「真実の愛」とやらを見つけたそうですね。私の事はおかまいなく、どうぞお幸せに。
「というわけで、暗黒神は倒れ、ロマーナ帝国は平穏を取り戻したのです」
吟遊詩人は語り終えた。
ロマーナ帝国の人間なら誰でも知っている、勇者アベルの叙事詩。
あまりにも定番すぎて、私は少々退屈だった。
だが運命の女神亭にいる客たちは満足したようだ。
口々に今の叙事詩の感想を話しながら、店を出ていく。
「麦酒をもう一杯ちょうだい」
私はテーブルの上の陶器の器を、酒場の主人に差し出した。
「こんな遅くまでいいのかい?エリザちゃん」
「いいのいいの。明日お休みだからさぁ」
もう真夜中に近い。
運命の女神亭は、この時代どこにでもよくある、酒場兼宿屋である。
仮にも貴族の令嬢が、庶民の通う場末の酒屋で飲んだくれていると知ったら、皆はどう思うだろう。
まぁ私はもう、あの家とは何のかかわりもない。
「ねぇ、吟遊詩人さん。一曲歌ってよ」
ほろ酔い加減の私は、最近ここ帝国自由都市シェイエルンで流行っている恋歌を頼んだ。
君への愛はラックサーの谷より深く、世界樹よりも大きい、といったたぐいのよくある歌だ。
一年もたたずに、皆忘れているような。
だがその夜の私は、そんな歌が聞きたかった。
だれでもそういう気分の時はあると思う。
彼は軽く頷いて、ギターを弾き始めた。
丸い帽子にキルト地の服。
吟遊詩人ギルドの紋章である、詩神のペンダントを下げている。
黒い髪に黄金の肌は、おそらく東方の出身だろう。
演奏の良しあしは、正直私にはわからない。
だが彼の甘く澄んだ歌声、どことなく哀調を帯びたギターの響きは、私を満足させた。
歌い終わった後拍手をしたのは、私と酒場の主人だけだった。
他の皆はどうやら帰ったらしい。
「これ、とっておいて」
私はロマーナ銀貨を差し出す。
「いや、こんなにもらえません」
彼は少し困惑した表情だった。
「いいのいいの。そのかわり、ちょっと話を聞いて欲しいんだ」
いつもならそんな事はしない。
その夜の私は、やはりどこか変だったのかもしれない。
「わかりました……その」
「エリザと呼んで。あなたは?」
「カミルと言います、エリザさん」
「それでね。私の友達の話なんだけどさ。その子はエリザベートとしておくわね」
私は語り始めた。
エリザベートは、とある伯爵家の娘として生まれた。
幼い頃に母親を亡くし、間もなく父は再婚した。
義母との折り合いが悪く、神殿へと預けられ成長した。
そして、さる公爵の息子と婚約することになった。
当然、自分の意志ではない。
だが貴族の家はそういうものだと思っていた。
しかしある日――
「その子はね。公爵の館に呼びつけられて言われたの。『俺は真実の愛を見つけたのだ。お前との婚約を破棄する』って」
私はそこで一旦言葉を切ると、麦酒を一口飲む。
「なるほど。真実の愛を見つけたといって、一方的に婚約破棄とは聞いた事がありませんね」
「でしょ?」
「貴族の結婚とは政治そのものですからね。好きだ嫌いだで、婚約破棄できるようなものではない。場合によっては、恥をかかされたと血生臭い事態にも発展しかねません」
「そうはならなかったの。なぜなら新しい婚約者は、彼女の妹だったから」
「ああ」
カミルはそれだけ言った。
「それだけじゃないの」
「といいますと?」
「彼女は、神殿の黒蓮を横流ししていたと、無実の罪をきせられて告発された」
「黒蓮……ですか」
「知ってる?」
「ええ、もちろん」
黒蓮は魔術や医術で使われる植物だ。
鎮痛効果、催眠効果などがあり、薬ではあるが量によっては毒にもなりえる。
いわば劇薬であり、高値で取引される。
したがって、栽培や流通は厳しく制限されていた。
「彼女には身に覚えの無い事だったわ。でも弁明も無駄だった。彼女は婚約破棄された上に、故郷を追放されってわけ」
「なるほど」
カミルは少し考え込む様子だった。
「おかしくない、こんなの?彼女は何も悪くないのに」
「確かにそうですねぇ……エリザさんは彼女と、どこで知り合ったのですか?」
「神殿学校で一緒だったの。今はこっちへ戻ってきているけど」
「その人は今どこに?」
「わからない。東へ行くと言っていたけど。私と同じで、学校の先生でもしてるのかも。子供たちに教えるのが好きだったから」
「それが本当だとしたら、極めて不当で理不尽なものですな」
「でしょ?何で彼女がそんな目にあわなきゃいけないの?」
私の口調は、思わず強くなる。
「しかし貴族であるなら、これこれこうと、皇帝陛下に訴え出ることも可能ではありませんか?」
「それができなかったの。彼女が婚約していたのは、大公の息子だったから」
「それは確かに、少しやっかいかもしれませんな」
ロマーナ帝国は、三つの大公領や各種自治領が存在する、いわば連合国家だ。
大公領の中の事であれば、皇帝といえども、むやみに手出しはできない。
「彼女は今もさまよっているのかもね、勇者アベルのように」
「勇者アベル……ですか」
「さっきの叙事詩よかったよ」
「エリザさんは、あまり興味がおありで無いように見えましたが」
カミルは軽く笑みを浮かべた。
「そりゃね。あんまり現実的とは思えないもの」
「それはまたどうして?」
「なんだかうさんくさくてね。七色の翼を持つとか、永遠の命を授かったとか」
「そう言われればそうかもしれませんね」
「魔法も魔族も、この世界の理の中にある。でも勇者は何だか宣伝ぽく感じて」
「確かにそれはわかります」
今から三十年以上前、暗黒神に率いられた魔族連合軍と、ロマーナ帝国含む神聖同盟とで、大規模な戦争があった。
戦いは一進一退だったが、次第に神聖同盟側が劣勢となり、窮地に追い込まれる。
その時、大神オーディンが神の加護を得た勇者たちを地上に遣わし、見事暗黒神を倒した。
これがロマーナ帝国では子供でも知っている、勇者の物語だ。
「実際に勇者の姿を見た人間は、ほとんどいないというじゃない?正体は古代の戦士だとか、異世界から召喚されたとか……今は神話の時代じゃないのにね」
そこまで言うと私は、器に残っていた最後の麦酒を飲み干した。
「はぁ、美味しかった。とりとめもない話を聞いてくれてありがとう」
「いえこちらこそ、銀貨までいただいて」
「カミルさんは、どうするの?しばらくはこのあたりにいるの?」
「ええ、当分はここらで稼ぐつもりです」
特に行先も目的もない吟遊詩人だから、そういってカミルは笑った。
私は彼と別れて酒場を出て、家路につく。
ちなみにロマーナ帝国の治安は極めて良い。
こうやって、私のような女が一人夜道を歩いても、誰にも襲われたりしない。
これはこの時代、珍しい事であった。
まもなく家につき、ベッドにもぐりこむ。
三十年前の戦争までは、あちこち魔物や盗賊が跋扈し、麻薬がはびこり、それは酷かったらしい。
とすると、勇者アベルはやはり大したものだ。
何もかも、勇者のおかげで、ありがたい事だ。
勇者なんてうさんくさいと言った事も忘れて、私はそんな事を考えながら眠りについた。
翌日はいつもの時間に目が覚める。
今日は休みだ。
とはいえ、居候させてもらっている身で、昼過ぎまで寝ているというわけにもいくまい。
「おはよう、叔母さん」
「あら、おはよう。エリザベート」
叔母のホラント男爵夫人デリアは、いつも私を愛称のエリザではなくエリザベートと呼ぶ。
私は、エリザベート・フォン・リューネブルク。
サヴォイア大公国の公子ヨハネスの元婚約者。
