E.O.
E.O.
Laugh=笑う。
ただ笑う。声は上げずに粛々と。毎度変わらない、ほぼ毎日拝む見飽きた顔。拝まされる。拝ませてもらう。
嘘は嫌いだ。はっきりして欲しい。白黒つけて欲しい。いや、して頂きたい。
Rough=粗雑。荒っぽい。
シャギーの掛かった思考。表面つるつる中は泥。その実、多分荒々しいんだろう。たまに聞く言葉繰りの乱れっぷりと来たら背筋が凍り付きそうになる。その癖、偉く仕事熱心な。分からない。まああの仕事柄、そうなるのは最早必定だろうけど。
Cruel=冷酷。冷たい。
**するのを平然と行う。表情は相変わらず満面の笑み。真っ赤に熟れた石榴みたいに貴方の爪が 染まってる。くるりと此方に“微笑み”掛けられた時は一際ドクリと心臓に負担の掛かりそうな跳ね方をした後、一連の動きを忘却したんじゃないかと思った位で。一瞬、私は死んだんじゃないかとそう錯覚した。嫌だ、厭だ、あの人。だが生憎、そんな権利を私は持ち合わせていない。
何でだろ
何でだろ
何でだろ……。
一度隈無く動かしていた指を止め、机に置いておいた愛用のマグカップを手に取り喉を潤わす。
再び手をキーボードの上に戻し、作業を開始する。カタカタとキーをタイプする音だけが響き、他に何も聞こえないとその時の私は錯覚していた。
ああ。兎も角、早くこの部隊から抜けたい。この部隊長の執行官様なら他所属の工作員、一人や二人平気で引っこ抜ける筈だ。第一、どの部隊でも下っ端軍人クラスは給料一律同額だなんて不公平――
「失礼な方ですね。そう言う事は面と向かって言って下さい。勿論……ワタシに」
「!? ひいぃっ!!?!」
「職務怠慢という名目で上に報告しますよ? そうすれば、此のような“不公平”な仕事、簡単に降りれます。どうしますか?」
タイピングに白熱してしまった為なのか背後に人が居るどころか部屋に入ってきた事すら分からなかった。今一番見られてはならない問題の人物は、あろう事か私の座る中古の回転式の椅子からの脱却を阻むようにして両手で遮っている。今日の仕事は終了しているのか軍手を着けておらず、真っ白な細い手に真っ赤に塗られた爪が鈍く光っていた。枝毛一つ無い色素の薄い翠の髪が私の視界の隅にしなだれかかり、若干煩わしい。こんな埃舞う、下々が使うブタ箱のような部屋に態々第一級執行官殿が訪れるだなんて、可笑しな話である事に違いない。しかもそれが一度や二度の話処ではなかったりする。
つくづく何を考えているのか図りかねないお人。
「す、すみません。それだけはどうかご勘弁を……」
「いえいえ、そんなご謙遜なさらなくても。……ちゃんと進言致しますよ? 上から通達されている筈の武器開発をそっちのけに、当の本人は上官への罵詈雑言を延々と、人知れずひっそり手記としてしたためている、と」
「ユ、ユラ様……」
「仕事も碌にしない人材など軍にとっては邪魔ですし、怠け者を養って差し上げられる様な甘い組織ではありません。さぁ、其処らに散らばる有象無象のガラクタ達を纏めてさっさと退去して下さい? ああ、序でに掃除も忘れずに。立つ鳥跡を濁さず、ですよ」
「ユ、ユラ様!!」
「……はぁ。正直、貴女の様な“お気楽”な軍人、世界の何処にも居ませんよ。マキア」
一つ盛大に溜め息を吐かれる。
