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2 はじけようぜ

 せっかく何本もボトルを入れたのだからと賑やかな客たちに混じって聞くつもりが、とつぜんの乱入者ならぬ乱入竪琴を迎えた演奏に、コカは釘づけになって動けなかった。

 ずるいくらいに、やわらかい。

 やわらかくて、あらゆる戦意を喪失させるような音。コカの刺々しい心はあっというまに均されて、立ち上がる気力すら起きず、カウンターに上半身を預ける。ため息が出た。

 曲は、この街の岩加工職人たちが仕事をしながら掛け声のように歌われるありきたりなもので、格式高さはないが、通りを抜ける岩風によく馴染んだ。

 くたびれた風貌の男が、小さいながらも雰囲気のある竪琴に変化したことに驚いたのは間違いない。が、やけに強い光を宿した瞳のことを考えれば、おおかた古い楽器に魂の宿った精霊かなにかなのだろうと予想はつく。

 すぐに状況を理解して竪琴に持ち替えた青年もまた、人ではない者の血を引いているのかもしれない。だからこそ、歌と竪琴があわさったとき、こんなにも複雑な響きになるのだろう。

 それが、ずるい。

 コカがコカである限り、一生届くことのない音だ。

 けれども本当は、ずっと、魔法の歌を歌いたかった――


 カウンターでの気怠い雰囲気はどこへやら、ウルメザは竪琴の姿のままステージに留まり、酒の入った陽気な客たちに代わるがわる演奏された。そこには、コカに嫉妬の目を向けていた女や、コカが歌姫だと気づいた男も含まれていた。奇妙な竪琴のいるステージが、この酒場の日常なのだ。

 けっきょく悲しんでいるのは自分だけじゃないかと、コカはまた酒を煽った。

 それでも、コカのやさぐれは顔を引っ込めたまま出てこない。

「……へんなの」

「あいつぁ、すぐ演奏されたがるからなぁ」

 注文が落ち着いてきたのか、静かに洗い物をしていた店主が、コカの独り言にそう返事を寄越してきた。

「あれって演奏されたがってるの?」

「そうさね。駅や公舎なんかに、誰でも演奏できるピアノが置いてあるだろう? ウルメザも昔は、あちこちで『演奏歓迎』と看板を立てて転がっていたもんだ」

「なにそれ」

「ピアノならともかく、道端で気軽に竪琴を弾ける奴なんてそうそういねぇからなぁ……オレが若いころ――まだこの店を継ぐ前だったが――音がいいのにもったいねぇと、来てもらうことにしたんさ。いちおう、持ちつ持たれつの関係が続いてるよ」

「へえ……なに、楽器なら、弾かれたいと思うってわけ?」

 店主はなにも答えず、ただ穏やかな笑みが返ってきた。目尻に刻まれた皺の数に、コカはそっと息を吐く。

(それ以上は、本人から聞けということか)

 さて、どうなのだろう。人と同じかたちでいるときのウルメザは、人生に疲れてしまったというような、悲壮感の漂う印象を醸していた。あれが、弾かれたがってるって?

 コカは鼻で笑いそうになるのを懸命にこらえた。

 竪琴を囲む客たちはたしかに楽しそうだが、楽器の心など、コカにわかるはずもない。


 しばらくして、ウルメザは最初と同じようにぽんっと人のかたちに変化し、なにごともなかったかのようにカウンター席へ戻ってきた。

 なぜか先ほどよりも髪が乱れていて、しかしそんなことはおかまいなしに、彼は愛煙家らしく新しい煙草を咥える。火をつけようとするその手を、コカは握ってとめた。

「あんた、精霊?」

「風竪琴の竜の、末裔」

「へえ、竜……え。は? 竜!?」

「仮にも音楽家だろうに。竪琴の竜も知らないの」

「知ってる、知ってるけど、本当に竜だとは……いや、というか……さっきのあれって竜なの?」

 一族内で、互いに弾きあいながら旅芸人のように各地を回る、竪琴の竜。彼らの物語はたしかに有名だ。だが、それがおとぎ話でないことを誰が信じるというのだろう。ましてや、身体そのものが楽器だなんて。