いわれの無い罪で、故郷を追放された。
そう。
昨日話したのは私自身の事だ。
追放された私は、今はここシェイエルンで、母の親戚のホラント男爵の世話になっている。
食堂にはこの家の主人の、義叔父のホラント男爵エーリヒと、娘のユリアナもいた。
私たちは互いに挨拶をかわし、テーブルにつく。
朝食は玉ねぎのスープにパン、海藻のサラダといった、この地方で一般的なものだ。
「そうそう。前からお話ししていたのですが、ユリアナが来年に帝都の高等学院を受けることにしましてな」
義叔父が口を開く。
ユリアナは今年十一歳だ。
今までの家庭教師が家庭の事情でやめることになり、私がその後を引き継いだ。
一応私は一通り学問をおさめ、初級の魔法くらいは使える。
かつては子供ながらに高名な魔術師であった、私の母クリスティーネほどではないが。
母の娘にふさわしくない無能と、義母や義妹に蔑まれたものだが……それも過去の話だ。
「わたし、やっぱり魔導具師になりたいんです、エリザ先生」
ユリアもは茶色の大きな瞳を私にまっすぐ向けて言う。
今までも、そのことは聞いたことがあった。
そのために帝都の学校に行きたいと言っていた。
それに関しては、今まで義叔父は良い顔をしていなかった。
女の子だから、あまり遠くにやりたくないのだろう。
身分の上下や時代をとわず、男親とはそのようなものかもしれない。
「立派だと思うよ、その年で。迷う事も、後悔することもあるかもしれない。でも何でもやってみたらいいと思うわ」
私はそう言った。
心からの言葉だった。
「エリザベートのおかげよ」
「とんでもない!」
叔母の言葉に私は答えた。
実際元々ユリアナは賢い子だったし、私がここに来てから半年くらいだ。
私のような家庭教師が必要なのか、多少なりとも疑問だったほどだった。
「いやいや、以前にもまして勉強が楽しいと言っていてね」
義叔父が言う。
「本当です、エリザ先生」
ユリアナも私に笑顔を見せる。
「次の家にも安心して紹介できるよ」
義叔父は、にこにこしながら言った。
「ありがとう、義叔父さん、叔母さん、ユリアナ」
私はそれだけ言うのが精一杯だった。
ユリアナの家庭教師はどのみち来年で終わりだ。
義叔父は男爵という貴族の称号は持っているものの、領地はない。
貿易商他いくつかの会社を営んでおり、顔も広い。
名ばかりの貧乏伯爵や侯爵よりも、よほど裕福であった。
私は週二~三回、義叔父が出資している町の塾の講師もしている。
こちらは大してお金にならないが。
そして午後に来客があった。
「こんにちは、おじさん、おばさん。それにエリザも」
ギュンターだ。
私たちは午後のお茶を楽しむ。
彼は義叔父の弟の息子で、私の義理の従兄にあたり平民出身だった。
幼い頃に両親をなくし、ホラント男爵家に引き取られていた。
彼と私は神殿学校で一緒だった。
今はシェイエルンの衛兵として働いているらしい。
しばらくは世間話に花を咲かせる。
だが私は少し気が重かった。
ギュンターの視線が気になる。
彼が昔から私に好意を寄せていることはわかっていた。
だが私は彼を、ただの親戚の男だとしか思えない。
私が婚約破棄の上、このシェイエルンにやってきてからも、それとなく気持ちを伝えられた事はある。
そのたびに、今はそんな気になれないと断っていた。
「いやしかし、ロマーナ帝国の繁栄はとどまるところを知らんな。これも大神オーディンや豊穣神フライヤのご加護だろう」
義叔父は上機嫌だった。
「その通りですね」
ギュンターが相づちをうつ。
金褐色の髪に灰色の瞳、引き締まったすらっとした体つき。
武勇に優れ紳士的で、ご婦人方にも人気らしい。
一部では、勇者アベルの再来とも言われているようだ。
私も彼の事は嫌いではない。
だが何かが心の奥にひっかかっていた。
もしかすると私の感覚がおかしいのだろうか?
「おおそういえば。少し気になる事があってな」
義叔父が話し出す。
「あら、なんですの、あなた?」
「この間、ある船乗りから聞いてな。西の山奥の村人が消えたというんだ」
「まぁ……」
「それは、一大事ですね。本庁へ報告は?」
「いや、ギュンター。おかしな事に、二日後、村人たちは全員ある洞窟で目を覚ました。その間の記憶が何もないというんだ」
「うーん……」
私は、義叔父とギュンターをちらりと見た。
「最近どうも妙な出来事が増えてきたのかもしれん。大きな声では言えないが禁制の……」
「あなた。こんな時に、そんな話をしなくても」
叔母は眉をひそめる。
「おお、そうだったすまん、すまん」
そして話題は、今シェイエルンで人気の舞台劇の話になった。
これがここ最近の日常の風景だった。
私の母は、子供ながら魔族連合軍と神聖同盟との戦いでも活躍した、高名な魔術師だったらしい。
上級貴族の称号である『フォン』を与えられ、結婚前はクリスティーネ・フォン・ディーツ伯爵と名乗っていた。
それに比べれば私は、大した魔法も使えない極めて平凡な人間だ。
でも、私は私だから関係ないと、母も言ってくれていた。
無実の罪で追放された事が、腹が立たないと言えば嘘になる。
だがこの平凡な暮らしが続けばそれでいい。
この時の私は、そう思っていた。
「じゃぁ出席をとります」
今日は街の塾の授業だった。
シェイエルンには、古来より東西から様々な人や物が流れ込む。
人族だけでなく、長耳族や矮人族もいた。
「……あれ、フローラ?フローラはいないの?」
「フローラちゃんは、お休みだって言ってました」
生徒の一人が答える。
「そう」
私は授業をはじめたものの、胸騒ぎを感じていた。
フローラは真面目な子だ。
今まで一度も授業を休んだ事は無い。
私は授業の帰りに、彼女の家に寄ってみることにした。
先日の義叔父の話が、頭のどこかに引っかかっていたのかもしれない。
フローラの家は、下町の港湾労働者の集う一角にあった。
「あの、どちら様でしょうか」
出迎えたのは、母親らしき暗い髪をした中年の女性だった。
続いてフローラがあらわれる。
「先生!」
彼女はそれだけ言うと、言葉につまって涙ぐんだ。
「病人がおりますが、とにかく中へお入りください。狭い所ですが」
私たちは粗末な木のテーブルを挟んで向かい合う。
「塾へはもう行けないと思います、ごめんなさい」
母親が下を向きながら、ぽつりと言う。
「どうしてですか?」
何となくの予感はあったが、私はとりあえずそう聞いた。
フローラを見ると、目に涙をためている。
「実は先週末に、主人が何者かに襲われて、それ以来意識が戻らないんです」
フローラの母親は沈んだ表情で声を発した。
「お医者様には診てもらったんですか?」
「はい、私達に頼める範囲で。でも原因がわからないというんです」
フローラの家に、そんなに経済的余裕はないだろう。
その辺の町医者ならたかがしれている。
「主人がこんな調子だと、娘も塾へやれませんし、私も働きに出ないと…」
「お母様」
私はそこで彼女の言葉を遮った。
「僭越ですが私に診せていただけないでしょうか?これでも多少医学の心得はあります」
神殿学校では、基本的な回復魔術の他に、医学や薬草学の基礎を学んだ。
正直その辺りの町医者程度には負けない自信はある。
「先生が?しかし私たちには治療費を払える余裕も…」
「いえ、お代はよろしいですわ」
「しかしそういうわけには」
「お母さん」
その時フローラが口を開いた。
「お金は私が大きくなったら、必ず働いて返します。お父さんを助けてください、エリザ先生」
