金貨・銀貨・銅貨
むかし、「金貨」「銀貨」「銅貨」のお題で書いたショートショート3部作です。
「金貨」
彼は、乾いた風の吹く草原に立っていた。彼以外、誰もいない。──と思った、その時だった。
「助けて…」
どこからか女性の声がする。彼はかすかに、でもはっきりと聴き取った。
しかし、見回しても誰もいない。
「助けて…」
ふと足許を見やると、小さな、羽の付いた生き物がいる。妖精だった。彼女は、罠にかかって動けなくなっていた。
彼は罠を外し、彼女を自由にしてやった。
妖精は言った。
「ありがとう…。お礼に、この金貨を差し上げます。この幸運の金貨は、あなたの願い事を一つだけ叶えてくれます。あなたなら、この金貨を、正しいことに使ってくれると信じていますよ」
微笑む妖精。彼女は、そう言うと静かに飛び去っていった。
彼ははっと目醒めた。そう、夢を見ていたのである。しかし枕元を見ると、そこには本当に金貨が一枚落ちていた。
──幸運の金貨かぁ。昔、子供の頃、寝物語に聴かされたことがあるな。おとぎ話。でも本当にそんな物があったんだ。しかも自分の元に巡ってくるなんて、考えてもみなかったな……。
彼は、金貨を手にとって暫く考えていた。何に使おう? たった一枚だ。願い事は一つだけ。
ふと、その時よこしまな考えが脳裏をよぎった。
「幸運の金貨よ百枚になーれ」
目の前には、一〇〇枚の金貨が積み上がった。彼は、押さえようにもニヤニヤと嗤いが込み上げてくるのが止められなかった。狭いアパートの一室で夜中に一人、くっくっくと笑った。隣の部屋に聞こえないように、必死に声を押し殺しながら。
そうかこんな方法があったのか。しかし盗まれてもあれだ、他人の手に渡れば自分の身が危険だ。これ以上金貨は増やさないでそっと隠して置こう。
翌日から、彼は大金持ちになった。邸宅を建て、高級料理を食べ、仕事もせずに毎日遊び呆けていた。
憧れの女性の事を願うと、間もなく、彼女の方から彼に言いよってきた。
彼はその女性と結婚した。しかし、金貨のことは彼女には秘密だった。
彼は、人々の羨望の的となった。
全てが上手く行っている。何不自由ない。でも、何か満足できない──彼は思った。努力せずに得た幸福は、あまり幸福には感じられなかったのである。
どうしたら満足できる? 手許には、まだあと三〇枚くらいの金貨がある。
そうだ、世界を征服しよう! 世界中の全ての人と物を、自分にひれ伏させよう。そうすれば満足できるかも知れない。ついに、彼はそんな考えに思い至った。
これは大きな計画だ。金貨が沢山要るな。もう一回増やさないといけない。でも、少し作戦を練ってからにしよう。今日は疲れたしな……。
彼は、一晩休んで、翌日から世界を征服する計画を実行することにした。
──彼は、乾いた風の吹く草原に立っていた。
見憶えのある景色だ……、彼は思う。
目の前には、あの妖精がいた。彼女はとても悲しそうだった。そして、その手には一枚の金貨が握られていた。
「世界中の幸運の金貨よ、全て無くなりなさい。そしてその魔法よ解けなさい!」
妖精は唱えた。
まずい!
