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『住んでる世界が違う』と言われている御影さんは俺の隣の部屋に住んでいる

作者: バルサミ子

リハビリがてら。

『住んでる世界が違う』


 それが御影遥を見た人間がまず最初に抱くであろう印象だ。


 同世代の女子より頭一つ背が高い。

 中学生にして既に170cmを超えている。

 それでいて整った顔は他の女子よりも小さい。

 制服の裾から覗く手足は白くて細い。

 ──細胞単位で普通の部分がない。

 

 あまりにも完璧過ぎるが故に人は憧れよりも先にある種の恐怖を抱く。

 そして畏敬の念を持って「住んでる世界が違う」と結論を出すのだ。


 その気持ちは俺も分からないでもない。

 でもなぁ……


「蓮、どうかした?」

「いや、別に……」


 俺の部屋のベッドに寝転がりながら漫画を読んでる遥は、どこからどう見ても体だけ先に成長してしまったクソガキにしか見えない。

 それは俺が斜に構えてるから、とかそういうわけではない。

 だって、住んでる世界が違うと言われている遥は小さい頃からずっとアパートの隣の部屋に住んでいる同い年のお隣さんなんだから。

 今日だって、放課後すぐに


「入れろー、ポテチ持ってきたぞー」


 ベランダ伝いにやってきた遥が窓をドンドンと叩いて俺の部屋に転がり込んできた。

 もはや玄関を通ってくることすら面倒だと考えているのか、ここ数年はずっとこの調子だ。

 俺の家族も慣れたもので、いつの間にか遥が家に居てもツッコミもしない。

 我が水瀬家にとって遥がいることは、もはや日常風景みたいなものだ。


 ほんの一、二年前までは逆もまた然りだったのだが……さすがに中学生、思春期の男子が女子の部屋に転がり込むのはさすがに外聞が悪いし、俺にも恥じらいがある──ということで、ここ最近ベランダは遥専用の通り道となっている。


 じゃあ女子が男子の部屋に毎日のように転がり込むのはいいのか、と問われれば言葉に詰まる。

 俺もさりげなーく、たしなめたりしているのだが「誰も見てないから大丈夫」と聞く耳を持ってもらえない。

 そのことについてはもう諦めた。

 遥が気にしていないならいいか、と無理やり自分を納得させて。


「見てよ、蓮」

「ん~?」

「ほらこれ、アヒル」

「……」


 振り返るとポテチ二枚をアヒル口みたいに咥えて、目元を綻ばせた遥

 はぁ~、と大きくため息を一つ。


 呆れた。

 そんなくだらないことのために宿題を黙々とやっていた俺の手を止めたことに。

 そして、仮にも男子と二人、同じ部屋にいるのに完全に油断しきっていることに。

 こっちは微妙に気まずさを感じてるっていうのにさぁ……。


「あのさ、俺今宿題やってんの」

「知ってる」

「分かってるなら邪魔しないでくれ……」

「私と宿題、どっちが大事なの?」

「宿題。遥も早いとこ終わらせろよ」

「大丈夫、蓮が見せてくれるから」

「見せません」

「お・ね・が・い」


 甘ったるい声と瞳を潤ませた上目遣い。

 これだけで、耐性のない中学生男子はイチコロだろう。

 人によっては「有り金全部よこせ」と言われても差し出してしまいそうになる──そんな破壊力抜群の表情。

 自分の表情がどれだけの魔性を秘めているのか、そろそろ自覚してほしいところだ。

 見慣れているはずの俺でも思わずドキっとしてしまうんだから。


 それでも俺は屈しない。

 大体、この程度でイチイチ顔に出していては、御影遥の幼馴染なんてやっていけない。

 俺は縋るような視線に真っ向から冷めた視線を送り返す。


 数秒の後、先に根負けしたのは遥だった。


「ちぇー」


 とわざとらしく舌打ちして、


「ちゃんとやるってば」


 子供っぽく頬を膨らませてイジけたような顔をする。


 見た目の大人っぽさに対して子供っぽい言動。

 そのギャップが妙な色香を放つのが余計にタチが悪い。


 飴細工のように繊細で、今にも壊れてしまいそうな──蛹が蝶に羽化して羽ばたいていく直前のような。

 刹那的な美しさがそこにはあった。


 不意を突かれてつい表情に出してしまいそうになるが、俺はそれを再び教科書に向けることで回避した。


 パリ……


 一体いつの間にこうなってしまったんだろうか。

 小学校五年生くらいの時までは俺とほとんど変わらない背丈で、近所の公園で虫取り網を担いで走り回ってるような……どちらかと言えば男子扱いされるような……そんなやつだったのに。