「フローラ、あなたは黙ってなさい」
「でも、他に方法ない……ないもん」
そういってフローラは唇をかむ。
私は母親にむかって、なるべく穏やかな口調を作って話しかけた。
「お母さま。私も必ず治せるとはお約束できません。ですが大事な生徒の親御さんですので。お見舞という事でどうでしょうか」
しばらくたつと、母親は
「はい、ではこちらへ……」
言葉少なに私を導く。
他に方法はないし、駄目で元々だと思ったのかもしれない。
狭い寝台の上には、髭面の男が寝ていた。
息をしている様子もみえず、死体とかわらない。
私は一目見てすぐにピンときた。
念のために爪や肌、耳の後ろや首元、瞼の裏も調べる。
「これは……黒蓮の急性中毒ですね」
「黒蓮?一体なぜそんな」
フローラの母の顔に不審そうな表情が浮かぶ。
一般的には、名前を聞いた事はあっても、見た事も使った事もない人間が大半だろう。
「お願いがあります。急いで私の家から持ってきて貰いたいものがあるんです」
私も馬には乗れない事はない。
だが少しでも早い方がいい。
「私の弟に頼みましょう。荷運びの仕事をしていて、信用できます」
フローラの母の決断は早かった。
すぐ表に出て行く。
その間、私はいつも持ち歩いている便箋に、素早く手紙をしたためる。
彼女はまもなく一人の男を連れて戻ってきた。
「これを。ホラント男爵の家まで届けてください。そして渡されたものを持ってきてほしいんです」
私は彼に住所を伝え、手紙を渡した。
男は何も余計な事は言わずに、急いで家を出ていく。
重苦しい時間が流れる。
先週末に中毒症状になったとしたら、解毒剤が間に合うかは五分五分だ。
その間、マッサージしたり、呼吸しやすい体勢にしたりといった、気休め程度の応急処置しかすることがなかった。
思ったよりも早く、男は薬箱を携えて戻ってきた。
私は礼を言って受け取ると、中から青い瓶を取り出す。
蓋を開けると、フローラの父の唇に数滴たらした。
念のために回復魔法で補助をする。
私程度の魔力でどこまで頼りになるのかわからなかったが。
だが効果は急激にあらわれた。
灰色だった顔は血色を取り戻し、胸部はゆっくりと上下し始める。
そしてまもなく、軽いうめき声をあげる。
「あなた!」
「お父さん!」
「おお、おまえ、フローラも……いったいこれは」
フローラの父は体を起こそうとして、あわてて妻に止められる。
「もう大丈夫です。あとは体力が回復するのを待てば」
私は内心ほっとしていた。
完璧な自信があったわけではなかった。
「ありがとうございます、ありがとうございます」
「先生、ありがとう」
フローラも母親も目に涙を浮かべていた。
「いえいえ、治ってよかったです。これで塾に来れるわね、フローラ」
私はフローラに向かって微笑む。
フローラは、どこか嬉しそうな気恥ずかしそうな笑顔を浮かべる。
「わしからもお礼を言わせてください。いや是非お礼させてください」
父親の声はまだかすれていた。
「奥様とお嬢様にも申し上げましたが、本当によろしいんですのよ」
「いやいや、そういうわけには……」
押し問答になりかけたが、何をいうにも病み上がりだ。
とりあえずその話は後日ということにして、私は辞去することにする。
一家は何度も頭を下げ、フローラは私が乗った辻馬車が見えなくなるまで手を振っていた。
家に着くと、叔母が出迎えてくれた。
「あら、エリザおかえりなさい。とりあえず手紙に書いてあった通りにしたけど何があったの?」
「ただいま、叔母さん。それがね」
私は事情を話した。
黒蓮の件は、余計な不安を起こさせないため伏せておいた。
「そう、それはよかったわね」
「ありがとね、叔母さん」
私は自室に戻ると、薬箱を戸棚にしまう。
リューネブルク家を追放されたとき持ち出せた数少ないものだ。
本来であれば、身一つで追い出されても仕方なかった。
だが事情を知る者達は、私に同情的だった。
特に母に昔から仕えていた召使たちは。
彼らの協力がなければ、日記や装身具なども取り上げられていたに違いない。
中でも母から受け継いだ大事なものが一つあるが、それは常に身に着けるようにしている。
私はその時ふと違和感を感じる。
部屋の様子がどこかおかしい。
机の上のペンの位置、ベッドの枕の配置。
その他のものも、前とは微妙に異なった位置にある。
私はクローゼットや戸棚の中もみてみた。
間違いない。
誰かがこの部屋をあさったのだ。
「叔母さん、クローゼットの中も見たの?」
「いえいえ、戸棚の所から薬箱を取り出しただけよ」
通いのメイドも、窓を開けたり床を掃いたりしたが、余計な事はしていないはずだと言う。
何かあったのか尋ねる叔母に適当に返事をして、私は部屋に戻る。
一体誰が私の部屋で家探ししたのだろう。
何が狙いなのだろう。
まさか……あれか。
だが私があれを持っている事を知る人間はいないはずだが……
様々な事に思いをめぐらせ、その日は遅くまで眠れなかった。
しばらくは変わりの無い日々が続いた。
私は週末以外は毎日、フローラの家を訪れた。
あれから十日たち、フローラの父親はすっかり元気になっていた。
「先生にはお礼のしようもねぇです。ですがこんなんでいいんですか?」
「大した事じゃありませんわ。多くの生徒さんが来てくださるのも、塾のためですし」
私は一か月間毎日、フローラの母が作ったパンを貰う約束をしていた。
何回も断ったのだが、どうしても何かお礼がしたいと押し切られたのだ。
先方としても、何もお返しをしないのも気づまりなのだろうと、私は好意に甘えることにした。
「いや全くドジふんだもんで。もうすっかり何ともありません」
「一体何があったんですか?」
「この間もちらっとお話しましたし、役人には報告したんですが」
そういって彼は話し始めた。
夜に倉庫の見回りをしていた時らしい。
考え事をしているうちに、老朽化により今は使っていない倉庫がある一角に迷い込んだ。
その時、数人で何やら声が聞こえたそうだ。
『……しかしそれは危険』
『だが黒蓮は金になる』
『それだけじゃない。奴隷にできそうな子供がいれば……』
『おい、それはさすがに……』
どう考えても、まっとうな話し合いではない。
とりあえず気付かれぬように立ち去り、役所に報告すべきだろう。
フローラの父がそう考えた時、
『誰かいるぞ!』
気配を察知され、倉庫の中から人が飛び出してきた。
大声を上げて急いで逃げようとしたところを、何やら投げつけられ、気を失ったそうだ。
同僚たちが運よく駆けつけてくれなければ、殺されていたかもしれない。
ただその同僚たちが、なぜそんな人気のない所にいたのか。
大方、禁制の博打や、もっといかがわしいお楽しみにふけっていたのだろうが、その点は追及しない事にする。
「いや、とんだ目にあったもんで……いや、大丈夫だよフローラ」
彼はそういって、不安そうにしているフローラの頭を撫でた。
とりあえずフローラの父親は回復し、事情を役人に報告した以上、この上私たちにできる事は何もない。
私は一応、薬草を配合した栄養薬を渡し、フローラの母が作ってくれたパンを受け取ると失礼することにした。
(黒蓮か……)
どこまでも黒蓮は私を追ってくるらしい。
今夜は夕食はいらないと、男爵家にはあらかじめ言ってあった。
私は馬車に、ここ最近行きつけとなった運命の女神亭に向かってもらうことにした。
「いらっしゃいエリザちゃん。食事ならいつものでいい?」
