野獣乙女と呼ばれた麗人
「ラシャーナはとても綺麗だね。それだけに、魔法が使えないのは本当に残念だよ」
私は幼い頃から両親にそう言われてきた。
我が国の貴族令嬢に求められているのは、美貌と強い魔力。よりよい結婚をするためには、この二つを持ち合わせていなければならない。
両親の期待に応えるべく、私は魔力が覚醒するように修練に励んだ。毎朝早く起きて魔導書を読みあさり、時には怪しげな魔法薬も飲んでみる。
その甲斐あってか、ほかの人より出遅れたものの、十二歳の時に私の魔力は発現した。
それも、かなり強い魔力が。
けれど、私がそのことを喜び勇んで報告に行くと、両親は悲鳴を上げた。
そして、こう言ったのだ。
「ラシャーナ、これからは絶対に人前で魔法を使うんじゃないよ」
でも、私はこの言いつけを守らなかった。その代わり、仮面で自らの顔を隠すようになったのである。
****
「ラシャーナ隊長、北地区より緊急伝令! 魔獣が出没したとのこと!」
私が居城内にある訓練場で魔法の稽古のための準備をしていると、取り乱した様子の伝令係がやって来た。
「すぐに向かうわ。皆に招集をかけて」
素早く指示を出し、転移魔法具の置いてある場所へと向かう。その後ろから、訓練場にいた部下たちも早足で着いてきた。
私は腰にぶら下がった仮面を身につける。部下たちの囁き声が聞こえてきた。
「隊長って、どうして訓練中や任務中は仮面をつけるんでしょうねえ」
「決まってるだろ。あの綺麗な顔に傷がついたら一大事じゃないか」
「ラシャーナ隊長、王国一番の美女って言われてるらしいですもんね!」
「道理で王子様も放っておかないわけだよ。二人の婚約が決まって三カ月くらいたつんだっけ? 美人で魔力も強くて、隊長は本当に恵まれてるよなあ」
緊張感の欠片も感じられないお喋りに私はイライラしてしまう。「静かにしなさい! これから私たちが行くのは戦場なのよ!」と注意したが、部下たちは「だって、魔獣なんてどうせ隊長が皆倒しちゃうじゃないですか」とヘラヘラしていた。
「自警団員としての自覚が足りないんだから……」
私の実家は山奥にあるせいで、魔獣がよく現われる。だから我が家は昔から魔獣討伐のための自警団を組織して、領内の安全を確保してきた。
私が自警団員に志願したのは、この強い魔力を活かしたかったからだ。
けれど、入ってみてガッカリした。我が家の自警団員のレベルは低すぎる。基礎的な魔法すら使えないどころか、形だけ籍を置いている幽霊団員までいる始末だ。
こんな状態でこれまで領内に大きな被害が出ていないのは、奇跡としか言いようがない。
魔法具を操作し、魔獣が出た地区まで移動する。そこではすでに戦闘が始まっていた。
「グオオオッ!」
北地区にある村の入り口で魔獣が暴れている。見た目はオオカミそっくりだけど、体は荷馬車くらいあって、目は熱せられた石炭のように燃えていた。
何よりも印象的なのは、その残忍で野蛮そうな顔つきだ。私はゴクリと息を呑み、仮面をしっかりと顔に固定した。
「【火球】!」
「頑張れ! 奴を村に入れるな!」
先発隊が魔獣に魔法を放っていた。しかし、ほとんどダメージを与えられていない。魔獣は黒い毛を逆立て、猛々しく吠える。それを見た村人たちは、我先にと命からがら安全な場所まで逃げ出すのだった。
「伏せて!」
魔獣が隊員たちの頭上を飛び越えて村に侵入しようとする。私は周囲に注意を促し、魔力を解き放った。
「【落星】」
天空から、先ほど先発隊の隊員たちが放ったのとは比べものにならないくらいの巨大な火球が落ちてくる。それが魔獣に直撃すると、敵は一瞬にして動かなくなった。
「うおお! すげえ! 上級の炎魔法だ!」
「ラシャーナ隊長がまたやってくれた!」
隊員たちが歓声を上げ、私の元に駆け寄ってくる。よかった。思ったより早く片がついたわ。
安堵したのも束の間、遺骸の陰から別の魔獣が飛び出してきた。
その傍には、逃げ遅れたらしき幼い少年がいる。魔獣は彼に狙いを定めた。
「危ない!」
私はとっさに駆け出した。
間一髪、魔獣の鋭利な爪から少年を救うことができた。少年を抱えたまま、私は地面を転がる。
「……【雷槌】!」
目を回しながらも、高位の雷魔法を放った。またしても見事に直撃。今回も魔獣は一撃で斃れた。
「……平気?」
私は少年のほうを向く。彼は泣きそうな顔になっていた。私は「大丈夫よ」と慰めの言葉をかける。
「もう魔獣はいなくなったわ。だから安心して……」
「化け物!」
少年は私を指差しながらわっと泣き出し、一目散にどこかへ逃げていってしまった。
まさかの反応にポカンとする。
それと同時に異変に気づいた。
一体目の魔獣を倒した時は皆大喜びで私のところに駆け寄ってきたのに、今回は誰も近づいてこようとしない。
一体どうしたの? 私、何かまずいことをしてしまった?
