出口なきロールプレイング
モナの街は、ユーシャが生まれ育った最果ての村よりも、はるかに栄えていた。通りには敷石がひかれ、石造りの家々が建ち並んでいる。地下には用水路が整備され、日々の生活用水をまかなっていた。街には活気が溢れ、見たこともない数の人々が行き交っている。
「これが、街……」
とユーシャは呟いた。実はモナの街も、王都や商業地に比べれば、規模の小さな地方都市に過ぎなかったが、田舎者の彼女には都会のように見えた。街の入口に立ちながら、そんな光景にしばし呆けていると、彼女の鼻孔を甘い匂いがくすぐった。
「とりあえず、ケーキが食べたいな……」
疲れたからだが糖分を欲していた。最果ての村で甘いお菓子を食べられる機会は、年に数回の祭りや記念行事といった特別な日だけだった。ケーキともなると、食べられるのは年に一回あるかないかだ。せっかく勇者として旅だったのだから、ケーキくらいの贅沢は許されるだろう。
「む、ケーキ?」
とマオが反応した。
「あら、マオはケーキ、知らないの?」
とユーシャは訊ねた。
「え、いや、知っておるぞ! ケーキ、あれはいいものじゃ」
「ほんとに?」
「も、もちろんじゃ、硬い角と鋭い鉤爪を持ち、ひと睨みで百人を石に変えるというあのケーキであろう?」
「どのケーキよ……」
もしかして、魔界にはそんな物騒なケーキがあるのかしら? とユーシャは思った。
「すっごく甘くて美味しいのよ」
「甘い、甘いとはなんじゃ?」
「え? なに、哲学!?」
魔界には甘味が無いのだろうか?
「口の中がジュワ~ってなって、体が幸せーって感じになるの」
とユーシャは身振り手振りを使って説明する。
「ふむふむ、なるほど、……つまりユーシャのようなものか!」
「そうそう……、って、わたし!?」
そうなると甘いの意味が違ってくるが、もしかして魔族であるマオは、ユーシャを食料としてみているのだろうか? いや、それだけはないと信じたい。
「む、違うのか?」
と首を傾げるマオ。
「ど、どうかしら?」
とりあえず、ケーキもいいが、用事を済ましてしまおう。ユーシャは甘い誘惑を振り切り、教会へ向かった。
教会の場所はわかりやすい。街の真ん中の、一番大きな建物だ。大陸の都市は、そのほとんどが教会を中心として造られている。というのも、人々は魔物の脅威から安全を確保するために、教会を柱として共同体をつくり生活していた。街の警護の要である騎士団を要する教会は、単なる信仰の拠り所ではなく、魔物に対する防波堤として、古代から厚く敬われてきたのだった。
モナの町の教会は壁を鮮やかな水色に染め上げたアーチ状の建物だった。教会はその街の特色を表す、まさにシンボルと言えた。壁面の青は水を表しているらしい。
「悪いけれど、マオはここで待っててくれる?」
とユーシャは教会前の広場でマオに言った。さすがに魔族、それも魔王である彼女を教会に連れて行くわけにはいかなかった。広場の真ん中にある大きな噴水に興味津津だったマオは、ユーシャの言うことを素直に聞いてくれた。
ユーシャが教会に入ると、入り口に待機していた僧侶は、すぐに彼女が勇者だと気づいたらしく、司祭を呼びに行ってくれた。ユーシャは司祭を待つ間、礼拝堂を眺めた。祭壇には世界を創ったという女神、リリスの像が安置されている。女神の名はそのまま教団の名前にもなっていた。壁には歴代の勇者の名前を彫ったレリーフが掛けてあった。ユーシャはその中に、懐かしい名前を見つけた。
「これは……」
ユーシャがレリーフを眺めていると、
「おお、勇者様、お待たせしました。どうぞこちらへ」
と言って、モナの街の司祭が、奥の部屋から顔を出した。
司祭の部屋に通された勇者は、簡素なテーブルに付く。そばに控えていた僧侶が、お茶を出してくれた。
「いやはや、まさか本当に少女だとは……。いや、失礼しました。つい、驚いてしまったもので」
と司祭は穏やかな声で言った。最果ての村の司祭とは、ずいぶん印象が異なる。まさに聖職者という落ち着いた雰囲気をまとっていた。
