四話
朝、廊下を歩いて教室を目指していると、ふいに後ろから聞き覚えのある声が聞こえた。
「先輩!」
振り返ると、額に汗を浮かべた少女がいた。
ショートカットを揺らしながら、残暑をものともせずこちらに駆け寄ってくる。
若森ひなた。
一つ下の後輩で、現写真部の部長。活動的で、なによりも写真を撮るのが好きな後輩だった。彼女はいつものように、首から一眼レフを提げていた。
「お久しぶりです、山田先輩」
若森は軽い礼をして、顔を綻ばせるように笑った。
「一枚、撮ってもいいですか?」
「いいけど、朝練?」
「そうです。まあ、自由参加なんで少人数ですけどね。遠くから来てる子もいるんで」
僕の代のときは、朝練はなかった。
どうやら若森は部長になって早々、改革を起こしているみたいだ。
「全然顔出してくれなかったから寂しかったですよ」
そう言いながら、僕との距離を開けて、一眼レフを構える。僕たちの脇を、一人の生徒が横目で見ながら通り過ぎていく。
「ポーズでもした方がいい?」
「じゃあオフィーリアで」
彼女は、川に流れて死んでいく女性の絵画の名を言った。
「廊下で寝転べって?」
「冗談です。ピースで、お願いします」
若森がファインダを覗きこみ、シャッターに手をかける。
僕はポーズを決め、口角を意識的に上げる。
上手く笑えているだろうか。少し心配だったが、若森は親指を立てて、微笑んだ。
「そういえば先輩、もし良かったらこんど写真、みてくれませんか?」
「僕はもう引退したからな。顧問にでも聞きなよ」
「先生とは芸術性があわないからいやです」
芸術性。僕は内心でため息をつく。それならなおさら、僕が見るべきではない。
「私は、先輩に見てほしいんです」
「ごめん。最近忙しくて、ゆっくりみる時間がないんだ。もしあれだったら神田にでも頼んでくれ」
「だから……」
若森はなにかを言いかけて、でも思いとどまったように口を結んで、また開いた。
「先輩、もし時間あったらまた今度、部室覗いてください。みんな先輩がきたら喜ぶと思います。そのときに私の写真、見てください。絶対ですよ」
彼女は急に早口なって一方的にそう言うと、「そろそろ朝連おわるので」と足早に廊下を駆けていった。首からかけていた紐が、彼女の動きに合わせて揺れ、遠ざかっていく。
僕はその様子を、ただ茫然と見ていた。
開け放たれた窓から、僕を責めるように、季節外れのセミが鳴いていた。