馬車に乗せられる
二日目。
ケツの辺りに突然鋭い痛みを感じて目が覚めた。目が覚めるとますます痛い。
「いってぇ〜。」
思わず呻いてケツをさすった。声が聞こえた。聞いたことのない抑揚の言葉だ。ドイツ語とかロシア語とか、北のほうの国の言葉を思わせる。
振り向くと、昨日の茶髪が俺を見下ろしていた。どうもこいつに蹴られたらしい。ひでぇ。そんな起こし方ってあるか?しかも辺りはまだ暗い。何とかうっすら森の上が明るく見える程度だ。
何か言われたが、昨日と同じ、全然全く分からない。
毛布を剥がされて、寝ぼけまなこのまま、馬車に乗せられた。
すぐに馬車は動き始める。手綱は一番小さいのが取った。横に昨日ちらりと見た女の子が乗っている。馬車の荷台には俺の他に、昨日のエルフが毛布にくるまってぐーぐー寝ていて、ムカつく茶髪野郎は馭者台を背にこっちを睨んでいた。気まずい。毛布をくれた黒髪の兄さんは、馬車の横を歩いていた。
めっちゃ馬車揺れる。
しばらくぼーっと揺られている。
ふと見ると、左手に包帯が巻かれていた。あ、そうだ。怪我したんだった。結構ざっくりえぐれてたように見えたけど、もう痛くない。思ったほどひどくなかったのかな。
ていうか、やっぱり俺は元の世界には戻れなかったらしい。
ていうか、やっぱりここ異世界なんだよな。
頭がシャッキリしてくると、逆にその事で気が重くなってきた。こんな言葉も通じない場所で俺にどうしろと? 元の世界への帰り方なんて誰に聞けばいいってんだ?
そりゃ、転生とかして女神に「そなたに力を授けましょう」とか言われて、大魔法使いとかチート剣士とかになって、おっぱいの大きな美女に囲まれて世界を救う旅に出るとかなら、まあここへ来た意味があるだろう。なんなら誰もが恐れる魔獣とか。魔王とか。世界征服しちゃうよ?みたいなさ。
でも現実、全く変化なしの元の俺のままで、言葉も通じない、武器もない、魔法もない、ただ普通に迷子なんて終わってる。
異世界無双なんて、所詮お話の中の出来事なんだろう。
でも昨日のことを思えば、人に会えただけ大進歩だ。あのままあそこにいたら、昨日のオオカミにやられて、今頃骨になっていたかも。こわっ。
少し落ち着いてくると、腹減ってきた。ションベンしてぇ。どうしたらいいんだろう。気になると余計に漏れそう。
ふと見ると、茶髪野郎は荷物に持たれて舟を漕いでいた。こんな揺れるのに、よく寝れるよな。あ、何か今のうちだ。
「あのー」
荷台から身を乗り出して、黒髪兄さんに声をかける。馬車の音が大きくて、まあまあ声を張らないと届かない。
「あの、すんません、漏れそうなんすけど・・どうしたらいいっすか?」
黒髪兄貴は最初キョトンとしていたが、股間を押さえて見せたら苦笑して、手振りで答えてくれた。
曰く、その辺で立ちションして、走って追いかけて来い。
あ、やっぱりそうですか。
言われた通り、その辺の木に肥料をやってから、急いで走って追いつく。
森の上から朝日が差しこむ。その頃になってやっと、エルフがごそごそ起きてきた。誰も何も言わない所を見ると、このエルフの朝寝坊は、いつもの事なんだろう。
噂通り、エルフは美人だなぁ。髪長い。キラキラ光る黄色味の強い茶髪だ。まつ毛が長い。しばらくぼへ〜としていたが、黒髪兄貴に声をかけられて、革の防具をつけた。
馬車の横を歩いている俺に気がついて、こちらをちらりと見たが、無言。左後ろをちらりと振り向いて、茶髪野郎を確認したが、やっぱり無言。めっちゃ不愛想だな。どうしたらいいんだ。
