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キャッチライト  作者: 綿貫ソウ
第2章
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七話

 尾崎真宙と出会ったのは、高校一年の入学式だった。


  *  *  *


 入学式の日、母親と来ていた僕は、母親を先に帰らせて学校に残っていた。小学生から使っている一眼レフを持って——


 まだ慣れていない学校を、着慣れていない制服で探索し、写真を撮っていた。写真撮影において行事ごとは絶好の機会で、日常とは違う人の表情を撮ることができる。その機会を逃したくなかった僕は、上級生の写真部だという雰囲気をだして、一眼レフを構え続けた。


 校門までの一本道の両脇には桜の樹が植えられていて、入学式を祝うかのように満開だった。僕はその道を歩いていく生徒や親を撮ろうと思い、校舎付近の花壇で、被写体からは引いた位置でカメラを構えていた。そのとき偶然撮ったのが、尾崎だった。次の日に同じ教室で顔を合わせるまで、彼が同じクラスだったことには気付かなかった。


 とはいえ、そこからなにか関係が始まるわけではなかった。尾崎は僕が写真を撮ったことに気付いていなかったし、僕は写真を撮ったからといって社交的になれるような人間でもなかった。それに、尾崎は数日もしないうちに、クラスで一目置かれる存在になっていた。男女問わず目を惹かれる整った容姿、何をやらせても上位に入る運動神経、周りを明るくするコミュニケーション能力。非の打ち所がない、というのはこういう人に使うのだと、僕は教室の中心から外れたところで、そう思っていた。だから、これから深く関わることもないだろうとも思っていた。僕から見て彼は、違う世界の住人だった。


 その予想は当たった。一年の、夏休みが終わるまでは。


 写真部に入部していた僕は、夏休み前に部活の大会に写真を応募していた。写真部にとって甲子園と呼ばれる大会で、部員全員が応募し、そして僕の写真だけが全国大会まで選出された。結果的には部内初の銀賞を獲得し、その写真は他の受賞作品とともにネットに公開された。その写真が入学式に撮った尾崎の写真だった。


 尾崎がその写真をどうやって知ったのかは分からない。だがあるとき、僕が一人で廊下を歩いていたら、横から尾崎が現れてそのことを問い詰められた。僕は素直に話した。入学式にたまたま尾崎を撮ったこと、大会に出す写真を選ぶときに一番良い写真がその写真だったこと、全国大会まで選ばれるとは思っていなかったこと。悪いのは完全に僕だった。写真を公の場に出すには、被撮影者の許可を得る必要がある。それ以前に許可なく人の写真を撮ることは、正確にいえば肖像権の侵害だ。もし、尾崎が大会の主催者に僕が許可を得ていないことを伝えたら、賞を取り消されるのは間違いなかった。


 僕は、尾崎に謝った。それ以外に尾崎にできることを、僕は知らなかった。非の打ち所がない人間に、何かを与えたり返すというのは難しいものだった。謝りながら考えあぐねていると、お腹が鳴る音がした。それは尾崎から出ていた。

 

 *  *  *


 放課後、僕と尾崎はファミレスのテーブル席に座っていた。お詫びに何かおごらせてほしいという提案に、意外にも尾崎は乗ってきた。


 尾崎はポテトを頼んだ。それだけでいいのか、と訊くと、ああと彼は言った。バイトをしていない僕にとって、その注文はありがたかった。僕も同じものを頼んだ。


 自分で誘っておきながら、ちゃんと話したことのない尾崎を前にして少し緊張していた。だが、その緊張も話しているうちになくなった。入店して数分もしたころには、僕は尾崎と笑いながら話していた。彼は気のきいたユーモアを持っていた。それは誰かを悪くいったり、傷つけたりするものではなく、何万という言葉の中から、適切に不適切な言葉を選んでいる類のユーモアだった。たとえ何かを悪く言ったとしても、それは尾崎自身のことを自虐的に笑いに変えるときだけだった。


 しばらく会話を続けていると、いつしか話は僕の写真の話になっていた。写真の撮りかたや、構図について話すと彼は興味深そうに聞いた。それもコミュニケーション技術の一つだったのかもしれないが、僕には本当に彼が興味を持っているように見えた。


「他の写真も見せてくれないか」


 僕は一眼レフからスマホに移行したこれまでの写真を見せた。小学生のときから撮り続けた写真を尾崎は、ゆっくりと見ていった。僕は嬉しかった。これまで、写真部の顧問ですらここまで熱心に見てはくれなかった。小学生、中学生、そして高校生になってからの写真を見終わるころには、オレンジ色の光が窓から射し込んでいた。


「山田は」


 全ての写真を見終えて、尾崎は言った。


「写真家になりたいんだな」


 僕は、その言葉にはっとした。

 カメラマンでもなくフォトグラファーでもなく、尾崎は写真家と言った。彼の言葉選びは適切だった。写真家はカメラマンやフォトグラファーと違って、芸術的な写真を撮る職業のことを指す。カメラマンになりたいと訊かれることはあっても、写真家になりたいと訊かれたことは初めてだった。


「そうだよ」


 僕は少し緊張しながら肯定した。

 写真家になることは小学生のときからの夢だった。家族にも言っていない、内に秘めていた夢。笑われたり、無理だといわれることが怖くて言えなかった夢。

 でも尾崎なら、笑うこともなく、無理だとも言わないような気がした。


「尾崎」


 窓から射し込んだ光が、尾崎の顔を斜めに割っていた。彼の右半分だけがオレンジに染まり、もう一方は暗闇に沈んでいる。


 その中から、彼のひどく澄んだ目が、僕を見ていた。


 結局、高校生に入ってから撮った写真で、一番よく撮れたのが尾崎の写真だった。入学式の、あの一瞬を超える写真を撮ることができなかった。だから僕は、迷った挙句、締め切りぎりぎりになって、許可も撮れていない尾崎の写真を賞に応募した。


 彼の写真は、見た人に不思議な感情を抱かせる。写真部の部員に見せたとき、彼らはしばらく何も言わなかった。ただ吸いこまれるように尾崎の後ろ姿を見ていた。


 矛盾している。僕が抱いた感情はそれだった。大きな違和感があった。でもそれが何か、分からない。分からないから、惹き付けられる。


 目の前にいる尾崎にも、その感情は当てはまった。目の前にいるのは容姿の整った高校生であるはずなのに、悟り切って全てを受け入れた老年の男にも見えたし、迷子になって涙目になった少年にも見えた。


 分からない。

 だから、知りたいと思った。

 どうして勝手に撮ったことを怒らなかったのかも。

 どうして僕の撮った写真に興味があったのかも。

 どうして彼の写真に惹きつけられるのかも。


 僕は、告白する前の女子みたいに、一度深呼吸をした。

 知りたい。

 彼を撮ってみたい。

 その感情から出た言葉は、ずいぶんシンプルなものだった。


「写真、撮らせてくれないか」


 僕の唐突な願いに、彼は口角を少しだけ上げて、目を細めた。


「またおごってくれるならな」


 そのようにして、僕と尾崎の関係は始まった。

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