 バリバリ……。


 夏休みの帰省から帰ってきたら急にびっくりするくらい背が伸び始めて、それからタケノコみたいにあれよあれよと背が伸びて、発育も良くなって出るとこが出始めて……。

 中学に上がるころにはもう「住んでる世界が違う」なんて言われるような美少女になって。

 俺はそれよりも前からずっと……。


 パリポリ……。


「あ、やば」


 本当にどうしてなんだろうな。

 俺を置いて見た目だけ先に大人になりやがって──。


「って、おい」


 人が感傷に浸っている時にバリバリバリバリ、ポテチを食い散らかしやがって。

 「あ、やば」って、明らかベッドの上にポテチこぼしただろ、今。


 振り返ると、案の定だった。

 残り少なくなったポテチの袋を傾けて食べようとしていた遥が、失敗して俺のベッドをポテチまみれにしていた。

 はしたない食べ方するなよ……。


「てへっ」


 頭を手で小突いて、誤魔化すように笑う遥。

 カワイイ……じゃなくて何してくれてるんだ、マジで。

 俺のベッドをコンソメ味にする気かよ。

 ていうか、ポテチ食べた手で漫画触ってないよな、おい。


「あのさぁ……」

「あはは……ごめん。掃除機、持ってくるから」

「頼むって……朝起きたらコンソメ味になってるの嫌だからな」

「いいじゃん、美味しそう」

「よくない、ほらさっさと持って来いって」

「はーい」


 ニシシと笑う遥からは反省の色は見られない。

 それでも服についたポテチの粉をパッパと払って、立ち上がった。


 少し小さくて薄いTシャツにショートパンツ、遥のお気に入りの服装。

 シンプルが故に素材の良さが際立っている。

 長い手足を揺らしながら、掃除機を取りに部屋を出て行った。



 散らばったポテチの掃除を終えた遥が再び部屋を出ていく。

 一瞬の静寂、今のうちにちょっとでも宿題を進めておかないと──


 ドンドンドン。


 ですよね。

 遥がいる時に勉強しようなんていうのがそもそも間違っている。

 だからといって手持ち無沙汰になれば、たちまち遥に絡まれてしまうから……仕方なく手を動かそうとしているだけなのだ。

 別に好きで勉強しているわけではない。

 照れ隠し……みたいなものだ。


「蓮、ちょっと開けてー」

「分かったから足でドアを蹴るな! 行儀悪い」

「手、塞がってるから」

「一旦置くとかできるだろ!?」

「めんどくさーい」


 はぁ……。

 仕方なくドアを開けると、ニマっとした笑みを浮かべた遥。

 その両手はこんもり大量のお菓子と、なみなみとジュースが注がれたコップの乗ったお盆で塞がっていた。

 ……どうやら母さんがまた遥を甘やかしているらしい。

 

