平手政秀の回想
そろそろ戦争したい
いまから10年以上も前だった。
信長様が産まれその養育係として私は信秀様から任命された。
信長様は今まで見てきたどの赤子よりも早く立てるようになり歩くのも早かった。
私はとんでもない神童だと思った。
それからも信長様は病に倒れること無く大きく育っていった。
信長様が6歳になったとき、私はいよいよ武士の心得としての武芸や読み書きを教えた。
最初の年はとても真面目で恐ろしい速さで乗馬や読み書きを覚えていった。
だがそれからは今までの素直さが嘘の様に屋敷から抜け出しては下町で遊び呆けていた。連れ戻そうとしても逃げ回り何度も手を焼いた。
次第に織田家家中では信長様をうつけ者としての評判が大きくなり弟の信勝様を時期当主に押す声が大きくなった。
私は口酸っぱく叱ったが信長様はどこ吹く風のようで行動を新ためることは無かった。
転機が訪れたのは信長様が内政に携わるようになってからだった。
多くの改革を推し進め経済を復興させた。
家中でも信長様を見直すような声がちらほらあがった。
私はこれなら信長様は織田家の後を継げると思ったそんな時だった。
信長様は家臣の悪口を言うようになったのだその家臣の目の前で、更にある時弟の信勝様を宴会の席で殴ったのだこれには皆呆れ返りまた信勝を支持するものが大きくなった。
だがその時私は信勝様を殴った時の信長様の顔を見た、それは恐ろしい程無表情でただ淡々とやらなければいけない義務をこなす様な顔だった。
信秀様がお亡くなりになった。
後日葬式が行われ、家臣皆出席していた。
だが信長様だけいつまで待っても来なかった。
ようやく信長様が現れた時だった、その格好はヘンテコで葬儀に着るような格好では無かった。
そして信秀様の遺灰を掴みそれを投げたのだ。
信長様はそのまま自分の部屋へ行ってしまった。
それからは一気に信勝派の者たちが非難を浴びせとんでもない騒ぎになった。
最早こうなっては、信長様が家督を継げるかどうかも怪しい、こうなってしまったのもしっかり教育出来なかった私に責任がある。
私は信長様に遺書を書いた、部屋には誰もいない私は短刀を腹に突き刺し横に切り裂いた。
激痛が走る、今まで有難うございました信長様。