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プロローグ

私たちの高校は、城跡(しろあと)の小高い丘の上にあった。

校門から正面玄関へと続く、緩やかにカーブした坂道。両側に桜並木が植えられていて、春には桜のトンネルができた。風が吹くたびに花びらが舞い、坂道全体がほんのりと薄紅色に染まる。


図書室の窓からは、その坂道が一望できた。

まだ公立の学校にはクーラーなどなかった時代。開け放たれた窓から風が吹き込み、白いカーテンを静かに揺らしていた。


放課後、私はいつもその窓辺に座り、本を読むふりをしながら、坂道を下る彼の背中を目で追っていた。



仕事から帰宅して、マンションの郵便受けに、懐かしい白い封筒を見つけたとき、そんな遠い記憶が胸を満たした。

母校の名前と、桜の花を(かたど)った校章が印刷された白い封筒。律儀に10年ごとに届く同窓会の案内だ。


私はこれまで、一度も同窓会に参加したことがない。

10年目は、結婚や出産の報告ラッシュの時期で、まだ結婚も出産もしていなかった私は、なんだか気後れがして欠席してしまった。

20年目は、結婚していたけれど、ぎくしゃくした夫婦関係に、離婚を迷っていた時期。

30年目は、親の介護でそれどころではなかった。


そして、40年目の今年。

部屋に入って、そっと封筒を開けて、案内状を取り出す。場所と時間を確認しながら、ふと思う。彼は元気だろうか?


私は彼と特別親しいわけではなかったし、隣の席になったこともない。ただ、図書室の窓際の席で、本を読む彼の姿を、私はいつも見ていた。


教室での彼は、クラスの男子たちと笑い合い、ふざけあっていた。けれど図書室ではまるで別人のように静かだった。


すっと背筋を伸ばした彼の横顔に心惹かれ、いつしか彼の姿をみるために、図書室に通うようになっていた。

誰にもそのことを話さなかったし、きっと誰も知らないはずだ。


10年後はないかもしれない。行ってみようか。

ふとそんなことを思ったけれど、今更行っても…と躊躇う気持ちが強かった。


スマホが小さく震える。千佳からのLINEだった。

「案内届いた?」

私は、うさぎがコクリと頷くスタンプを返した。


「私、幹事だから。参加よろしく」

千佳は、私の参加を期待している。


でも私は決められずにいた。

封筒を手にした瞬間、確かに行ってみたいと思った。

でも今さら、何を話せば?という気持ちも強い。

すっかり年を重ね、それなりになった自分をさらす勇気もなく、思い出のままでいいと自分に言い聞かせながら、不参加という決断もできずにいた。


だから、千佳のメッセージを、既読スルーしてしまった。


千佳とは、小中高とずっと同じ学校だった。でも親しくなったのは、同じ大学に通うようになってから。


明るくて、筆マメで、面倒見がいい千佳は、人生の混乱期で返信できずにいたときも、私の不義理を責めることがなかった。

「お互い様だよ」と笑って流してくれて、時には黙って私の好きなプリンを差し入れしてくれた。私にはできすぎた友人だ。


そんなことを考えていると、千佳からメッセージが届いた。


「私は『行きたい』って思った気持ちは無視しないって決めてるの」


「人生の宿題、もうこれ以上、抱えていたくないから」


「ま、どうするかは人それぞれ、自由だけどね」


3通のメッセージは、少しずつ間を置いて送られ、さりげなさを装いながらも私を気遣う千佳の優しさが伝わってきた。


「人生の宿題」──その言葉が、胸の奥をそっと揺らした。

あの瞬間、確かに「行きたい」と思った気持ち。


そうだ。この気持ちを無かったことにするのは、もうやめよう。

私は「行く」という一言と、うさぎが合掌するありがとうのスタンプを返した。



そして、同窓会の当日。

校門から坂道を上る途中、ふと視線を感じて顔を上げた。懐かしい校舎の2階の右の端。五月の光が差し込む図書室の窓に、人影が見えたような気がした。


私は、いつも下校する彼を、あの窓から見送っていたのだ。

風がそっと光を運んでくるように、忘れていた何かを、取り戻せる気がした。


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