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レッスンに明け暮れて

 ウォード男爵家に戻ってからのわたしは、孤児院時代とは百八十度変わった生活を送ることに。


 立派な家に、血の繋がった優しい家族。

 寝台はふかふかで、食卓には美味しい料理がずらりと並ぶ、恵まれた日々。


 わたしが帰って来てから、「邸内の雰囲気が明るくなった」と、みんな――家族や使用人たちが喜んでくれたこともうれしかった。


 気掛かりなのは、母の病気。


 そもそも母は生来病弱で、特に出産後は体調を崩すことが多かったみたい。わたしが誘拐された後は、心労も重なって、なおのこと……。


 でも幾つかの持病も、お薬さえきちんと飲んで、安静に過ごしてさえいれば、日常生活を送る分にはほとんど問題はないんですって。


 もちろん生きる気力を失ったとき、つまりはお薬を飲むのをやめたときには、確実に寿命を縮めてしまう程度には重いのだけど……。



 * * *



「今日の座学はここまで。次はダンスのレッスンです。講師を呼んで参りますから、それまでご休憩なさいませ、アリスさま」


「はい、わかりました」


 家庭教師ガヴァネスが出ていったのを見計らい、わたしは机の上に突っ伏した。


「はぁ、疲れたわ……」


 詩歌(しいか)に楽器、文学に語学。

 芸術に歴史に、マナーにダンス。


 社交界デビューまで、二ヶ月足らず。


(本来何年もかけて学ぶところを、こんなわずかな期間で身に付けようだなんて……。土台無理な話だわ)


 それでもわたしは、たとえすぐに剥がれる鍍金(めっき)であっても、両親やラウルさんに恥をかかせない程度の立派な鍍金を、「孤児だったアリス」に貼りつけてやりたいと願ってしまった。


 自分を守る鎧としても。


 あ、でもね。


 歴史や文学といった知識の一部分は、リゲルから借りていた本で知っていたので、それについては家庭教師も驚いていたっけ。


(リゲル、元気にしているかしら?)


 わたしは机の引き出しから、レースのハンカチを取り出した。


 包まれているのは、奇跡の恋を叶えるベル。


 一日十時間以上、ひたすら勉強とレッスンに明け暮れる毎日は、挫けそうになる自分との辛く厳しい戦いで。


 ベルが導いてくれた道を、わたしは信じて頑張るしかなかったのだ――。


 わたしは顔を机につけたまま、髪と腕の隙間から、吸い込まれそうな空を見る。


 窓枠に切り取られた空は、嘘みたいに青くって。


 外はとても気持ち良さそう。


 孤児院にいたら、初夏の瑞々しい風も緑も、誰に気兼ねすることなく、満喫することができたのに。


(だけど求めなくても、学ぶ機会と時間が与えられるって。とても贅沢なことなのよね)


 そう思うと、現実から目を背けているのも悪い気がして。


 わたしは顔を上げて、しっかりと前を見た。


 リゲルに書いた手紙の返事は、まだ来ない――。

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