。
真実は時に人を傷つけることを知りなさい。
その声を聞きつけたのか、店の奥から可愛らしい女の子がちょこちょことこちらに近づいてきていた。
「あっ、いらっしゃませー!あれっ、ラル君?その方達は…?」
「よく聞いてくれた、ミント!命の恩人を連れてきてやったぜ」
「えっ!?まさかあの時の…」
「ども。ははは」
なんだか気恥ずかしい思いがした。
感謝されることに慣れていないからだろうか。
それにしても、命の恩人とは少々大げさだぞ少年。
~
俺たちは店のテーブル席に案内され、少女からお食事といった形でのお礼の提案をされていた。
これには、ウチの大食いで定評のあるミラさんがちょうど腹を空かしていることもあり、願ったりかなったりの提案になったわけだ。
店内も落ち着いているようだったので、改めて少女に話を聞いてみると、あの時チンピラから助ける事になった少女というのが、実は宿り木亭の店主の娘さんであった事が判明したのだった。
随分と都合の良い展開に、今後の運まで使いきっていないかと若干心配になる思いがする俺である。
「改めまして、あの時は本当にありがとうございました。助けてくださったというのに、私ったら貴方様にずっとお会いすることも出来ず…。結局こんな形になってしまって、大変申し訳ありませんでした」
ペコリと可愛らしい頭を下げる少女。
年齢の割に随分としっかりとした娘さんだと感心する。
きっと、親御さんの教育の賜物だろう。
「いやいや、いいっていいって。頭上げてくれ。俺なんて大して役に立ってないんだから。調子よく出ていったはいいが、その後なんて逆にボコボコだぜ?むしろ恥ずかしい奴と笑ってくれ」
「んなことないよ!あれは兄ちゃんのおかけだって!なあミント」
「うん。そうだね。本当に、なんてお礼を申し上げたらいいか…」
「もう本当によしてくれ。それに、礼なら充分にもらっている。見ての通り、現在進行系でな。というか、すでに金額にしたらお礼の域を越えている気がする…。
そろそろいい加減にしませんか?ミラさん」
「おかわりを所望する」
「うん、話聞いてたの?」
すでに俺たちの前には空になった皿が山程積み重なっている。
そんな光景、それこそ漫画とかゲームの世界でしか見たことはない。
さらに、おかわりを所望しているところを見ると、まだまだ食う気満々なわけか。
いやほんと、勘弁してくんないすかね…。
「いいんですよ。こんな事でしかお礼できませんから」
「でもな。ものには限度ってものがさ…」
さすがにこれ以上は止めるべきと判断した俺は、決死の覚悟でミラとの交渉を行うことにした。
「なあミラ」
「なに」
「お前、お腹の具合はどうよ?」
「…これで八分目」
なんてこった。
その細い体の何処に収容されているというのか。
「まあ、このへんでやめとく」
どうやら納得してくれたらしい。
その顔には少し満足気な表情がみられる気がした。
こんな些細な表情の変化でも、感情を読み取れるようになってきたとは。
ふふふ…ミラマスターの称号を得る日も近いかもしれんな。
「へへん、美味かっただろー!」
少年は両腕を組み、俺たちへ自慢げに告げた。
たしかに美味かったので文句はなにもない。
そんな誇らしげな少年がフフンと鼻を鳴らしていた、その時だった。
突如として少年の身体が浮かび上がる。
「うえっっ!?」
少年の方も咄嗟の事でうまく状況が飲み込めていない。
そして、その後に聴こえてきた声は、聴いたことがない野太い男のものだった。
「なんでてめぇが偉そうにしてんだよ」
「げっ!は、離せよ!」
少年は丁度、後ろ首を引っ張りあげられ、宙に浮いた状態でいる。
ドタバタと手足を動かしているようだが、その抵抗も全くもって意味をなしていないようだ。
「ったく、口数が減らねぇガキだぜ。まったく…」
そのままひょいといったように簡単に放り投げられる少年。
おい、なんつー怪力だよ…。
「い、いってぇ…。くそっ!いつかオッサンより強くなって見返してやるからな!覚えとけ!」
「おうおう、楽しみにしといてやる。…それで、だ」
そう言ったオッサンはこちらの方にまじまじと視線を向けた。
まず否が応でも目についたのはその肉体だ。
服の上からでも確認出来るほど、身体のあちこちが筋肉で膨れ上がっており、筋肉の鎧でも纏っているかのようである。
それはまさに、ゲームに出てくる筋肉キャラそのものといったところだった。
これならたしかに、少年一人くらい放り投げるのも楽勝だろう。
「お前ら、俺の飯はどうだった?」
「非常に美味でした」
「いい仕事してる」
俺たち二人はすぐさま返事をしていた。
かなり豪快な料理が多かったものの、どれも味には申し分ないものであった。
ミラもここまで言うということは、俺と近い感想を持ったのだろう。
「がっはっは!そうだろう、そうだろう!まあ、そんだけ食ってりゃ聞かずともわかるようなもんだがな!」
豪快に笑うオッサン。
それにしても、豪快という二文字がこれ程似合う人もなかなか珍しい。
「あの、こんなに食べちゃって、お支払についてなんですが…」
「あ?バカ野郎。娘の恩人にそんなこと言うかよ。というか、娘の事、改めて礼を言わせてくれ。ありがとな」