その疑問はすぐに解消された。私の仮面が地面に転がっている。先ほど、少年を助けた時に外れてしまったんだ。
「なあ、見たか?」
「隊長ってあんな顔するんだ……」
「あれじゃあ、どっちが魔獣だか分からないよ!」
「ぷっ……あはははは! 魔獣っていうか、野獣じゃね?」
「野獣だ! 野獣乙女だ!」
隊員の間から失笑が聞こえてくる。私は消え入りたくなった。
それは、私が八年間、ひたすらに隠し続けていた秘密がバレてしまった瞬間だった。
****
私は強い魔法を使うと、顔が強ばってしまう。
……いや、「強ばる」なんて生易しいものではない。目は血走り、鼻の穴は膨らみ、歯茎は剥き出しで、口は裂けそうなほどに大きく開かれるのだ。はっきり言って、怪物みたいな形相である。
こんな顔を人前でさらすわけにはいかない。そう判断した両親は、私に強い魔法を使わないようにと命令した。仮に使うとしたら、必ず仮面を着用しろとも言い渡される。
私はこれまでずっとその言いつけを守ってきたけれど、その努力はこの日を境に全て無駄になってしまったのだった。
「まさか、ラシャーナお嬢様がねえ……」
「自警団員にお嬢様の似顔絵描いてもらっちゃった! 見たい人いる?」
「きゃははは! 何これ! いつもの楚々とした雰囲気はどこいっちゃったのぉ?」
「野獣乙女だって! 面白すぎでしょ!」
居城の空き部屋から使用人たちの声が聞こえてくる。
私の秘密が露見してからまだ一週間ほどしかたっていないのに、すでに「野獣乙女」の噂はあちこちに広まっていた。今では私の顔を見るなり、皆噴き出したり、そうでなくとも申し訳なさそうな表情になったりするほどだ。
周囲の反応がいたたまれなくなって、近頃の私は自室に引きこもるようになっていた。今日は珍しく外に出ているけれど、それは両親に呼び出されたからだ。
でも、やっぱり部屋にいればよかった。使用人たちの嘲笑が聞こえないように、手のひらで耳を塞ぐ。
「ラシャーナ、とんでもないことをしてくれたな」
お父様の書斎に入ると、開口一番に部屋の主から叱責された。
「あれほど人前で顔を出すなと言ったはずなのに。お前は魔法を使っている時の自分がどれほど醜いか分かっているのか?」
「だから自警団になんて入るのはおよしと言ったのよ! 本当に愚かな子ね!」
お母様が両眉を吊り上げた。お父様がため息を吐く。
「ラシャーナ、知っているとは思うが、あと十日もしない内に、トビアス王子が我が家にやって来る」
トビアス王子は私の婚約者だ。彼は時々、私のご機嫌伺いの名目でうちにやって来るのだった。
「その日までに野獣乙女の噂が治まることはないだろう」
「……トビアス様の訪問は中止にしていただくほうがいいですね」
密かに嘆息した。別に彼が来ても特別なことをするわけではなく、毎回たわいもないお喋りをしたりして過ごすのだが、私はその穏やかな時間が気に入っていたのだ。
でも、今トビアス様が我が領に来れば、確実に「野獣乙女」のことを知ってしまう。
貴族令嬢に美貌が求められる国でこんな悪評が立っているのは致命的だ。娘の名誉を守るためにも、トビアス様の耳には絶対にこのことを入れないようにしなければならない。
お父様はそう考えているのだろう。
けれど、私の想像は少し外れていたようだ。
「もちろん、トビアス王子の訪問は中止だ。だが、それだけではない。ラシャーナ、お前には家を出ていってもらう」
「……え?」
どういうことだろうと唖然とする。お母様は「察しの悪い子ね!」と二の腕をこすった。
「考えてもみなさいよ! お前はどうしてトビアス王子の婚約者になれたの? それは、お前が美貌と強い魔力を持っているからでしょう? この二つがあって、初めて王子は納得するの。それなのに、お前は皆から野獣乙女と呼ばれているのよ!」
