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『戦いの前』2

 噴水広場の入り口にあるシャトル型の時計台が20時25分を指している。《開演》まであと少し。


 噴水広場に着いたあたしは、深緑の生垣の間を抜けて中に入ると、さっそく物かげに隠れて辺りを見回した。


 広場の噴水は、敷地内の真ん中にドンと設置されている。

 でも《噴水》はしていないから、水柱も上がってなければ何の音も聞こえない。


 円型でふちの盛り上がった形状は、おっきなタルトケーキみたい。もちろんデザートは何も載ってなくて、器だけが3段重ねになって用意されている。


 噴水の周囲には木の長椅子が規則的に並べられていて、エクレアの大群のよう。


 以前のこの時間だと、恋人同士が椅子に座って甘い夜を過ごしていたのだろうけれど……今、椅子に座ってるのは、ポツンとただ一人。


 すっかり見慣れたグレーのジャケットに黒のズボン。キミだ。


 ふふ……思った通り寂しそうにしてる……。

 キミの後ろ姿を見つけて、あたしは笑みを浮かべた。

 というのも、あたしは今夜キミに対してある作戦を実行中だからだ。


 《ウソの待ち合わせ時間を教えてキミを待たせる作戦》。


 いつもはキミを部屋まで呼びに行って、一緒に梨山地区に出向くのだけれど、今夜はこの作戦のために、あたしは夕方には樹の根を出て、別行動をとっていた。


『急用ができたので先に梨山地区に向かいます。今夜は一人で来てください。19時に噴水広場で待ち合わせましょう。絶対に遅れないでくださいね』

 なんて、録音メッセージをキミに送ってから。


 キミはきっとその言葉通り、19時からずっとここで待っていて、キミの頭の中は今「あれ? 待ち合わせ時間、聞き間違えたっけ?」とか、「もしかして、たまごちゃんの身に何かあったんじゃ」なんて、不安な気持ちで膨れているはずだ。


 そんな中、気づかれないようにそーっと近づいて、優しく声をかけてあげたら、キミはどんな反応を示すのか。


 ふふ……あたしは知ってる。

 キミはふてくされながらも、実は喜ぶんだ。


 そして積もり積もったキミの不安は連鎖的に安らぎへと変化して、キミはつい気を緩めてしまう。

 その隙を攻め入って、甘い言葉のひとつふたつ聞いてしまおうというのが、今回の作戦の目的だ。


 ……知ってる? 時には相手の気持ちを揺さぶるコトも、恋愛では大切なんだよ……?


 なんて、最近《恋愛成就マニュアル本》で得たそんな知識を得意げになって思い起こしながら、あたしは硬い舗装面の上を、足音を立てずキミの背後に近づいていく。


 キミの背後3メートル、2メートル、1メートル。キミは全然あたしに気づかない。


 一か月前とくらべてキミの黒髪は少し伸びた。

 たぶん一センチくらい。このまま伸び続けたら、来年の今頃には女の子みたいになっちゃってるかも。


 ……何だったら、今度、あたしが、キミの髪を切ってあげてもいいよ……?


 そんな問いかけ(ココロの中での)とともに、あたしはキミの頭にちょこんと木刀を置いた。


「めん。だーれだ?」

 優しい口調で。そしたら、


「もう、たまごちゃんでしょ。他に誰が居るの」

 キミは振り返らずにそのまま言った。


 ほら、やっぱりいじけてる。


 あたしは木刀を下ろして「へへ……」と甘えた声を漏らしながらキミの隣に腰かけた。


 恋人同士みたいに同じ椅子に二人で座ってる。

 本当はこれだけで十分嬉しくてふぬけちゃいそうなんだけれど……本当の恋人同士になるためには、もっと貪欲に攻めなくちゃいけない。


 よし……っ、キミとのおしゃべりの時間だ。

 今夜こそ脆くなったキミの城壁を突破して、キミのお城に侵入するんだから。


 制限時間は3分。あたしが茹で上がっちゃう前に、勝負を決める。


 ☆★☆


「ユ、ユウくんお待たせ……待った……?」

「うん、待った」

 キミは単に事実を述べた。もう少し会いたそうに言ってくれてもいいのに。

 でもキミに「全然待ってないよ今きたとこだよ」なんて気遣いを求めても無駄なことくらい知っている。


「そ、そうだよね……ごめんね、待ち合わせに遅れて……」

「ううん、ずっと寝てたから全然平気」

 あたしが求めてた模範解答「待ってる時間もデートのうちだから遅れて来てくれてありがとう」を、あるいはキミが言ってくれるはずもなく、キミはそんなことを言った。


 本当は寝てなかったって思いたいけれど、本当に寝てた気がしてならない。


「そういえばたまごちゃん『遅れた』じゃなくて、最初から待ち合わせ時間に来るつもりなかったでしょ?」

 ぎく。キミが反撃してきた。乙女ゴコロは全然理解できないくせに、キミは変なトコだけ鋭い。


「だって、たまごちゃんが事前に撮ったものを使うときは、何か悪いことを企んでる証拠だから」

 ぎくぎく。あたしだって直接キミと面と向かって平気でウソがつけるのならとっくにそうしてるし。


 でも無理して頑張ったらまた「たまごちゃんの顔、能面みたいで不気味」なんて言われかねないし。


「そ、そんなことないよ……あ、あのね……他の任務をしてたらモモが来て……それで長引いちゃって……」

 あたしは用意しておいた言い訳をする。事実通りだから問題ない。


「そう。別に何でもいいけど」

 キミはそれ以上の追撃はしてこなかったけれど、言い訳作りのために、あたしが《モモをエサで釣った》ことにも薄々勘付いている気がする。


 キミが不安に思っていなかった時点で、あたしの作戦はもはや効力を持たない。他の侵入口を探している時間ももうない。


 でも、大丈夫。あたしにはまだ最後の手段が残ってるから。


 何のために何日もかけてワンピースを縫い上げて、何のために何時間もかけて可愛くしてきたと思っているの。


 絶対、大丈夫。別に最初から小細工なんて必要なかったんだ。

 今日のあたしなら正面から城門を強行突破できる。


 だって、今夜のあたしは、お姫様より可愛いんだから……っ‼︎


 そしてあたしはキミに問いかける。髪を撫でる仕草で頬を染めて、少し上目遣いで甘い声で。


「と、ところで……今夜のあたしはどうかな……? 少しは大人っぽいと思うんだけど……」

 そしたらキミは特に何も考えずに即答した。

「うーん、クラゲみたい?」


 ク……クラゲ……。

 あたしは思わず椅子から落ちて両手をついた。

 ……だめだ。キミはあまりにも乙女ゴコロに対して絶望的に疎すぎる。

 ……ホントに両想いになれるのかな……。

 ……次はもっと思い切った作戦を考えないと……。


 そんな思考とともに、あたしにノックアウトを告げるような、鐘の音が鳴った。

 ゴーン、ゴーンと重い音が街中に響き渡る。

 それは今夜の開演時間を知らせる合図でもあった。


 時刻は20時30分。キミは椅子から立ち上がった。

 そうだ、へこたれてる場合じゃなかった。あたし達の特別な夜はまだこれからなんだから。


 あたしも起き上がると、キミと背と背を合わせるようにして立った。木刀を両手で持って構えて、辺りを警戒する。


「今夜も、よろしくね……」

「うん、こちらこそ、お手柔らかに」

 短く会話。そして4つ目の鐘が鳴り終わると、あたし達の今夜の《戦い》は始まりを迎えた。

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