俺に幼馴染なんていない
「もぉ~まこ君どんだけ起こしてもなかなか起きてくれないんだからぁ。幼馴染が私だった事に感謝しないとね」
俺の名前は富芽真。今年の四月から高校生になったピカピカピチピチの一年生だ。そして、そんな俺の事をわざわざ家に上がってまで起こしにきてくれたこいつが俺の幼馴染。
「ほら、朝ごはん。ちゃっちゃと食べて一緒に学校行こ?」
テーブルの上には目玉焼きとトーストが湯気を立てていた。
なんと俺を起こすだけでは飽き足らず朝ごはんまでこしらえてくれていたのだ。朝はパン派の俺にとって、ご飯でないというのは地味に好ポイントだ。更には台所に二つのお弁当まで置いてあるのが見える。おそらくは俺とこいつの分の弁当だろう。
ここまで尽くしてくれる幼馴染いて、俺はなんて幸せ者なんだ。本当にあいつには感謝しなくっちゃな。
なんて言うのは全部嘘! 俺には幼馴染なんていません!
いいかい? 騙されてはいけないよ。さらっと自分の事を俺の幼馴染なんて言っているが、それは真っ赤な嘘。俺はあんな奴のこと一度も見たことない。
目の前でさも当然のように行われている行為は全て自称幼馴染の謎の侵入者の手によるものであり、完全にツッコミを入れるタイミングを見失った俺は、目の前で繰り広げられる一般的世話焼き幼馴染じみた行動の数々を黙って見守るしかなかった。
それに恐ろしい事にこの珍妙な行動は、かなり計画的に遂行されていると考えられる。
この家の住民は父、母、俺の三名しか居ないのだが、共働きで少なくとも朝の七時には両親は家を出てしまい、父はそのまま東京や大阪などを転々として、帰ってくるのは週末のみ。母は毎日帰ってくるものの、帰りはいつも十時ごろになる。そして俺はというと歩いて十五分、自転車でぶっ飛ばせば五分もかからない近場の高校に見事合格する事に成功して、余裕綽々の八時過ぎ起床をする事がもっぱらだ。つまり、両親が出て行った七時から俺の起床するまでの八時までの約一時間は、この家でアクティブな者はおらず、セキュリティレベルは著しく下がる。この女はどこからかそんな家庭事情を入手して今回の犯行に及んでいる。下調べはばっちしと言う訳だ。
「どうしたの? まこ君? どんなに忙しくたって、朝ごはんは食べなきゃいけないよ」
怖いなぁ。俺の事を馴れ馴れしくまこ君なんて呼ぶところが特に怖い。親にもそんな馴れ馴れしい呼び方された事ねぇーよ。
一体何が目的なんだ、この女。わざわざ家に侵入して俺を起こしているんだから、金銭目的という訳ではなさそうだ。それに女の身につけている制服は、俺の通っておる高校の制服だ。首元の青いリボンも、俺と同じく一年生である事を示している。
もしかしたら覚えていないだけで、本当に幼馴染という可能性はないか?そうでなくても名前だけでも聞き出せば、知っている人物である可能性もゼロではないはずだ。
「えっとさ、俺さ、朝になると局所的な記憶喪失になる持病を持ってるんだけど、その、名前、なんて言うんだっけ?」
とにかくこの意味不明な状況を理解できるものに変えたい一心で、クソみたいな嘘を吐いてしまった。女もあんまりだったと思ったのか、目を見開いて俺の顔をじっと見つめる。
「えぇー? 何それー? なんでそんなすぐバレるような嘘吐くの?」
お前も第一声に二秒でバレる嘘ついたけどな。
とりあえずこのままゴリ押せ。攻めることが今俺にできる最大の防御だ。
「マジで思い出せなくて。えっと、その」
「もおう。幼稚園からの幼馴染の名前忘れるとか……。霧舘鈴葉。どう? 思い出した?」
うん。知らん。
凄いなこいつ。何から何まで当然のように言ってやがるが、全てが無茶苦茶だ。俺には幼馴染なんていないし、霧舘鈴葉なんて奴は知らん。そして、幼稚園からのとかほざいてるが、俺は小学生の時一度転校してるからそれはない。
