07
部屋を飛び出したコウキは、マンションの一階の駐車スペースに止めてあった乗用車に飛び乗った。エネルギー不足のために電気代は高騰し、自動車を動かすための電力もその例外ではないのであるが、今回ばかりはそうも言ってられない。念には念を入れて、運転しないにも関わらず、普段から燃料を満タンにしていただけのことはあった。キーを回すと、久方ぶりの運転ではあるものの、機嫌良く一発目でエンジンが始動した。
運転操作を完全手動に切り替え、前方に障害物がない事を確認し、コウキはアクセルを目一杯踏み込んだ。
タイヤがきしむ音を立てて空転したが、すぐに路面をつかみ、そして恐るべき加速を見せつける。わずか五十メートルほどで時速百キロメートルにまで達し、誰もいない通りを、すさまじい音とともに駆け抜ける。
「マスター、飛ばし過ぎです。道交法を完全に無視してます!」
助手席に座るコニカが、必死で警告する。
が、無視する。
そのうちに、コウキ操る自動車はハイウェイに突入した。コウキはなおもアクセルを踏み込み、スピードを上げ続ける。
カーブが来るたびに、強烈な横Gが体を襲う。それでも、速度は緩めない。
おそらく、あの少女が関係しているのだろう。『純潔体』、あの話が本当なのだとしたら、今まで狙われなかったのが逆に不思議なくらいだ。
時間がない。いや、もしかするとすでに手遅れなのかもしれない、それでも走る。
もっと速く、もっと速く。
白いボディーの残像が、市内をめぐる高速道路に一本のなめらかな線を描いた。
「マスター、お気づきですか?」
コニカが、ハンドルを握るコウキにそっと耳打ちした。
「――ああ、分かってるよ」
そう言って、ルームミラーでちらりと後ろを確認する。高速で走り続けるコウキ達のその後ろ、黒い乗用車が、ぴたりと追従していた。その姿に気がついたのは、高速道路に入ってすぐだっただろうか。
警察関係の車両ではないのは明らかだ。おそらく、ルミナを襲撃した関係者だろう。コウキが動き出すのを予測していたに違いない。
ということは、裏を返せば襲撃が失敗に終わっているということだろうか? すでにルミナを始末しているのならば、わざわざコウキを尾行する意味もない。少女のことを知ってしまったコウキを、口封じのために、とうに始末していることだろう。
とすると、考えられる理由は一つ。ルミナと落ち合う場所を知っているコウキを野放しにして、どちらも同時に消してしまう腹積もりなのだろうか?
だとしたらなおさら、このまま追跡させ続けているわけにはいかない。
「コニカ、ちょっと運転を代われ」
体を後ろにずらし、コニカにハンドルをまかせる。そのまま、するりとお互いの位置を入れ替えて、コニカが運転席に、コウキが助手席に座った。
「このままのスピードで、ポイントS-05まで走り続けろ。後方の追跡は気にするな。道交法は無視しても構わない、目的地到達を最優先に行け」
「了解しました」
小さくうなずくコニカを確認し、コウキは体をよじって後方の車両をにらみつけた。障害物のない高速道路の上で追跡を撒いてしまうのは、ほぼ不可能に近い。さらにこちらの車は、残念ながら一般車両、特別なチューンも何も施してはいない。だがおそらく、向こうの車のエンジンはかなりパワーアップされていることだろう。今現在のスピードにしてもこちらはほぼ限界に近く、エンジンも車体も悲鳴を上げているのに対し、向こうはまだまだ安定した走りをしている。追跡を振り切ることもできないだろう。
だとすれば、残された手段はただ一つ。
「いくら賞金稼ぎだからって、殺しをしないとは限らないんだぜ」
ホルスターから拳銃を抜き、スモークガラス越しに後方の車両へと狙いをつける。シートの上に膝立ちになり、ヘッドレストを両腕で挟み込んで体を固定し、そしてゆっくりと引き金を引いた。
刹那、すさまじい音とともにリアガラスが粉々に砕け散った。
後方の追跡車両は突然スリップを始め、高速道路の中央分離帯に突っ込み、そして爆発炎上した。コウキの放った弾丸が、前輪のタイヤを打ち抜いたからであった。
「お見事です」
「まあな」