何も言わずとも、料理が出てくる。
すっかり私も常連とやらになってしまったらしい。
シェイエルン近海でとれる魚のムニエルに、海藻のサラダ。
それが私のお気に入りだった。
「親父さんこれ、よければ。美味しいのよ」
「おや、ありがとさん」
私はフローラの母お手製のパンをおすそ分けする。
その時近くにいた男と目が合った。
例の吟遊詩人だ。
「こんばんは……カミルさんだったよね?」
「こんばんは、エリザさん」
私は彼にパンを差し出す。
「良かったら食べる?白パンだよ」
今日は上等の小麦を使った白パンだ。
高価なので毎日作れなくてごめんなさいとフローラの母は謝っていたが、私はむしろ恐縮していた。
「いいんですか?では遠慮なく」
「そのかわりと言ってはなんだけど」
「おや、また何か?」
「この頃何か、あやしい噂きかない?おかしな事件だとか?」
「そうですねぇ」
カミルは少し考え込む様子だった。
「暗黒神が倒され、平和が訪れたといっても、それは色々ありますからね」
「あなた、あちこち旅してるんでしょ?何か変わった事とか?」
「まぁ、どこそこで魔物や盗賊団があらわれたとか、禁制の品に手を出している密輸団がいるとか、そういうのは聞きますが」
どこか奥歯にものが挟まったような言い方だった。
彼の話は今一つ要領を得なかった。
私は酒場の主人の方を見る。
「そういやこの頃うちにも、儲け話はないかと言ってくる奴がいてね」
「それはいつもの事でしょ?」
「いや少々危ない橋を渡ってもいいというんだ。どうもそんな話が出回っているらしい」
「ふーん。一体どんな仕事なのかな」
「強盗、誘拐、密輸。どちらにせよ、ろくなもんじゃねぇだろうな。うちは健全な仕事しか斡旋しねぇから」
「まぁ、そうよねぇ」
そうはいったものの、私は主人の言葉を完全に信じたわけではなかった。
彼は善良で平凡な酒場の主人に見える。
だがその本当の裏の顔は誰にもわかりはしない。
実家を追放されてからこの方、私はそんな事も考えるようになっていた。
「このパン、おいしいですね」
カミルが声を上げる。
「でしょ?知り合いからもらったの」
「いずれにせよ、妙な人間と関わったり、妙な事に首を突っ込まない方がいいですよ。私が言うのもなんですが」
カミルは私の目を見て言う。
どこか心配そうな様子だった。
「そうだよ、エリザちゃん」
「わかってるって」
酒場の主人にそう答えると、私は麦酒を飲み干した。
そして代金を払うと店を出る。
彼らの言う通りかもしれない。
巨大な力の前に、女一人に何ができるというのだろう。
だが、いつまでも見ないふりはできない。
逃げ続けた運命に、いつかは立ち向かわなければならない。
そうも感じていた。
「めずらしいね、会いたいだなんて」
二日後、私はギュンターと昼食をともにしていた。
彼は今日は非番らしい。
「ちょっとね、聞きたい事があるの」
いらぬ期待をさせないため、私は彼となるべく二人きりで会わないようにしていた。
「なんだい?」
「この頃何か変わった事ない?」
私はフローラの父親の話をした。
衛兵をしている彼なら何か知っているかもしれない。
「その話は知らないし、特に変わった事もないかなぁ」
彼の答えは期待に反したものだった。
「そう」
「そりゃ、喧嘩だの物取りだの、そういった話はあるけどね」
彼から得られる情報としては、こんなものだろう。
「ありがと」
「役に立てなくてごめんね。それよりさ」
ギュンターはいつものように話し出す。
「僕の気持ちは知っているだろう?もうすぐ大きな仕事を任せてもらえる。そうしたらもっとお金を貰えるようになるし、手柄を立てれば爵位だって……」
「ごめんなさい、ギュンター」
私は彼の言葉をさえぎった。
「もう何度も言っているけど、私はあなたを家族のようにしか思えないわ」
「僕は諦めないよ。いつか君の気持ちも変わる日がくると思う。これからの僕を見ててほしいんだ」
相変わらず彼は私の話を聞いていない。
神殿学校にいる時から、彼は私の事を憎からず思っていたらしい。
彼も両親をなくし、神殿学校に入ってからも、平民であることから苦労したようだ。
同情の気持ちはあるが、男とは思えない。
思い込みが強く、人の意見に耳を貸さない傾向があるのも苦手だった。
私は彼と別れ、高級住宅街の一角に足を向ける。
シェイエルンの街は好きだ。
だが、ただ一つ気に入らない事がある。
私の実家のリューネブルク家や、サヴォイア大公家の別邸があることだ。
貴族があちこちの保養地だの都市だのに別宅を持つことは珍しくはない。
けれども、過去と決別したい私にとっては、どこか心の片隅に引っかかっていた。
今私はリューネブルク家の別邸の前にいる。
広大な敷地と緑に囲まれた瀟洒な邸宅を、私はぼんやりと眺めていた。
子供のころ、一度だけ来た記憶がある。
母が生きている間は、それなりに幸せで恵まれた子供時代だったと思う。
八歳の時に母が亡くなってしばらくすると、義母と義妹がやってきた。
新興のラウジッツ男爵という家の出身らしい。
義妹は私と三歳しか違わない。
父の本当の子というので、母が生きている時から別に家庭を持っていた事になる。
貴族の家ではそういう事はよくあるのだろうと、子供ながらに察せられた。
まもなく私は、聖女ナンナの神殿に付属する、全寮制の学校へと追いやられた。
たまに家に帰っても、私の居場所はなかった。
時折訪れてくれる、ホラント男爵夫妻の方が、余程親しみを持てるほどだ。
そして在学中に大公の息子と婚約し、まもなく実家に呼び戻され、しばらくして婚約破棄され、無実の罪で追放された。
「あら、ごきげんようカミル」
「こんにちは、エリザさん」
それは吟遊詩人のカミルだった。
「なぜあなたがこんなところに?」
「いえ、とある貴族の邸宅へ呼ばれましてね」
いくつか曲や叙事詩を披露したとの事だった。
それに吟遊詩人は各地を回っている。
情報源として重宝されるらしい。
「ねぇ、カミルさん」
「はい、なんでしょう」
「もし明らかな不正義が行われ、理不尽な目にあった場合、あなたならどうする?」
「さぁ。私なら……これこれこうと、お上に訴え出ますかね」
面白味はないが、それは当然の答えだった。
「そう。そうよね……」
「立ち入った事をうかがいますが、エリザさん、ご家族は?」
「母が亡くなって、今は叔母の家にいるの」
私は簡潔にそれだけ言った。
「それはそれは……いや、私も天涯孤独の身で。似たようなものです」
しばらく私たちは並んで海を見ていた。
別れ際に再びカミルが声をかける。
「エリザさん」
「なぁに、カミルさん?」
「あなたのお母さまは、何よりあなたが幸せになる事を望んでおられると思いますよ」
いつになく真剣な表情だった。
私は「そうかもね」と言って、彼に背を向けて歩き去った。
私は自室に戻ると、日記を取り出し読み始めた。
おそらくあの時以来だ。
運命が狂い始めたのは。
事のはじまりは、実験室の薬品棚にある薬の数が足りなくなったことだ。
教官に報告すると、今後は生徒ではなく、教師が管理することになった。
次に起こったのは、私が秘密の黒蓮畑を見つけた出来事だ。
それは神殿と学校の間にある、廃校舎でのことだった。
その地区は危険だからと立ち入り禁止になっていた。
神殿でのお祈りの帰り、ショールが風で飛ばされ、それを探して迷い込むことになってしまった。
思わぬところに存在した黒蓮畑に私は驚いた。