「この悪評が領外に広まらないとは断言できん。もし王都にいる王子のところまで噂が届けばどうなる? トビアス王子は怒り狂うだろう。『よくも騙したな! こんな醜い女を押しつけようとして!』と。そうなれば、お前と王子の婚約が解消されるだけではすまない。我々は王族を侮辱した罪で極刑に処されてもおかしくはないんだぞ」
「だけど……そんな……」
両親は保身のために娘を切り捨てようとしているのだと分かり、私は心底動揺した。お母様が「諦めなさい」と言う。
「私たちは王子に、ラシャーナは急病で死んだと報告するわ。遺体相手じゃ、王子が噂の真偽を確認しようと我が家に来てもどうにもできないもの。私たちは王子にこう言えるわけよ。『野獣乙女? そんなもの、ラシャーナの美しさを恨んだ者が流した心ない噂ですわ』とね」
「我々にも慈悲というものはある。お前を本当の死体にはするまい。その代わり、今後はどこか遠い土地で暮らして、二度とここへは戻ってくるな」
「分かるわね、ラシャーナ。美女なら王子と結婚できるけど、野獣じゃ無理なの。醜い獣は、いつだって最後には表舞台から姿を消す運命なのよ」
抵抗するいとまを与えられず、話は終了した。
こうして私は、二十年間過ごした我が家を追い出されることとなったのだった。
****
必要最小限のものだけを持って、私は夜逃げでもするようにこっそりと領地をあとにした。馬車に何日間も揺られ、転移魔法具に座標も登録されていないような山奥へと辿り着く。
「これからどうしようかしら……」
途方に暮れながら辺りを見回した。どこを見ても木ばかり。野宿するわけにもいかないし、まずは泊まれるところを探すべきかしら? 近くに村でもあればいいんだけど……。
空はすでに薄暗くなっている。私は枝を拾って、先端に魔法で火をつけて松明の代わりにしようとした。
けれど、詠唱をしようとした途端に脳裏に嫌な思い出が蘇ってくる。
――野獣だ! 野獣乙女だ!
――きゃははは! 何これ!
皆のバカにする声や嘲りの笑いが胸を抉る。私は木の枝を放り出した。
「大丈夫。明かりなんかなくったって、山を下りるくらいなんてことないわ」
私は頭をふるふると振って、気を取り直そうとした。その拍子に、傍らの茂みがザワザワと揺れ動くのが見える。そこから現われたのは中型の魔獣だった。
「……っ!」
私はとっさに臨戦態勢を取った。先手を打つべく、魔獣に炎魔法を浴びせようとする。
だが……。
――野獣だ! 野獣乙女だ!
またしてもおぞましい記憶が私の邪魔をした。体が石にでもなってしまったように動かなくなる。
「グオオッ!」
獲物にできた隙を敵は見逃さなかった。姿勢を低くしたかと思うと、大きく口を開いて飛びかかってくる。
金縛りが解けた私は攻撃を避けようとした。
そこに誰かが割って入ってくる。
「【花棘】!」
地面から飛び出してきた大きなトゲに貫かれ、魔獣は息絶えた。術を放ったのは、静かな面立ちの青年だった。深い青の切れ長の瞳と目が合った私は息を呑む。
「トビアス様……?」
「ラシャーナ、ケガはなかったか?」
トビアス様は心配そうに眉をひそめる。私は「はあ……」と曖昧に返事しながら、婚約者の顔をまじまじと見つめてしまった。
「あの……どうしてここに? 訪問中止のお願いが我が家から届きませんでしたか? その前に、私は死んだことになっているはずでは……」
混乱していた私は、うっかりと言うべきではないことまで口にしてしまった。
慌てて弁解しようとしたが、トビアス様は「何が起こっているのか分からないのは私のほうだ」ときょとんとした顔になっている。
「確かに私はラシャーナが急死したという知らせを受けた。だから、急いで君の家に行ったんだが、『ご遺体の用意がまだ整っておりません』と言われて衛士たちに門前払いを食らってしまったんだ」
もしかして、私の死が偽装だってこと、結構広まっちゃってる? 野獣乙女の時といい、揃いも揃って口が軽いんだから……。機密情報の扱いにはもっと注意してよ!