すごくお近づきになりたいのに、声をかけられる雰囲気ですらない。
彼女は馬車から降りると、明るい茶色の髪を、歩きながら櫛で梳かして、抜けた髪はそっと集めている。いいなー。目の保養になる。
しっかしエルフも美人だが、あっちの茶髪野郎もまあまあな男前だ。すげえ薄汚れてはいるけど、よく見ると女の子にもてそうな顔立ちだし、髪も金髪メッシュと超おしゃれだ。まさかのチャラ男か?今手綱を取っている小さいのとよく似ているから、おそらく兄弟なんだろう。
小さいのが何か言った。それを聞いたエルフが、馭者台の女の子と小声で何か話し始める。
なんか仲間外れ感が。
言葉が分かればもう少しこのぼっち感から抜け出せるかもしれないのに。
黒髪兄貴が、俺に話し掛けてきた。いや、分からんけど。すると自分を差して
「ファラ、ファラ。」
それからエルフを差して
「サラ」
ああ、名前だ。俺も自分を差して
「ヒロキ。ヒロキっす。」
「ヒロキッス?」
「ヒロキ。」
ファラは満足そうに頷くと、他の三人も順にマーシェ、アティス、リズベルと紹介した。
アティスは振り向いて、ニコニコと手を振ってくれたが、リズベルは肩まである黒い巻き毛を揺すっただけで、振り向きもしない。サラもちらっとこちらを見ただけだ。
えー。五分の三が愛想悪いパーティってどうなんだ。
その後、特に何か話すこともなく、ただひたすら歩き続ける。
舗装はされていないが、車が通った跡があるから、世界に人間はこの人たちだけってことはないんだろう。
なんか。俺が出てきたところからどんどん遠ざかっているのが心細い。
やっぱり戻ったほうが良いのかな。いや、あんな森の中、戻ったってどうしようもない。
どうしようもないとはいうものの、じゃあ、こいつらについていって、何か解決するのかな。
魔王と戦うわけでもなく、世界征服するわけでもない俺に、何ができるんだろう。私大三年経済学部、得意は英語と世界史。小さいころにちょっとだけ水泳と習字をやったことがあるけど。
なんか、あんま、役に立ちそうにないな。
途中、足が痛くなったので馬車に乗せてもらったが、ケツが痛くなる馬車に揺られる事、小一時間。
感覚で言えば、大体朝9時ごろって感じかな。やっと小さい町の中に入った。ヨーロッパの田舎町って感じ。
疲れて死ぬかと思った。広場の隅に止まってホッとする。ケツ限界。しかし足も痛い。
でもまあ、やっと人がいるところに来た。これなら何とかなりそうな気が、すごくする。
きっとこの町で一人ぐらいは、異世界について知っている人がいるだろう。召喚士とか。異世界から人を呼ぶ魔法とか。俺以外に異世界から来た奴とか。きっと何かある。あって欲しい。
馬車が止まると、茶髪野郎が目を覚ました。ファラとリズベルが声をかけて馬車を離れた。
昨日と同じように、茶髪野郎は不機嫌そうだ。大あくびをした後、マーシェはアティスと何か相談し、俺を手招きした。
何か説明しかけたが、言葉が通じないのを思い出したのだろう、ちっと舌打ちして歩き出す。
え、どうしたらいいんだ、とアティスを見たら、にこにこしながら「一緒に行け」と手振りで示した。
え、どこに行くんだ。あ、もしかしてあれだ。ほら、教会の一番偉い人とか。召喚士とか。
やった!何とかなりそう。もしかして元の世界に帰れるかも。
と思ったのに、あちこち町中を引き回され、いろんな人に声をかけたっぽいのに、結局最後は元の馬車のところに戻ってきた。
チクショー、どういうことなのか、説明してくれよ!何が起こっているのか、さっぱり分かんねえ〜。