第5話
戦えないとはどういうことだ? ホムラの言葉がエンブレイズの頭の中をぐるぐると回る。でも回るだけで答えなんて出ない。
「この赤い球が見えるか? 簡単に言うとこれが今までお前が使ってた『力』だ」
エンブレイズはホムラの言う事が理解できなかった。自分の使ってた力? それがあの赤い透明な球なのか? と問いたいが、思うように口が動かせずに聞くことが出来ない。
「これを、…こうすると……」
ホムラはエンブレイズから取り出した赤い球を自分の胸にゆっくりと押し当てた。
「がっ! がはっ!!」
ホムラは口から血を吐きながらも赤い球を自身の胸に押しつける。
ホムラの胸に押し付けられた赤い球がだんだんとホムラの体の中に入っていく。そしてその球が完全にホムラの体の中に入った時、ホムラの体が巨大な炎に包まれ激しく燃え上がった。
「フハ、フハハハハハハハ!! すごい! すごい力だ!! 体中に力が満ち溢れてくる!!」
ホムラは右手の人差し指を燃えている城の方に向けた。そしてその指先から発射されたビーム状の炎は地面を抉りながら燃えている城をすべて呑み込んで高速で進んでいく。その炎が通った後にはほんの数秒前まで形のあった城が消し飛んでいた。
「なんて力だ!! 強すぎて制御が難しい!」
エンブレイズは理解が出来なかった。今自分の目の前で起こったことに唖然とするだけしかできなかった。
ホムラは大きく深呼吸して、自分の体から溢れてる炎を抑えていく。
ホムラは体から出ている炎を全て抑えてからエンブレイズの方を振り向くと、地面に拘束されているエンブレイズの頭のところでゆっくりとしゃがんだ。
「この時を十四年待った。俺からすべてを奪ったお前から、すべてを奪うために。色々あったなぁ、今まで。お前と一緒に遊んだことも、お前の相談にのったことも、そう言えばお前と料理をしたこともあったなぁ。一緒に楽しんだり泣いたり笑ったり我慢したり……すべてはお前からすべてを奪うこの日の為に……!!」
ホムラは眉間にしわをよせ静かに言葉に怒りを込めた。
ホムラは大きく息を吐いた後、よせていたしわを元に戻してゆっくりと口を開いた。
「さて、お前はこれからどうなると思う? このまま放置か? それとももっとボコボコにされると思うか?」
「知……る…か……」
エンブレイズは血だらけの口の中の気持ち悪さを我慢しながら、なんとか言葉を振り絞る。
ホムラが一人で話しているあいだ、エンブレイズはずっと脱出の策を練っていた。だが思いつくものの、すべてが今の怪我をして体力を消耗しているエンブレイズには不可能なものばかりだった。
エンブレイズは初めて自分の無力を思い知った。今まで『神童』と呼ばれもてはやされていた自分にできないことはなかった。なんでも人並み以上にできて、すべての人間が彼の力を認めていた。
それが今はたった一人の兄の暴走すら止められない。
何も出来ない事が、誰も助けられない事が、悔しくて、悲しくて腹が立っていた。
「さて、最後に何か言い残すことはあるか?」
「必ず……止める…!」
「…じゃあな」
ホムラは最後に一言だけ残してからエンブレイズの拘束を解き、指をパチンと鳴らした。するとどこからか五メートルはあろう巨大な黒い怪鳥が飛んで来て地面に倒れているエンブレイズを器用に掴んだ。
「エルプサン海に捨ててこい」
エンブレイズの耳に微かにそう聞こえた。
怪鳥は大きな翼を羽ばたいて空高く上昇した。
エンブレイズの耳には空を切る音が聞こえる。
エルプサン海、そこは別名『噴火の海』と呼ばれている。エルプサン海では時々八メートルほどの高さの水の柱が噴き出す。理由などは解明されていないが、その水の柱は『コルナ・ジアーゴ』と呼ばれ不規則に海面から飛び出してきておよそ一分程続く。もし運悪く船の真下からコルナ・ジアーゴが起きれば、例えそれが巨大な豪華客船だろうが貨物船だろうが簡単に船底に穴が空いてしまう。もし小舟や人間なんかがあたってしまえばひとたまりもない。つまり無事では済まないということだ。
