わたしが叶えたい願い
妹たちの相手をしていたリゲルは、
「そういえば、先生たちが呼んでいた。おやつにするから戻ってきなさいってさ」
と、甘くておいしい誘惑で、妹たちとの遊びの時間を終わらせた。
「「え! リゲルおにいちゃん、またおかしをもってきてくれたの?」」
「ああ、すげーうまいヤツな」
「「やったぁ!」」
食いしん坊の妹たちは、揃って歓声をあげ、揃って弾むように駆けて行く。
そうして残された、わたしとリゲル。
ざらりとした感触の、固い絵本に視線を落としてみれば、斑な光が緩やかな風に合わせて、裏表紙の上でちらちらと揺れていた。
みすぼらしいエプロンドレスを着た女の子が、窓枠に切り取られた、遠くのお城を眺めている一場面。叶わない夢を手に入れる女の子は、訪れる幸せを知らないから、まだすごく寂しそう。
けれど、夢の世界を直視できる幼さが、わたしにとっては率直に、羨ましく感じられた。
「いつか王子さまが迎えに来るって信じてるのか?」
からかい混じりに言われてしまい、わたしは悲しい気持ちで首をふる。
リゲルから言われると、余計に切なくて……。
「小さな子どもじゃあるまいし、信じている訳ないじゃない。信じているのは、あの子たちだけよ」
強がって振り返った視線の先に、妹たちの姿はもう見えない。
わたしの答えを聞いたリゲルは、ほんのわずかに唇の端を持ち上げた。
その表情は知らない男の人みたい。
そしてわたしはいつでも、今でも、大人びてゆくばかりの彼の表情や仕草一つ一つに、強く惹かれ続けてしまうんだわ。
ちょっとだけ、情けなくてバカみたい。
「なんだ、諦めたのか? それは残念だな。今日はお前のために、良いものを持ってきてやったのに」
「良いもの?」
「気になるか?」
「ええ。でも高価なものとかはイヤよ」
「なんだそれ。お前ってホントに固いよな。生きづらそうで仕方がない」
「放っておいて」
「まぁ、良いさ」と、リゲルは呆れた様子でズボンのポケットに手を入れた。
「そういうのじゃないから安心しろ」
出てきたのは、掌におさまるくらいの鈍色の箱。
中には入っていたのは黄金色のベル一つ。
でも不思議なことに、リゲルが摘まみ上げたときに揺れたはずのそれは、まったく音を奏でなかった。
「これ何? ハンドベル? それにしては、ちょっと……」
教会で式典のときに見たそれと、形はよく似ていたけれど、その大きさは親指ほどととても小さい。
リゲルが指し示した錆び付いた蓋裏には、彫金された見慣れない記号が並んでいた。
「この国の古い言葉だ」
「ごめんなさい。わたしには読めないわ」
リゲルは鬱陶しそうに、短めの前髪をかきあげる。
こういうとき、受けてきた教育の差が、浮き彫りになるのよね。
「『この鐘が鳴りしとき、奇跡の恋が叶えられる』って書いてある」
「奇跡の恋……」
「アリス、こういうの好きだっただろ?」
リゲルの黄緑色の瞳には、若々しい好奇心が溢れている。でもわたしは、細かいことが気になってしまう性分だった。
「どこで見つけたの?」
「家の倉庫でたまたま。気に入ったなら、お前にやるよ」
そこまで言ったとき、リゲルの声のトーンが、わかりやすくずしりと落ちた。
「どうした訳か、俺がどんなに鳴らそうとしても鳴らなくてさ。だからお前に一度、試してもらおうと思って」
「そういうことなら。貸して?」
わたしは受け取ったそれを、天高く掲げて、ありったけの気持ちを込めて鳴らしてみた。
リゲルが叶えたかった「奇跡の恋」。
それはきっと、神さまが邪魔をしたんだわ。
だってマリリンは、神の御前で、彼女の王子さまと永遠の愛を誓ったんだから。
でも、わたしなら。
(神さま、どうか――)
わたしが祈りたい奇跡は……。
『♪』
雲一つない青空に響き渡る、思ったよりも淀んだ音色。どこかで抱いていた愚かしい希望に、残酷な不安が覆い被さる。
「アリス、大変よ!」
孤児院の先生が、息を切らして、わたしたちがいる大きな木の根本まで走ってきた。
「ウォード男爵家の方が、あなたを迎えに来られたの!」