表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

7/41

初恋にさようなら

 貴族としての領地をもたない、一代限りのウォード男爵は、一年の大半を妻、つまりわたしの母と、王都で過ごしているらしい。


 王都までは馬車で一週間ほどかかる道のり。


向こう(王都)には何でもある」と言われたけれど、わたしは結局、ほとんど荷物を減らすことができなかった。


 はち切れそうに膨らんだ、トランクケースは閉めるのも大変で。


 旅の途中で蓋が開いてしまいませんようにと、祈りながら鍵をかけた。


 立て付けの悪い扉と軋む廊下。


 落書きと染みだらけの壁に、間延びしたわたしの黒い影。


 足を止めて、窓の外に目をやれば、空はいつの間にか茜色に染まっていた。


(思ったより、支度に手間取ってしまったみたい)


 情けないことにわたしは、この孤児院を離れる寂しさと、今必死になって戦っていた。


 けれど、記憶にもない両親に会いたい気持ちもまた、嘘じゃなくて。


 それにわたしは、ラウルさんが、身内(わたし)が今までお世話になったお礼にと、孤児院のために多額の寄付金を用意したことも知ってしまった。


 わたしが感じた寂しさは、誰のためにもならないもの……。


 わたしは唇を引き結んで前を向いた。


「アリス!」


 そのときだった。


 聞き慣れた声が、わたしを呼んでくれたのは。


「本当に行くのか?」


「リゲル……」


 少し先の廊下には、燃え盛る夕陽を背負って立つリゲルがいた。


 逆光で、彼の表情(かお)はよく見えない。


 わたしは――と言うと、この期に及んで期待する、諦めの悪い初恋があさましくて、きゅっと、トランクケースの持ち手を握りしめた。


 同じときを過ごし、たまたま見つけた玩具(ベル)で遊ぶような、とても親しい異性の友人。


 わたしたちは、ただの、幼なじみ――。


「もしかして見送りにきてくれたの?」


 わたしは努めて平静を装って尋ねてみた。


 でも、リゲルの様子がなんだかおかしい。


「行くなよ……」


「え?」


「俺を、置いて行くなよ……」


(それって、どういう……?)


 無難な言葉ばかりを、選んで生きてきたツケが回ってきたのかもしれないわね。


 こんな大切なときでさえ、わたしは頭に浮かんだ問いを、素直に口にすることができなかった。


 わたしにできた芸当は、泣きたい気持ちに蓋をして、精一杯明るくふるまうことだけ。


「わたしは行くわ! 王都で運命の恋を叶えるの!」


 それでもわたしは、最後にせめて、リゲルと再会を誓いたかった。


 立ち尽くしているようにも見えるリゲルと、一歩ずつ距離を詰めてゆく。


 そして。


 覗きこんだ幼なじみの顔は、今まで見たこともないくらい苦しそう……。


 リゲルも、寂しいんだ。


「俺では、お前の……」


 ところが――。


 リゲルが何かを言いかけた、その刹那。

 わたしの身体は後ろに強く引っ張られた。


 気がつけば、ラウルさんの腕の中――。


「アリスは見た目に寄らず悪い子だ。急いで準備をするように言われただろう?」


 ふんわりと包み込む熱と、優美な外見とは不釣り合いな逞しい腕。


 ラウルさんの低音がひどく重たくて、わたしは肩を縮こまらせた。


「ご、ごめんなさい……」


「わかったならいいんだ。さぁ、行こうか」


 わたしはラウルさんに肩を押されて、リゲルの横をラウルさん越しに通り過ぎる。


「アリス!」


 リゲルがわたしの背中で叫んでいた。


「振り向かないで。ご両親が待っている」


 ラウルさんは柔和な笑みを浮かべていた。


「必ず会いに行くからな! 待ってろよ、アリス!」


 初恋の(ひと)の声が突き刺さる。


 わたしは耐えきれず、振り返ろうとしたけれど。


「またいつでも戻ってこられるさ」


 ラウルさんは振り向くことさえ許さずに、大きな身体で、リゲルからわたしを隠してしまった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