頭を抱えて困ったようにリアクションをするユラ様。だが本当に困惑した、という訳では無く、私の常日頃の宜しくない行動に呆れ混じりの失笑しているのだと思う。長いストレートな髪、その隙間から伺える温厚そうな笑顔。頭の中にこびり付く程の強烈的なワラエナイ印象。今日も相変わらず、表情に変化が生じる気配が無い。にっこりと弧を描く目、目蓋がゆっくりと瞳を写す場面を私は目の当たりにした事は無い。それどころか私は愚か他の軍部所属の方々も見た事が無いのだ。興味はあるが、好奇心よりも恐怖心の方が勝っているのが現状だ。
パソコンを中心に書類やらファイルやらが散乱する机上。キーボードの傍に置かれた私のマグカップを片手で掬い、中の液体の波紋を見るように、円を描く要領で揺らしている。今頃、冷えきったコーヒーが幾重にも波を作らせているのだろう。
椅子から手を離し、ゆっくりと足音が遠ざかって行くが、そのまま私の部屋をたむろす様に彷徨しているのが靴の響く音で確認出来る。
「す、すみません……」
「…………。謝罪を述べる事事態子供でも出来ます。貴女は所詮その程度の人間なのですか?」
「以後、慎みます……」
カツン。
「慎みます? 一切、行わない事を此処で誓いなさい。貴女も一応、名ばかりとは言え軍人の端くれなのですから、時間の無駄になるような事はお止めなさい。それともワタシの命令は聞け ませんか、ねぇ? マキア……?」
「! …………。」
「……何か、言ったらどうです?」
今現在、私は窓際に設置されたパソコン、その画面に顔を向けていて、部屋の中枢、つまりユラ様の様子が判る訳が無い。それでも、背後からの鋭利な視線が背中に串刺して来るのが肌に感じる程で、身が強張る。どうせ、彼はいつもと同じ能面のような顔を此方に向けているだけだろうに。
ユラ様が持っているであろうコップ。チャプチャプと液体の揺れる水音が私の回答を催促している様で耳に痛い。此処はまるで私の部屋ではなく、指導室に居るかのような感覚に陥る。
冷や汗が皮膚上を伝っていく。
「……ぐ、軍人であっても趣味を持つ事は何ら可笑しな点では無いと、思い…ます ……」
「へぇ? 他人への悪口が“趣味”ですか。いやはや、貴女の悪癖には手の施し様が無いのかもしれませんね」
「寧ろ、ユラ様はこんな悪口気にしないのでは無いですか」
「……確かに、ワタシなら戯れ言として処理します。が、貴女の真意が見えませんね。何が言いたいんです? ワタシならば一切“悪口”に反応しないから、此れからも平然と見逃せとでも?」
「ち、違います。本当に気分を害したりしないんです、か……?」
「…ククク……フフッ。ワタシが?」
何故。
押し殺した笑い声が耳の裏に張り付くように反芻する。
勢いに任せて椅子を回転させる。歪な笑い声のする、ユラ様を見据えられる方向まで。
別段、ドスの効いた声音でも無いのに口元を袖で隠すユラ様は、いつぞやかの戦争時の事を想起させる。
血と硝煙の入り交じった、地獄とも違わないあの――
「…………。悪口はもう二度と書きません。約束致します。ただ、普通の日記を付けさせては貰えませんでしょうか」
「……本当に、愉快な方ですね。貴女という人は。フフフ……」
シン、と音が途切れる。
「押し潰して差し上げたくなる」
一度、生唾を飲み下す。
「…………其処を、何とか」
「十分な信頼足り得る様な事を貴女はしましたか? ……このワタシに」
「幾つかの案件には確実に応えましたし、ユラ様個人の武器開発も行った筈で……」
「………………。」
言葉を絞り出すようにと考えていると目線が下がる。張り切って貢献したと言えるものが無い。寧ろ他の工作員の方々の方がユラ様に貢献しているのは端から見ても一目瞭然だろう。私なんか、ぺーぺーの新米よりも格下だと自覚している。
何て。そんな事を考えていたら思いっきり肩を掴まれる。
ガシッ!!
