信頼できる相手に出会えた幸せ
「離れて育ったアリスには、わからないかもしれないが……」と、ラウルさんは苦い笑いを浮かべていた。
「社交界デビューは、貴族の家に生きる者にとって、重要な通過儀礼の一つなんだ。
男が仕事をするにしても、社交界に受け入れられなければ始まらない。一方で、婚約者のいない娘にとっては、結婚すべき適切な相手に、自分を見つけてもらう場所でもある」
「そうなんですね……」
いつでもできる婚約とは違って、法律により、結婚は成人後の十六歳からと決められている。
けれどわたしには、婚約も結婚も、どちらもまったく縁のない話のように思われて。
今はもう鳴らなくなった気まぐれなベルを、無邪気に信じることもできずにいた。
一般的に、親は――。
いえ、もしかすると身内としてラウルさんも、わたしに幸せな結婚を望んでくれているでしょうに……。
でもラウルさんは、嘘みたいに優しかった。
「初めての舞踏会で、アリスは男たちに値踏みされてしまうだろう。だが無理をしてはいけないよ。アリスはアリスらしく、できる範囲で頑張ってくれれば、それで良い」
そうして、男性特有の長い指が、わたしの髪を耳にかけるようにして、そっと触れる。
橄欖石のピアスが、ラウルさんの目に、どうやって映ったのかはわからない。
ただ――。
ラウルさんが、わたしとリゲルの間に立ち塞がった別離の夕暮れ。
あのときのラウルさんの行動は、わたしの弱さを断ち切るためのものだったと、今ならば信じられる。
そうしないと、わたしが前に進めないから――。
ふと、わたしの失恋が確定した日の、ふてくされたようなリゲルの顔を思い出した。
孤児院の妹。とびきり美人のマリリン。
あの娘から、リゲルに告白されたと聞いたときは、胸が張り裂けそうだったっけ。
冗談交じりにリゲルに問い詰め、聞くんじゃなかったと、こっそり涙を流して後悔した――。
ひきつれた傷跡は、まだ熱をもって痛むけれど。
あの頃よりわたしは、大人になれたはずだった。
「君が恥をかいたりしないように、できる限り、私もサポートさせてもらうつもりでいる。一人じゃないのだから、安心しなさい」
物思いに足を踏み入れていたわたしを、ラウルさんがさりげなく引き戻した。
煌めくシャンデリアの下で、すてきな王子さまに見初められる、絵本の中のお姫さま。
彼女はその後――。
(幸せになれたのかしら?)
妻の社交が夫の出世に影響を及ぼすこと等、結婚したら漏れなく発生するであろう柵を、ラウルさんは、やはり隠すことなく教えてくれた。
例えば、夫に愛人や隠し子が発覚しても、取り乱してはいけないだとか。一見優雅な、貴婦人主催のお茶会では、夫のための情報収集と駆け引きが、絶え間なく行われているだとか。その他いろいろ。
わたしは長く息を吐いた。
「貴族って大変そう」
「私がいると、言っただろ?」
「ふふ、頼りにします!」
そうしてラウルさんは、わたしに外を見るように促した。
「信じられない……」
目の前に広がるウォード男爵邸の威容に、わたしは言葉を失った。