彼は何か言って止めようとした。しかし、焦って声にはならなかった。
妖精はふっと消えた。そして風になびく草だけが、視界には残っていた……。
はっと目醒めると、彼は、昔住んでいた安アパートの一室にいた。自分の妻もいないし、金貨で得た物は何一つ残っていない──。
布団の上には、妖精の涙が一滴だけ、うっすらと染みていた。(完)
「銀貨」
ある日のこと。
道に五〇〇円玉が落ちていた。男が通りかかった。彼は、それを拾うと、自動販売機でマイルドセブンを買ってしまった。
道に五〇〇円玉が落ちていた。若い女が通りかかった。彼女は、それを拾うと、連れと二人でコーヒーを飲んでしまった。
道に五〇〇円玉が落ちていた。おばさんが通りかかった。彼女は、ニヤッと笑うと、それを自分のがま口に入れてしまった。
「この星も消した方が良さそうだな」
宇宙人は、ミサイルの発射ボタンを押した。(完)
「銅貨」
「どうか、私に、銅貨を下さい」
こんな駄洒落の様な台詞が巷間で流行ったのは、もう二年も前のことだ。時の経つのは早いものだ。あなたも当時のことは憶えていることだろう。
一〇円玉乞食──人々は彼等をそう呼んだ。
最初、池袋周辺に彼等は現れた。
一度でも見たことがある人には分かると思うが、彼等の容姿というのは全く同情を引かないではおかない物なのだ。髪はボサボサ、大抵一寸左足がびっこを引いて、痩せていて、背も丸まっていて、とても哀れな身なりだった。そして目は憂いに沈み、無口だが、人が通りかかると弱々しい声で必ずこう言うのだった。
「どうか、私に、銅貨を下さい」
殆どの人は、この哀れな乞食を見ると、つい同情して一〇円上げてしまうのだった。たかが十円という気持ちもあったのだろう。無視して通り過ぎる人の方が少なかったくらいである。
そのうち、この十円玉乞食は、池袋以外にもあちこちに出現するようになった。そして、彼等はみんな左足がびっこを引いてボロボロの服を着ていたのである。人々は、さすがに「おかしいな?」と思うようになった。
テレビの番組でも取り上げられ、彼等は宇宙人が化けているという説まで出た。レポーターが「あなたは宇宙人ですか」と乞食に尋ねて無視された場面が受けて、何度も再放送されたりしたものだった。
ところが、話題になるとすぐ真似する人々が出てくるのは今も昔も変わらない。一〇円玉乞食がブームになり、町は、たちまち真似をした沢山のにわか乞食で一杯になった。
彼等は、この流行語にもなった「どうか、私に、銅貨を下さい」を繰り返した。
しかし人々の財布には普通、数枚の銅貨しかない。故に、乞食達は客の取り合いを始めることになった訳である。客の取り合い──そんな物を見れば、人々はたちまち興ざめしてしまう。しかも十円玉乞食が群がってくるなんて、おぞましい光景だ。
かくして、十円玉乞食はみんなから無視されるようになり、忌避されだし、やがて誰一人残らず消えてしまったのである。
最近見かけるのは、せむしのとか、目の不自由なのとか……。まさか、今度はこんなのが流行るんじゃないだろうな? 流石にそれは無いだろうと思うが、変なご時世だからな。分からないぞ──。
× × ×
「会長、今月は約一億二千万円集まりました」
「そうか、まずまずだな。早速難民救援団体に匿名で送れ」
ここは、ある大きな家の一室。乞食ロボットが何体かある。そして、それぞれの胴体には、何千枚、何万枚もの一〇円玉が入っていた。
「しかし君、びっこの奴は一寸やり過ぎたんじゃないかね。あの時、十円玉乞食が流行らなかったら、何処かの週刊誌にスクープされていたかも知れんぞ」
「は。会長すいません。あまりびっこのが上手く行ったので調子に乗りすぎました」
「気を付けろよ。──で、君としてはこれからどうする積もりかね」
「はい。ひとまず、びっこのを回収して、せむし、めくら、手足の不自由なのなど、いろいろ作ってみました。あと、疑われるのを防ぐために、五体満足なのも作りました。──本当は、あんまり儲からないので作りたくなかったのですが」
「そうか。取りあえず、当面は大丈夫だろう。しかし今後も気を付けろよ」
「はい」
「ご苦労だったな」
「いえ、恐縮です」
男は会長に向かって頭を下げる。それから、おずおずと尋ねた。
「会長、我々のしていることは本当に世の中の役に立っているのでしょうか?」
「君は、この仕事の何処か間違っていると言うのかね」
会長は、一寸眉をひそめる。
「そう言う訳ではないのですが、なにぶん人々を騙していることになる訳ですし……」
と男。
「成る程。でも、人々は乞食を哀れんで十円玉をくれるのだろう。強制はしていない。それを良い事に使っているのだし、別にいいではないか」
「でも……」
「なに。今時たかが十円、たったの十円だ。だが塵も積もれば山となる。一億二千万円で一体どれだけの人が助かることか、君は考えたことがあるのかね?」
男は会長に説得されてしまった。お辞儀をして立ち去ろうとする男に対し、会長は付け加えた。
「それにだ」
ニヤッと嗤い、
「乞食に十円くれてやる時の気分も、満更ではないんだぜ」
「どうか、私に、銅貨を下さい」
乞食ロボットの立つ街角、人々は何となく良いことをした気分になって歩いていた。(完)