こちらの家庭事情は把握している所から考えるに、俺とその周囲については調べを入れているはずだ。それなのに、幼い頃からの腐れ縁で怠惰な俺を世話する幼馴染を演じようとするこいつは中々の剛の者だ。油断ならねぇ、隙を見せたらバッサリいかれるだろう。
しかし、俺だって伊達に修羅場をくぐり抜けてはいない。授業中バレずに携帯をいじる事なんて朝飯前の俺にかかれば、霧舘とかいう女に悟られる事なく百十番にかける事だって造作無い。悪いな。今回は俺の勝ちだ。
「ところで、携帯でどこにかけようとしてるの?」
やるねぇ、お嬢ちゃん。
さっきから心臓が鼓動を素早く刻むのをやめないのは、何もこの侵入者に恋をしているわけではない。何に使うかよくわからないが、さっきから手放さずにしっかりと握っている包丁のせいだ。
彼女の企みが全くわからんが、ここはとりあえず素直に相手に乗るのが無難か?何よりこんな可愛らしい幼馴染は望んだって手に入らないぞ。そうだ、前向きに捉えよう。
お目目はぱっちり大きくて、髪型は黒のボブ。胸は少々控えめだが大きければいいってものでもない。おっ、なんだ。冷静になってくると彼女、霧舘さんはかなり俺好みの美少女じゃないか。
いや、無理だな。冷静になればなるほど、幼馴染を演じる意味がわからないし、右手の刃物が恐ろしい物に見えてしまう。
怖いよ……怖いよぉ……。なんで幼馴染なんだよぉ……、少し拗らせちゃった系だとしても、普通に接近してきてくれよぉ。さすがに空想の幼馴染になりきるのはレベルが高すぎる。
「どうしたの? まこ君、さっきからなんかおかしいよ?」
おかしいのはお前じゃい。
もういい。ここはハッキリと言ってやろう。こういう類の奴には、ペースを握らせてはダメだ。あまりつけあがる前にこちらから仕掛けて倒す。
「あのさ、はっきり言うんだけどさ」
「なに?」
可愛らしいく首をかしげる一方、手に持った包丁を手放す素ぶりは見せない。しかし、俺はもう怯えない。ここまでくれば徹底抗戦だ。
「俺お前の事全く知らないんだけど、何者なんだよ?」
俺の言葉に逆上の一つでも起こすかと思っていたが、口元に湛えた薄っすらとした笑みを崩す事なく、霧館は平然として言い放つ。
「もぉー、まこ君たら本当に忘れちゃったの? 私達ずっと一緒にいようねって約束したじゃない。前世で」
そっか、前世か。
そいつはすっかり失念してたぜ。前世で約束しちゃってたか。
全くもってうっかりだ。こんなメンヘラキチガイヤンデレ女とそんな迂闊な約束をしていたとは、前世の俺は相当にうっかり屋さんだったらしい。絶対に許さん。
しかし、前世の話まで持ち出されたらいよいよ持って対抗する術がない。だって前世って、つまり俺じゃないじゃん。だからと言ってこいつの好き勝手にさせるのは絶対に危ない。どうにかする方法を考えろ。
「ふふ、その顔、どうやら納得してくれたようね」
「いや、してねーよ?」
「え? なんで?」
なんでって、こいつマジか。
俺はこの複雑怪奇な状況を打破するべく、うんと頭をひねっていただけだ。あっ、ははーん、わかったぞ。さてはこいつ無敵だな。薄々勘付いていたが、こいつは人の話も考えも全て自分の都合通りに捻じ曲げて受け入れる事ができる特殊能力者だ。つまりはヤバい奴だ。うん、知ってた。
もういい。もういいぞ。言っても、泣いても、通じないのなら残された手段は肉体のみだ。今までは、どのようなサイコ野郎であろうとも女の子という事でこの手段を選択しから自動的に削除していたが、釈迦の親戚か、さもなければ釈迦そのものと呼ばれたこの俺の堪忍袋も限界だ。格闘漫画を読んで鍛えた俺の拳を受けてみろ。