 子供が俺しかいない我が家にとって昔から女の子である遥はちょっとしたアイドルみたいな存在なのだ。

 事あるごとに甘やかし、遥をつけあがらせている。

 そのせいでこんなにワガママに育ってしまった。


「今度はこぼすなよ……」

「大丈夫、もらってきたから。ウェットティッシュ」

「頼むぞほんと」


 ジュースとお菓子を受け取って、俺は再び教科書に視線を戻した。


「……」

「…………」


 無言の時間が続く。

遥は多分また漫画を読んでいるんだろう──俺のベッドで寝転んで。

 カッカッと俺がペンを走らせる音と、遥が漫画のページをめくる音だけが部屋に響き渡る。


 数分が経つと遥は次第に飽きてきたのか、ペラペラとページをめくる音が早くなり始めた。

 ゴロゴロと人のベッドで寝返りをうつ音がやかましい。


 それからすぐにギシッと大きく軋んだ音が背後で響く。

 そして、立ち上がったらしい遥の気配が俺のすぐ後ろで止まった。

 どうやら長身を活かして斜め後ろから俺のノートを覗き込んでいるらしい。


「あ、分かんなかったやつだ。それ」


 吐息がかかるほど近い距離で耳をくすぐるように遥がボソリと呟く。

 言葉と共に俺の肩へと手を乗せて、ノートを覗き込んできやがった。

 俺の顔のすぐ横に顔を寄せて。


「……重い」

「えー、重くないもん」


 そう言いながらも肩にかかる力がフッと小さくなった。

 ……ちょっとデリカシーがない言葉だったかもしれない。

 縦に伸びるばかりで、ほっそりとした遥には縁遠い言葉だったとはいえ。


「ね、教えてよ。そこ」

「じゃ、そこじゃなくて横に来いよ」

「はーい」


 わずか一歩で俺の横にまわった遥が、改めて教科書を覗き込んできた。


「……ッ!?」


 背の高い遥が机を覗き込むためには当然前かがみになる必要がある。

 そうなれば薄いシャツは重力に従って首元に大きな隙間を作ることになる。

その結果、無防備な隙間からは必然的に見えてしまう──谷間とか。


「……?」


 不自然に目を逸らした俺の様子を不審に思ったのか視界の端で遥が怪訝そうな顔をする。

 そして数舜の後に何が俺をそうさせたのかを理解して──


「蓮のえっち」


 恥じらい二割、してやったり八割の得意げで嗜虐的な表情を浮かべるのだ。

 いくら数年前まで一緒にお風呂に入っていた間柄とはいえ、今はそういう恥じらいのない関係ではいられない。

 俺も無表情でやり過ごせるほど子供ではなかった。

 中学三年生、立派な思春期の男子──大人と子供の間。


 俺は顔を赤くしながらも呆れたような表情を作って、大人な部分を絞り出して不用意さをたしなめる。


「遥、もうちょっと気を付けろよ……いろいろと」

「大丈夫、蓮の前だけだから」


 そんな俺の気遣いを遥は何事も無かったかのように、舌をペロっと出して小さく悪戯な笑みを浮かべてやりすごすのだ。

 このくらいなんてことないよ? とでも言いたげな表情で。


 でも知っている。

 遥が恥ずかしがっている時は、まるで体の中の熱を逃がすかのように舌で上唇を触る癖があることを。


 そう言ってからも遥はしばらく同じ仕草を繰り返していた。


 そのさりげない仕草から子供のままの精神が大人の体に追いついていく気配を俺は敏感に感じ取っていた。


 ……きっといつか、遠くない将来。

遥は名前の通り遥か先に行ってしまうんじゃないかと、「住んでる世界が違う」人間になってしまう、そんな確信にも近い予感がする。


 この関係がいつまで続くのかも分からない。

 急に恥じらいを覚えた遥が、ベランダを通って俺の部屋にやってくることが無くなる日がきっと来る。

 中学を卒業するまで? 高校に入ってから?

 いつまでかは分からないけど、まだしばらくは続くんだと、そう思っていた。



★ ☆ ★



 夏休みに入ってすぐのある日。

 いつものように俺の部屋で寝転んでいた遥が、サラリと口にした。


「パパが転勤することになったんだ。海外に」

「え……」


 何でもないことのように。

 でも俺にとっては衝撃的な言葉。

 首がねじ曲がりそうになるほどの勢いで振り返る。


「ママもついて行くんだって」

「じゃあ……」

「だからこれからちょっと忙しくなるかも」


 漫画を変わらずにペラペラとめくりながら遥。

 

──じゃあ、遥も?