「それから、『生きたラシャーナお嬢様はもうこちらにはいらっしゃいません。すでに城を出発なさいました』とも言われた。何が何だかさっぱりだが、教えられた地点に行ってみると、君が魔獣に襲われかけていたんだ」
「なるほど……」
どうしよう。言うべき言葉が見つからない。お父様たちの立てた計画、破綻するの早すぎでしょ。
「念のために聞いておくが、君は生きているんだよな?」
「……はい、一応」
頷いたものの、トビアス様はそれ以上の説明を求めるように、こちらをじっと見ている。冷や汗が出る思いで、私は下を向いた。
何て誤魔化せばいいの?
頭が真っ白になって何も考えられない。黙っていると、トビアス様が先に口を開いた。
「手出しは不要だったか?」
「……はい?」
「あんな魔獣くらい、君なら一人で倒せただろう?」
トビアス様は大きなトゲに射抜かれた遺骸を顎でしゃくった。話題が変わったのをありがたく思いながら、私は「そんなことはありません」と返す。
「危ないところでした。トビアス様がいなければ、きっと今頃私は魔獣のお腹の中でしたよ。助けてくださってありがとうございます」
「だが、君は自警団員なんだろう? しかも、隊長を務めていると聞いている。魔獣との戦闘には慣れているんじゃないのか?」
「それはそうですが……」
自警団員としての最後の任務を思い出す。頭の中に嘲笑の声が蘇ってきて、私は服の裾を強く握りしめた。
「どうした、ラシャーナ。顔色が悪いぞ」
トビアス様が気遣わしげな声を出す。私は「何でもありません」と首を振ったが、声が震えているのが分かった。
「……場所を移そうか」
トビアス様が私の肩を抱く。
「また魔獣が出たら大変だ。少し行ったところに村があるはずだから、今日のところはそこに腰を落ち着けよう」
私たちは山道を歩く。
道中、トビアス様は一度も自警団の話題に触れなかった。
……お優しい方。
きっと、私の心中を察してくれたんだろう。何か知られたくない事情があるのだと判断して、そっとしておいてくれるつもりなんだ。
それだけに、こうして彼と一緒にいるのが申し訳なくなってくる。
多分、奇跡的にトビアス様は野獣乙女の噂をまだ知らないのだろう。彼は私のことを、魔力が強くて美しい理想の女性だと思い込んだままなのだ。だから、婚約者として丁重に接してくれているに違いない。
でも、現実は違う。私は醜い。皆の言うとおり化け物そっくりの野獣乙女なんだ。
これまでトビアス様にそのことを告白しなかったのが、急に後ろめたくなってきた。私は一度、死を偽ってトビアス様を騙そうとした。でも、二度もこの人に嘘を吐きたくない。
どうせ、私はまだ生きていると発覚してしまったんだ。だったら、もうどうなろうが知ったことではない。私も両親と一緒に罪に問われるだろうけど、少なくとも罪悪感だけは解消できるだろう。
「トビアス様、実は私、あなたに隠していることがあるんです」
私が静かに語りかけると、トビアス様の足が止まる。私は勇気を振り絞って、彼の理知的な顔を見つめた。
「私、強い魔法を使うと怖い顔になってしまうんです。だから……」
「野獣乙女」
トビアス様の口からまさかの発言が飛び出す。私の声が「へ?」と裏返った。
「ど、どうして知ってるんですか?」
「領地中がその噂で持ちきりだった。耳に入れないほうが逆に難しい」
「そ、そうですか……」
え? えっ?