「!!?!?」
何、何が起きた。目の前はユラ様のにんまりと歪ませた満面の笑顔。
力よりも体重が両肩に掛かり、背中が仰け反られる。机の縁に背が寄り掛かり、圧迫感が酷い。さらさらと机に散らばっていた書類が落ちていくのが傍目からでも見えていたが、拾い上げられない。
いつもの理路整然とした振る舞いとは何処か異なった彼に、ひきつった笑みしか浮かべる余裕はない。
「……わっ、私は、何か地雷でも踏みました、か…?」
「無神経にも踏み抜いてくれて、今は感謝しておりますよ?」
「あ、あの……とても、は、反省しております」
「反省、はんせい。それは」
「…… はい?」
ゆったりと間延びする声。スローテンポになったユラ様の声は朧気で上の空のように、だが淡々と喋る。それらは次第にはっきりと鼓膜の中に強引に言葉を差し込むんでいく。
「…………それは、どの件の話でしょうか。貴女は何を問題視し、どの様な反省を行っているのですか。貴女は本当に仕事をする為に此処に勤めに来ているのですか。武器の開発は貴女の誠意と見なして良いのですか。此の仕事を全うする気概が貴女にはあるのですか。貴女にとって工作員とは一体何なのですか。貴女に軍人としての誇りはあるのですか。軍人とはどんな職業だと貴女は認識しているのですか。貴女は軍の規律を乱したいのですか。我々の敗北に貴女は荷担したいのですか。貴女に工作員としての 拘りは無いのですか。貴女は此れ以上軍に所属したくないのですか。ワタシは貴女に期待を抱いて良いのですか。貴女の行動理念は何処を軸に実行しているのですか。貴女は軍の忠実な僕では無いのですか」
「ぃ……」
「……マキア、貴女は本当に私の云う事を聞いてくれるのですか?」
「え……」
キイキイと軋む椅子。
肩に指が食い込む。今頃血の気が引いて青白くなっているんじゃないかと思う。
異様な剣幕に一度、著しい恐怖心が沸き起こったものだったけれど、ねちねちとゆったりした言葉のテンポから一転しより饒舌に捲し立てるその異質さに、途中から恐怖心のそれも霧散した。いつもの機械のような無機質な対応をするユラ様とは違う。
珍しく感情的な、人みたいなユラ様だ。彼にもそんな心が在るのだ。こんな事を考えているとユラ様に伝わったら最後、簀巻きにされて極寒の地に放り出されるだろうけれど。
「貴女は――」
「ユラ様。」
「応えなさい全てに」
「答えます。ですが、その前に」
「…………?」
首を傾げるユラ様。指通りの良さそうな透き通った直毛の髪が窓から吹き抜ける風にさらりと撫でられていった。
尚も浮かべられる笑顔。いつもなら胃も縮むような心地のする不気味な顔。だけれど今は、不思議と怖くない。
「ユラ様。貴方様にも仕事以外の事を知って頂きたいと今、強く思いました」
「突然何を、言っているのですか、アナタは」
「ユラ様ならば軍人以外の職業も絶対に勤まります。今の貴方様は貪欲に、盲目的に執行官という職を担い、行っていると思いました」
「馬鹿な事を、言わないで下さい。この役割は――」
私の肩に載るその冷ややかな手をそっと片手で包む。
「……ユラ様、貴方様のお顔には何故笑顔が張り付けているのですか」
「…、…………………。」
小さく口を開けながら閉口するユラ様。今回の私は良く口と頭が回ったものだ。いつもの調子ならばただただ頭を下げ謝罪を申し立てながら小言の一つや二つを浴びせられてそうして仕事を行っていた筈。
時が凍り付いたかの様にピクリとも動かないユラ様。
……あれ、もしかしなくても私は大変な事を第一級執行官様に、それも上から目線で物を言っていたのではあるまいか。祖国に住まう母上、父上。翌日か明後日には白骨化した娘の遺骸が還って来ます。どうか手向けの花のご用意をお願い致します。
「………………。開発事業の合間、時間が空いたのならば日記位、特別に許可しましょう。開発の時間を割く様な真似をしたら問答無用で貴女を無一文にした後、氷点下の最中放り投げます。覚悟しておいて下さい、ね」