 冷房は二十八度。

 ちょっと涼しいくらいの温度なのに、体の芯が重く冷たくなっていく。

 冷たさはジワジワと体の端々へと広がって、ペンを持つ手の握力を奪っていった。 

 手が震えて……ペンを手放してしまう。


 引っ越すって……そんな急に言われても。

 いやでも、まだずっと先の話かもしれない。

 淡い希望を持って、いつ引っ越すのかと祈るように尋ねてみる。


「お盆明けくらいかな? 急に決まったから時間なくてさ」

「そんな……すぐに?」

「うん、大変だよね」


 そんな他人事みたいに……。

 両親が海外に行くってことは必然的に遥も──


 嫌だ。


 いつか「住んでる世界が違う」と言われるように、俺みたいな凡人に手の届かない遠い存在になるにしても物理的な距離まで離れてしまうなんて。


 せめて、見届けたい。

 大人になって、蛹が蝶に羽化するように羽ばたいていく遥の姿を。

 その隣に俺がいなくとも。


 なのに……満足に遠くへと旅立っていく遥を見送ることもできないなんて。

 こんな呆気ない幕切れ──残酷な形で。


「──嫌だ」


 心の声が口から漏れる。

 擦れた声。

 ほとんど息交じりの声が密やかに空気を揺らす、それは俺の耳にわずかに届く程度。

 それでも一度口に出してしまったら言葉はもう理性では止められなかった。


「……嫌だよ」


──そんなサラっと言われて割り切れるはずない。


「遥と離れ離れになるなんて嫌だよ」


──だって俺は。


「だって……俺、遥のことが好きだから」


──だから。


「行かないで……」


 ツーっと目から溢れた想いが俺の頬を湿らせる。

 わずかに塩気のある暖かい想いが口元に届く。



 不意に零れた雫を拭う。

 自分がどれだけ子供っぽい駄々をこねているのかに気が付いて。


 くるべき時がきた、ただそれだけのことなのに。

「住んでる世界が違う」彼女が然るべき場所に旅立っていくだけなのに。


 でも嫌なものは嫌だ。

 割り切れるほど俺は大人になり切れていない。


 恥ずかしさで目を伏せた俺の頭にポンと手が乗せられた。

 冷たくて優しい、長い指が俺の頭をわしゃわしゃと撫でてくる。


「えーとさ」


 どこか気まずそうな、遥の声。


「ごめんね」


 その言葉には二重の意味が込められているんだろうな、と理解した。

 いや、そう理解したつもりだったんだけど──


「騙しちゃった、蓮のこと」

「……え?」


 顔を上げれば、居心地の悪そうに──それでいて耳まで真っ赤にした遥がいた。


──騙した?


 言葉を反芻してみて、初めて意味を理解する。

 つまり? これは? いわゆる? ドッキリ的なやつだったってこと?


 そう考えると急に体に熱が戻ってきた。

 今度は羞恥と怒りで血が滾るくらいにカーッと熱い。


「あのね……パパとママが海外に引っ越すのは本当だよ」

「じゃあ、それなら……」


 当然、遥もついていくものだと思っていた。


「でも私はここに残る、よ? 蓮くんの家族にお世話になることになったから」

「へ?」


 我ながらマヌケた声だ。

 風船がぷしゅ~と萎んでいくような、そんな緊張感からの解放。


「だから、夏休み明けからもずっと一緒、だよ?」

「あのさぁ……」


 全身から力が抜けて俺はへたり込んだ。

 こいつは本当に……


 怒りや羞恥心は安堵感で塗り替えられていた。

 もはや怒る気力もない……。


 落ち着いた俺を見て、ほっとしたように頭から手を離した。

 そして、顔を意地悪くニマーっと歪めるのだ。


「それにしてもさ」

「うん?」

「蓮は私のこと、好きだったんだー。そっかー」


 ニマニマと獲物を狩るのを楽しむような目。

 ……忘れていた。

 俺が衝動的に遥に告白してしまっていたんだった。

 どさくさに紛れて「好きだ」と本人の目の前で秘めた想いを口にしてしまっていた。


「ああ、そうだよ。めちゃくちゃ好きだよ」


 こうなったらもう開き直る以外に選択肢はない。

 やられっぱなしは性に合わなかった。


「……へ~、どのへん、が?」

 

 言葉を詰まらせた遥の表情にはわずかな綻び。


「子供っぽいけど、素直なとこ。照れ隠しが下手くそなところ。あとは──」

「ちょっストップ! もう分かったから!」


 みるみるうちに遥の顔が赤くなっていく。

 その好機を見逃す俺ではない。

 普段ドキドキさせられっぱなしの分、やり返してやる。


「そうやって普段は攻めっ気が強いのに、受けにまわると弱いところ」

「もう、わかったから!」


 たまらず瞳を潤ませた遥が両手で俺の口を塞ごうとしてきた。

 俺はその手をガッチリと掴んで、今度は逆に顔を近づける。


「じゃあ次は遥の番。俺のこと、どう思ってんの?」

「……」


 目を伏せて口を腕にうずめながら、くぐもった声で呟いた。


「……好き、私も」


 顔を限界まで真っ赤に染めて言葉にした遥の表情は等身大の少女のものだった。

「住んでる世界が違う」と言われている遥の、俺だけしか知らない等身大の表情。


「蓮のイジワル、バカっ!」


 涙目になって頬を膨らませる遥を見て思った。

 まだ当分は別世界に羽ばたいていくこともないだろうな、と。


励みになりますので、ブラバ前に下の★★★★★から評価していただけると嬉しいです。


追記 新作短編を投稿しましたので、下のリンクから合わせて読んでいただけると喜びます。

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― 新着の感想 ―
[一言] 遥ちゃんもだけど蓮くんもめっちゃ可愛い…! 行かないでって言うシーンでキュンときちゃいましたw
[良い点] すっぱーーーー!
[良い点] 好きぃ〜
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