そのオッサンは頭を下げ、俺たちに誠意を込めて感謝を伝えた。
なるほど。娘さんがあんなにしっかりとしているのも頷ける。
早計かもしれないが、信頼に足る人物と判断できる気がした俺だった。
となれば、さて。
ここからが本題だ。
なんとかして今後のために生活基盤を作らなくてはならない。
その為に、今できる最大限をしようじゃないか。
俺は姿勢を整えるように座り直し、オッサンの目を見て話しかけた。
「おやっさん。実は相談というかお願いがあるんですが」
「なんだ?言っておくが娘はやらんぞ。そういう要求なら今すぐ殺す。理由は関係なくな」
おっさんの目が、人を殺す時のそれに変わっていた。
その迫力といえば、ゴゴゴ…という効果音までついてきそうな程だ。
娘を大切に想っていることは重々と伝わってきたのだが、ちょっと重症すぎやしないかと思う。
あの少女に惚れている男はさぞ苦労するだろうと思い、少年の方へ視線を向けた。
「な、なんだよ…」
「…」
勝手な邪推かもしれないが…少年よ。
ぜひこのオッサンをパパとするべく、これからも頑張って欲しい。
…いかんいかん。
そんなことはさておき、はやく本題に入らなければ。
「決してそのようなお願いではありません。安心してください」
「それならいい。で、なんだ?」
俺は椅子から立ち上がって、オッサンに宣言した。
「俺をここで働かせて下さい!」
「は?」
そこにいる皆の視線が、こいつ突然何言ってんだ?という空気を醸し出しているのを感じる。
我ながらそりゃそうだろうと思うが、ここはなりふり構っている場合ではないのだ。
「働くっておめえ…そりゃどういうことだよ」
「文字通りの意味です。実は私、記憶喪失中でして。身寄りもなにもわかったもんじゃありません。なので、この先なにをどうしたもんかと考えた結果、ここで働かせて欲しいということに辿りついたわけです」
あえて、どストレートに思っている事を口にする俺。
「なるほどな。まあ、ちょうど人を探していたところではあるが…」
しめた。感触は悪くないか?
アインからの手紙でその辺の事情も把握済みだ。
「でしたら…」
「まて」
オッサンの眼光が鋭く光り、まるで身体からオーラが発せられ、俺を支配する感覚があった。
そのあまりの威圧感にたじろいでしまいそうになったが、ここで負けてはいけない。
必死に自分に言い聞かせ、態度を表に出さないように抗っていた。
「…ほう。根性だけはあるみてぇだな。大抵の奴はここでビビっちまって話にならねぇやつばっかりでな」
「…」
「で、おまえさんは何ができる?ここでの仕事となりゃあ、飯を作ったり、雑用が大半だ。その辺の心得はあんのかよ」
「一切ないです」
「は?」
オッサンの目が点になる。
これは一種の賭けに近いが、正直に言うことが一番いいのではないかというのが、俺の下した決断だった。
もちろん、独身男性の嗜みとして、向こうの世界で一通りの家事は経験している。
だが、恐らくこっちには洗濯機や掃除機も、ましてや便利な料理機器など一切ないだろう。
その意味では、初めて覚えることがあまりに多いことは容易に想像できる。
この場合、たとえ嘘を付いて雇ってもらえたとしても、オッサンはそれをすぐに見破るだろう。
その後どうなるかなんてことは…想像しただけで恐ろしい。
そんなリスクを負うよりは、正真正銘ド直球で事に臨んでいた俺である。
とにかく、この場合は気持ちが大事だ。
そして次の瞬間、俺は気持ちが高まりすぎた結果、ジャンピング土下座をかましていたのだった。
「お願いします!気持ちだけは本気ですので、早くものになるよう、精一杯やります!」
頭を地面につけたまま、叫ぶように訴える俺。
性格上、不器用な事しかできないことはわかりきっている。
というか、頭が悪いためいい方法などこれっぽっちも考えつかないだけなのだが。
「…」
オッサンはしばらく黙ったままだった。
俺の方も俺の方で、意地でも認めてもらうまでこの姿勢を崩すものかといった心意気だった。
「お父さん。私からもお願いします」
「オッサン、俺からも頼むぜ」
二人の声が聴こえてくる。
ううっ、なんていい奴らなんだ。
涙腺が緩んでしまう。
それからしばらく沈黙があたりを包みこんでいたが、ついにオッサンがその静寂を破った。
「よし、採用だ」
「ほ、ほんとですか!」
あまりの喜びに、俺は飛び上がる思いだった。
というか実際飛び跳ねてリアクションしていた。
「…ただし、条件がある」
その一言で、場の空気がまた引き締まる思いがした。
俺は、ここからさらなる試練があるのかと身構え、緊張した面持ちで聞き返す。
「な、なんでしょうか?」
「娘にちょっかい出したら殺す」
「あっ、それは大丈夫です」
俺は、なんだそんな事かと正直拍子抜けしてしまう。
しかし、オッサンは本気も本気のようで、更に言葉を重ねたのだった。
「本当だろうな?」
その一言一言に込められた想いが重い。
端的に言うと、殺意しか感じられない。
俺といえば、先程までの強がりっぷりは何処に行ったのか、恐怖で震え上がっていた。
僕はまだ死にたくないのです。