「はは…ははは……」
エンブレイズの口から寂し気な笑いが漏れた。かつて神童と呼ばれた自分が無様になっておかしいのか、それともこれからの自分の人生を考えて笑うしかなかったのか、それはエンブレイズ自身にも分からなかった。
空を連れられてどのくらい経ったのだろうか、エンブレイズは海の匂いに目を覚ました。エンブレイズは自分でも気付かないうちに眠ってしまっていたようだ。
こんなひどい風の中でも人って眠れるものなんだなぁと呑気にもエンブレイズはそう思った。だが少しでも眠ったおかげで僅かだが体力が回復した。怪我は痛むが、無理をすれば何とか動けない事もない。
エンブレイズは冷静になった頭で考えた。
恐らく今の状態で海に捨てられたら最悪の場合死ぬ、だが運よく陸地に降りれれば生き残れるかもしれない。と。
だが問題はどうやって陸地に降りるかだ。今エンブレイズはなんとか動けはするものの、ここで暴れたりでもすれば下の海に一直線だ。でも幸い近くに小さな島が見えた。その上を通った時に自分を掴んでいる怪鳥に攻撃を加えれば落ちれる。
エンブレイズの考えは成功率は低かった。例え陸地に落ちたとしても着地に失敗すれば死ぬ可能性だってある。でも、やらなければ間違いなく死ぬ。
既に答えは出ていた。
エンブレイズは今の自分の体力を考えて、恐らく出せてもマッチ程度の炎しか出せないだろうと考える。だがそれで充分だった。例えマッチ程度の炎だろうと炎は炎だ。高温だから引火すれば当然熱い。
エンブレイズは右手の人差し指の指先に力を込める。だが思うように炎が出ない。手だって傷だらけなため、力を入れるだけでも激痛が走る。それでも我慢して更に力をこめる。
ボッ
小さいが、確かに炎がエンブレイズの指先から出てきた。だが炎と同時に疲労も先ほどより感じてしまう。
でもエンブレイズは炎を怪鳥に引火させるために何とか腕をあげる。
「ッ…!」
激痛が走る。腕がもげるかと思うほどの激痛を我慢しながら怪鳥の羽毛に何とか引火させた。
「よし…!」
思わず声が漏れた。だがエンブレイズの顔は疲れ切っている。例え陸地に落ちたとしてもそのまま息絶えてしまいそうなほどに。
そして運が悪い事に、エンブレイズが怪鳥に炎をつけようとしている間に、小さな島の上空はとっくに通り過ぎてエルプサン海の上空に到達してしまった。
手遅れだった。エンブレイズは自身が感じている以上に体力は回復しておらず、加えて僅かな体力を使って怪鳥に炎をつけようとしてしまった。例えどこに落ちようとも、エンブレイズ一人では生き残ることすら難しいほどに衰弱してしまっている。
「じゃあな」
空耳か、それとも怪鳥が言葉を発したのかエンブレイズには判断ができなかった。
エンブレイズが受けている風の向きが変わった。エンブレイズは自分が落下していると気付くまで数秒かかってしまった。
エンブレイズには今自分がいる場所が地上何メートルか分からなかった。だが完全に海に落ちるまで長くても数十秒ほど。たった数十秒ほどの時間がエンブレイズには三十分にも、一時間にも感じた。
……おかしいな、こんな状況なのに色々なことを思い出す。楽しかった事や辛かった事、そういえば六歳の頃に骨折したこともあったな。大きな怪我をしたのはあれが最後だったのかもな。父上と兄上が賊に攫われた俺を助けに来てくれたんだったな。あの時は…嬉しかったなぁ。十歳の時には初めての家族旅行、楽しかったなぁ。そして十五歳の時に初めて恋人ができた時は嬉しかった。……フーゴ、大好きだったよ。
「死にたく……ないよ……」
エンブレイズの瞳から一滴の涙がこぼれ、宙を舞った。
ザッパ――――――ン!!!
エンブレイズは大きな音と水しぶきをあげて海面に叩きつけられた。