っていうことは、つまり、トビアス様は婚約者の醜い一面を知ったのに、こうして私を追いかけてきてくれたってこと? ……何で? 意味が分からない。
「それにしても、君のところの領民たちにはいささか礼儀知らずが多いようだな」
トビアス様は憤慨したように言った。
「必死で戦っている人を寄って集って笑いものにするなんて失礼だ。ラシャーナの活躍のお陰で、領内における魔獣の被害は最小限で食い止められているはずなのに……」
「……でも、化け物は好かれなくて当たり前です」
私は不思議な気持ちで反論した。トビアス様、私を庇ってくれているの?
「皆は美しい令嬢が好きだったんですよ。トビアス様は違うんですか?」
「違う」
驚いたことに、トビアス様は即答した。
「美しいから君に惹かれたとでも? 確かにラシャーナは綺麗だ。だが、一番の美点はそこじゃないだろう。君はすごく努力家で、いつだって自分のするべきことが見えている。私は君のそういうところが好きなんだ」
「そんな……。私はトビアス様が思っているような人ではありませんよ」
「謙遜しなくていい。君は魔力が発現するのが人より遅かったんだろう? それでも、諦めずに魔法を得ようと努力し続けた。それだけではなく、強い魔力を得てからは、その能力を最大限に活かすべく自警団に入団した。どれもこれも感心するような話ばかりじゃないか。君は本当に立派な人だと思う」
「トビアス様……」
「私はずっと、いつか君が私直属の魔獣討伐部隊に入ってくれればいいと思っていたんだ。そうすれば、もっと長い時間ラシャーナと一緒にいられるし、それに……。……いや、この話はやめておこう。理由までは察せていなくて申し訳ないが、君はもう戦うのが嫌になっているようだから」
トビアス様はすまなさそうな顔になった。
「正直に言って、なぜ君の両親が娘は死んだとデタラメな知らせを寄越したのかもよく分かっていないけれど、君が触れてほしくないのならその話題についても追及はしない。私としては、ラシャーナが生きていてくれただけで充分だ」
トビアス様は再び歩き始める。彼に着いていきながら、私はそっと瞑目した。
私の婚約者は、とてつもないくらい懐が大きい人だ。とにかく、今はそのことに感謝しなければ。
その日の夜。私たちは山間の村の旅館に宿を取った。
どうしても眠る気になれなかった私は、客室のベッドに腰かけながら、トビアス様に言われたことを一つ一つ思い返す。
――必死で戦っている人を寄って集って笑いものにするなんて失礼だ。
――君はすごく努力家で、いつだって自分のするべきことが見えている。私は君のそういうところが好きなんだ。
――君は本当に立派な人だと思う。
――私としては、ラシャーナが生きていてくれただけで充分だ。
なんだか、ずっと欲しかった言葉をあの短時間で全部もらってしまった気がする。
強い魔力を得た代わりに美貌を捨てなければならなくなった娘に、両親は心のどこかで失望していたのだろう。だから、私の死を偽装するなどという非情な手段に出られたのだ。
でも、トビアス様は違う。トビアス様は、これまで私自身でさえ気づいていなかった私の魅力を教えてくれた。
それだけじゃなくて、彼は私が美しくなくてもいいと思っている。それどころか、私に魔力がなくても気にしなかったかもしれない。トビアス様はそういう表面的なところではなく、私の内面を見てくれる方だから。
でも、ちょっと私のことを買いかぶりすぎだ。「いつだって自分のするべきことが見えている」だなんて! 私が家を出たのは両親に命じられたからだ。本心では、こんな方法は間違っていると感じていたのに。
だけど、まだやり直せるかしら? もし機会があれば、今度は正しいと思える道を自分の意思で選びたかった。
ドアに乱暴なノックの音がして、物思いは断ち切られた。扉を開けると、真っ青な顔の宿屋の主人が立っている。
「お客様! すぐに避難をお願いします! 魔獣です! 魔獣が出ました!」
ぼんやりしていて気づかなかったけれど、廊下は蜂の巣を突いたような騒ぎになっている。宿屋の主人は、別の宿泊客に危機を知らせようと、どこかへ飛んでいった。
「ラシャーナ!」
隣室のトビアス様が私の元へと駆け寄ってくる。
「君は安全なところへ避難するんだ。私は魔獣をどうにかする」
「お一人で? 危険ではありませんか?」
「平気だ。山での私の活躍、見ただろう? こう見えても、多少は腕に覚えがある。まあ、君ほどではないかもしれないが」
「トビアス様、私……」
「大丈夫だ、ラシャーナ。君は戦わなくてもいい。とにかく早く避難してくれ。君に何かあったら一大事じゃないか」
それだけ言うと、トビアス様は階段を駆け下りていってしまった。残された私は彼の指示どおりに宿を出て、恐怖に駆られた村人たちと押し合いへし合いしながら村の奥へと退避する。
「グアアアッ!」
夜明け間近の空に魔獣の遠吠えがこだまして、村人から悲鳴が上がった。トビアス様のことを思い、私は不安に駆られる。
近くの村人に、「この村は魔獣が出た時はどうするんですか?」と聞いた。
「どうするって、避難壕に逃げるだけさ」
「たまに血気盛んな若いもんが戦おうとするけど、必ず返り討ちにされるんだよ」
「魔獣からしてみれば、活きのいいエサが向こうからやって来てくれたようなもんさ。死体も残りゃしないよ。気の毒にねえ」
あまりにも恐ろしいことを言われ、血の気が引いていく。トビアス様も食べられてしまうの……?
