見届ける者
殺した侍女の死体は執事によって片付けられた。
最初、マリーから侍女を殺した事を告げられた執事は僅かに困惑の色を見せた。
しかし、すぐに彼は冷静さを取り戻し、侍女の死体を片付けた。
朝が来るまでに室内の血も拭き取られ、元の状態になっていた。
いつも通り、マリーは紅茶を口にしていた。
新しい侍女が淹れた茶はいつもと味が変わっていた。
「なるほど・・・惜しい事をしたわ」
新しい侍女を眺めながら、マリーはそう呟く。その呟きに侍女は困惑した表情を見せる。
侍女の一人が行方不明になったぐらいで誰も騒がない。
マリーは知っているのだ。この城の使用人の多くが身寄りの無い者ばかりだと。
侍女は孤児から育てられている。
執事のマイヤーも騎士であり軍人でもあったが、妻も子どもも居ない身だ。
マリーの日課は身体を鍛える事にある。
貴族の女としては珍しいとも言える。だが、マリーは物心ついた頃から解っている事があった。
将来、自分は殺されるだろう。
自分がこの城に幽閉されている時点で必要な時に自分は殺されると・・・今はただ、生かされているだけだと解っていた。
愚かしい事に自分の命は他の誰かが握っているのだ。
この小さな自分だけの世界でどれだけ偉ぶったとしても、いつかは絶対的な力によって、命が奪われる。
最初、それは怖れでしかなかった。
だが、その怖れから逃げるように勉学に励み、身体を鍛え、成長をする中で、一つの自信が芽生えた。
自分は誰かに何かを左右されるような小さな存在でなければ、怯える事も無くなるのだと。
それからだ。彼女は神への崇拝を止めた。
神の僕である内は自分はどこまでも小さい存在でしか無い。
神
自分が他人の命さえも自由に出来る存在になればいい。
自分が神になる事を望んだ。
そして、彼女は侍女を殺した。
真っ赤な血が白い首筋を流れ、大理石の床を染めていく。
さっきまで生きていた者が冷たくなっていく。
瞳は虚空を見つめるだけで精気を失っていた。
マリーはその瞬間、神になったと感じた。
自らが奪った命を噛み締めるように床に転がる亡骸を暫くの間、眺めた。
窓から月明かりが入り込み、青白く照らす。
転がった亡骸はどこか美しく、清らかに思えた。
マリーは動き易い服装に着替え、城の周囲を走る。
兵士のように鍛錬をする姿は誰の目にも姫とは思えなかった。だが、彼女は徹底的に自分に厳しかった。それ故に体は引き締まっている。
走り終えたマリーは射撃場へと向かった。
そこには射撃の指導を行う為、マイヤーが居た。
「姫様、どうぞ」
彼は汗を拭きとるタオルを姫に渡す。
「ご苦労・・・それより、要望しておいた物は届いたかしら?」
マリーの問い掛けにマイヤーは机の上に置かれた豪奢な装丁のされた箱を手に取る。
「こちらになります」
「そう」
マリーは箱の蓋を開いた。中は真っ赤なビロードが敷き詰められ、その上に金色の蔦が絡まったような飾りが施されたモーゼルC96自動拳銃があった。
「注文通りね。蔦の絡まった拳銃・・・良い出来だわ」
マリーは銃を手に取り、眺める。
「一流の彫刻師に頼みましたので」
マイヤーの言葉はマリーには聞こえてないようだった。
「すぐに試射をするわ。クリップに弾を」
「すでに」
射撃場の射撃台にはクリップに装着された銃弾が5本が置かれていた。
マリーは銃の後端にあるボルトを引っ張り、ボルトオープン状態でストップさせる。
銃弾が纏められたクリップを手に取り、開きっ放しになっている排莢口にクリップの先端を刺し込み、固定する。そして、纏められた銃弾の一番上の銃弾を親指で一気に排莢口へと押し込む。
全ての銃弾が銃の中に納まってから、クリップを抜き取るとボルトが前進して、排莢口が塞がれた。
ボルトが後退した時に倒れたままになっているハンマー。それが暴発しないように安全装置が掛けられている。
マリーは慣れた様子で銃口を的に向ける。今まで使っていた回転式拳銃に比べて、重たいのか、片手で構えるには腕が振るえそうになる。親指でハンマーの脇にあるセーフティレバーを倒す。そして、引金に指を掛けた。
狙いを定め、指を引く。
甲高い銃声が響き渡り、腕に強烈な反動が襲う。幸いにも銃自体の重さがある為、腕が大きく振られる事は無かった。だが、それでも今までのパーカッション式の回転式拳銃に比べて、遥かに強烈な反動であった。
「当たらなかったわね」
マリーは冷静に25メートル先の木の的を眺めた。同じように見ているマイヤーもそれは承知していた。
「まだ、慣れておりませぬ故。しかし、的の左側30センチ程度ですので、すぐに当たるようになります」
「世辞は要らないわ。道具は使う者の技量次第よ。当たらないなら、私が下手なだけよ」
マリーはそう言うと、再び構え直す。そうして、用意された銃弾を全て、撃ち尽くした。
射撃が終わり、銃の分解整備も自ら行う。
マリーは自らが使う道具に対して、完璧を求める癖がある。
剣やナイフも少しでも鈍れば、すぐに研ぐし、弓の弦もすぐに張り直す。
服も大抵は一度、着ると捨ててしまう。
潔癖で完全主義者なのかと思わせる側面を時折、見せる。しかしながら、それは間近に仕えるマイヤーだけが知る事であり、彼は敢えて、それを本人に確認した事は無い。
マイヤーがマリーの執事として任命されたのは普墺戦争で負傷し、足を悪くして、軍人を辞めてから数年の後の話であった。戦争の功労者でもあった彼だが、僅かな報奨金で貧しい生活を営むしか無かったところを救い出されるように命じられた。
最初は無骨な自分には似合わないと思った仕事だが、幼きマリーの傍に居て、その不遇な立場の姫に傾倒していく事になった。それは忠義なのか憐みなのか。どちらとも言えない事であったが、結果的にマリーがどれだけ狂気に走ろうとそれを手助けする事が彼の使命となっていた。
故にマリーが侍女を殺害した事にそれほど、驚きは無かった。
遅かれ早かれ、いつか起きる事だと思っていた。
殺された侍女には可哀想な事をしたと思うが、この城に居るのだから、やがて来る未来が早く来ただけに過ぎないと思った。
マイヤーは真剣な表情で銃の整備をするマリーをただ、目を細くして眺めているだけだった。