第2章 風のまなざし
クラスメイトたちの喧騒から距離を置き、図書室の窓辺の席でいつも本を読んでいる彼女のことが、気になるようになったのは、高校2年の夏休み前のある国語の授業がきっかけだった。
その日、国語の先生は、谷川俊太郎の「二十億光年の孤独」を取り上げていた。
「──じゃあ、この詩を読んで、どう思いましたか?」と、先生に指名されたのが彼女だった。
僕は、どうせ入試には出ないからと、他のクラスメイトと同じように、蒸し暑い教室の中で、ぼーっと窓の外を眺めていた。
「伝わらない言葉を、あきらめずに宇宙に投げかけ続けることが孤独なら、私は孤独を選びます」
彼女の凛とした声に、僕は思わず息をのむ。言葉にならない何かが、胸の奥を貫くのを感じながら、彼女の横顔をみていた。
受験に対応したマニュアルを優先した授業で、望んでいた模範的な感想ではなかったからだろう。先生は、特に彼女の視点に賛同することも注目することもなかった。
でもその時の僕は、彼女の言葉が内側の深いところに、静かに降り積もっていくのを感じていた。
僕は、彼女の発想に惹かれ、その考えの背景を知りたくなった。そして彼女がいつも読んでいる本のことが気になった。
僕は、彼女の読む本のタイトルを盗み見して、図書室で借りて読むようになった。
なんとか話をするきっかけが欲しくて、彼女がよく読んでいた作家の本を、あえて彼女の視界に入る席で、読むようになった。
そして、僕のささやかな作戦は成功し、お互いの読んでいる本について、一言二言、言葉を交わすようになった。
何か目的があったわけでもなく、ただお互いの間に、穏やかな共感の時間が流れていた。
彼女と交わす言葉は、ごくわずかだった。
けれどそのわずかなやりとりが、僕の心を温かく包んでくれていた。それがこの上もなく心地よかった。
その静かな時間と空間が、どれほどかけがえのないものだったか──それに気づいたのは、ずっとあとになってからだった。
あの頃の僕は、あの静かな午後のひとときが、いつまでもずっと続くような気さえしていた。
けれども高校卒業と同時に、それは懐かしい思い出になってしまった。
図書室の 窓を開いて つぶやいた
旅立つ君に 幸あれかしと
そして、その思い出さえも、新しい日常の中で、いつしか忘れてしまっていた。
──あの窓からの風とともに、遠くへ旅立ってしまったように。
全8章予約投稿済。毎日8時10分と20時10分に投稿します。