気づいた時には、私は来た道を戻っていた。ただただトビアス様の無事を祈る。現場に着くと、五体の大型の魔獣が暴れ回っている最中だった。
「うわあああ! 助けてくれえ!」
「グオオッ!」
先ほど村人が言っていた「血気盛んな若いもん」だろうか。三人の青年が魔獣に果敢に挑みかかっていたが、敵は意に介した様子もない。青年たちはあっという間に形勢不利に追い込まれていく。
「大声を上げるな! 魔獣を挑発するだけだぞ!」
トビアス様は無事だった。パニックになりかけている青年たちに、怒声を飛ばしている。
婚約者がまだ生きていると分かり、私は心の底から安堵しながら「トビアス様!」と声をかけた。
「ラシャーナ!? どうしてここにいるんだ!? 逃げろと言ったはずだ!」
「でも私、あなたが心配で……。……トビアス様、後ろ!」
魔獣の爪がトビアス様を切り裂こうとする。トビアス様は慌てて飛び退き、何とかその攻撃をよけた。
「ラシャーナ、いいから戻るんだ! 【花棘】!」
巨大なトゲが地面から突き出す。しかし、魔獣はその攻撃を読んでいたかのようにひらりと身を躍らせた。
ほかの魔獣たちがトゲの上を飛び越え、青年たちに襲いかかる。間一髪、彼らは盾の魔法を駆使して、どうにかエサにならずにすんだ。
けれど、攻撃の勢いを殺しきることはできない。苦しそうな声を上げ、青年たちは通りの向こうまで吹き飛ばされてしまう。
……だめだ、こんな戦い方じゃ。
私は素早く戦況を分析した。
敵の数に対して、こちらは明らかに戦力が足りていない。この状態で一頭ずつ相手にしていたら、残った魔獣からの攻撃に対処できなくなってしまう。
だとするならば、取るべき戦法は一つ。各個撃破ではなく、一度の攻撃でまとめて倒す。幸いにも敵はあまり連携が取れていないようなので、隙を突くのは充分に可能だろう。
考えをまとめた私は、反撃を開始しようとした。
けれど、とんでもないことに気づく。
どうしよう……。仮面、実家に置いてきちゃった。
――ぷっ……あはははは!
――野獣だ! 野獣乙女だ!
足が竦み、喉が強ばる。集中が乱れ、高ぶっていた魔力の波が引いていくのが分かった。
トビアス様は私が野獣乙女でも気にしないと言ってくれた。でも、彼は私のすさまじい形相を実際に見たわけじゃない。似顔絵くらいなら目にしたかもしれないけど、あの顔の恐ろしさは絵では表現しきれないだろう。
だめ……。できない!
あんな顔を見られたら、トビアス様に幻滅されてしまう。そんなの絶対に嫌だった。
「うぐっ……!」
苦しそうな声が聞こえてきてハッとなる。トビアス様の服が血で汚れていた。
「トビアス様!」
「少しかすっただけだ」
そう言いつつも、トビアス様の顔は苦痛に歪んでいる。
「私は平気だ。そんなことより、早くここから逃げろ、ラシャーナ」
怪我を負っているのに、トビアス様はまだ私の心配をしてくれていた。
その瞬間、頭の中で何かが弾けた。
戦いたくない? 醜い顔を見られたくない?