黒蓮は様々な用途に使われるし、私も授業で使用法や万一の場合の解毒法等を習った事はあった。
だがその栽培畑は、厳重に管理されている。
こんな所にあるはずがなかった。
私は、教師に報告した。
その後どうなったかもわからないうちに、実家へと連れ戻され、大公の息子ヨハネスの妃教育を受けることになった。
そしてある日突然、婚約破棄の上に、母の形見の指輪を奪われた。
その後に黒蓮横流しという無実の罪で追放となったわけだ。
当然、義叔父と叔母は激怒した。
私がそんな事をするはずがない、皇帝陛下に訴え出ると言った。
だが私は断った。
彼らが何らかの陰謀を企んでいたとしても、私の証言以外は証拠はない。
相手はサヴォイア大公家に、名門リューネブルク家だというものある。
何より私はうんざりしていたのだ。
母が亡くなって以降、あの家から正当な扱いをうけてなどいない。
それに気のすすまない結婚を強いられなくてもよい、となればむしろ喜ばしい。
もう二度と面倒なことにかかわりたくない。
このまま平穏な暮らしを手に入れられれば、万々歳だ。
そんな気持ちだった。
殺されたり、幽閉されたりしなかったのも幸運だった。
それともまだ私に何らかの利用価値を見出していたのだろうか。
黒蓮、密輸、奴隷貿易。
大公家やリューネブルク家が、帝国法で禁じられている、何らかの行為に手をそめ、陰謀を企んでいるのは間違いなさそうだ。
それが何かはまだわからない。
彼らが何をしようが、私にできる事はないかもしれない。
ただここシェイエルンにまで火の粉が降りかかってくるとなればまた別だ。
義叔父が言っていた消えた村。
フローラの父親が遭遇した事件。
酒場の親父が言う、あやしげな儲け話。
そして私の部屋がひそかに荒らされていたこと。
何かがつながろうとしていた。
私は日記帳に今までの出来事を書き留める。
今はそれしかできない。
どんな小さな事でも情報を集め、いずれはしかるべき場所へ訴え出るしかない。
その時私はふと思い出した。
黒蓮は麻薬の原料になるだけでなく、特に暗黒魔法の力を高めると言われていた。
三十年前の戦争で、魔族連合軍が得意とした魔法だ。
これが何を意味するのか。
あまり考えたくもなかった。
そして翌日――
「エリザ、手紙が来てるわよ」
叔母が渡してくれた手紙には、リューネブルク家の紋章が押されていた。
差出人は父だ。
どうせろくでもない事だろうと思いつつ、中身を読む。
「なんて言ってるの?」
「今まで悪かった。良ければ戻ってきてほしいって。追放の件は何とかするからって」
心配そうな叔母にむけて、私は簡潔に言った。
「なんてこった。今更そんな」
義叔父は怒り心頭の様子だった。
「大丈夫よ。断るから」
「まったく。さんざん酷い事をしておいて、何を考えてるんだか」
しばらく義叔父の怒りはおさまらないようだった。
そしてユリアナが帰って来てから食事となった。
週に何回か、午後は乗馬や剣術を習い、魔導具工房にも行っている。
剣術を習う事に関しては、男爵も最初は渋い顔をしたそうだが、ユリアナと夫人に押し切られたという。
このあたりの科目は、私も手が回らない。
しかしユリアナはどこか落ち着ず、何か言いたげな様子だった。
「どうしたのユリアナちゃん?」
私は水をむけてみた。
「あのね……」
ユリアナは話し出した。
どうやら同じ乗馬クラブの男の子が、何者かにさらわれて行方不明らしい。
生徒や保護者たちも、動揺しているようだ。
既に市の衛兵隊には捜索願いが出されているという。
「大丈夫よ。きっと見つかるわ」
叔母はユリアナをそっと抱きしめ、耳元でそう囁いていた。
ユリアナは無言のまま軽くうなずく。
私は腹部のあたりに、重苦しいものを感じていた。
ただの偶然の重なりにすぎないかもしれない。
全ての出来事を結びつけるのは乱暴すぎるだろう。
だが心の奥底の不安は消えなかった。
さらにそれから二日後。
私が塾の授業から帰ってくると、男爵邸の前に馬車がとまっていた。
見覚えがある。
リューネブルク家のものだった。
私はメイドに案内され、来客用の部屋へ向かう。
「エリザベート!」
そこにいたのは、男爵夫妻。
そして父と義母だった。
「お久しぶりです、お父様、お義母様」
私の中には何の感情もわいてこなかった。
幼い頃は、それなりに父親は好きだった……と思う。
だがそんな感情は、長い年月の間に、とっくにすり減り消え失せていた。
「どうしても、伯爵がお前に会いたいとおっしゃってな」
義叔父が私に向かって言う。
どことなく不満げな感情を押し隠しているようだった。
いきなり押しかけてきて……と、父に文句を言いたかったに違いない。
「そういえば、お手紙にお返事もしておりませんでしたね」
とりあえずはそういったものの、そもそも返事を出す前に、両親が押しかけてきたのだ。
この場合、むしろ相手の方が非常識だろう。
「お前はいい加減ですからね。逃げ出さないうちに、わざわざ来てあげたんですよ」
義母が言う。
私は無言で、軽く会釈を返した。
「まぁいい。単刀直入に言おう。お前が母親のクリスティーネから受け継いだものがあるはずだ。それを渡してほしい」
叔母にはあえて言わなかったが、それはあの手紙に書いてあったことだ。
「もうお渡ししたはずですが」
「あれは偽物だ。もう一つ、本物があるはずだ」
「そんなものはありません。ご用がそれだけでしたら、どうかお引き取り下さい」
実は私が母から受け継いだ指輪は二つある。
一つは父たちに渡した……というより、取り上げられた。
もう一つの指輪は、いつも密かに身につけている。
それに関しては、生前の母から言われた通り、誰かに見せるつもりも、渡すつもりもなかった。
「あれは、我が家にとって大切なものなの。あなたのものじゃない。だから渡しなさい」
「ですから知らないと申し上げてます、お義母様」
「なぁ、エリザベート。クリスティーネの指輪なんて、お前が持っていても役に立たないだろう?」
父が私と義母の話に割り込んだ。
「渡してくれれば、お前の追放を解いてもらうよう、大公殿下に申し上げてもよい」
「さぁ、何の事をおっしゃっているのかわかりませんわ。それに私は今のままで十分幸せです」
なぜ両親は、私がもう一つの母の形見の指輪を持っていると知っているのだろう?
だが今はそれを追及すべきではなかった。
「もうよろしいでしょう、伯爵」
その時今まで黙って聞いていた義叔父が発言する。
「エリザベートもこう申しておりますし、今日の所はお引き取り下さい」
「そうはいうがな、男爵。これは我が家にとって大事な事なのだ」
「失礼ながらあなたたちにエリザベートへの愛情があるとは思えませんな。ご自分たちの事しかお考えになっておられない」
「失敬な。エリザベートが黒蓮の密輸に関わっていると知って、我々がどれほど心を痛めたか」
「エリザベートは素晴らしい娘ですよ。黒蓮の密輸などに関わっているはずがありません」
叔母も何かに耐えかねたのかそう言った。
しばらく、互いに気まずい沈黙の時間が流れた。
「今日の所は退散しよう」
との言葉を残して、父たちは帰っていった。
「ごめんなさい、義叔父さん、叔母さん」
「なにを言うんだエリザベート」
「そうよ、あなたは何も悪くないわ」
「ありが……とう」
私はそれだけ言うのが精いっぱいだった。
とはいえまさか両親が押しかけてくるとまでは思っていなかった。
私の部屋に誰かが侵入した形跡があったのも、両親の手のものだろうか?
だが一体誰が?