瞬時に俺は両手を顔の位置まで上げ、足を開いて腰を少し落とした。なんの構えか知らないが、俺の頭の中のスーパーコンピュータが最も強そうな構えを算出したのだ。なんだかお手上げの構えにも見えないことを除けば完璧だ。そして、霧館もそれに呼応したように頬を赤らめた。
いや、なんでだよ。そういう意味のわからんのを急にぶっ込むな。こっちもたじろぐだろ。
「あの、霧館さん。何故頬を赤らめているのでしょうか?」
「つまりはそれは、そういう事なんでしょ?」
どういう事だよ。さっぱりわかんねぇよ。説明してくれよ、霧館さん。俺の頭の中のスパコンは処理限界を迎えて、エラーを吐き出しつつけている。
「アノドウイウコトカオシエテクレマセンカ?」
処理限界を迎えて、俺から発せられる言葉は全て片言になってしまった。終いにゃロボットダンスを踊り出してしまいそうな俺の様子に霧館は、おかしなまこ君などとほんわかと笑っている。誰のせいで俺の脳内スパコンが、スーパーとコンピュータの間にファミリーを挟む様な有様になったかわかってんのか。
「まこ君は『抱きしめてやるから黙って飛び込んで来い』って、そういう事を言いたくて両手を上げて構えたんでしょ?」
彼女の珍回答に俺の中で湧き上がっていた16-bitの怒りは何処かへすっ飛んで行ってしまった。
成る程、高度な演算により導き出された我が究極の構えは恋する女の子フィルターを通して見ると、黙って俺の胸に飛び込んでこいと誘っている男らしい構えに変わってしまうらしい。これは偉大なる発見だ。直ちに量産体制に入って車のマフラーなどに取り付けるべきだ。そうすれば垂れ流される排気ガスも、キラキラとして夢いっぱいのファンシー物質に早変わりするはずだ。よしそうとなれば、取り敢えず包丁を手放さない霧館がこっちに飛び込んでくる前に、ここから離れる事にしよう。
「どこ行くの?」
「回避ィ!」
逃げ出す俺を仕留めんと霧館が放った包丁は、俺の根性が見せる緊急回避によって髪の毛を掠めるにとどまった。更に奴はお馬鹿な事に武器である包丁を自ら手放した。
そうとなれば彼奴はただの頭のおかしい女子高生だ。俺の敵ではない。
「うんしょっと」
と思ったら、霧館は懐から刃渡り20センチはあろうかという馬鹿みたいな鋏を取り出した。
揺らめく炎の様に並み立つ刃を持つそれは、明らかに切り裂く対象は紙などではないことは専門的な知識を持たない俺にでもわかった。先端もやけに尖っており、切る以外にも刺すこともできそう。すっごく便利。
「なぁ、一旦落ち着こうぜ? これは卓を囲んで、話し合いで解決するべきだ。なぁ? 朝ごはんも冷めちまうよ」
「その必要はないわ」
どこらへんにその必要性を感じないのかわからないが、霧館さんがそう言うのだからそうなのだろう。彼女の中では。
「大丈夫、痛いのは最初だけ。私達はずーっと一緒になるのよ」
うふふふだなんて艶かしい笑い声を出す彼女の目は、狂気と歪な愛情で淀んでいる。やはり専門的な知識を持っていない俺にも、こいつが何をしでかそうとしているかはわかってしまう。
勿論俺は逃げ出した。だが、ちらっと後ろを確認した時には彼女は俺の背後におり、視界の隅に銀の閃光が疾ったと思った次には視界は真っ赤になっていた。
……
…………
………………
「あー、あのメンヘラサイコヤンデレクソ女マジで刺しやがったよ。あっ」
切り裂かれた首元を気にしながら立ち上がると、俺の死体に膝枕していたらしい霧館と目があった。今までは俺が驚かされる一方であったが、どうやら今回は彼女が驚く番になったらしく、目ん玉が飛び出そうな程に目を見開いている。
「いやー、俺ってさ生まれつき身体が丈夫で……トドメ刺そうとしないで、何度も突き刺したら痕できちゃうかも」
この結果が不服だったらしい霧館は何度も俺の腹を鋏で刺したが、俺は一向に死ぬ事はなく、結局この後卓を囲んで話し合いで解決する事になった。その時には朝食は冷めていた。