私は一体何を言っているの?
トビアス様をガッカリさせるのと、彼をここで永遠に失うのと、どっちがマシ?
トビアス様は、私の長所を自分の役割をわきまえていることだと言ってくれた。
その美点を活かすなら今しかない。できないなどと言っている場合ではないのだ。私がトビアス様を守らないと!
私は天に向かって手を掲げた。顔の筋肉が強ばっていくのが分かる。口を大きく開け、目をかっと見開いた。
「【星雨】!」
空からいくつもの火球が降り注ぐ。五体の魔獣の内、三体にそれが直撃した。残りの二体は何とか回避する。
けれど、逃げ切れるわけもなかった。
敵に当たらなかった火球は、地面には着弾しなかった。それぞれが、まるで意思を持っているかのように標的を――二体の魔獣を追尾する。
魔獣たちはその攻撃をかわすことができなかった。
「グアアアッ!」
大きな体が火に包まれ、断末魔の声が上がる。その炎が鎮まった時、まだ息のある魔獣は一体も残っていなかった。
「トビアス様!」
私は婚約者の元へ走り寄った。
「お怪我を見せてください! ……【治癒】!」
トビアス様に癒やしの魔法をかける。思ったより傷が深い。これは治すのに多くの魔力を使う必要がありそうだ。またしても表情が強ばり、「野獣乙女」となっていくのが分かる。
それだけではなく、トビアス様の視線が私の顔に注がれているのもはっきりと感じることができた。
どうやら、今日がトビアス様といられる最後の日になりそうだ。まあ、覚悟はしていたんだけれど。
「……治療、終わりました」
私は自分の足のつま先を見ながらそう告げた。
「では……これにて失礼します」
「ラシャーナ? どこへ行くんだ?」
「まだ決めていません。でも、もうトビアス様の前には現われませんから」
「そんな! どうしてだ!?」
トビアス様は仰天したようだった。
「私が弱いからか!? 君なら一瞬で倒せるような敵に私はあんなにも手こずってしまった。それだけではなく、傷まで負って……。そんな私に失望してしまったのか!?」
「失望? まさか」
予想外のことを言われ、私は目を見張った。
「失望したのはトビアス様のほうでしょう? あなたは私の醜い顔を見てしまいました。どうして私が『野獣乙女』と呼ばれているのか理解したはずです。ですから……」
「君は醜くなんかない!」
トビアス様の声は私の言葉を掻き消すほど大きかった。強い力で手を握られる。
「言ったじゃないか! 何が『野獣乙女』だ! 君は必死で戦った! 懸命に私を治療してくれた! そんな君が醜いわけあるか! 君はいつだって王国で一番美しい! もちろん戦闘中もそれは変わらない! だから、だから……!」
トビアス様は興奮しすぎて頭が回っていないらしい。普段は物静かな人だから、一旦感情を爆発させてしまうと、その治め方が分からずに混乱してしまうのだろう。
「私は君が好きなんだ」
トビアス様はやっとのことでそれだけ言った。
「私に失望したわけではないのなら……どうかどこへも行かないでくれ」
トビアス様、本気だ。
彼の心はまだ変わっていない。野獣乙女を目の当たりにしても、まだ私を好きだと言ってくれている。それだけじゃない。あんなに醜い顔を彼は「美しい」と表現した。
そんなトビアス様に対し、返すべき答えは一つしかなかった。
「……ええ、分かりました」
私はゆっくりと頷いた。
「私はこれからもトビアス様のお側にいます。もうどこへも行きません」
彼の前でなら、どんな私でいたって大丈夫だ。トビアス様は野獣乙女でも愛してくれる。
そう考えると、心がふっと軽くなったような気がした。
魔力を得てからの私は、ずっと自分の醜さを受け入れられないでいた。だって、醜いことは悪だから。私は自分がよくない存在だと認めたくなかったのだ。
けれど、トビアス様の言葉で、ようやくその呪縛から解放された気がする。
醜いから悪? そんなわけがない。醜くても自分は自分。良いも悪いもないただの私だ。
「旅のお方、本当にありがとうございます!」
戦闘が終わったことに気づいた村人たちが戻ってきた。
