新しい朝
彼女が再び意識を無くしてから、何時間か経過していた。
辺りが明るくなってきたのを見ると、どうやらとうに夜は越えたようだった。
ずっと彼女の経過を看てきて気づいたことがある。
昨夜に比べてだいぶ顔色も良くなっており、明らかに安らかな表情に変わってきている。
この調子ならば最悪の事態は免れたのかもしれない。
とはいえ俺にできることといえば、相変わらず点滴のように少しづつ水分を補給してもらう事くらいだ。
そんな効果があるかもわからない行為を辛抱強く続けていた俺は、次第に彼女が小さく呻き声を上げたり、指先を微弱ながらに動かし始めたことで、再び意識を取り戻してくれるかもしれないという淡い期待を抱き始めていた。
その後も時間の経過と共に自分自身の疲労と睡魔にも必死に抗っていた、そんな時の事だった。
「…うーん」
彼女は今までより一際大きい声を上げた。
そしてそれを皮切りにしたように、まるで時間の感覚が平べったく感じるくらい、ゆっくりと瞳を開けていく彼女。
俺は息を呑むようにその姿を見守っていた。
その視線が、徐々に俺と重なっていく。
「…」
「調子はどうだ?俺の声が聴こえてるか?」
「…きこえる」
彼女は、はっきりとそれだけ答えた。
その以前より力を感じさせる返答に、少しだけ安心する。
「身体は動かせそうか?」
「あんまり」
「そっか。まあ少しづつ良くなっていくだろ。とりあえず…」
ここで心に余裕が出てきたことで、現在進行系で起きている重大な事実に気づいた。
俺ってば、勢いで彼女に膝枕しちゃっている。
一般的に膝枕というのは、柔らかな太ももに首を預けるというものになることだろう。
だが俺の太ももなど、ゴツゴツしていてイマイチに違いない。
さらに問題なのは、この顔と顔の位置。
これは非常にマズイですねと、俺の中で赤いサイレンが危険信号を鳴らしていた。
「えっと!これはですね!少しでも頭を上げていた方が良いのではないかと!あと!自然と顔の位置が近くなってしまったのも、仕方なくなんだ!」
俺は身振り手振りに合わせて慌てふためいていた。
精神年齢はいいオッサンのくせに、こういった事に関しては経験値が少なすぎる俺であった。
しかし、彼女はそんな俺の様子など一切気にしている様子は見せない。
これはセーフと受け取ってもいいんでしょうかと勝手に安心しかけていた俺であったが、そんな俺をよそに、彼女は無表情の中にもなにか真剣な様子で俺に話しかけてきた。
「なぜ助けた?」
場の空気が一瞬にして引き締まった気がした。
その疑問は、持って当然の事だと感じる。
何故ならあんなことまでして自分で自分を追い詰めていたのに、結果として俺みたいな奴に邪魔をされたわけだったからだ。
やはりというか、彼女にとってはそれが一番の問題だったのだろう。
「理由が必要なのか」
「…」
彼女は答えようとはしなかった。
そんな様子をよそに、俺は言葉を続ける。
「…そうだな。言っておくが大層な理由じゃない。自分の為だよ。あそこで君を見捨てるなんてことしてみろ。俺は生きている間、その事を一生後悔して楽しく生きられないと思う」
「…」
「ウチの母ちゃんの口癖で、「人生は楽しむもんだ」ってのがあるんだが、きっとそれに強く影響を受けているんだろうな。なにせ俺の一番尊敬する人といえば、何を隠そう母ちゃんだし。もし俺が違う価値観を持った人間だったら、君のことも平気で見捨てる人間だったかもしれない」
「…へんなの」
「やっぱそうかな、はは」
彼女の表情は、相変わらず無表情のままだ。
しかし、心なしか先程までの雰囲気が少し和らいだ気がした。
こんな話で彼女の受けた痛みや苦しみが取り除けるなんて、そんな簡単な話ではないのは分かっている。
しかし、それでも。
せっかく生きているんだから、楽しまなくちゃもったいない。
それをなんとかして伝えたいと強く感じていた。
「さて、話も区切りがついたとこで、これからどうす…」
ぐーーーーっ……
突然、俺の話を遮るように響き渡る腹の音。
それは、教会のこの広さにして、辺り一面に響き渡るくらいには豪快な音色だった。
この音は俺のものでは決してない。
となれば、誰のものかは明白だった。
「お腹減った」
「だろうね」
俺は自分でも驚くスピードで即答していたのだった。