表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
化物屋 蝶々  作者: 蝶々
4/5

菊 其の二

 がちゃり、という大きな音に、菊は思わず首を竦めた。

 思っていたより重い音に自分の手から地面に目を移すと、藍や朱が粉々に砕けて広がっている。

「良かった」

 僅かな灯りを受けてきらきらと光る破片に、ほっと胸を撫で下ろした。

 欠片の中でも大きめの物を広い、丁寧に畳んだ紙の上に置く。

 お家へ宛てた、短い謝罪と感謝をしたためた。

 あの男へは、何も書かなかった。

 しんと冷たい石に手を掛ける。

 ふと、目の端に椿の生け垣が映った。

 毎年、この季節になると白い花を咲かせていた。

「貴方ともお別れね」

 たぶん他の誰かが世話を代わってくれるだろう。

 井戸の中は暗く、何の音もしていなかった。

 波紋だけが静かに広がっている。

 そこに吸い込まれる様に。

 身体が軽くなった

 そんな気がした

 水の音だけが

 良く聞こえた


 ねぇ、聞きました

 あら、知りませんか

 お菊ちゃんがね、とうとう出たんですよ

 出た、って決まっているでしょう

 化けて出てきたんですよ

 青山様のお屋敷に仕えていたお菊ちゃんが

 ほら、確かお皿を割った事を苦にして亡くなったでしょう

 家宝の、十枚で一組っていうお皿の一枚を

 えぇ、こう、身を投げたっていう井戸の傍に立って

 恨めしそうに数えるんですって

 一枚、二枚...って

 でも最後の一枚は無いでしょう

 それで

 一枚足りない、恨めしや、って言って

 また井戸に飛び降りる

 慌てて覗いても、何も無いんですって

 不思議な事も、あったものですよねぇ


 巷では真密やかにとある噂が流れた。

 お旗本、青山播磨宅の庭の井戸に

 自害した筈の腰元のお菊が夜な夜な現れる。

 それは恨めし気に井戸の縁に立って

 一枚、二枚、と皿を数える と聞く。

 あれ恐ろしや。

 まさか。

 菊は自害では無く

 青山が殺したか

 そんな筈は無い

 ならば

 何故、お菊は言う。

 恨めしや播磨様、と

 何て恐ろしいことよ

 何を恨むか

 何故恨むか

 皿数えのお菊

 

 見事な満月が出たその夜。

 仄かな光が、道々に建ち並ぶ武家屋敷の陰を静かに落としている。

 その中を行く陰が二つあった。

 一人はこの屋敷の一つに住まう新造、もう一人はその付き人の腰元であった。

 自分の屋敷までの帰路を急く新造達は、少しでも近道となる路地を選んでは入り組んだそれを進んでいった。

 やがて、あの角を曲がればもう少しという所で、

 腰元の足が止まった。

「どうかしましたか」

 訝しむ主人に、年若い腰元は震える手で角の屋敷を示す。

「奥方様、あのお屋敷は」

 そこは、最近噂となっている屋敷。

 ここを通るのは止めましょう、と腰元は目に涙を浮かべる。

 新造はそんな娘を叱咤し、なるべく塀の向こうに気をやらない様急いで角を曲がった。

 その時だった。

「こんな夜道をご婦人が出歩いちゃぁ、危ないねぇなぁ」

 涼し気な声が、二人の足を止めた。

 あまりに唐突な事に腰元が小さな悲鳴を上げ、新造ははっと身を翻して声の主と対峙する。

 そこには、一人の男が立っていた。

 顔の上半分には陰が掛かっている為、形相は判らない。ただ、薄く笑った口元だけ月光が当たって、そこだけが浮き出て見えた。

 何奴、と問えば、男は腕を組みながら、怪しいものになりましょうか、と歌うように言った。

「戯れ言を申すで無い」

「戯れ言では御座いませんよ」

 怪しいものに御座います。男は笑った。得体の知れない空気を纏っている。

「御新造さんこそ、こんな刻に如何いたした」

「そなたには関わり無き事」

 違ぇねぇ、と男は小さく笑って、一歩前へ出る。右の眼が、淡い光の下に現れた。

 切れ長のその眼は、真っ直ぐ新造を捕らえる。

「御新造さんには、今の時分にここはちょいとばかし危ねぇ。早く他の道を探した方が良いですぜ」

 悪ぃ事は言わねぇ。つ、とその眼を細めて、男は言う。

 震える腰元を脇へ押し退け、新造も一歩前へと進み出る。

「私とて武家の妻女。己の身ぐらい、己で守れるわ」

 それに、と続く言葉を、涼し気な声が遮る。

「それでも、ここは危ねぇ」

「何故」

 ここには、男は後ろの屋敷を仰ぎ見る。

 その屋敷は、あの噂の

「化物、否、妖が出やる」

「そんなもの、居ぬわ」

「出るんでさ、本当に」

 でも。男は眼を閉じた。

「それも今宵で終わる」

 お行きなせぇ、と男は先程まで新造達が歩いていた方角を示す。

「二つ先の角を曲がれば、ここを目にする事も無いでしょうよ」

 眼だけをこちらに向けた男のその顔に、背筋を薄ら寒いものが走った気がした。

 今にも泣き出しそうな腰元の手を取って、新造は体裁も忘れて示され方角に無我夢中で走った。

 決して後ろを、あの男が居た方だけは振り返る事無く。


「そう、今宵で全て終わらせる」

 艶のある甘い声が呟く。

 駆けていくその背中を見送り、蝶々は再びその屋敷を仰ぎ見た。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