「うちの村で魔獣を撃退できたのは、これが初めてですよ! どうかお名前をお聞かせ願えませんか? 我が村の救世主として、代々語り継いでいきたいのです!」
「名乗るほどの者ではありませんよ」
ちょっとこそばゆい気持ちになりながら、私ははにかんだ。
「私は通りすがりの王子の婚約者です」
トビアス様の手を握り、ニコリと微笑みかけた。彼の目元が和らぐ。
「帰ろうか、ラシャーナ」
「はい、トビアス様」
手を繋いだまま村を出ていく。山の端から顔を出した太陽が、そんな私たちの姿を明るく照らしてくれていた。
****
王都へと居を移した私は、トビアス様の希望どおりに、王子直属の魔獣討伐部隊に入った。
入隊試験の成績はぶっちぎりのトップ。これには試験官たちも目を丸くしていた。そのためか、入ってすぐの頃から、私は皆に一目置かれる存在になっていた。
「さっきの戦闘でのラシャーナさんの顔、すごかったな! めっちゃ強そう!」
「野獣乙女って呼ばれてるらしいぞ。いいなあ。俺もそんな格好いい異名が欲しい!」
「アタシが魔獣だったら、あの顔見ただけで尻尾巻いて逃げ出しちゃうね。あんなの勝てるわけないって一目で分かるし。……っていうことは、ラシャーナさんはアタシたちにとっては勝利の女神ってこと?」
領地ではあんなにバカにされていた醜い顔は、討伐部隊員たちの間では尊敬の念を持って語られるようになっていた。野獣乙女の名も、侮蔑ではなく畏怖の気持ちで使われているようだ。
きっと、討伐隊の人たちはあのたるみきった自警団員とは違って、戦闘が命がけだと知っているのだろう。戦いの最中に涼しい顔をしていることなど不可能だときちんと理解しているのだ。
だから誰も私を笑わないし、それどころか勝利をもたらす恐ろしい表情は賞賛に値すると思っている。魔獣も逃げ出す野獣乙女。まさに戦女神だ。
この状況を両親が見たらなんて思うかしら?
まあ、今となっては、そんなことは考えるだけ無駄だろう。
私が出ていってすぐに、実家の居城近くに魔獣の群れが出現したそうだ。
自警団員はその討伐に失敗。城門を破った魔獣たちは城の中で暴れ回った。被害は甚大で、死者や怪我人も大勢出たとのことだ。
私の両親も行方不明らしい。現在も捜索が行われているが、二人が生きている確率は限りなく低いだろう。
「ラシャーナ、おかえり」
討伐部隊の任務を終え、帰城した私にトビアス様が声をかけてくる。
トビアス様直属の討伐部隊の主な仕事は、彼が私有する土地の平和を守ることだった。私もお休みの日以外は毎日、転移魔法具を使って王城と領地を行き来している。
「本日も領内に異常はありませんでした」
パトロールの結果を報告する。トビアス様が「それはよかった」と頷いた。
「またこの間みたいなことがなくて一安心だ。まったく、ラシャーナがいなければどうなっていたか……」
先日、私はほかの隊員が見落としていた魔獣の足跡を発見し、被害が出る前に速やかに脅威を排除したのだった。
「ラシャーナの活躍には本当に驚かされてばかりだな。これは本来ならまだ公表してはいけないんだが、近々君に勲章を授けようという動きもあるそうだ」
「まあ、ありがとうございます。でも、そんなご大層なものはいりませんよ」
「そういうわけにはいかない。君の素晴らしさを皆に証明するためにも必要だ」
「そういうことなら、私、もういいものをもらっています」
クスクスと笑いながら、今日偶然聞いてしまった同僚たちの話を思い出す。
――ラシャーナさんは最強の戦士、野獣乙女! 彼女くらい殿下の婚約者に相応しい人もいないわね!
これほどまでに素敵な評価があるだろうか? 私は大切な人の隣にいるのに、これ以上ないくらい似つかわしいと思われているのだ。
「あの日、私を見つけてくださってありがとうございます。私、トビアス様のお陰で生まれ変わることができました」
「何を言っているんだ。ラシャーナは今も昔も、強くて美しいままだろう」
そう言いながら、トビアス様が私を抱き寄せる。私は胸の高鳴りを覚えながら、愛しい人に身を任せた。
まったく、野獣が王子様と結ばれるハッピーエンドが邪道だなんて、一体誰が決めたのかしら?