4才(1)
外はすっかり肌寒くなった11月のこと。
とある一室。室温は一定に保たれていて過ごしやすい。
ベッドで昼寝をしていた彩人がむくりと体を起こす。
隣には妹の彩花が寝息を立てている。
髪をそっとなでると、くすぐったそうにする。
「まいえんじぇる彩花が今日も可愛い……」
彩人が兄バカっぷりを発揮しながらベッドを抜け出す。
そこはホテルのような高級感ある部屋だった。
だが、ここは大学病院内の男性専用個室である。
トイレと風呂付き。
そして窓際の仕事机では彩人の母親の美月が仕事中だ。
たくさんの色鉛筆で絵本の1ページを描いている。
「ママ、遊びに行ってくるねー」
「……心配だわ。ママもついていこっか?」
「だいじょーぶ!もう倒れたりしないから!」
「ほんとうに?」
「うん!だから行ってきまーす!」
彩人は美月に近づき彼女の頬に口づけする。
美月は嬉しそうに口づけを返す。
そして彩人は病室を出て行った。
(この新婚みたいなやり取り普通に照れるが?ここ日本ぞ?いや、海外でもチークキスだからな?でもな〜、本当に心配かけてしまったし、喜んでくれるし、これも親孝行ってことで)
彩人は4才となった。
この一年間は寝ることとリハビリしかやっていない。
最近になりようやく自由に病室の外をうろつけるようになった。
それも当然だろう。半年も意識がなかったのだから。
逆にその後の半年のリハビリでよくここまで回復したと医者も驚いているくらいだ。
幸いなことに入院費など金銭面の心配はいらなかった。
希少な男ということで国から手厚いサポートがあった。
だが、何より彩人の心を痛めたのは久しぶりに見た家族の姿だった。
特に美月は心身ともにボロボロにやつれていた。
(あれは罪悪感がハンパなかった。多分、三つのスキルを同時に取得しようとしたのが原因なんだろうな。でも、その甲斐あって、えへへ……ステータス、オープン)
+++
名前:瀬尾彩人
年齢:4才
所属:――
ポジション:――
野手評価
(省略)
投手評価
(省略)
取得スキル
【転生者】、【鋼の肉体】、【身長高い】、【甘いマスク】
+++
ウィンドウ表示されたステータスを見てにやにやする様は反省しているか怪しいところだ。
ただ、遺伝情報が書き換わった彼の肉体は確実に夢へと一歩前進した。
だから彩人はこれからも躊躇わないだろう。
スキルの取得、そして能力向上を。
そんな不審な笑みを浮かべながら廊下を歩く彩人を誰も変に思わない。
それどころか温かく見守っている。
なぜなら、この世界は男に非常に優しい世界だから。
重犯罪を犯さない限り周囲に見放されることはないと言っていい。
彩人の足が不意に止まる。
やってきたのは小児科練の多目的ルームだった。
*
彩人は多目的ルームの扉を引いて中を覗く。
「失礼しまーす……って、あれ?」
そこはやわらかいタイルが敷き詰められた幼児の遊び場だった。
絵本や積み木、小さな滑り台などがある。
だが、彩人のお目当ての人物がいないことはすぐ分かった。
いつも出迎えてくれるピアノの音色が今日はなかった。
その子に出会ったのは一週間ほど前だ。
彩人より年上の小学生低学年くらいの少女である。
少女は昼寝の時間帯で多目的ルームに人気のない時に、キーボードを弾きにきているらしかった。
だから彩人は少し早く昼寝を終えて聴きにきていた。
前世も今世も音楽にまったく関心はなかったが、なぜだか彼女の奏でる音色が心を惹きつけたのだった。
だが、残念なことに会話はまだ成立してない。
彩人は曲終わりに拍手するし、「あの……」と声をかけるが、少女は一瞥するだけで無視されていた。
彩人としては友達になりたかったが、前世からのチェリーボーイにはなかなかハードルが高かった。
「あれ、彩人くん?何してるの?」
彩人は声のした方を見る。
廊下のあちらから見知った看護師がやってきた。
「中に入らないの?」
「えっと……あの子がいないなーって」
「あの子?ああ、瑠々(るる)ちゃん?ここにいないなら病室かな?あまり動きまわる子じゃないし。よし、行こっか」
看護師は彩人を腕に抱えると歩き出す。
「あの、どこに?」
「瑠々ちゃんの病室。遊びに行ってあげたら喜ぶよ?」
(待って。まだ心の準備が足りないってば。しかも遊びに行く仲ではないし、せめて菓子折り必須でしょ。だいたい、あの子の名前がルルちゃんって今知ったよ!ここは病室の番号を聞き出して……)
「あのっ!」
「ああ、彩人くんは可愛いな〜。持って帰っちゃダメかな〜。彩人くんがいればきつい夜勤も耐えられるのにな〜」
「聞いてないし……」
彩人はじたばたと脱出を試みるが、トリップした看護師からは抜け出せなかった。
そうこうするうちに目的の病室の前に来たらしい。
相部屋だが、ネームプレートには「高原瑠々」としかなかった。
看護師は彩人を降ろして立たせた。
「はい、到着。ここが瑠々ちゃんのお部屋ね」
「あ、ありがとう」
「どういたしまして。瑠々ちゃんを元気づけてあげてね。瑠々ちゃん、手術前だからピリピリしてるの。彩人くんの顔を見れば、すぐ元気になるよ」
(それはどうだろ……いや、それより……)
「手術?治らないの?」
「ううん、そんなことない。心臓の――お胸の手術なんだけどね、執刀医はすごい先生だし、絶対に治るよ。でも、今度の手術で二度目なの。一度目は瑠々ちゃんが生まれてすぐで。だからかな、瑠々ちゃん、弱気になってるんだよね」
「……」
「まあ、難しいことは置いといて。彩人くんは瑠々ちゃんと遊ぶだけでいいから。ガンバって!」
看護師はぐっと拳を握ってみせた後、行ってしまった。
一人残された彩人に少女に会わないという選択肢はなかった。
あんな話を聞かされれば、それは不思議ではないだろう。
彩人は意を決して病室の扉を引く。
「失礼しまーす……」
あ、ノック忘れたと思ったが、そのまま中に入ることにした。
すぐに彩人は見つけることができた。
四つあるベッドの一つ。
三角座りして膝に頭を埋める少女の姿を。