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月夜の邂逅

 まず二人は、落ち葉や枯れ木を集め、焚き火を起こした。そして、小川で汲んだ水を、煮沸してゆっくりと飲む。温かい飲み物は、それだけで心が安らいだ。今日は焚き火の火を利用して、パンを軽く炙ってみることにした。硬いパンも、焦げ目がつくと香ばしい風味が加わり、美味しく食べられた。パンと一緒に火を通したハードタイプのチーズは、マオにも好評だった。硬いチーズも、火を通すことで柔らかくなる。とろけたチーズはパンの粉っぽさを消し、適度な塩気が疲れた体に染み渡った。

 満天の星空の下、二人で火を囲みながらの食事は、たしかに美味しかった。家や城に篭っていては得られない非日常感だ。それでも、やっぱり二人共まだまだ脂っこい食べ物を好む年頃なのだった。


 食事を済ませると、マオはすぐに眠ってしまった。どんな状況でも危機感を持たないのは、魔界の王である器の広さか、ただの世間知らずなのだろうか。ユーシャはそんな彼女を、少しだけ羨ましいと思った。勢いで村を飛び出してきたはいいものの、旅の道行は曖昧でなにも確実なことはない。たしかなことは、魔王を倒すために魔界を目指すということだけ。肝心の世界の浄化、その行為が持つ意味ははっきりとしない。世界を歪める魔力とは、一体何なのだろうか? なぜ女性は勇者になれないのだろうか? 考えても仕方がない、今はひたすら歩くことだけを考えよう。前に進んでいれば、いつかは旅も終わるはずだ。

 ユーシャはそろそろ、体の不快感を我慢できなくなってきていた。下着だけは毎日替えていたが、毎日歩きっぱなしと野宿では、体はどうしても汚れていく一方だ。肌はベタつき、ところどころ痒みを覚えてしまう。しかたなく、ユーシャは小川で軽く体を洗うことにした。


 ユーシャはマオを焚き火の近くに寝かせたまま、川べりまでやってきた。マオも誘おうかと考えたが、彼女があまりにも気持ちよさそうに眠っていたのと、同性とはいえ、なんとなく屋外で脱衣や裸を見られるのが恥ずかしく思えて、一人で行くことにしたのだった。ここなら木々や灌木で隠れており、万が一誰かに見られる心配は少ない。念のため、聖剣はすぐ手に取れる位置にまで、持って行くことにした。

 ユーシャはエプロンドレスの結び目に手をかける。虫たちの声に紛れ、静かな衣擦れの音が、あたりに響いた。脱いだ衣服は、手頃な木の枝に掛けた。汚れ物は、川で洗うために一纏めにし、小脇に抱える。護身用の聖剣を忘れずに持ち、川まで歩く。

  

 ◆


 夜の魔王城。ベルの寝室にて、マオ奪還の緊急会議が行われていた。

 

「マオ様は陥落寸前といった感じだにゃー」


 と寝間着であるボーダー柄のキャミソールと、ショートパンツに着替えたアシュリーは言った。


「なんなんですか、あのイケてるガールは!」


 とゆったりとしたパジャマ姿のベルが言った。ベルはメガネを掛け、普段はおろしているストレートの黒髪を後頭部でまとめている。二人は大きなダブルベッドの上で、枕を抱きかかえながら座っていた。緊急会議とは名ばかりの、パジャマパーティーだった。


「マオ様、すっかり勇者にハートをキャッチされたみたいにゃ」


「うう、私の今までの苦労は一体……」


 とベルは枕に顔を埋める。


「にゃっ? ベル! 大変にゃ!」


 と、手鏡に勇者の姿を映していたアシュリーが言った。


「どうしたのですか?」


 まさかマオ様の身に危険が?


