0才
その男は生死の境を彷徨っていた。
交通事故だった。
スマホの脇見運転に巻き込まれた形だ。
不運としか言いようがなかった。
だからだろうか。たまたま神が彼を見ていたのは。
男は野球が三度の飯より好きだった。
物心ついた時からおもちゃのバットとボールを手放さなかった。
だが、男には野球の才能がなかった。
甲子園で優勝して、ブロ野球選手になるのが夢だった。
現実は三流高校の部員15人しかいない野球部の万年補欠であった。
男は大学を卒業後、地元の中小企業に就職した。
勤務態度が真面目なだけが取り柄だった。
人付き合いも少なく、恋人もできなかった。
気づけば、テレビの野球中継を肴にビールを飲むおっさんになった。
神はそんな男の人生を読みとった。
そして、神が見つめる中、男の生死の天秤が一方に傾く。
つまり死の方に。
男もそれを感じたのか、消える意識の最中、心残りを思い返す。
(ああ……野球がうまくなりたかった……練習したらしただけ、うまくなりたかった……あと、青春したかった……女の子と触れ合いがほしかった……彼女がほしかった……)
『その望み、叶えてやろう。新たなる世界に転生させ、野球が上達するよう道標を授けてやろう』
神が気まぐれに応えた。
*
「おぎゃー、おぎゃー」
夏の残暑が残る九月のこと。
この世界に新たに一つの命が生まれた。
看護師が綺麗にした新生児を母親に抱かせる。
「おめでとうございます、お母様!元気な男の子ですよ!」
母親は産後の疲労で辛そうであった。
それでも腕の中の赤ん坊を見て喜びが隠せていない。
「私のかわいい赤ちゃん、生まれてきてありがとう!もう名前は考えてあるわ!彩人!あなたの名前は瀬尾彩人!」
「「「ばんざーい!ばんざーい!」」」
ただその赤子は普通ではなかった。
前世の記憶を持つ転生者であった。
そんな彼――彩人もまた喜びを隠せていなかった。
それは死に際の神の言葉を覚えていたから。
(神様、感謝します!これでもう一度、野球ができます!今度こそ、甲子園で優勝して、プロ野球選手になる夢を叶えてやる!あと、今世の母親も優しそうでよかった!それに、むちゃくちゃ美人!)
大和撫子な雰囲気の母親――名前を瀬尾美月という。
美月は愛おしげに彩人の額に口づけする。
突然の行動に彩人は少し動揺した。
「私が彩人を一生大事にするわ!だから、大人になったらママと結婚しましょうね〜」
(えっ……冗談だよな、うん。なんだか甘やかされそうだから気をつけないとな。それにしても母親だけか?父親は仕事かな?あと、気になることと言えば……)
「「「ばんざーい!ばんざーい!」
彩人は自分たちを取り囲む異様な熱気が心底疑問だった。
個室の病室には十人以上の医者と看護師がいた。
皆が一様に万歳して祝福している。涙ぐむ者もいる。
彩人の感覚からすれば、いくら新生児の誕生とはいえ喜びすぎだろう。
しかも見慣れているはずの医療関係者がこの様子である。
「「「ばんざーい!ばんざーい!」」」
彩人の疑問が晴れるのはもう少し後のことだった。