とりあえず、身の回りに気を付ける以外、すべきことは限られている。
私程度の魔法で何かできるとも思えない。
という事で、護身用の魔導具を持ち歩くことにした。
そしてさらに数日たったある日――
私が塾から帰ってくると、屋敷が騒がしい。
「エリザベート!ちょうど呼びに行こうかと思っていたのよ」
叔母は青い顔をしていた。
持っていた手紙を私に差し出す。
既に封はあいていた。
私宛であり、シェイエルンの大公の別邸まで来られたし、ユリアナもいるとの事だった。
差出人は公子ヨハネスの名前であり、くれぐれもこの事は他言無用と書いてある。
「いったいどういう事ですか?なぜユリアナが?」
「ユリアナが……ユリアナが戻ってこないんだ。いつもならとっくに帰って来ているはずなのに」
義叔父の声はかすれていた。
「なんで大公家ともあろうものが、こんな誘拐まがいの……」
私は途中で言葉を飲み込んだ。
当然だがユリアナをさらったとは書いていない。
このまま訴え出ても、そんなつもりはない、保護しただけだと言い抜けられたらどうするか。
もし彼らが強硬な手段をとるとすれば、それは私に対してだろうと思い込んでいた。
まさかここまでするとは予想していなかったのだ。
「おじさん!」
その時扉をあけてギュンターが入ってきた。
「おお、来てくれたか、ギュンター」
どうやら義叔父が連絡したらしい。
「ユリアナがさらわれたんだって?」
「さらわれたというか、どうしたものかと思ってな……」
市の衛兵隊ではなく、ギュンター個人に連絡したのだという。
「迷ってる場合じゃない。私はいくわ」
「エリザベート」
「心配ないわ、義叔父さん。何もいきなり殺されはしないと思うから」
「ありがとう、エリザベート」
「とんでもないわ、叔母さん。私自身のためでもあるんだから」
「僕もいくよ」
その時ギュンターが言った。
「なぜ?あなたを巻き込むわけにはいかないわ」
「一人で来いとは言ってないんだろう?役に立てると思う。これでも腕には多少自信があるんだ」
それは確かにそうだった。
なるべく彼に借りを作りたくはないが、この際そんな事もいっていられない。
私は一旦自室に戻り、戸棚の鍵をあけて、いくつかの資料を取り出した。
そして客間に戻り、それを叔母に渡す。
「もし万一私が夜中までに戻らなければ、これを市の衛兵隊に」
「エリザベート……」
「心配ないわ。万一の場合よ。彼らが欲しいものはわかっている」
母の形見の指輪は渡さなければならないだろう。
母の言いつけに背くことになるが、 私自身や何より叔母夫婦たちの安全にはかえられない。
「わかった。さっきデリアとも話したんだが少々伝手があるから、これから市長に頼んでみるつもりだ」
「そうね、義叔父さん。それがいいかもしれない」
私はギュンターと一緒に、義叔父が用意してくれた馬車にのる。
今度こそ、過去と決着をつけなければならなかった。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
部下の連絡を受け、シェイエルン市長のヘルマンは、客間へと急いだ。
「これはこれは、お久しぶりでございます」
丁寧に礼をする。
そこにいたのは、吟遊詩人のカミルだった。
「久しいな。ヘルマン市長…いや、シェイエルン伯爵と呼ぶべきかな」
「さすがにお耳がはやい。なに、形だけの名誉爵位ですよ」
ヘルマンは笑顔を見せた。
「クリスティーネの娘に会ったよ」
いきなりカミルは言う。
「ほう、まさかこのシェイエルンに?」
「そうだ。面影はあるし、何より頭がよくて少々頑固そうな所がそっくりだ。もっとも俺はクリスティーネの子供の頃しか知らぬが」
「さようでございますか。てっきりサヴォイア公国にいるとばかり……」
ヘルマンは髭をなでる。
「そのことだが、何故クリスティーネがリューネブルク家に嫁ぐことになったのだ?」
「それは……先の大戦でサヴォイア大公家やリューネブルク家が中立派であったのはご存じでしょう?」
「もちろんだ」
「戦後に主戦派と中立派で色々ありまして。その争いをおさめるための、いくつかの婚姻政策の一環ですよ」
「なるほどな」
「何もお前が行く事はないと、私たちは反対したんですがね。おっしゃるようにあの子もなかなか頑固な所がありますので」
「ふむ……その頃俺はこの国にいなかったからな」
そう言ってカミルは目の前の紅茶のカップに手を伸ばした。
「帝都には、お戻りになられぬのですか?」
「あそこには俺の居場所はない。それに俺にはやる事がある」
「みな大歓迎致しますよ。この間陛下も、あなた様がどうしているかとおっしゃっておられました」
「などとおだてられて、いい気になっていると足元を掬われるさ。どのみち俺は元々この国の人間ではないしな」
カミルは一息に紅茶を飲み干すと、カップをテーブルへ戻す。
ヘルマンは少しためらった後、話を切り出した。
「この頃、帝国も騒がしゅうございまして」
「ああ、らしいな」
「その……禁制の黒蓮の密輸に、奴隷貿易と」
「やれやれ。平和な世になっても、無くならんものよな」
「それに関しては私も、皇帝陛下より直々に御下命を賜り、帝国内務省とも連携して事にあたっておる次第でして」
「なるほど」
「恥を申すようですが、このシェイエルンからあちこちへ……と」
「確かにここは、陸路にせよ海路にせよ、どこへ向かうのも都合がいい」
「まぁ首謀者の大体の目星はついておるのですが、今一つ決め手に欠ける状況でして」
そこまで言ってからヘルマンは一口手元の紅茶を飲む。
「というと?」
「サヴォイア大公家が密輸や奴隷貿易に関わっているらしいのです」
「ほう……」
カミルは返事をしたが、それほど意外そうでもなかった。
「他にも、リューネブルク家や親族のラウジッツ男爵家も。一体なぜ大貴族たちが危ない橋を渡るのかもわかりませんが」
「大公は野心家だ。資金が必要なのだろう。理解できない事もない」
「大公領の中ですと、皇帝陛下といえど、うかつに手は出せませんで。よほどの証拠が無い限り」
「その通りだな。もしかしたら何者かにそそのかされているのかもしれん」
「と、言いますと?」
ヘルマンは身を乗り出した。
「旅のついでに、あちこちの怪しい動きはいくつか潰しておいたが、妙な匂いがする」
「……まさか」
「暗黒神ではないが、その眷属の可能性はあるな」
「それが大公家と結びつくと、やっかいかもしれませんな」
「そこまでの奴でもないが、あの大公の別邸とやらも、怪しげな気配がした」
「それは……」
「暗黒神の眷属どもが、でかい面するのも気分が悪い。そろそろ下らぬ夢から醒める時だろうな」
そういってカミルはにやりと笑った。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
私は大公家の別邸の前にいた。
御者が到着を告げると、まもなく中から執事らしき人間が出てくる。
彼はうやうやしく礼をすると、私とギュンターを客室へと案内した。
「久しぶりだね。元気だったかい、エリザベート?」
部屋に入ってきたのは、私の元婚約者、サヴォイア公国の公子であるヨハネス。
それと義妹のベルタだった。
「ユリアナはどこ?」
私は単刀直入にそれだけ言った。
なぜ彼らがここにいるのか、詮索しても仕方ないし、知りたくもない。
「あの子供の件は、ちょっとした手違いでね。ついでに利用させてもらったが」
「望みは何?早く言ってちょうだい」
実のところ、聞く必要もなかったかもしれない。
「君はやっぱりあの女の子なんだな。君をさらいに……おっと、招待しに上がった部隊は、何故か魔法が発動しなかったり、信じられないミスをしたりでうまくいかなかった」
どうも不思議なありえない事が起こったらしい。
だとしたら、私の力ではなく、母の形見の力だろう。
「それでユリアナを?随分とご立派な貴族様ですこと」
「お義姉様は誤解なさってますわ」
ベルタが口を出してきた。
「私たちはただ協力して頂きたいだけですの。リューネブルク家のため、そしてサヴォイア公国のために。そして私たちの真実の愛のために」
「あなたたちの『真実の愛』とやらは興味ないわ。私の事はかまわないで。どうぞ勝手に幸せになってちょうだい」
「どうか指輪をお渡しになって下さいな、お義姉様」
「ユリアナと引き換えよ。あの子をつれて来て」
一向に埒があかず、押し問答になる。
こうなったら出直すしかないかもしれない。
指輪も奪われて、ユリアナも取り戻せないとなれば意味がない。
交渉術としてはせめて、相手にゆさぶりをかけるべきだろう。
私は振り返ると言った。
「ギュンター、帰るわよ。ギュンター?」
そこには見た事のない……いや、おそらく私が心の奥底で感じ取っていた彼がいた。
