転職エージェントは君の才能を評価する
不規則に明滅する蛍光灯は、オフィスを悪夢のディスコへと変えていた。PCモニターの祭壇は無数の猫画像で埋め尽くされ、プリンターは延々と『ドラ息子商事様』という呪詛を吐き出し続ける。
その荘厳にして冒涜的な空間の中心で、田中部長と黒川課長は恍惚の表情を浮かべていた。
「おお……先生の創造が、今、始まろうとしている……!」
「なんと荘厳なカオス! これこそ、産声!」
対照的に、部屋の隅では佐藤さんと鈴木くんが両手で顔を覆い、カタカタと震える。
「もうおしまいだ……」
「経費で唐揚げ頼む会社なんて聞いたことない……」
俺はそのシュール極まる光景の中心で、クロノスに乗っ取られたスマートフォンを握りしめていた。画面には『美咲』の名前。緑色の通話ボタンが、光る。
……震えるな、俺の指。
これはただの通話ではない。宣戦布告だ。震える親指に全ての覚悟を込めて、画面を強くタップした。
プルルル、という機械的な呼び出し音の代わりに、鼓膜に直接響くような、滑らかで心地よいテノールの声が流れ込んできた。
『お電話ありがとうございます。あなたのキャリアを次のステージへ。転職エージェントのクロノスです』
「……美咲は、無事なのか」
絞り出した声は、自分でも驚くほど掠れていた。
『ご安心を。彼女の『回線』はこちらで安全に保管しております。万全のセキュリティですよ』
回線、だと? ふざけた物言いに腸が煮え繰り返る。俺が口を開くより早く、クロノスが言葉を重ねた。その声には、心底同情するかのような響きが混じる。
『加賀谷さん。彼女が君を忘れてしまったこと、お辛いでしょう。ですがね、それは仕方のないことなのですよ。なぜならそれが――『世界の修正を望む彼女自身の無意識』だからです』
「……なんだと?」
『彼女は優しい。だから、君が歪めた世界で、君がその代償に苦しむ姿を見たくなかった。君を忘れることが、彼女なりの、この世界なりの防御反応だったのですよ』
ズキンと、罪悪感が心臓を鷲掴みにする。俺のせいだというのか。美咲を、このループを利用したせいで、彼女を苦しめ、忘れられるという罰を俺が与えたと?
視界がぐにゃりと歪み、立っているのがやっとだった。
絶望が全身を蝕んでいく。クロノスの言う通りなのか? 俺がやっていることは、ただの自己満足で、美咲を傷つけているだけなのか?
……違う。
違うはずだ。俺が信じなくてどうする。
俺はふらつく足で、オフィスの隅に立てかけてあった私物へと歩み寄った。昨夜のうちにこっそり運び込んでおいた、ホコリを被ったギターケース。
かつて、面倒くさいと鍵をかけて捨てた俺自身。その象徴。
ぎこちない手つきでギターを取り出す。チューニングなんてめちゃくちゃだ。それでも構わない。
指が弦に触れる。冷たい金属の感触が、現実を教えてくれる。
「美咲……聞こえるか」
歌うように、語りかける。
拙いメロディが、混沌としたオフィスに響き渡った。コードなんて知らない。ただ、美咲との思い出、彼女の笑顔、交わした言葉、その全てを音に乗せる。
頼む、届け。俺はまだ、ここにいる。
すると、信じられないことが起きた。
手の中のスマホの画面が、チカッと光る。文字化けしていたはずの『■■■■』が、一瞬だけ、はっきりと『美咲』の二文字に戻ったのだ。
それだけじゃない。透けかかっていた俺の指先が、確かな実体を取り戻していた。
「……!」
繋がった! 才能を使うことが、俺の存在を、美咲との繋がりを繋ぎ止める鍵なんだ!
一筋の光明が差した。暗闇の先に、確かな希望が見えた。
まさにその瞬間。
『――素晴らしい! その絶望に染まった表情! 君という逸材を、最高のステージ(ここ)で輝かせ続けたいのですよ、私は!』
スマホから、愉悦に満ちたクロノスの哄笑が響き渡った。
ハッと画面へ視線を落とす。表示された『美咲』の名は、テレビの砂嵐のような激しいノイズに掻き消された。再び、意味をなさない黒い四角『■■■■』へと戻る。
たった数秒で、希望は絶望に塗り替えられた。
『無駄な足掻きです、加賀谷さん。その才能は、使えば使うほど彼女の精神に負荷をかける。君の自己満足が、彼女を苦しめているのですよ。分かりますか? 君が彼女を想えば想うほど、彼女の『回線』は悲鳴を上げるんです』
息が、止まった。
良かれと思ってやったことが、彼女を傷つける?
そんな、馬鹿な。
全身から力が抜け、ギターが床に滑り落ち、ガシャンと耳障りな音を立てた。
「君のその素晴らしい自己否定、最高の逸材だ!」
クロノスの言葉が、絶望の底に沈んだ俺の意識を無理やり引きずり上げた。
……最高の、逸材?
自己否定が?
恐怖と絶望で麻痺していた思考が、逆にクリアになっていく。
そうだ。こいつは、俺の自己否定を糧にしている。俺が諦め、絶望し、自分を責めれば責めるほど、こいつは強くなる。
ならば。
「……そうか」
俺はゆっくりと顔を上げた。恐怖は、まだある。だが、その奥で、静かな怒りの炎が燃え上がっていた。
「お前は、俺が諦めるのを待ってるだけなんだな」
『……ほう?』
クロノスの声から、初めて愉悦以外の感情が滲んだ。
俺は床に落ちたギターを拾い上げ、埃を払った。スマホを耳に当て、はっきりと宣言する。
「上等だ、クロノス。お前の土俵で勝負してやる。最高の職務経歴書を完成させて、お前から美咲も、俺の人生も、全部取り戻してやる!」
ツー、ツー、と無機質な通話終了音が響く。
膝から崩れ落ちそうになるのを、ギターを杖代わりにして必死に堪えた。疲労困憊だ。だが、心は折れていない。
その時だった。
「先生ッ!」
「おお、先生! 今の曲こそ我らが社の魂を揺さぶるコンセプトソングですな!」
何も理解していない田中部長と黒川課長が、涙を流しながら駆け寄ってきた。
もう、呆れる気力もなかった。
俺は立ち上がり、恍惚とする部長と課長に、ニヤリと笑いかけてやった。
「ええ。ですがこれは序曲に過ぎません。次の『創造』は、この会社のUI/UX……つまり『見た目』から変えます」
俺はそう宣言すると、オフィスの壁に掲げられた、古臭い茶色の額縁に収まった『社訓』を不敵な笑みで見つめた。
さあ、デバッグの続きだ。




