三.
次の日、わたしは昼食後に自転車を借りて、ひとりで出かけてみた。
何が起こるか分からないので、少しでも土地勘をつけておきたかった。
大火後のH市の中心には郵便局があり、その北の道をたどっていけば、松林につき、幹のあいだから鮮やかな海の藍が目についた。砂は黄色に近い茶をしていて、潮に浸かると、使い込んだ家具のような色に変化した。海水浴場はあったが、海の家や脱衣場のような施設はなく、崩れかけた小屋の横でイカを干した紐が張り渡されていた。引き上げられている舟はどれも発動機が無く、網を百尋も積めば一杯になる小舟ばかりだった。
砂場の道は暑かったが、わたしは学生帽と紺の詰襟をつけて、自転車を押していた。北に進むうちに水草を敷いた浅い河口にぶつかった。時おり、セイゴが水を蹴って飛び上がり、きらめきを放つことがあるかと思えば、小さなボラの群れが水面すれすれを泳いで口を上に突き出し、川面にいくつも小さな穴を開けていた。川の向こうは焼けた町だったが河岸には青い葦が密に茂っていたので、屋根の高さまで伸びた焼け杭しか見えなかった。
わたしは自転車を東へ向けて、道を上がってみた。
燃え落ちた橋の杭が見えたところで南へ曲がると、空き地の目立つ小さな町に入った。そこは漆喰壁のヒビから生えた雑草さえ引き抜く気になれない、下り気味の土地だった。ほぐれかけた酒樽を積んだ酒屋、だれきった針が六時三十分で止まった時計屋の時計塔、駐在所の奥に旅の坊主が閉じ込められているがそれも三味線を持っていたからだ。
しばらくあてもなく、トラックに引っかけられないよう道の端を走っていると、壁のない瓦葺の作業場があった。そこには人が悠々と立ち泳げるくらいの大きな桶が並び、大きな炉から伸びる煙突が瓦葺屋根を貫いて、白い煙を吹き流していた。そこでは半纏の男たちが働いていて、かき混ぜたり、くべたり、タイガー計算機械のキーを押したりしていた。醤油か酒でも仕込んでいるのだろうか。
「仕込んでいるのは醤油でもないし、お酒でもないのですな」
考えていることを突然、口に出されて、驚いた。振り向くと、オートバイにまたがった老人がこちらを見て、ニコニコと笑っていた。角のないカブトムシみたいな革の帽子をかぶり、油で汚れたゴーグルをつけていたが、着ているものはワイシャツで、ネクタイを胸ポケットに突っ込んでいて、明治時代の大臣みたいな末が跳ね上がった口髭をたくわえていた。
「樫原さんのところのお客さんですかね?」
「はい、そうです」
「学生さんかね?」
「そんなところです」
「向こう岸には渡ったことは?」
「燃え尽きた町ですか?」
「そうなんだ」
「まだ行ったことはありません」
「いずれ行ってみるといいかもしれないですね。人が生まれついた土地について面白い解釈ができます。――さあ、来てください。南へ通じる道路へ案内しますよ」
桶と煙突の工場からさらに奥にいくと、坂があり、上ると、石垣に挟まれた道に出た。
「これは掘割にする予定だったのですが、ほとんど出来上がったところで、坂の上につくってしまったことに気づきました」
「あなたもこの町の出身ですか?」
「ええ。たぶん、あなたが想像しているよりも昔から、ここにいます。戦前から」
「戦前?」
「ええ。戊辰戦争よりも前から」
礼儀として、くすりと笑っておいた。「あなたは百歳には見えませんね」
「この町に住んでいると、時間の流れがよそよりも遅いからでしょう。なにせ天狗が飛ぶ町です」
「天狗が人をさらうことについて、この町の人びとはあまり心配していないようです」
「ええ。天狗が生活、というか人生の一部になっているからです。この町の人にとって、天狗にさらわれるのは出稼ぎにいくようなものなんですよ。だから、心配はしないのです。かといって仕送りがあるわけではないですがね」
わたしは自分の考えが読まれたとき、連絡役がよこした見張りか何かだと思っていた。だが、話しているうちに自信がなくなってきた。
「樫原さんの両親も天狗にさらわれたんですよ」
「初耳です」
「まだ、春代さんが小学生だったとき、戦時中ですね。両親が一度にさらわれました。当時、樫原さんの家で成人していたのはおばあさんだけでしたが、十年くらい前に亡くなられました。いまは婿養子の方が、樫原の家を盛り立てようとしていますが、この通り、大火があって、ずいぶん財産が焼けました。かつての勢いを取り戻すのは無理でしょう。ただ、いま、あの家にお住みになっているなら、ご存じかと思いますが、あの通り、明るい方ですから、家全体の沈んでいく雰囲気をなんとか食い止めている様子です。わたしとしてはご無理をしていないかと心配なんですが」
偽りの明るさ。そういうこともあるのかもしれない。
「天狗についておたずねしたいのですが」
「はい」
「さらわれて戻ってきた人はいるんですか?」
老人は考えるように少し顎を下げた。
「いませんね。わたしが知っている限り」
わたしは老人の案内で門前通りに戻った。きいた話では大きな羅刹や神社はみな北にあり、残っているのは小さな寺と草木に埋もれた祠ばかり、あの禅寺が一番大きな寺だとのこと。
山門の瓦が白々と真夏に染まっているのが見える。すぐに階段が丘を登るらしく、本堂は見えなかった。丘は緑樹のふくらみだ。
わたしはカシハラ屋敷に戻ることにした。
昼食を取り、離れに戻ると、夕方まで勉学に励んだ。
それが、いまの自分に期待されている行動だからだ。