 にわかには信じられない。コカがそんな思いでしげしげと眺めれば、ウルメザは「……仕方ないな」とコカの手の中で竪琴に変化してくれた。

 暗褐色の硬い鱗に、しなやかな体躯。強い力を内包した瞳。人間の子供でも抱えられるほどに小さいが、たしかに竜だ――顎先から尾の先へ、胸から腹へ、何本も弦が張っていることを除けば。

 小さくなったことでウルメザの口いっぱいに詰まってしまった煙草を、コカは不思議な気持ちで取り除いてやった。

 それから指の腹でそっと弦を撫でると、ささやかな、それでいて艶のある音が鳴る。

「まいったな……こんな、いい音」

 ふいに、コカは幼いころ覚えた歌を口ずさんだ。


 風来の谷霧 もくもくと

 朝よ 朝よと 鶏が鳴く!


「その歌なら、演奏されてもいい」岩を削るような乾いた声で、竪琴なウルメザは呟いた。

「わがままな楽器だ」

 コカも乾いた笑いを返したが、張った虚勢はそう長くは保たなかった。いちど鳴らされた音楽が、やんだあとも長く心に残るように。

 灯ってしまったその熱は、簡単には消えやしない。

 簡単に消してしまうことを、人ならざる者が許さない。

「息の詰まる歌は嫌いなんだ」

 ウルメザの乾いた声には、濁々とした渇望がひしめいていた。

(あたしは)

 いつから息を詰めていたのだろうか。

 音楽は、開放だ。自由なものだ。歌劇場にいるあいだに、そんなことも忘れてしまった。

「な、もっと(はじ)けようぜ」


 それは夢のような時間だった。

 ステージとはステージ上に限らない。客と客のあいだを、店と店のあいだを、通りを、曲を奏でて練り歩く。コカは酔っているのかもかもしれないと頭の隅で感じながら、どうでもいいやと大きな声で歌った。

 歌姫らしくよく澄んだ声は、風竪琴の竜が紡いだ音に乗せられどこまでも広がる。

(次はどの曲にしようか)

 フーア国には祈りの歌が多い。そこらの子供でさえ知っている、聖なるものへ捧げる歌がいいだろうか。こんな、泣き喚きたいような夜。届く祈りくらい、あってほしい。

「弾ける空の――」

 そうして最初のフレーズを口にした瞬間。

「終わりだ」

 手の中から竪琴が逃げ出した。そのまま人のかたちに戻って大股で歩くウルメザを、コカは小走りで追いかける。やたら体格がいいので、とにかく速い。

 店へ戻ったウルメザは、さっさとカウンター席に座り新しく酒を頼んでいた。

 急に演奏がやめられても、コカの心はふわふわと浮ついたままで、その心情を表すかのように金髪を揺らしながらカウンターにもたれかかった。

「ね、マスター。空透かしを氷でちょうだいよ」

 呆れながらも、こんどこそ店主は頷いた。が、出されたグラスは横からかっ攫われる。

「ちょっと!」

「あんたにゃ早い」

「こう見えてけっこういい歳なんだけど?」

「聖人に祈りを捧げるような奴がか?」

 ひと息でグラスは空になる。こちらへ向けられた強い視線。

 風竪琴の竜は、静かに告げた。

「おれの一族はみんな、聖なる(・・・)星降りの夜に、殺された」その声はひどくざらついていた。「両親も、祖父母も。妻も子も、みんな死んだ」

 聖なる星降りの夜。

 今は亡き聖人たちが、弱き人間と心を通わせた夜。

 そういうことになっている夜。

 この美談が単なる言い伝えにすぎないことは歌劇場に所属する歌手として薄々察していたが、コカの周囲にいた当時を知る者は老いぼればかりで、実のある話は聞けなかった。

「あの日を知らない人間なんざ、どいつも赤子みたいなものだ」

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