「僕は帰らないよ。君は僕といるんだ。これからずっと」
するとヨハネスとベルタが大笑いする声が聞こえた。
「ユリアナをさらったのはこいつさ。そこまで頼んでなかったんだけどな」
ヨハネスがおかしげに言う。
「ギュンターあなた……」
「僕は君を愛している、エリザベート。きっと君の気持を変えてみせる」
彼の目は何も見ていなかった。
私自身すら。
ひたすら彼自身の中の願望と欲望しか見ていなかった。
私は唇をかむ。
絶体絶命とはこのことだ。
その時だった。
「やれやれ。こやつらは己の欲ばかりで、ものの役に立たんの」
突然低いしわがれた声が響いた。
いつの間にか部屋には黒いフードを被った、魔術師らしき人物がいた。
私にすらわかる、恐ろしい邪気を放っている。
「どれ。しばらくおぬしらには眠っててもらおうかの」
そういって骨ばった手をかざす。
手の先から出た黒い霧が、ヨハネス、ベルタ、ギュンターの三人を包んだ。
次の瞬間、彼らは倒れこみ、意識を失っていた。
「あなたは……誰?」
そう言いながらも、私は扉の位置を確かめていた。
隠し持っている、護身用の魔道具にそっと触れる。
「さて。とりあえずヴェルネと名乗っておこうかの」
その魔術師は、皺深い顔に笑顔らしきものを浮かべた。
「やれやれ、部下に任せておけばいいものを。あやつらがあちこち出向いては、いらぬ指示を出すので、わしも苦労したわ」
「あなたなのね?全てを操っていたのは」
「わしではないさ。大公は野心家だ。そこにいる奴らもな。わしは奴らの心の奥にある望みを叶えてやっただけだ。おっと」
扉に向かって走り出そうとした私を、透明な何かが絡めとる。
「ふむ感じるぞ。そこか」
見えない手で私のペンダントが引きずりだされ、隠していた、もう一つの母の形見の指輪が宙に浮く。
そしてそれはヴェルネの元へ吸い寄せられた。
「この半年、おかげでわしの魔力も随分と強くなってな。偽物とはいえ、一つ目の指輪から随分魔力を吸わせてもらったぞ」
彼は指輪をつまむと、再びにやりと笑った。
「さて。この指輪はちと厄介じゃな」
何やら呪文を唱えると、指輪は光を放ち、次の瞬間粉々に砕け散った。
私は、呼吸を整えるのが精一杯だった。
心臓が早鐘のように鳴る。
「あなたは一体……何者なの?」
「魔族の正当なる権利を回復するもの、とでも言おうかの」
笑いもせずに、彼はこたえた。
「何をしようというの?勇者アベルによって倒された暗黒神を蘇らせようというの?」
「こたえてやる必要はない。お前自身に大した魔力は感じられぬが、お前の母は名の知れた魔術師だったらしいな。一応その力をもらっておいてやる」
彼は再び呪文を唱え始めた。
私は覚悟を決めて目を閉じる。
だが次の瞬間、私の体が鋭い光を放った。
「去れ!魔族よ。常世の闇へ消えよ!」
私自身によるものではない。
私の口を借りて、誰かが喋っていた。
「わしの術がきかぬだと!馬鹿な。この場所はわしが作った魔法陣の上ぞ」
その時、聞き覚えのある声がした。
「茶番はそこまでだ」
振り向くとそこには一人の男がいた。
義叔父の助けでも衛兵でもない。
それは――
「カミル」
私の声はあえぎに近かった。
安堵よりもむしろ失望の気持ちが近かった。
たかが吟遊詩人にすぎない彼がいた所でどうなるというのか。
「その指輪は二つとも偽装だ。母親の本当の形見は、彼女の――エリザ自身の中に埋め込まれているのさ。魔術式としてな」
カミルは落ち着いた声で話す。
「なんだと……」
「二つの指輪が破壊されたとき、自動的に発動するように術式を組んでいたのさ。その程度の事もわからんとは、お前も大したことはないな」
「黙れ!」
「俺を知らんとは、お前は単なる下っ端の黒魔導士だろう?」
カミルの声は鋭く厳しく、普段の彼とは全く違っていた。
「黙れ!人間風情が」
ヴェルネは目をとじ、呪文を唱え始めた。
黒い霧が現れ、それは凄まじい速さでカミルに襲い掛かる。
だが、次の瞬間、カミルの周りの透明な壁に跳ね返された。
「俺にはきかんよ」
カミルは冷たく言い放つ。
「たとえ魔法陣を組もうとも、おまえごときの魔術で、俺を倒す事はできんさ」
「……な、な、……貴様は一体……」
カミルはこたえず右手をかざした。
七色の光がヴェルネ目掛けて降り注ぐ。
ヴェルネは恐ろしい叫びを上げると、床に倒れ動かなくなった。
「大丈夫ですか?エリザさん」
カミルは私に話しかける。
だが私はひたすら頭が重かった。
「カミル……さん。その……ありがとう」
「いえいえ、このあいだ下さったパンのお礼ですよ」
カミルはにっこり笑って言う。
「その、どうしてここに」
「色々ありまして。最初は私が求めているものをあなたがお持ちなのかと考えていたのですが、どうやら違ったようです」
私は半ばその声を聞いていなかった。
「あなたにはクリスティーネの加護がある。大抵の事は大丈夫だろうと思ったのですが……おや、これはいかん」
その言葉を最後に、私は意識を失った。
目覚めた時は、男爵家の私の部屋だった。
心配そうにのぞき込む、叔母夫婦、そしてユリアナの顔が見える。
「エリザベート!」
「エリザベート……」
「エリザお姉ちゃん!」
「ユリアナ、無事だったのね」
「うん、お姉ちゃんたちのおかげだよ」
私の言葉にユリアナはにっこり笑ってこたえる。
「あの後、市の衛兵たちと一緒に、大公の屋敷へ向かってな」
義叔父が伝手を辿って連絡すると、意外な事にすぐに動いてくれたという。
まるで最初から予定にあったように。
「そうだったのね」
「お前を見つけた時には気を失っていてな。急激に体に負担がかかっただけで、大事ないと側にいた男は言っていたが……」
「心配したわよ、エリザベート」
「ごめんなさい叔母さん」
「謝る事はないわ。むしろお礼を言わなきゃいけないのは、私の方よ。ありがとう」
あの場にいた者は全員逮捕されたらしい。
そして監禁されていた幾人かは解放されたようだ。
その中には、ユリアナの乗馬仲間の男の子もいたという。
父や義母、公子や義妹はどうなったのか。
あの魔術師やギュンターは?
そして、事件の全容はどうなっているのか。
知りたい事は山ほどあった。
義叔父によれば、それについては、シェイエルンの市長が直々に説明してくれるらしい。
というわけで私は、しばらくはゆっくり静養をとり、体力回復につとめることにした。
そして一週間後。
私は市庁舎の一室に呼ばれていた。
「もうよろしいのですか?」
「はい。特に怪我もなく、ちょっとした疲労だろうとお医者様が」
私はカミルに答える。
部屋の中にはもう一人、中年の男がいた。
「シェイエルン伯爵、ヘルマンと申します、エリザベート様」
立ち上がって礼をする伯爵に、私も礼を返す。
「彼とは昔からの知り合いでね」
カミルが言った。
「あのカミルさん。実は……」
「あなたが私に最初にお話しくださったあの出来事。あれはあなた自身の事であると。そうでしょう?」
「ご存じでしたか」
「なんとなくそうではないかと思っていましてね」
「お見通しでしたのね。それはともかく、一体何がどうなっているのやら。説明してもらえますか?」
私の言葉にヘルマンは軽く頷くと、話し始めた。
私が予測していた通り、全ては大公家の陰謀であった。
黒蓮の密売や、奴隷貿易にまで手を出していたとのことだった。
資金を得るためにしても、なぜそこまでしていたのか。
ヘルマンはその点、はっきりとは言わなかったが、どうやら皇帝の座を狙っていたらしい。
手に入れた金で兵を雇い、味方を増やし、いずれは……と考えていたようだ。
そのあたりは今後の調べで明らかになるだろう。
そこでヘルマンは、ちらりとカミルを見た。
「それに関しては、あのヴェルネとかいう黒魔導士も関わっていたようで」
カミルが説明する。
あの男は元々、義母の実家のラウジッツ男爵家に入り込んでいたらしい。
大公家との結びつきを強めたいラウジッツ男爵家。
更に勢力を増したい、リューネブルク家。
帝位を狙うサヴォイア大公家。
そしておそらく魔族の復活をもくろむ、黒魔導士ヴェルネ。
四者の利害が一致したのだろうとの事だった。
「元々野心があったとはいえ、ヴェルネがそそのかしたのが大きかったでしょう。もしかしたら何らかの暗黒魔術を使っていた可能性もある」
そのカミルの言葉を聞いた時、私はふと思い立った。
「あの……ギュンターは、私の従兄はどうなりました?」
カミルはヘルマンに視線を送る。
「大公の息がかかっていたようです。サヴォイアの神殿学校にいた時から。それで様々な悪事に手を染めて」
ヘルマンの言葉は、私が予想していた通りだった。
黒蓮の密売や、奴隷貿易にも絡んでいた。
金銭や爵位も約束されていたらしい。
「そうですか」