「勇者が、勇者が水浴びをするみたいだにゃ!」


「な、なんですってーー!」


 水浴び。なんと心をくすぐられるシチュエーションだろうか。しかし……。


「ほらー、ベルも見るにゃー」


「いけません! アシュリー、破廉恥ですわ!」


 とベルは顔を真赤にして叫んだ。マオの事になるとタガが外れる彼女も、根は真面目なのだった。


「にゃっ? 今さら純情ぶるのかにゃっ?」


「そんな、女の子の水浴びを覗くなんて……」


 とベルはベッドの表面を指でもじもじとなぞる。


「清楚ぶっても手遅れにゃ! 完全にベルは末期の変態にゃ!」


「な……、それはさすがに言い過ぎです!」


「ええい、うだうだ言ってないで早く見るにゃ、このむっつりロリコン!」


「失礼な! 私はむっつりではありません!」


「友達としてはロリコンを否定して欲しかったにゃ……」


 ベルの頑なな態度に業を煮やしたアシュリーは、


「もういいにゃ、一人で楽しむにゃ」


 と言って手鏡を抱え込み、一人で勇者を覗きはじめた。


「にゃにゃっ? プルプルにゃ! ツルツルにゃ!」


「プルプル? ツルツルっ?」


 麺類? 麺類ですか? とベルは心のなかで呟いた。


「すごいにゃ、突起までバッチリ見えるにゃ!」


「突起? 突起ってなんですの?」


 意味深な単語の羅列に、ベルの興奮度は高まっていく。


「にゃにゃにゃ! なんて大胆にゃ! そんな格好……、完全に交尾にゃ! この娘、見かけによらず淫乱にゃ! 完全に誘ってるにゃ!」


「ちょ、ちょっと、アシュリー? 意味がわかりません!」


 とベルはアシュリーの肩にしがみつき、揺さぶる。


「もうベルは見なくていいにゃ! アシュリーだけで楽しむにゃ」


 ――――魔界の夜は長い。


 ◆


 ユーシャは周囲の草陰に気を配りながら、小川の浅瀬まで歩いた。水は澄んでおり、底まで見通すことができる。温暖な気候の南地方とはいえ、思っていたよりも水温は冷たいが、贅沢は言ってられない。熟睡しているマオを、長い時間一人にしておくわけにはいかなかった。ユーシャは水温を確かめながら、膝までの深みに歩き、


「んっ」


 とそのまま腰まで水に浸かる。下腹部を撫でる水流に、ユーシャは不思議な感覚を覚えた。水の冷たさで感覚が過敏になっているのか、刺すような冷たさの中に、とらえどころのない気持ちよさを覚える。


「裸で水浴びなんて、子供の頃以来ね」


 あの頃に比べれば、ずいぶん成長したように思う。ユーシャは体の成長を確かめるように、濡れた手で体を拭う。肩から腕、脇から胸の下部を持ち上げるようにして、念入りに洗った。水に濡れた肌を、風が優しく吹き抜けていく。火照った体の熱が冷めて、気持ちよかった。

 ユーシャは下半身を小川のせせらぎにさらし、右手ですくった水を肩にかけた。肩から流れた一筋の水が、ユーシャのハリのある乳房を伝い落ちる。瑞々しい肌はよく水をはじき、小さな水滴が月光を受けて、宝石のように輝いた。まるで、裸に真珠を散らした薄いベールを纏ったようだ。


 ◆


「色っぽいにゃー」


 と上気した顔のアシュリーが言った。


「ちょっと黙っててくださいっ!」


 今いいところなんですから、といつの間にかベルもノリノリで手鏡を覗きこんでいる。


「そこにゃ、あと少しにゃ、ぐへへ、やわらかそうにゃ」


 と、くねくねとベッドに体を擦り付けるアシュリー。


「ああもう、気が散るじゃないですか! 覗きは静かに行うのがマナーです!」


 ベルは背筋を伸ばして正座をしている。たとえ覗きといえど、礼儀はかかさない。

 二人が言い合っていると、突然、ユーシャが立ち上がった。あらわになった下半身に二人は興奮し、ユーシャを映した鏡にぐっと顔を近づける。その時、不意にユーシャがこちらを見た。


 ◆


 旅に出てから、時々感じていた奇妙な感覚。それは、誰も居ないはずの背後に感じる、視線に似ていた。今日はいちだんと強く、謎の視線を肌に感じる。警戒したユーシャは、右手で胸を隠し、そっとあたりの様子を伺う。そして見つけた。なにもないはずの空間、ちょうど月光が差す、勇者を見下ろす位置に、ぼんやりとしたゆらぎのようなものがあった。それは真夏の蜃気楼のように平面的な、水たまりに似ていた。


「そこから、見ているんでしょ?」


 と言って、ユーシャは自分が誰かに狙われているということを、初めて自覚した。これまでの旅は、ポンコツな魔王をお供にして、軽く小突いただけで蒸発するスライムを狩るだけの、平和な日々だった。だから、こうして裸を敵の目に晒し、のほほんと水浴びするくらいにまで、勇者という役目を舐めきってしまっていたのだ。ユーシャは自分を恥じた。情けない。覚悟が甘かった。


「別に裸を見られるのは構わないけれど、こそこそ覗かれるのは不愉快よ」


 そう言って、ユーシャは近くの岩に立て掛けておいた聖剣を手に取り、怪しい気配のする空中に向かって、おもいっきり放り投げた。どこからともなく、硝子の割れるような音が響いた。


「これは宣戦布告。どこの誰だか知らないけれど、首を洗って待ってなさい!」


 とユーシャは精一杯強気な台詞を吐いた。姿なき敵。せめて言葉で立ち向かなければ、自分自身の弱さに、足元をすくわれてしまいそうだった。ユーシャは、震える自分の体を抱きしめた。怯えているのか、寒さからくる震えなのか、自分では判断できなかった。ユーシャは、戻ってマオの寝顔を見たいと、強く思った。


 ◆


「ぎゃーーーー!?」


 といきなり聖剣を投げつけられ、手鏡を割られて驚いた二人は、揃って悲鳴を上げた。


「バレてたにゃ?」


「ちょっと近づきすぎたようです……」


 心臓が止まるほどの驚きだった。まさか監視に気づかれるとは……。あの人間、何者だ?


「ふう……」


 とベルは気持ちを切り替える。緩みきった頬を整え、メガネの位置を直す。


「それでどうするにゃ? マオ様をいつまでも放おっておくわけにはいかないにゃ」


 と、落ち着きを取り戻したアシュリーが言った。


「フフ、心配しなくても、もうすぐ戻ってきますわ――」


 ――――私のもとに、とベルは不敵に微笑んだ。


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