拳銃をホルスターに納め、得意げに唇の端を釣り上げる。そしてゆったりと息を吐き、座席に浅く座り直した。
十分後、彼らの車は高速道路を下り、速度を落として入り組んだ街中を走っていた。特別管理区域とは違う、時代に取り残された者たちの街。簡単にいえば、下流階級の人々の住む貧困街。
特別管理区域とは明らかに違う町並みは、まるで昔にタイムスリップしたかのような錯覚を抱かせる。近代技術とは縁のない、古くからの建築法で立てられた家並み。日中であるのに外を出歩く人の姿はほとんど見られない。たまに外をふらついている人を見ても、身に付けている義肢は、金属製の部品がむき出しになっている一昔前の不格好なモデルであった。
遺伝子消失の混乱により、政治機能を著しく低下させた日本の政府機関は、特定の地域、すなわち特別管理区域を除いて、一切の関与を放棄してしまった。もちろん、警察などといった政府の法務機関の目が行き届くことはない。その結果、それらの地域は完全なる無法地帯と化した。確かに、日本という国を存続させるためには致し方ない決断だったとはいえ、結果的に彼らは日本の大部分の地域を切り捨ててしまったのである。
必然的に、中流階級以上の人々は管理区域内へと移住し、下流階級の人々は貧困街へと押しやられ、取り残されたのであった。人々は日々を生き抜くことに必死で、そのためには手段を選ばないものも多い。どれだけ自警団を増やそうが、犯罪が減ることはない。
力さえあれば、どれだけ犯罪に手を染めても、捕まることはない。ただし、弱ければ片っ端から食い物にされてゆくだけ。
しかし裏を返せば、この街は何物にも捕らわれることのない、隠れ家にはもってこいの場所。犯罪者はもちろん、それを狙う賞金稼ぎでさえも、この街があるからこそ生活が成り立つのである。
そんな街の一角に、ルミナは自身の隠れ家を設けていた。ポイントS-05、貧困街の中心地、治安の悪い貧困街の中でも、極めつけにガラの悪い地域である。武器も持たずに出かければ、たとえ男であっても五メートル歩くまでに拉致されかねない、そんな場所。
小さい頃、まだルミナの下で修行していた時に、一度だけ連れてこられたときがある。いざという時は、ここに逃げ込むように何度も諭されたものだ。相変わらず雑然とした街並みを眺めつつ、コウキはそのおぼろげな記憶を呼び覚ました。
「マスター、到着しました。ポイントS-05です」
ゆっくりと自動車を停車させ、コニカが静かに告げた。目の前には、ただのあばら家にしか見えない、適当な作りのバラックが建っていた。こんなところが隠れ家であるとは到底思えないが、しかし目的地としては間違ってないらしい。
コウキはうなずき、するりと車から降りた。時間はまだ正午を過ぎたあたり。日の光が高々と、南の空に照っている。ぼろぼろに浸食されたアスファルトに、コウキの影が黒々と映った。
「コニカ、例の処置を頼む。少々もったいないが、これでは目立ちすぎるからな」
「了解、すでにルートはインプット済みです。すぐに発進させます」
コニカが言うや否や、二人の乗ってきた乗用車は無人のまま発進し、そのまま突き当たりの通りを右に折れた。乗ってきた車が原因で、せっかくの隠れ家が突きとめられてはどうしようもない。所詮はカモフラージュにしかならないだろうが、自動操縦により、海に転落するまで走り続けるようにインプットしてある。背に腹は替えられないということである。
「行くか。周りに意識を向けておけ」
コニカに注意を促し、あたりに人がいないのを確認してから、コウキは小屋の扉のノブを回す。錆ついたちょうつがいをきしませながら扉は開いた。小屋の中は薄暗く、長年使われていなかったせいか空気が淀んでいて、ほこりっぽかった。そして中には誰もおらず、無人だった。
コウキは迷わず小屋の真ん中まで歩いて行って、おもむろに床板をひっぺがえした。積もり積もったほこりが一気に舞い上がり、コウキ達の視界を真っ白に染め上げる。それが少しおさまって、再び視界が開けた時、引きはがされた床板のあったところには、小さい機器が埋め込まれていた。
「あった、これだ……」
探し物を見つけたコウキは、自分だけに言い聞かせるようにひっそりと呟いた。