リゲルの気持ち
野に咲く花を見るたびに、俺はアリスの笑顔を天に描いた。
穏やかで優しく、強いのに儚い。ひっそりと可憐に咲く、幼なじみのアリスの笑顔を。
晴れた空に似た瞳の色。太陽みたいな髪の色。
天真爛漫だった幼なじみは、流れる時さえ追い越して、一足早く、俺よりも早く、悲しい分別を宿した大人になった。
奔放なマリリンが、森で男と逢い引きを重ねる中、恋愛ごとを遠ざけて、修道女のように品行方正に暮らすアリス。
俺がアリスとの距離を詰めようと試みれば、彼女はいつでも一歩下がって、俺との間に線を引いた。
線の上には、いつしか築かれた強固な壁。
俺たちは、ただの、幼なじみ――。
俺にとってアリスは、親友のような家族のような、本当に特別な存在で。
異性として好きにならない方が難しい、とても魅力的な女の子だった。
俺はあの日のことを生涯忘れないだろう。
突然現れたキザな男に、アリスが奪われてしまった日のことを……。
* * *
「どうした、リゲル? こんな夜更けに何の用だ?」
静まり返った書斎で、父さんが愛情のこもった眼差しを俺に向けた。
俺たちは完璧な父子だった。
たとえ、血が繋がっていなくても。
王都から流れてきたという母親は、父親不明の俺を産んですぐに亡くなった。事父親に至っては、俺の存在を知っているかどうかすら疑わしい。
俺は父さんから、すべてを教えてもらっていた。
父さんが母さんを保護したとき、彼女の腹がまだ膨らんでいなかったことを。妊娠が明らかになった後も、自分の素性や腹の子の父親について、頑強に口を割ろうとしなかったことを。
父さんは、そんな母さんを心から愛してしまったことを――。
優しい父さんのおかげで、俺は実の両親を恨むことなく成長した。俺の心は間違いなく、父さんの愛情で、たっぷりと満たされていたんだ。
俺は、自分の出生の秘密について、結局誰にも――アリスにも、率先して話す気にはなれなかった。
血の繋がらない俺を手塩にかけて育ててくれた父さんの気持ちを考えれば、単純な感情だけで誰かに話してしまうのは、ちょっと違うような気がして。
「王都に行く。しばらく……帰れないと思う」
父さんが灰青色の瞳で俺を見つめる。
「アリスを追いかけるのか?」
「ごめん」
「いや、謝ることはない」
孤児から貴族令嬢に。
アリスのことは既に、この小さな街での、大きな噂になっていた。当然、孤児院の支援者でもある父さんの耳にも入っている。
そのアリスが「この街にはもういない」という事実が苦しくて、ラウルとかいう優男の顔を思い浮かべるだけで、焦りと不安の気持ちが大きくなった。
「まさか、王都に知り合いはいないだろう?」
父さんが率直に尋ねてくる。
「いない。あっちで家を借りるつもりだ」
「そうか……」
父さんは俺に金銭的な支援はしないと言った。
俺も、それは断るつもりだったから不満はない。
沈黙ばかりの時間が過ぎた。
父さんは「いつでも帰ってこい」だとか、「決着がつくまで帰ってくるな」とか、甘やかすことも発破をかけるようなことも言わなかった。
ただ、
「後悔のない人生を送るんだ、リゲル」
とだけ。
父さんが俺を抱きしめた。
最初は気恥ずかしくて、俺は棒立ちで抱擁を受け入れていた。
だけど――。
たった今、父さんからもらった餞別の言葉を意味を考えたら、いつの間にか俺の腕が勝手に、父さんよりも強く抱き返していたんだ。
いるはずの人がいなくなる。
あるはずのものが失われる。
恥ずかしがって後悔する方が恥ずかしい。
俺は今まで、無駄に格好つけていたんだな。
それがかえって格好悪いことだとも、子どもだったから気づけなかった。
「ありがとう、父さん……」
アリスの本当の気持ちを聞いてみたい。
俺は少なくとも、嫌われてはいなかった。
一度きりの人生。
後悔のない人生を送れたら――。
リゲルは真っ直ぐな青年です。
反面、恋の駆け引きには向いていません。