「! 良いのですか…?」
「この案、ゴミ箱にでも投棄しておきますか?」
「いえ! ユラ様、誠に有り難う御座います……!」
「ええ、それはどうも。……ですが、もっと利口になさい」
「はい!」
「良い返事です。いつもこうしてしっかりして下されば、これ程良い事は無いのですが」
重苦しい空気と両手から解放される。
どういう訳か免責が降りた。どうやら私の命日は今日じゃなかったらしい。類い稀な、珍しい事が起きた。ユラ様の人間臭さがこんな形で露見されただなんて他の軍人の方々が聞いたら先ず引っくり返る事請け負いだ。更にユラ様の回りに人垣が……いや、それはいつもの通りだ。
ユラ様の説教だけで肩がかなり凝り固まってしまっている。理由は簡単。目の前に君臨する此のお方のせいだ。絶対に。
「今、不意にワタシが貶された気がしたのですが?」
「き、気のせいです……」
「……まぁ、良いでしょう。ではこの企画書、目を通しておいて下さい。目処が立ったら試作品を幾つか、頼みます」
「ま、またですか……。今月だけでもう二十件目では……」
「ちゃんとワタシの言う事、聞いて下さいね……?」
「は、はい……」
「さて、結構時間を 食いました」
ちらりと腕時計に目配せをする。確かに結構時間が経っていた。
目先に佇んでいたユラ様は一度、奥の段ボール迄足を運んだかと思うと何かを手に私の座る場所まで戻ってくる。
手には私愛用のマグカップ。それを散らかった机の上へコトリ、となるべく丁寧に戻す。
姿勢正しいその姿はやはり軍人らしさを印象付ける。
「それでは、お待ちしていますよ。では」
「…は、はい! その、貴重なお時間を、失礼致しました!」
「ならば早速、仕事に取り掛かって下さい」
パタン、とペンキの剥げかけた木製のドアを潜り抜けて部屋を後にする。勿論上官であるユラ様にちゃんと敬礼している。流石に其処まで軍人としては終わっていない。
椅子から立ち上がったのも束の間、緊張の糸がふつりと途切れると私の足もだらしなく脱力しストンとそのまま椅子に直下する。
笑顔が張り付いている。どうして私は咄嗟にあんな事を口走ったのか。不可解でならない。けれど今はぐだぐだ考え込める猶予は無い。これ以上仕事を溜める訳にはいかない。そもそもユラ様の武器の試作品依頼がその他、依頼された製作時間を割く主な原因なのだが、そんな恐ろしい事を進言出来る訳が無い。何故だろう。年齢は私とそう変わらない筈なのに。彼の幼少期からの影響なのだろうか。深い所は全くもって私の窺い知れる範疇に無いが、幼さの欠片も見えないユラ様に、違和感を覚えるのはそう難しい事ではない筈だけれど。
軍部関係から初対面の人まで、妙に持て囃され、祭り上げられているな、と思える場面には何度も遭遇している。まぁ、確かにカリスマはある。カリスマは。年がら年中、といっても私が此処に配属されてから半年程だが、いつもニコニコと糸目なあのお方。やる事為す事全て流麗に、そつなくこなしてしまう。私は頼まれると本職以外では寧ろ仕事を増やす。同じ十四歳とは到底思えない。
うーん。謎だ。
取り敢えず先程渡された企画書やら何やらに軽く目を通す。
何々、レーザー機構。一点に於ける指向性は現在の技術の限界まで。高出力化に努める事。搭載は百余り。拡散光だけで……。やはりユラ様、鬼畜だな。もし仮にユラ様が敵軍として回っていたとなったら急遽白旗作って迅速に降参している。
いや、降参したとしてもユラ様の事。恐らくは……――
いつもの習慣で右手は紙面、左手はマグカップを掬う。何度かコップ自体を揺らした後、コーヒーの残りを飲み干す為にコップの縁に口を付けぐい、と 傾ける。
十個程入れた角砂糖漬けの甘いコーヒー。……の味がしない。
中を覗くと、まっさらなコップの底しか見えなかった。