「えと、はじめまして、ユーシャと申します。このたび、わたしは勇者となりまして」
とユーシャは司祭の礼儀正しさに合わせて、佇まいを改めた。
「ああ、そうかしこまらないでください。勇者という御役目は階級にとらわれないのです。どうぞいつものようにお話しください」
と司祭は笑顔をつくり言った。
「でも……」
「我々が困るのです。勇者はこの世界にとって特別な存在。ある意味では王よりも大切なお方ですから」
「そ、そう、それじゃあ」
そこまで言われては仕方ない。ユーシャは肩の力を抜いた。
「勇者の役目について詳しく聞きたいんだけれど」
ほとんど詳しい説明を受けずに、村を追い出されたユーシャは、まず自分の置かれている立場について知りたかった。世界を救うという勇者。その意味を。
「勇者の役割とは世界の浄化です。世界の浄化とは、魔界から溢れ、世界に蓄積されていく魔力を取り除く作業でございます」
そこまではユーシャも知っている情報だった。
「魔界からあふれた魔力は、そのままでは世界に拡散していく。魔力は世界を歪める力。放っておけば、今ある世界は変質し、古き世界は消し去られてしまうでしょう。そこで蓄積された魔力を除去する必要が生じます」
「勇者の出番ってわけね」
それはすぐにというわけではないが、いつか来る破滅だった。世界の危機。責任重大である。
「はい。数年に一度、聖剣に選ばれた勇者は、世界を旅し、魔物を倒し、聖地を巡ることで、土地に溜まった魔力をその身に集め魔界へと還すのです」
それが勇者の使命。
「魔物を倒すだけならば、ただの人間にも可能です。しかし、魔力の浄化は勇者にしかできません」
「そして、勇者はその身に取り込んだ魔力を、聖剣の加護により、力に変えるのです。我々はそのような強化を、レベルが上がると呼んでおります。レベルが上がれば聖技という技も習得できます、しかし――」
「加護が受けられないわたしは、本当にただの人間と同じ……」
「それだけでなく、勇者の加護はその仲間たちにも及ぶのですが」
「わたしは仲間をつくっても、加護を与えられないってこと?」
「はい、ただの人間として旅に加わることとなります」
「そんな……」
自由のために、半ば無理やり引き受けた役目だ。自分一人の危険ならばそれは構わない。しかし、他人を巻き込むのだけは嫌だ。逆にユーシャは、加護を受けられないからこそ、魔族であるマオとともに旅ができるのだった。
「勇者様はご自分の意思で聖剣を手に取り、勇者となられた、たとえ加護を受けられないとしても、勇者様の御役目は勇者様自身の手で成し遂げなければなりません。世界の浄化は勇者様にしか不可能なのですから」
「どうして、女性は勇者になれないのかしら?」
とユーシャはかねてからの疑問を口にした。
「我々にも、聖剣が選ばないからとしか言えません」
司祭はそれ以上語ろうとはしなかった。
「最後に、魔術について聞きたいんだけど」
魔術とは、魔族が使う魔法を人の手で模倣したものである。勇者の加護が受けられないならば、それに変わる力が必要だとユーシャは考えたのだ。
「この南地方では魔術が盛んではありません。もう少し北に行けば、魔術師にお会いできるでしょう」
「そう……」
「この辺りはまだ平和を保っていられますが、北の街では魔物による被害が目立ってきているようでございます。どうか一刻も早い世界の浄化を願っております」
「まかせて。この街の近くに聖地があるって話だけれど」
「第一巡礼地である聖地グーラは、この街に流れる水路の水源となっております。川にそって西にお進みください」
「わかったわ」
「聖地の浄化には試練が伴うと伝わっております。くれぐれもお気をつけ下さい」
そう言って司祭は、創世の女神リリスへ祈りを捧げた。
なぜだろうか? 司祭の説明を聞いても、あまり腑に落ちなかった。漠然とした違和感。ユーシャはそれに気づいていない。いや、あえて目を逸らしていた。自覚してしまえば、自分の役目に疑問を持ってしいそうだったのだ。勇者という役割、都合のいい言葉で飾ってはいるが、それは生贄のようなものではないのか?