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拝啓家族へ。  作者: 生田りょう
上書き
3/3

 静かに入ろうとしたのに、カランコロンと鐘の音が店内に響いた。綺麗な音色だった。次に、熱っていた全身が冷めていく感覚を覚える。夏場のこの感覚は嫌いじゃない。

 店内に、客さんは居なかった。そして、店員さんも見当たらない。

ーーもしかして営業時間外?

 それを知らせる看板を見落としてしまったのか。もう一度、外に出て確認しようと取手に手を掛けるが、キッチンの奥から微かに食器の当たる音が聞こえた。良かった。ちゃんと営業中みたいだ。

「……凄い」

 改めて店内を見渡す。外観と同じように、雰囲気は抜群だった。入ってすぐ左側に、新聞や週刊誌などが銀色のラックに収納されている。そして、顔を右に振ると二人掛けの席が一つ。ここは、角だし人気そう。

「いらっしゃいませ」

 評論家ごっこをしていると、数歩先にある、U字(正確に言うとUの右側を取っ払った形)のカウンターから渋い声が聞こえた。まさにこのお店の主人にふさわしい。そんな声に出迎えられ、背筋が少し伸びた。

「お好きな席へどうぞ」

 白髪がこんなにも似合う男性と初めて出会った。笑顔と同じように柔らかい髪は、センターで分けられていて、こめかみを隠している。少しだけ髭が生えているが、不潔とは縁遠い。

「あ……はい」

--好きな席。

 これは、選択が中々難しい。カウンターには固定されている椅子が五つ並んでいる。U字の一番湾曲している所にレジが置かれていて、そのすぐ隣の右側のスペースからキッチンに入れる仕組みになっていた。

 重厚感のある茶色のカウンターは、とても艶やかでべっこう飴みたいだ。とても素敵だけど、初心者にはハードルが高すぎる。何より、親よりも年上であろう男性の前で、飲食するなんて僕には出来ない。色んな意味で緊張して、喉を潤すという本来の目的を果たす事も、ままならなくなるだろう。

--ここは、やめよう。

 次だ。固定椅子のすぐ後ろの通路を挟んで、左の方にはテーブル席が展開されている。壁側は赤色のソファがズドンと一直線に置かれていて、その前には机が並ぶ。そしてソファと同じ素材が使われているであろう、赤い座面と背面で構成されている一人用の椅子が六つ。

 一番奥は、四人席。ここはダメだ。僕は一人だし、座る権利が無い。

 その手前の席は、一見すると四人席に見える。でも、長細い机が二卓使われていて、メニューもそれぞれの机に一つずつ置かれている。という事は、僕が座っても問題がなさそうだ。二人席が並んでいるだけか。でもこれはプチ相席のようになるのだろうか。

 僕から一番近い最後のテーブル席も、一番奥と同じ仕様で完全なる四人席だ。

 となると僕に残れされた選択肢は二つ。プチ相席かすぐ右側にある角の席。ここは二人席だから、一人で座っても問題が無い。

--いや、ちょっと考えよう。

 常連の人がこの後来るとする。それはいつものルーティーンで、店主さんもその人が来る事が分かっている。あの角席が常連さんの席だとしたら、よそ者の僕が決まった輪の中へ勝手に入って、乱す事になる。

 それに僕が角席へ足を進めようとした瞬間に『あ、そこはちょっと』なんて言われたら、恥ずかしさで蒸発してしまう。さっきのペットボトルから落ちた水滴みたいに、跡形も無く消えれるなら問題は無い。でも実際には消えないし、残される気まずさとの戦いに絶対に負ける僕は、頼んだ物を一気に飲み干して十分足らずでお会計をする羽目になる。せっかく見つけたお宝だから、それは避けたい。

 なら、残された選択肢はただ一つ。テーブル席のど真ん中。二人席が隣り合っている、がっちゃんこされた席だ。

「お客様」

「へっ?」

「お好きな席で大丈夫ですよ」

 さっきとは違う、少し高めの声。笑われてしまった。僕は五十年後、こんな風になれるのだろうか。この人は、多分七十代くらいのはず。何となく、じいちゃんと同年代に見える。

「どうされました?」

「あ、いえ!す、すみません」

 頭で考え事をすると、本体が止まってしまう。僕の悪い癖だ。入り口でずっと突っ立っていて、今度は脳内推理ごっこを一人でしている客は、この店に合わない。雰囲気を壊している申し訳なさと、シンプルな恥ずかしさを込めた謝罪をして、あたかも入店した時から決めていた風を装い、先ほどようやく決めた席に座る。

 一人用の椅子ではなくソファに体重を預けた。ふかふかなのに、程よい固さ。何時間でも勉強出来そうだ。

「……」

 時計を見る。九時十五分。本来なら学校へ行っている時間で、ホームルームも終了して一限が始まっている時間。僕はあの硬い椅子ではなくて、この座り心地が最高のソファに舌鼓ならぬ、尻鼓を打っている。教科書じゃなくて使い古されたメニューを開いている。

 十七年間の中で、初めての純喫茶がどこか非日常的でテンションが上がっていた。でもお尻の感触と目の前のメニューを見て、後悔の念に飲み込まれる。テンションも少し下がった。

「お水です。お決まりになりましたら、お呼び下さい」

 自爆型自己嫌悪に陥っていると、白髪の店主さんがお水を持って来てくれた。ぱっちりとした、二重の綺麗な目だった。近くで見るとより一層ダンディだ。

「ありがとうございます」

 とりあえず、喉がカラカラなので水を一気に飲もう。湧き出て来た後悔も一緒に飲み込め。今日は、僕が、自分の意思でここに来ているんだ。

 後悔なんかしてたまるか。そんな思いを後押しするかの様にグラスを机の上に置くと、思ったよりも強かったみたいで店内に音が響いた。

「……すみません」

 店主さんと目がバッチリ合ってまた謝罪した。

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