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社畜輪廻  作者: おぷっち


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9/16

ループの請求書と備品扱いの唐揚げ

オフィスの空気が、心地よい達成感で満たされていた。

「やりましたね、加賀谷さん!」

経理の佐藤さんが、興奮を隠しきれない様子で声を弾ませる。隣では、営業の鈴木くんが力強く頷いていた。

「まさか、あの田中部長を完膚なきまでに論破するとはな!痛快だったぜ!」

俺たちの手で作り上げた資料が、部長の権力という名の分厚い壁に風穴を開けた。一個人の暴走だったはずの俺の計画は、今や『全社的な悲願』へと姿を変えた。そうだ、俺はもう一人じゃない。孤独なループの中で戦っていた、ただの「すみませんボット」じゃないんだ。



高揚感が胸を満たした、その時だった。

ポケットの中でスマホがけたたましく振動する。画面に表示された名前は『タカシ』。親友からの着信だ。

胸騒ぎがした。ついさっきもかかってきた、あの不穏な電話の続きだ。

「もしもし、タカシか?どうした?」

『か、加賀谷…!た、頼む、来てくれ!店が、店の様子がおかしいんだ!』

電話口から聞こえる声は、明らかにパニックに陥っていた。ただ事じゃない。

「分かった、すぐ行く!」

俺は佐藤さんと鈴木くんに「すまん、急用だ!後は頼む!」とだけ言い残し、まだ温かい勝利の余韻が残るオフィスを飛び出した。



階段を駆け下りながら、嫌な汗が背中を伝う。ループがもたらす予測不能な副作用。俺の行動が、どこかで歪みを生んでいるのか…?

タクシーを拾い、タカシの店の住所を告げる。窓の外を流れる景色が、やけにゆっくりと感じられた。



店に着くと、そこには信じがたい光景が広がっていた。店のシャッターは半分閉まり、その前で親友のタカシが頭を抱えて蹲っている。その手には、発注用のタブレット端末が握られていた。

「タカシ!大丈夫か!」

駆け寄る俺に、タカシは力なく顔を上げた。その目は絶望に濡れている。

「加賀谷…もう、だめだ…」

震える指が、タブレットの画面を俺に向けた。そこに表示されていた文字列を見て、俺は呼吸を忘れた。



『品名:秘伝の唐揚げ / 分類:備品(消耗品)/ 管理部署:業苦商事 総務部』



なんだ、これは。

脳が理解を拒む。秘伝の唐揚げが、備品?消耗品だと?そして、なぜ管理部署が俺の勤めるブラック企業、業苦商事になっているんだ…?

指先から冷気が這い上がり、心臓が氷の塊になったような感覚に襲われた。俺が提案した、全社的な業務効率化。コストカット。備品管理の最適化。その『思想』が、クロノスの手によって歪められ、世界に伝播した結果だ。俺の正義が、親友の夢を会社のボールペンやコピー用紙と同じカテゴリに分類してしまったのだ。



呆然と立ち尽くす俺のポケットで、再びスマホが震えた。非通知。

出るまでもない。息を殺して通話ボタンを押すと、受話器の向こうから、あの男の愉悦に満ちた声が聞こえてきた。

『おめでとう、加賀谷くん。君の『正義』は、親友の夢を『コスト』として処理したようだ』

クロノス…!

『それが世界を書き換えるということ…その『インク代』の最初の請求書だよ』

嘲笑う声が、鼓膜を突き刺す。インク代だと?俺が世界を書き換えるための、インク。その代金を、タカシが払っているというのか。

『素晴らしいじゃないか、君の効率化は世界に影響を与え始めた。これが『インク代』の最初の請求書だよ。支払いは、君の親友持ちだがね』



その言葉が引き金になったかのように、隣でタカシが慟哭した。

「なんでだよ…なんで俺の店の唐揚げが、『業苦商事の備品』なんだよぉ…!俺の夢は消耗品じゃないんだよ!」

親友の悲痛な叫びと、クロノスの冷酷な嘲笑が、俺の頭の中で混ざり合う。胃の腑が鉛のように重くなり、同時に頭に血が上る。視界が赤く染まり、膝が笑い出しそうになるのを奥歯を噛みしめて堪えた。



だが、ここで折れるわけにはいかない。

俺は震える拳を強く握りしめた。自己否定の沼に沈みかけた意識を、タカシの涙が引きずり上げる。

「…俺が始めたことだ。俺が終わらせる」

俺はタカシの肩を掴み、真っ直ぐにその目を見た。

「どんなクソゲーだろうが、バグがあるなら、俺がデバッグしてやる」

宣言し、自分のノートPCを開く。これは、俺がループの中で得た『借り物の力』を、初めて大切な誰かを守るために使う瞬間だった。

業苦商事のシステムに外部からアクセスを試みる。案の定、強固なセキュリティウォールに弾かれた。

「くそっ、正面からは無理か…!」

だが、俺は知っている。ループの中で何度も見た、今は使われていない古いメンテナンス用のバックドアの存在を。

指がキーボードを叩く。カタカタと乾いた音が響く。コンソール画面に、俺だけが知るコマンドを打ち込んでいく。あった。タカシの店の物流システムに紐付けられたコード。ただ書き換えるだけでは不正アクセスのログが残る。それでは意味がない。俺はコンソール画面に、もう一手間加えた。この変更の実行者を、俺じゃない…『権限者(黒川課長)』のアカウントIDに偽装するコマンドを。これで記録上は『正規の仕様変更』となるはずだ。俺は、そのカテゴリ分類を『備品』から『食品』へと力ずくで書き換えるエンターキーを、叩きつけた。



「…どうだ!」

タカシが弾かれたようにタブレットの画面を見る。さっきまでの無慈悲な文字列が消え、見慣れた発注画面に戻っていた。試しに材料を発注すると、今度はエラーが出ずに注文が確定した。

「直った…!加賀谷、直ったぞ!ありがとう…!本当に、ありがとう!」

涙ながらに感謝するタカシに、俺は「ああ」と短く返すことしかできなかった。素直に礼を受け取れない。原因は、俺なのだから。



根本的な解決じゃない。クロノスの声が、警告のように脳裏で反響する。これは、始まりに過ぎない。

重い足取りでオフィスに戻ると、そこには異様な空気が漂っていた。

佐藤さんと鈴木くんが、心配そうに俺を見ている。その視線の先。

田中部長が、満足げな笑みを浮かべて立っていた。

そして、その隣には――プロジェクトの責任者に正式に任命された辞令を手に、虚ろな目で立ち尽くす黒川課長の姿があった。

瞑想から覚めたのか、その瞳には何の光も宿っていない。



自分の蒔いた種が、最悪の形でパワハラ上司を『ボスキャラ』に昇格させてしまった。

俺は、新たな、そしてより理不尽な戦いの始まりを予感した。

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