「彼にはそれなりの裁きが下されるでしょう」
叔母夫婦はショックを受けるだろうか。
平民であることや、親を亡くして不遇であることに引け目を感じ、何とか今の境遇から脱したいと思っていたのだろう。
それを思えば、多少の同情めいた気持ちもなくはない。
だがヘルマンの言う通り、行った事の報いは受けなければならない。
「それにしても、何故こんなに急に事件が解決したのでしょう?」
「大公家にあやしい動きがあると、内偵をすすめていたのですよ」
こういう事は、どこかから情報が漏れるものだ。
ロマーナ帝国では、皇帝の権威はまだまだ弱い。
各地の諸侯の動きには、常に気を配ってもいた。
そして今回、一気に多くの証拠と証人が手に入ったというわけだった。
「それに関しては、エリザベート様のご両親よりもむしろ、ヨハネス殿下とベルタ嬢から得た情報も助けになっておりまして」
ヘルマンは苦笑して続けた。
私の父や義母は、あまり喋らないらしい。
だがサヴォイア公子のヨハネスと、私の義妹のベルタの取り調べは順調に進んでいるとの事だった。
二人の証言はほぼ一致している。
ただし主語が入れ替わっていた。
ヨハネスの話ではベルタであったところが、ベルタの話ではヨハネスになっている。
ひたすら自分は騙された被害者だと、そういう事のようだった。
「なるほど……」
「こう言ってはなんですが、今回の計画はいずれ露見していたでしょう。」
ヘルマンは言う。
あの二人はあちこちへ行っては、余計な事に首を突っ込み、余計な指示を出しては現場を混乱させていたようだ。
いかにもあの二人らしいと、私は思った。
そういえば同じような事は、あの黒魔導士のヴェルネも漏らしていたような気がする。
ヴェルネは帝国魔法師団によって、帝都まで護送されたようだ。
私の両親や義妹たちは、ここシェイエルンで、帝国内務省の人間とヘルマンが取り調べにあたっているらしい。
「そうそう、『真実の愛を見つけた』というのは、妹さんの仕組んだちょっとした嫌がらせだったようですよ」
ふいにカミルが言った。
「そういえばそんな事もありましたね」
私はまるで何年も前の出来事のように感じていた。
「なにやらそのような芝居が流行っていたとか。あの公子と義妹さんは、利害と欲で繋がっていただけです。互いに思いやりも愛情もないでしょう」
カミルは冷めた口調だった。
黒蓮の密輸や奴隷貿易だけならともかく、帝国法において、大逆罪は未遂であっても死罪と決まっていた。
父や義母や妹、大公一家の前途は厳しいものだろう。
だとしても、とうてい同情する気にはなれなかった。
ヘルマンはちらりとカミルを見てから私に話しかける。
「今回の事は、陛下も心を痛めておられましてね。是非ともエリザベート様の名誉回復の上、何でもエリザベート様のお望みの通りにせよとの仰せでした」
「いえ、そんなもったいない事でございます」
「いやいや。エリザベート様の母上のクリスティーネ殿は、陛下の……いえ私にとっても、先の大戦での大事な戦友ですので」
「そうだったのですか?」
そこまでは私は聞いてはいなかった。
「それで先走った話ですが、これからどうなさいますか?」
「どうとは?」
「このままではリューネブルク家は取り潰しとなるでしょう。ですがエリザベート様が望まれれば、爵位を継ぐことも可能です」
「私はリューネブルクの女伯爵になるつもりはありません」
リューネブルク家には何の思い入れもなかった。
私があの家にいたのは、単に亡くなった母との思い出があったからだけだった。
あらためてそう感じる。
カミルもヘルマンも、それほど意外そうでもなかった。
「なるほどわかりました」
「父の遠縁に十歳の男の子がいたはずです。もし彼が成人後、爵位の継承を望むなら次代のリューネブルク伯は彼に。望まぬ場合はリューネブルク家は取り潰しでかまわないかと、ヘルマン様」
私は亡くなった母の事を考えていた。
母は幸せだったのだろうか?
クリスティーネ・フォン・ディーツとしてリューネブルク家に嫁ぎ、若くして亡くなった。
そして私は……
「ところで、もう一つ。よければ陛下がエリザベート様にお会いになりたいと」
ヘルマンの言葉に私は少し驚いた。
「私に……ですか?」
「ええ。お望みなら官位や爵位も、と」
「とんでもありません。そこまでして頂く謂れはございませんわ」
「クリスティーネ殿やその娘であるあなたの事を、お気になさってはいたのですが、今まで事情があって充分報いてやれなかったからと」
「しかし私は何の能もない、ただの小娘ですのに」
その時、黙って聞いていたカミルが言った。
「あなたには眠っている力がありますよ、エリザさん。お母さまの加護だけでなく、あなた自身に」
「私に?」
「あなたは、お母さまと同じ『真実の瞳』をお持ちです。おそらく、あなたのお母さまが封印したのでしょう」
それは意外な話だった。
「帝都へ行けば、あなた本来の力を取り戻す事もできると思います」
私はカミルの言った事を考えていた。
母は昔の事を話したがらなかった。
皇帝やヘルマンに関しても今日初めて聞いたのだ。
私に魔法の才能があると言った事もなかった。
あなたはあなたでいいと、言ってくれていた。
おそらく母にも色々考える所があったのだろう。
自分と同じ思いをさせたくないと感じていたのかもしれない。
今となっては知りようもない事だった。
「いえ、私は帝都へは参りません。この力は私の力では無い気がするんです。私は他にやりたい事があります。この力はお母さまからの授かりものとして、大事にとっておくつもりです」
優れた魔法の力も、爵位も、私には必要ない。
私はここシェイエルンで暮らすつもりだ。
子供たちに勉強を教え、酒場で飲んで騒いだり、叔母夫婦と出かけたり。
いつかは私自身の家庭を持つことがあるかもしれないけれど。
「なるほど。あなたのお母さまなら、そうおっしゃられたかもしれませんね」
カミルは柔らかな笑顔で言った。
そして別れの時が来た――
まだ夜明け前。
シェイエルンの外れの丘の上だった。
私たちは、カミルが同行するという隊商の一団から、少し離れた所にいた。
「ではお元気で、エリザさん」
「あ、はい。色々ありがとうございました。その……お元気で」
何か言う事があった気がする。
だが言葉が出てこない。
「その……カミルさん……私は……」
何を言ったらいいのか。
何を言うべきなのか。
それよりも、私の心の中にある、この感情は何なのだろうか。
懐かしく、慕わしく、胸が締め付けられるような。
ずっと会いたかった人に、再会したような、そんな気持ちだった。
なんと言ってよいかわからず、私は下を向いた。
カミルはそんな私に向かって、優しく話しかける。
「エリザさん。あなたの今の気持ちは、あなた自身のものではありませんよ。あなたは、あなたにしかできない事があるはずです」
「はい……」
私はそれだけ言うのが精一杯だった。
「さようなら、カミルさん。豊穣の女神フライヤの御恵みがあらんことを」
「さようなら、エリザさん。吟遊詩人の守護者でもある、大神オーディンのご加護を」
そう言って彼は馬車に乗り込む。
馬車はゆっくりと走り出し、東へと向かっていく。
その時、雲間からさしこんだ初夏の陽光が一行を照らす。
それはカミルにも降り注ぎ……
次の瞬間、虹色の輝きを放つ翼が彼の周囲に突如あらわれた。
「えっ?カミルさん?」
私は思わず声を上げる。
その時、突然ある思いが閃いた。
(彼は……いや……まさか)
ヴェルネとの戦いで気を失う前は、そんな事を考える余裕もなかった。
だが私は彼に母の名前を話していない。
何故、カミルは母の名がクリスティーネである事を知っていたのか?
ヘルマン伯爵から聞いていたのだろうか……それとも……
七色の翼を持ち、永遠の命を授かったという、勇者アベル。
失われた恋人レイナを探し、今も終わりなき旅の途上にあるという。
いくら吟遊詩人だからといって、高位の貴族たちと親しすぎる事も。
彼の持つ不思議な力も。
彼が伝説の勇者アベルだと考えれば納得がいく。
だが虹色のきらめきはほんの一瞬だった。
私は馬車を追って駆け出した。
当然追いつけるはずもなく、カミルを乗せた馬車は丘の向こうへと消えていった。
そうだ。
私には彼を引き留められない。
一緒についていく事もできない。
それに私にはやる事があった。
「さ、今日も頑張らなくちゃ」
大公家も伯爵家も関係ない。
これまでも、これからも、自分の足で立って歩くのだ。
一人の女、エリザ・ディーツとして。
今の私には帰る場所があった。
私は丘を降り、朝もやに煙る街へと歩み始めた。
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